月のもと/事件経緯



「もうみんな枢機卿がどんな感じで亡くなってたかは周知のことだと思うけどー、念の為もう一度説明するねぇ」

 間延びした声で〝樽腹〟グイドが発話した。ルーナ辺りはどうしてグイドが仕切っているのか不思議に思っているかもしれないが、ヤコブスに詮索するなと釘を打たれたことを律儀に守る気でいるのか、それとも単にこちらの事情を勝手に汲み取ってくれただけか、言動に表すことはしなかった。

「枢機卿が遺体で発見されたのはー、このベッド」南側に頭を向けて設置されたベッドを、指の先で指し示す。「ベッドで横になったまま亡くなってた。シーツに一切の乱れは無く、シーツ越しにナイフで胸を一突きにされていたためシーツにまで血が染み込んでいたのをおれは見た。洗濯されないでそのままなんだねー、乾いた血がまだシーツにこびりついてる」

 グイドの指先がつうっとベッドの上を南へ辿って、丁度大人が一人寝転んだら心臓に当たるだろうというところに辿り着く。暗がりでよく見えないが、確かにそこだけ闇の色合いがほかより濃いことが伺える。

「枢機卿のお供をしていたエルネストゥスさんとルーナさんは別室で寝てたって話だったね。えーっと、本人がここにいるんなら丁度いいや。ルーナさん、エルネストゥスさんとは……」
「別室だよ。流石にね。僕もエルネストゥスも、一人で寝てた。アリバイは無い」

 腕を広げて両の手のひらを空へと向けて、ルーナはあっさり肩を竦めてそれを認めた。

「因みにこの家、二階には部屋が三つあって、エルネストゥスと僕となら僕のほうが枢機卿の部屋に近かった。枢機卿のお世話をさせていただく、という点においては僕のほうが何と言うか、まあ……気が利いたんで」

 ルーナは言葉を濁したが、その感覚は何となくだがエルネストゥスと会ったことがある真佳にはよく分かる。あのエルネストゥスが、枢機卿が何か言葉を発する前に枢機卿の求めるものを用意出来るかというと疑問が残る。枢機卿は枢機卿で別に、気にもしないとは思うけど……。
 エルネストゥスの能力についてはヤコブスも相違は無かったらしく、特に突っ込んで聞くようなことはしなかった。

「えっと、当時この部屋はベッドの頭にある窓が開け放たれて放置されてた。第一発見者は――」
「僕」

 と、グイドの話の途中でまたぞろルーナが手を挙げる。ヤコブスはルーナの存在を鬱陶しがっていたようだったが、こうなってくると話を聞くために必要不可欠な存在だったんじゃなかろうか。

「そういう習慣になっていたのか?」

 流石に無視出来る話でもないらしく、ヤコブスがルーナに話を振った。さっきまでの声音と違って今回のそれは冷静だ。

「まあね。と言ってもその時間になっても起きられていないなんてことは一度も無かった。むしろ誰よりも早く起きられて、形式的に僕の声掛けを部屋で本でも読んで待っていたという感じだ。その日も当然、ベッドの中上体だけ起こした枢機卿が、開いた本に目を落としながら僕の声に反応して『おはよう、ルーナ』と声をかけてくれるのを待っていた」

 ――ルーナが語るその声には僅かに湿り気が含まれていて、真佳も少し、つられるように目を伏せた。ちょうど真佳が立っているところが扉の前。枢機卿に声をかけに来たルーナが、枢機卿と本来なら顔を合わせていた位置である。ベッドの頭付近までの距離は、おおよそ一メートルと半分くらい。

「最初はまだ起きられていないのだと思って、珍しいこともあるもんだと気軽に思った。近付くまでナイフの存在には気が付かなかった――いや、気付かなかったは正確じゃないな。多分気が付いていたとしても、ナイフなんかこんなところにあるわけがないと思い込んで考えもしなかった。ベルトか何かが変な具合に置かれているのか、せいぜいそんなものだと思い込んで、問題にもしなかっただろう。
 二、三歩足を踏み入れてからかな。シーツについた血と、その中央に突き刺さったナイフの存在にやっと気付いた」
「それから?」

 ヤコブスが先を促した。

「それからって、心臓にナイフが刺さって、血まで出てるんだぜ? 明らかに尋常でないのが分かったから、村長を呼びに下に下りた。今思えばそのときに脈でも測っておけば良かったんだが、思いつかなかったんだ。流石に昨日まで元気だった枢機卿があんな……。とりあえず、息があった場合の対応をしたかったので、ここらに診察が出来る医術士か何かいないものかと思って。簡単な治療なら僕にだって覚えがあるが、心臓にナイフが突き刺さった場合の重篤な患者の処置は流石に覚えがないからね」
「ああ、それで村長とルーナさんが宿舎に来ることになったんだ。おれ覚えてるよー。枢機卿が刺されてるって聞いて、教会のシスターとカッラ中佐とおれとで走っていったからね」
「さくらは行かなかったの?」

