「そこで気になることがあるんだけれどー」

 もう一度挙手してカ・ルメが言った。

「枢機卿が最後に会ったのはマナカだって話、マナカに会った以降枢機卿が人と会わなかったということだけど、それ本当? 見てたの?」
「見てたというか、そうだな……」少し言葉を整理するだけの時間を置いて、ルーナが再び口を開く。「僕が見たのは、枢機卿が教会宿舎のある方向から村長宅に戻られたその瞬間だ。と言っても、村長宅の廊下の窓から本当にたまたま見えたもんで、多分枢機卿は僕には気付いていなかったのだと思うけど。マクシミリアヌスが最後に会ったのはマナカだと言ったから、ああ、あのときマナカに会ってたんだなと関連付けた。確かにそう言われると、その道中に誰かに会ってないとは言い切れない。
 村長宅に戻られてからは、多分普通に部屋に帰られたのだと思っていた。村長宅に入ってほかに行く場所もないだろうし……。あの後、村長にはそんなの聞ける雰囲気じゃなかったからまだ聞けていないんだが、一応エルネストゥスには聞いたんだ。彼は会ってないと言っていた」
「うーん、どの道枢機卿が生きていたのなら、あんまり関係ないように思うけど……」

 真佳が道中で口を挟むと、カ・ルメが呆れたように突っ込んだ。

「君、同じ理由で疑われてんだぜ? 殺人現場にも行ってない、そのとき枢機卿が生きていたのは確実なのに最後に会ってたってだけで疑われた」
「やー、まあでもそれはそもそも村長の疑い方がちょっと冷静じゃないって話でしょ?」
「…………」

 不承不承みたいな顔で黙られた。瓶底眼鏡が邪魔をしてカ・ルメの瞳の動きはこちらには伝わらないのだが、それでも間違いなくこいつ今半眼だったなという確信めいたものを知覚した。……もっとそういうことに怒ったほうがいいんだろうか。と言われても、怒って解決するような問題などでもないわけで。
 溜息を吐いて、カ・ルメ。

「まあいいや。じゃあもう一個質問。またルーナさんに対してになるけど……当時開いてたこの窓だけど、それ以外の日も開いていた?」
「そうだな……開いてるときはあった。日に一度は掃除に入るようにしてるから、そのときにわざわざ開けた記憶もあれば、開いていたのでそのまま掃除を始めたときもある……でも、掃除に入るのはほとんど朝方か昼間だったから、それ以外の時間は分からないな」
「ここ、この遺体の頭にあった窓、教会宿舎のほうに向いてるでしょ。君たちはどう? 開いてるか、閉まってるかしたのを見たことは?」

 宿舎に泊められている全員が、その場で顔を見合わせた。そんなことを言われたって窓の状況なんて記憶していないし、そもそもの話見てもいない。では枢機卿に最後に会ったあの日のことはと考えると、夜だったので周りが暗くてそこまで見通しが利かなかった……と、思う。
 覚えているとしたらグイドくらいのものだろうとグイドのほうへ視軸の先を転じると、グイドはグイドで顎に手をやって首を捻りつつ、

「おれ、そもそもあんまここら辺をうろついてなかったからねー。朝早くに落石の撤去作業に行ってー、帰るのは日が落ちる前辺り? 出るときは村長のおうちとは逆方向に出発するし、帰るときは村長のおうちまで目に入らないし……。うーん、ごめん、さすがにそこまで見てないなー」
「ふむ……なるほど……」

 顎に指の節を添えて、難しい声でカ・ルメが言う。カ・ルメの目元は見えないが、眉の形だけは流石に分かる。声と同じで、難しい顔をしているらしい。その質問の回答から導き出される場所を想像も出来ない真佳としては、小首を傾げてカ・ルメを見守ることしか反応らしい反応が思いつかない。

「窓枠、誰かが乗ったような跡はあった?」

 今度はさくらが言葉を発した。つられるようにベッドの頭にある長方形の窓に視線をシフト。小さな窓だが、人一人……マクシミリアヌスみたいな大柄の体格でさえなければ、行き来することは可能だろう。
 さくらが言ったのはその窓枠で、真佳はカ・ルメとジークと一緒に戸口側から窓の付近に寄ってって、問題の窓枠を覗き見た。少なくとも今現在は綺麗なもので、靴を乗っけた際の靴跡とか、土みたいなものは見当たらない。ルーナが毎朝掃除していると発言していただけあって、靴跡の形に凹んだ埃なんかも見当たらない。

