そうしてしばらく、ざくざくと各々が土を踏みしめる控えめな音と、虫の鳴き声だけが周囲にひっそりと木霊した。ここに村という、森の中に突如空いたクレーターみたいな空間がぽっかり空いているにも関わらず、森のにおいは薄れることなく依然真佳の嗅覚のほとんど全てを侵食している。水気を孕んだ木々と、それから土のにおい。
 昔はよくこういった人気の無い場所に連れてこられた。と言っても、それは祖母に連れてこられたという意味で、ということはつまり旅行やら休暇目的では無いわけで、完全なる獅子の子落とし……もとい修行――……大分好意的に見ても特訓、という意味合いしか持っていない。郷愁とか懐かしさとか、そういう念を抱くことは不可能に近く、どちらかと言うと思い出の引き出しの奥底に仕舞い込んだ、思い出したくない記憶をお箸の先で無理くりつっついているような……あまり考えたくないから、この話はここら辺りで終わりにしよう。
 ちらと隣を見てみると、何が可笑しいのか頬の辺りをひくひくさせているカ・ルメの姿が目についた。にこにこにこにこと、何か変な木の実でもキメたんじゃないだろうなと怪訝に思って距離を取りかけたが、そういえば……と既のところでとある一点を思い出す。たしかさくらが出没してからだ。カ・ルメが異様に上がる口角を隠し切れなくなったのは。ということはつまり……
 新たな異世界人に昂ぶっているのか。
 納得した。距離を取るのはやめておく。

「カ・ルメさん」
「えっ!? ひゃい! え、何!?」

 ――と思った矢先、さくらに声をかけられて滅茶苦茶気持ち悪い声を出した。やっぱり距離を取るべきだったかと一瞬本気で考える。
 真佳とカ・ルメの後ろをついてきているさくらは、何故こんな過度な反応をされるのだろうという顔で小首を捻っていたが、すぐに考えることを諦めたのか、本来の要件を口にした。

「ヤコブスからは協力していただける、と聞いているんですけど」
「ああ、うん。え、そういう堅苦しいのいいよお。呼び名もカ・ルメでいいし、あっちも」と言ってさくらのさらに後ろ、最後尾を守護するジークのほうを目線で示し、「適当に、話しやすいようにしてくれれば」

 ……真佳のときにもそうだったけど、ジークのことをカ・ルメが勝手に決めるというのは、それは別に良いのだろうか。ジークからも特に苦情が上がらなかったので真佳も普通に受け入れてしまって、今ここまで来てしまってはいるのだが。

「……じゃあ、カ・ルメ」

 と、いつもの口調でさくらは言った。

「魔術式の容量的に、そこまで細かいことまでは聞けていないの。狼人族、という単語はあって、それはトマス……こちらのほかの仲間から説明をもらってはいるんだけど、貴方たち自身のことについて私はほとんど聞かされていない」

 背後のさくらを気にしながら、つっかえつっかえ真佳は歩く。異世界人二人に囲まれたカ・ルメのほうも、流石にさくらのシリアスなトーンを意識せざるを得なかったのか、口元から〝悦〟の色を抜き取った。
 一瞬、己の言葉が場に浸透するだけの時間を、さくらは置いた。

「――きっと真佳やヤコブスからも確認はされていると思うけど、改めて私からも確認させて。最悪の場合、教会に目をつけられる可能性がある。――それでもついてきてくれる?」
「構わないよ」
「――」

 案外早くカ・ルメから返答が飛び出して、横で聞いていた真佳のほうがびっくりした。一番最後尾でジークの耳が、カ・ルメに半ば強引に手渡されたスカーフの下でぴくっと跳ねているのが見えた。

「私は君たちの手助けをする。君たち異邦人のことが大好きだから」

 何の迷いもなく飛び出した言葉の後で、「あ、んーと大好きっていうのはまあ、興味があるという意味での大好きなんだけど」とよく分からない注釈を入れた。

「興味があるから見ていたい、見ていたいくらいには好き……うーん、うまく言えないけどまあそんな感じ。どうあろうが私は君たちの行く末が見たい。それに私も関与したい。どの道真っ当なソウイル教徒じゃないんだ。教会に目をつけられるくらい、今更どうということもない」

 そう言ってカ・ルメは後ろに向かって――つまり後ろを歩くさくらに向かって、快活に歯を見せて笑った。瓶底眼鏡で顔の半分くらいは不明瞭なのに、表情そのものが明るいことは十二分に察せられる。それだけ空気が陽の色に満ちていた。
 さくらはどういった顔をすればいいのか迷ったような神妙な顔をして、自分の背後を振り返った――つまり、ジークの方向を。