 グイドが話す言葉の隙間にねじ込むように、隣のさくらにこそっと言葉を投げかけた。首を横に振って「マクシミリアヌスに止められた」と硬い声色で囁き声を返される。その時点では犯人の目星はついていなかったのだから、この村のどこかに潜んでいるであろう犯人の前にさくらを晒すわけにはいかないという、きっとそういう判断だったのだろう。それでヤコブスが残った理由も理解した。教会に関わりたくないという事情以前に、殺人犯がいつ現れるとも知れない、しかも戦力の削がれた教会宿舎というその場所に、さくらを置いておくわけにはいかなかったからだ。

「えーっと、それでおれが聞いた話だと、簡単な医術は教会のシスターがしてたけど、そこまで重篤な症状の患者を治療する設備や技術はこの村には無かった。そういったものは全て隣の――と言っても、十分遠いという話だったねー。――村にまで向かう必要があった。そもそも枢機卿は、そういう治療が無駄なくらいに死後数時間は経過している状態だった、と」

 間違ってない、とルーナが一つ頷いた。

「そこの彼と村長とシスターとで戻ったところだったかな、エルネストゥスが何事かと部屋から出てきたのは。枢機卿の死体の状況を見たのはマクシミリアヌスで、直腸温度が測定出来ないから確かなことは言えないが、首や顎の死後硬直が始まっていることから、死後二、三時間は経過していると見てまず間違いないということだった。……という記憶なんだが、間違いないかな」
「間違いないよー。おれもそういう記憶だからね」

 ルーナさんは物覚えがいいんだねえと、殺人現場には似つかわしくないのほほんとした声色で。外見から見ると老けて見えるルーナの実年齢は二十一だということだから、実際グイドよりもルーナのほうが年下なのは間違いないとは思うのだが、何となく子供扱いされるルーナというのは見ていて違和感があるというか。いや子供扱いというのとはまた違うのだとは思うのだけど。
 まあ、ともかく。

「そこからどうして真佳が怪しいという話になったの?」

 と、真佳が聞きたかったことをさくらが言った。マクシミリアヌスとルーナとエルネストゥス、それにグイド。これだけの人員が揃っていて、真佳に疑いの目を向けるに至った経緯と、それが増長された結果が真佳も分からない。

「それはもう本当に申し訳ないんだけど」

 と、溜息とともに肩を竦めてルーナが言った。

「よりによって枢機卿が亡くなったということでマクシミリアヌス初め、僕やシスターの動揺が物凄くてね……。最後に枢機卿に会ったのは誰だという話からマナカの名前が飛び出したとき、村長のそれではそうに違いないって言葉を強く押し留めることが出来なかったんだ。
 枢機卿の死は国の行方に関わることだ。教皇が我々の前にどういうわけか姿を表さなくなってから、不安に襲われた我々の心を鎮め、教皇にも考えがおありなのだと行路を示してくれた大事な方だ。その枢機卿があろうことか殺されたなどということになると、スカッリア国はこれからどうなっていくのか、国民の不安はいかほどか……。
 考えていたのは僕だけでなく、マクシミリアヌスもそうだったのだろうと思う。それで、咄嗟に強硬に言い張ることが出来なかった。マナカはやってない、犯人は窓から侵入してきているのだから、マナカ以外にも可能性はあるはずだ、そもそもマナカが殺すのだったら寝静まってからでなく、枢機卿と最後に会っていたときにやっていたほうが自然であったはずなんだ。一応、強い言葉ではないにしろそういったことは口にしてみはしたんだが、自分がやったことを悟られないためにそういうやり方をしたんだろうの一点張りで……」

 再びの溜息で、ルーナは一度長広舌を打ち切った。唇を湿すだけの間を置いてから、もう一度。

「……誤解しないでほしいんだが、村長は何も君に悪意があるというわけではないはずなんだ。基本的には温厚で人のいい老人なんだが、村を守りたいがために視野が狭くなっている、それだけの話なんだと思う。恨まないでほしい、とは言えないが、僕にも一宿一飯の恩がある……」
「それで殺人犯にされてはこいつもたまったもんじゃない」

 大丈夫、事情は分かってるつもりだよ――と言うつもりで口を開けた真佳が実際に言葉を放つより先に、鼻を鳴らして笑ったヤコブスの意地の悪い発言が、枢機卿に宛てがわれていた八畳くらいの部屋に木霊した――普段我関せずで知らぬ存ぜぬを貫くくせに、そういうときだけ口が早いんだからなあ!