「一応現場はその当時の状況で保存しているけど……」と、ルーナ。「完全にその当時のままかどうかと言われると、ちょっと断言出来ないな。村長はもう僕らよそ者の話を耳に入れる気がないようで、完全に意固地になっててさ……。僕が知らない間にどこか触ってない保証は無い」
「おれもすぐ追い出されちゃったからなー。さすがにそこまでは見てないよ。ごめんね」
「いや、そこまで期待して聞いていたわけじゃないから」

 さくらが引き下がって、それにつられるように視線の先が窓の枠からそのすぐ下、枢機卿が殺されていた場所にシフトした。遺体は当然というか何と言うか、もうここには置かれていないが、死体が置かれていた生々しさのようなものはある。死体を運ぶ際に掛け布団は改めて整えられたと思うので血の跡以外に事件性を示す痕跡は無く、敷布団のほうもその際に整えられていないとは言い切れないために、事件と繋がる何かがここにあるのかどうかは不明確だ。
 遺体はどこにあるんだろう。当然事件性があるのだから火葬を行えるわけが無く、かと言ってそこら辺に置いていたら腐敗していくばかりであろう。こんな田舎に遺体安置所なんかがあるわけも無く、スカッリアはその宗教上から土の中に遺体を埋めることはご法度だ。倉庫かどこかだろうか。そこくらいしか思いつかない。

「ここら辺、基本的に昨日の朝と同じだねー。特に変わったところはないって感じ。今は窓は開いてないけど」

 辺りをざっと見渡した末に、グイドが言った。グイドが言うならそれはきっとそのとおりで間違いなどは無いのだろう。遺体発見当日だって、グイドは恐らくこの戸口付近より先には入る余裕が無かったのではないかと思量する。いくら記憶力が良かったって見ていないものは話せない。昨日の朝と今日の夜、その相違点から事件を語るのはどうやら困難になりそうだ。

「じゃあ別の方面から探るしかないか……」

 とカ・ルメが言った。真佳に真犯人を探し出せるか不安かと自分から聞いておきながら、カ・ルメはどうも今回の件に積極的だ。それっぽいことが出来るというのは何も、考えなしから出た言葉とかでは無かったらしい。不安に思ったことを撤回しなければ。

「と言っても、何から? 死因とか?」
「死因と言っても、遺体を解剖しないことには今のところ刺殺としか言いようがないでしょう。凶器……は村長宅にあったものか。村長宅の、場所はどこに?」

 ルーナ、さくらの順番で。飛び入りの割には随分と話に溶け込んでくれるものだと、真佳は少し感心する。何ならヤコブスのほうがルーナよりもしゃべっていない。カ・ルメやジークについても聞きたいことが山程あるだろうに、きっと時間を気遣って聞かないでいてくれるのだろう。その心遣いが有り難かった。

「流石に枢機卿の部屋では見たことがないし、多分一階の居間から持ち込まれたものだと思う。今朝、居間に降りてふとしたときに、そういえば見当たらないなと気が付いたから」
「一階の居間に?」

 さくらが気難しい顔をした。顎に手を当て、気難しい顔のままに視軸を部屋の床、恐らくは一階の居間の辺りを睨み据える。

「それは随分とおかしいね」

 カ・ルメも横から同意した。

「ああ、村長の言い分では、犯人は二階の窓から直接部屋に侵入し、村長を刺したとされている。でも凶器は二階にあったんじゃない。一階にあったんだ。枢機卿が部屋に持ち込んだりしていない限り、それは僕もおかしいことなんじゃないかと思う」
「その言い方だと、ルーナはその時のナイフの場所までは把握してないってわけね」
「残念ながら」

 さくらの指先が自らの綺麗な曲線を描いた顎に触れて、それから目を細め、またぞろ厳しい顔をした。「……枢機卿がナイフを持ち出した可能性は捨て切れないとは言え、本当にナイフが本来のとおり一階に置いたままだったら……」……などということをぶつぶつと。
 もしも本当にナイフが一階に置いたままだったら。
 犯人は、村長宅の一階を経由して枢機卿の部屋に入り込んだ、と考えるほうが自然である。そうなると、二階の窓はブラフという線が濃厚だ。

