どこから村長宅に接近する、という明確な場所は、少なくとも真佳は聞かされていない。ただ、恐らく本人はそのつもりでいるらしい場所で、ヤコブスとグイドがぴったり足を止めていた。こちらを急かすでもなくただただ村長宅の方向を、ぼさっとしか見えない様相で待っている。……いや本当に待っているのか? どうも立ち姿からは、人を待っているという様子は見られないけど。
 真佳ら四人が近付くと、そこで初めてヤコブスは乾燥した唇を開いたので、こういう風体をしておいて本当に待っていたらしいことを漸くそこで確信する。

「現場は二階の部屋だ。必然的に壁を登らざるを得なくなる。玄関には当然見張りがいるからな。だが幸いなことに二階にも窓の多い至極立派な豪邸だ。出入り口には事欠かない」

 ……もう何だか今更だが、窓は別に出入り口というわけではない。冗談で言っているのかマジなのか一瞬判断に迷って、結局ツッコミを口にするのは躊躇した。ヤコブスが肩を竦めたが、その真意も真佳にはどうにも図りかねる。人の心の内を読むことが出来るチッタペピータの吸血鬼に、最後にヤコブスの心の内なんかを視てもらえばよかった。ちょっと後悔。

「サクラって壁登れる?」

 気さくにカ・ルメが問いかけて、さくらは若干鼻白んだような顔をした。カ・ルメの初手から友好的な対応は、流石に女帝でも怯むらしい。

「流石に……やったことがないから分からないと言えば分からないけど、まあ多分きっと無理だと思う」
「だよねー。マナカとヤコブスは大丈夫として、私も無理。ジークには私とサクラを運んでもらおう」

 ……ついさっき二階の窓を叩きに行ったヤコブスならまだしも、普通そんなナチュラルに真佳もそっち側に入れるかね? いやいーんだけど登れるから。でも見た目普通の女の子なんだが? よっぽど異議を唱えたかったがあまりに無為な時間過ぎたので我慢した。
「えーっと、グイドさん?は……」と言ったのはカ・ルメである。

「うん? グイドでいーよお。おれのことは気にしないで。首領に鍛えられてるし、それにほら、今はおれ、首領のただの影だからねえ」
「影?」

 きょとんとしたカ・ルメの疑問。全く同じ顔を真佳も表してしまってから、そのまま視線をヤコブスのほうにシフトした。

「…………」

 言及する気がないのか、視線に気付いていないふりをするので、意地でじっと視線を送り続けてやってみる。こういう根性比べの耐久戦なら割合得意だ。真佳のほうには精神的負担は少ないし、何なら四六時中やってもいい。多分寝たらどうでもよくなってるけど。
 そして多分、それに関してさくらもジークも疑問に思っていたのだと思う。特にヤコブスに助け舟を出すこともしなかったし、また村長宅侵入の話を進めることもしなかった。
 ヤコブスが溜息を吐いて、「……グイド」忌々しげにそう言った。

「貴様が適当をほざくから面倒なことになっただろうが」
「えー、そうかなあ。ひとまず俺の後ろについて記憶し続けるだけでいい、余計なことはあいつらには話すなって、首領がそう言ったんじゃない?」

 純朴に素直に邪気なき表情しか浮かべなかったグイドが、そのとき一瞬してやったりという顔をしたので驚いた。彼はガプサの中でも、特にヤコブスに忠実に付き従う片腕みたいなものだと思っていたので。ヤコブスが恐らく真佳やカ・ルメに隠したがっていたことを、まるで気付いていなかったふりをしてぶちまけることがあるなどと、到底思っていなかった。
「……グイド」と頭が痛そうにゴーグル下の額に手をやるヤコブスに、今度は勝ち誇ったようにグイド。

「まあ、首領が意地悪なことを言うからだねー。カ・ルメさんもジー・クァートくんもアキカゼちゃんも、みーんな状況を解決するために動いてくれる、大事な仲間なわけなんだからさあ」