「ヤコブスー、そういうさあー」

 グイドがすぐに咎める言葉を送ったが、当の本人は鼻息荒くそっぽを向いて「本当のことだろう」これである。っていうかいいのか? ルーナは一応、ヤコブスの背負う裏の肩書をまだ知らない。何も知らない教会関係者の前では敬虔なソウイル教旧教信者を装っていたほうが危険が無くて良いのでは……。
 もしかして一般に合わせる気がそもそも無い? だから首都ペシェチエーロから離れたところで野宿をしていた(とさくらからは聞いている)?
 ……この男、旧教とか新教とか、宗教が違う違わないの以前に、他人を切り捨てる判断が早すぎる。身内と思えば全力で献身する癖に……。

「いや、そこは僕が悪い」

 その場の全員がヤコブスに対して呆れた視線を送る中、その空気に待ったをかけたのは以外なことに、言い負かされたルーナであった。

「君たちがマナカを大事に思っているのは、ここまで来た時点で何となくは察せられる。彼女の危機が迫っている状態で、彼女を貶めた村長を庇い立てするような発言をしたのは不適切だった。心情はどうあれ、事実として彼は無実のマナカに罪を押し付ける言動をしてしまった。これが現実であることは否めない。マナカが殺人犯にされてしまうのは僕にだって耐えられない。どうかここで村長の側に立つ者だとして僕を切り捨てず、引き続き僕に出来ることをさせてほしい」
「……別に俺はアキカゼに対して何の感慨も持っていない」

 ルーナの真摯な語りかけにヤコブスが返した音はそれだった。売り言葉に買い言葉というか、そういう応酬の果てにルーナを早々に追い出すかとも思われたのだが……。マクシミリアヌスとは終始喧嘩をするくせに、冷静で真摯な対応には意外に弱いんだな、と、ここで変な学びを得てしまった。
 ヤコブスの返答に、逆にきょとんと目を瞬かせたのはルーナである。

「えっ? みんなマナカを窮地から救うためにここにいるんだろう?」
「うるさい、俺はついでだ。成り行きで仕方が無くだ。この女の行く末など俺は知らん」
「そんなことを言って、さっき真佳の名前を呼んでいたじゃない。私、アンタは自分が認めた人間の名前しか呼ばないものだと思ってた。現にこの前まで一切真佳の名前を言わなかったしね。この逃避行の間に一体どういう感情が芽生えたのやら」
「……ヒメカゼ。君は俺の味方をしたいのか敵をしたいのかどっちだ?」
「別に。思ったことを言っただけですけど」

 片頬をひくつかせるヤコブスに対して素知らぬ顔でさくら。声は平静ながら口角が微妙に笑みの形に歪んでいるので、ヤコブスの反応に楽しんでいるのは間違いない。まるで出来の悪い弟を見る姉の目だ。ジークをカ・ルメの弟みたいと評したが、まさかヤコブスにも弟みたいな要素が顕現するとは思わなかった。をを、と思わず真佳は感嘆したような声を漏らしたが、幸運なことにヤコブスの耳には入らなかったらしかった。

「はーい、あんまり脱線すると捜査が進まないから、それくらいにしてねー」

 ぱんぱんと軽く両手を打ち鳴らして注目を集めながらグイド。止めるならもっと早くにすればいいのに、今のタイミングで話を打ち切らせたのは絶対わざとだ。

「最後に枢機卿に会ったのはアキカゼちゃんだと思うと言ったのは、カッラ中佐だったね。その後ルーナさんが、それ以降枢機卿が会っていた人間はいないようだったと言ったのでそこまで話が飛び火した。おれも覚えてるよー。そこから先は、村長が強弁にアキカゼちゃんを取り押さえなければと言い張ったために話し合いにならなかった。そこからはヒメカゼちゃんたちも知ってることと思うけどー、村長がほかの村人に声をかけて教会宿舎に押しかけて、ヤコブスにアキカゼちゃんを連れて出てもらった……と、そういう流れで良かったかなー?」

 異論を挟む者はいなかった。突然ヤコブスに連れ出されるに至るまでの流れが、これで漸く繋がった。
 はい、と挙手して、それまで無言を貫いていたカ・ルメ。

「その先で私がマナカとヤコブスを拾ったのです」
「君、よくそんなタイミング良くマナカたちを拾えたな」
「星の詠み方を心得ているので。タイミングが良すぎて怪しいって疑惑は解消された?」
「まあ多少なりとも」

 ……二人揃ってくすりと笑った。ルーナとカ・ルメ、仰々しい物言いをする二人がこうして語らい合っているこの構図、どうにも意味深長なやり取りにしか見えてこないのは何故だろう。
 ルーナに対して、カ・ルメとジークは頭のスカーフを取っていない。当初の予定に無い味方の登場に、ルーナのことをよく知らない二人が警戒するのは当然だろう。それでなくとも彼女は見た目からして明らかに教会の人間で、狼人族としては思うところがあって然るべきかもしれない。
 ……どうにも複雑なパーティ環境になってきた。本当にこの面子で枢機卿殺しの謎を解明出来るのか、今更不安になってくる。

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