「でも、それはそれで難しい話だよー」

 今度口を挟んだのはグイドである。

「だって、それってつまり、そもそも〝村長の家に人が入り込んでいた〟っていうことなんだから……村長ってそのとき鍵かけてたのかなあ?」
「……どうだろう。流石にその夜どうだったかを僕は知らないし、そもそも村長がふだん家に鍵をかけるのかも見たり聞いたりしたことは無かったな。ただ、枢機卿がいるのだから、いないときよりは厳重にしていそうなものでもあるが……」

 枢機卿に聞かないとイマイチ答えが得られなさそうな話になってきた。と言って、村長は真佳こそが犯人だと既に決め込んでいるわけで、真佳以外の誰かが聞いたって冷静に答えてくれるような保証は無い。

「貴様が犯人ということであれば話は簡単になるんだがな?」

 ヤコブスの意地の悪い発言に、ルーナは肩を竦めて吐息する。

「確かに、僕の立場であれば犯行は容易だ。僕が犯人ということならば話は早く済むんだが」

 推理に行き詰まったみたいに疲れた顔で、そう言ってルーナはお手上げみたいに両手を上げた。ヤコブスの悪意ある発言にいちいち突っかからない存在は貴重である。
 ヤコブスが気に入らなさそうに鼻を鳴らした。

「……あと気になるのは、枢機卿が抵抗した痕跡が無かったってことくらいかな」

 今度は真佳から提案した。ヤコブスが混ぜっ返したことでみんなの会話が途切れたので。ルーナが表情で表したとおり、凶器の方面から見た推理は行き詰まりということで良さそうだ。

「ああ、それも問題だよな。枢機卿がよほど深い眠りについていたなら話は別だけど、薬でもかがされてない限りそんなことはあり得ないし……」

 同意してくれたのはルーナである。ヤコブスに犯人扱いを受けていながらこのけろっとした態度、もしかして突っかからなかったのではなく、嫌味や嫌がらせと全く認識していなかったのかも。推理の一つの案として提示されただけと思ったとか……。どちらにしても大物だ。と、呆れ半分に感心する。

「あと考えられるとしたら、縛られてたとかかな」

 今度はカ・ルメが口にした。なるほど、きつく縛られていたとかなら、一見争った形跡無く殺すことは可能かもしれない……。流石に形相には現れそうだが……。

「私枢機卿の遺体の感じとか見てないんだけど、その、縛られた跡とか、表情とか……」

 どういう具合で話を運べばいいのやら分からず、つっかえつっかえ疑問をそのまま口にすると、グイドも考え考え教えてくれる。

「表情はー、おれが見た限りだと本当にただ眠っているみたいに見えたけどな。死の瞬間は穏やかなものだったんじゃないかと思うー。縛られた形跡とかは、そういうのを見せてもらう前にアキカゼちゃんを捕まえるってことになっちゃったからあ……」

 結局そこに戻ってくるわけか……。当時と全く同じ状況は期待出来ないとしても、実際に遺体を見てみる必要性はどうしても生じてくるのだろう。どれだけ記憶力が豊かと言っても、限界というのは見えてくる。

「ルーナ、今遺体はどこにあるか、アンタは分かる?」
「場所は知らない。ただ、村長が村の人たちに、倉庫とか何とか言ってるのは聞こえた」

 やっぱり倉庫か……。この村のどれが倉庫でどれが民家かまで分かるほど精通しているわけでは無いが、倉庫っぽい建物というのに心当たりはある。この村に着いた二日目に、枢機卿のことでさくらと話をしたあの近く。……ただ、倉庫が二つあるということであればお手上げだ。

「明日、それとなしに聞いてみるよー」

 グイドが言った。

「あんまり長居してると、どんどん危険が増してくでしょ。ここら辺で一旦引き上げてもらって、明日倉庫に向かうというのが安全だと思う。ルーナさんの身近な村人は村長だけだから聞きにくいかもしれないけど、おれらにはシスターとか司祭とか、そういうのがいるからねー」
「……そうしてくれると助かる」

 心苦しそうにルーナが言った。何もルーナのせいではないのだし、ここまで積極的に協力してくれるだけでありがたいのに。遺体発見時に村長をその場で止められなかったことを、ずっと後悔しているみたいだ。

「……首都からここまで、急いで来ても五日から一週間はかかるだろうと、マクシミリアヌスは言っていた」

 硬い声色を、ゆっくりゆっくり吐き出すようにさくらが言う。五日から一週間……。さくらのことだから事態が起きたときに聞いていたのに違いないとして、あれから一日経っている。つまるところ、首都がこちらに介入してくるまで残りあと四日か六日。