 と言って今度は本当に無垢に純粋に、邪気なく笑った。
 ――ああ、なるほど、と、真佳は納得したものだ。友好的な関係を築きたいもののついつい言葉の選択を間違えて関係がこじれやすいジークと違って、ヤコブスはそもそも利益を産まない関係は必要ないと切り捨てるレベルで尊大な態度を貫き通す。関係のこじれやすさならジークの数倍には違いなく、そんなとき誰が場を取り持つのだろうと若干不安になっていたのだが――
 グイドがその調整役か。
 首領であるヤコブスと肩を並べられて、且つヤコブスを出し抜けるぐらいの度量がある人間にしかこなせないだろうとは若干考えていたのだが(カ・ルメはともかく、何でジークのフルネームを知っているんだと訝しんだが、訝しんだ直後に理解した。ヤコブスが教えたのだ。よくフルネームを覚えていたな)。
 ヤコブスが溜息を吐いて、両手を上げた。苛立ちのこもった吐息だったが、動作の意味は〝降参〟だ。

「分かった。俺が悪かった。発言は撤回する。するからとっとと行動に移ってくれ。このままでは朝になっちまう」

 グイドのほうを振り仰ぐ。グイドは真佳の視線をとても丁寧に受け止めて、それからカ・ルメにもどんぐりみたいな真ん丸の眼を向けてからにっこりと、とても丁重に微笑んだ。

「二階だよねー。外壁くらいならおれも余裕で登れるから安心していいよー。お気遣いありがとうねー」

 ものすごくにこやかに、さっき答えた内容と同じ回答を、さっきよりもめちゃくちゃ細やかに言い直した。
 ……ヤコブスも苦労しそうだと思ったが、今回に関しては真佳もグイドの意見に賛成なので、同情するだけに留め置く。

「じゃあ本当に私とサクラ二人だけか。いーね、速やかに終わりそうで」

 にんまり顔でうそぶくカ・ルメに、さくらが訝しげな感じで切り出した。

「まさか一気に二人も運んでもらうつもり? そこまで速さを優先しなくても……。運んでもらうだけなら、ヤコブスやグイドでも問題なく上に上げてくれると思うし」
「だーいじょうぶだって、狼人族のことは聞いてるんでしょ? じゃあ信じてくれて大丈夫。これまでにも二階どころじゃない崖を、ヤコブスと真佳をジークは運んでくれたんだから」

 さくらが少し驚いたような顔で真佳を見て、それから次にジークを見た。すっかりその光景に慣れてしまった真佳は当然今更驚くことは無かったが、そりゃあ普通そういう反応のが正しい。ジークは耳が窮屈なのか、縛られたスカーフを鬱陶しそうに弄り倒していてさくらの視線には気付かなかった。

「話は終わりだ」

 とヤコブスが言った。

「時間が無い。突入するぞ」

 異論を挟む者はいなかった。侵入のメインは現場の検証であり、それも明かりをつけられる余地のあるものでは決して無い。この村の人間は朝が早いと言うから、夜明けより先にここからずらからねばならない。さくらの言うとおりそのために誰かに無茶をさせるわけにはいかないが、ヤコブスの言うとおり朝までここで議論をしている暇は無い。
 先にヤコブスが森の縁から飛び出して、身軽な動作で村長宅の側壁に照準を合わせ手をかけた。ぐるっと回ってきたときにざっと確認したのだが、人影が認められたのは村長宅の玄関付近に二人ほど。ヤコブスが取り付いたのは玄関からしっかり死角になる場所で、やっぱり抜け目が無いんだなとその観察眼とルート確保に感心する。
 ヤコブスから一定の距離を確保した後、グイドが続いた。カ・ルメとさくらはジークと共に来るという話であったので、順番的に次は真佳が行くのがセオリーだろうと考える。

「じゃ、頑張ってー」

 飛び出す直前、カ・ルメが言った。とても気軽でお気楽で緊張感の無い声掛けに、流石に肩の力が抜けた気がする。さくらとカ・ルメのことをジークに任せ、真佳も側壁に取り付いた。


プルリボール

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