「明日に捜査を引き継ぐということになると、残り三日か五日になる。事は枢機卿の死亡だし、首都も全力で向かってくるでしょう。ということは、ほぼ三日しかないと考えたほうが分かりやすい」

 三日……。ここで帰ると残り三日しか猶予が無い、と考えると、なるほど、多少無理矢理にでも今倉庫に向かいたいという焦燥感は湧いてくる。

「でも、長居すると危険というのは異論が無い。教会が来る前に村長に捕まっても、捜査がしにくくなるという点を考えると、そこで詰みと考えて然るべきでしょう……そこで提案なんだけど」

 人差し指を一本、立てて周りを見渡した。さくらと一瞬目が合った。

「……明日、日中に私かマクシミリアヌスか、ともかく村長が納得しそうな人間が死体を見る」
「村長に? 直談判する気かい?」

 あからさまに驚いた声色で、ルーナが黒壇の目を見開いた。今まで聞いていた話では、村長はどうにも聞く耳というものを持っていない。枢機卿のお付き、つまり、枢機卿の完全な味方であるはずのルーナに対してもそんなような態度であるので、真佳と共にやってきたさくららの話をきちんと聞いてくれるかと言われると、それはやっぱり絶望的だ。最後の希望は教会できちんとした肩書もあるマクシミリアヌスだが、真佳がここにいない間、真佳の無罪を主張し続けていた場合、それも難しくなるだろう。さくらか誰かが進言して、マクシミリアヌスの言動を押し留めてくれていたら話は別になるだろうが……。
 当然村から離れていたので、真佳はその辺りのことをよく知らない。
 さくらが短く頷いた。

「勝算はあると思うの。教会が来るまで、少なくともまだ数日はかかってしまう。そうすると遺体も劣化していくでしょう。この村では遺体を適切に保存出来る環境が無いわけだから。せいぜい野菜か何かを保存する、防腐の魔術式がかかった箱にでも入れておく程度。でもそれは進行を遅らせるだけで、現状の保存には程遠い。どうしても、現状の状況をきちんと教会に引き継がせる必要がある。特に相手は枢機卿なのだから、遺体の保管が適当なもので教会が納得するはずが無い」

 さくらが唇を湿らせた。赤い舌がちろりと覗いたのを、月明かりの下で確認出来た。

「そこを突く」

 一言。強めに。

「マクシミリアヌスに動いてもらう。教会に文句を言われることを恐れているなら、見せないことで不利になるのだと思い込ませる。村長は立ち会いを求めるけれど、こちらは見せてもらえればそれでいいのだから何も問題はないはずだ。私たちが先に調べておいたなら、明日の夜、みんなで遺体を確認する時間が省略出来る」
「……それは大分ありがたい話だが」

 薄い唇を指の腹でなぞりながら、眉根を寄せてルーナが言った。
 ルーナが思案している真横から、カ・ルメがひょいと片手を上げて口を出す。

「君、というか、大佐殿。カッラ大佐。誰でもいいんだけど死体の見方は分かるの?」
「流石に解剖は出来ない。でも、縛られた痕跡とか形相とか、そういうことは確認くらいは出来るはず。マクシミリアヌスだって殺人事件を捜査したことはあったようだし」

 カ・ルメが小さく口にした――「ふうん、それは頼もしい――」。真佳の耳にはギリギリ届いてきたのだが、ほかの人たちの耳にも入っていたかは分からない。
 カ・ルメがこっちを振り向いた。ちょうどカ・ルメのことに思考を割かれていた真佳は、流石に一瞬ぎょっとした。

「いいんじゃない? それで。こっちとしては願ったり叶ったり。その間、私たちも出来ること、明日の夜考えるべきことをまとめよう」

 当たり前みたいに真佳に向かって。
 ……まるで真佳がリーダーみたいな言い方だが、推理とかそういう器用なことが出来ない分、正直一番発言権が薄いのが自分だと思っていたので、内心めちゃくちゃ当惑した。

「……えっと、いい……と思うけど。私は」

 気が付けばその場の全員の視線を一身に受けていたらしい。真佳の目を真っ直ぐ見据えて、さくらが小さく顎を引く。

「じゃあそれで――安心しなさい。遺体の件は私とマクシミリアヌスがきちんと観察しておくし、村長から聞けることも聞ける範囲で聞いてくる」

 まるで真佳を安心させるように、そう言われて……。
 何だか少し、心の奥底に温度を感じて、別に何ということもないはずなのに泣きたくなった自分に戸惑った。


月のもと/先行き

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