「貴方は――?」
「ジーク」

 と、至極簡略にジークは述べる。本人としてもジークと呼ばれるのは別にいいんだ、と、この時真佳は初めて知った。
 わざわざ改めて聞かれる意味が分からない、という顔を、ジークはする。幾らか付き合いが出来た真佳だから分かることだが、ジークとしてはカ・ルメがいいと言っている以上自分の意見はあまり関係が無いのだろう。それが従者然としているがために恋愛感情を疑われる要因になるのだが……。

「カ・ルメがいいならそれでいい。俺は。協力するのはそちらにメリットがあることなんだから、わざわざ聞く必要も無いだろう」
「そういうわけにも……。あなたの人生でしょう」

 はん、と鼻を鳴らして、興味がなさそうに視線を外した。「関係ないね」……事を荒立てて後々に禍根を残すつもりは云々と抜かした者と同一人物とは思えないほどの切り捨てっぷり。本当にこの人は面倒くさ……もとい、分かりにくいな。
 流石に鼻白むさくらに向かって、小声で一言。

「ジークのことはもうそういうことで諦めるしかないと思う」

 ……これでは足りないと気付いたので、もう一言。「別に私たちを嫌ってるとか、面倒臭がってるとか、そういうんじゃないんだけど」
 真佳の見立てを言わせてもらうと――不器用とか口下手とか、いろいろ要因はくっついてくるとは思うのだけど――もっと単純な話を言えば、これは多分に人見知りだ。本人に言ったらへそを曲げそうな気がするので、絶対に面と向かっては言わないけれど。
 ふうん、と、尻上がりの吐息を姫風さくらは吐きかけた。

「随分と親しくなったのね?」

 ……どこか揶揄するような空気を感じて、今度は真佳のほうが鼻白む。

「な、何だよ……」
「別に。アンタの交友関係が広がったのならいいことだし」
「そ、そうやってすぐ親目線……」
「あーなるほど!」

 やにわにカ・ルメが声を(……直径一メートル程度に通る程度の声量とは言え)張り上げたので、真佳の不満の喚き声は見事にそこでぶった切られた。しかしそんなことなどつゆ知らず、カ・ルメは真佳の横であいも変わらず闇を押し広げるような快活さで陽の気を振りまきながら、

「君がジークと思ったより友好的に付き合えている理由が今分かった。なるほど、君の友達に似ていたからか」
「「はあ?」」

 ……狙いすましたわけでも無いのに綺麗に声が重なった。
 ……やめよう。何か変な感じだ。具体的に言うと、マクシミリアヌスとヤコブスみたいになっている。別にやっかみ合っているつもりは無いし、単純に緊張しているだけだと思う。真佳は双方を知っているが、双方はお互いのことを知らない状態の友達二人を引き合わせるということは、こんなにも居心地が悪いものなのか……。さくらに出会うまで友達一人いなかった真佳にとって、これは未知の体験だ。
 短く一つ吐息して、さくらのほうに視線を放る。

「まーそれなりに、計画実行に支障無いくらいには……かな」

 変に仲良くなったなどと認めようものなら最後尾からジークに噛み付かれそうだと思ったので、そういう濁した話になった。
「……ふうん」とまたさくらは尻上がりの吐息を口にしたが、今度は不思議と揶揄するようには感じなかった。代わりにさくらから、「良かったわね」と口にされた。きっと最初からそういう意図だったのだろう、と、真佳は思う。


移りゆく景色をとどめ置く、ということ


「ジークもカ・ルメも、まあいいわ、それでいいのだということで納得した」

 特に渋々ということもなく、とてもざっくりとさくらは言った。一度尋ねて返ってきた答えがあれなのだから、ここから先はこちら側が踏み込んでいい領分では無い。それに関して、真佳もさくらに賛成だ。
 歩きながら顔だけ二人に向けながら、気を取り直してさくらは言った。

「改めまして、さくらです。さっきはヤコブスがごめんなさい……と言っても、あの人の無愛想ぶりは既に嫌というほど理解してると思うけど……」

 カ・ルメが軽く、小さく笑った。

「うん、だからあまり私たちに気を使ってくれなくていいよ。きっと彼は彼のお仲間と、私たち抜きで話したいこともあるんだろう。情報共有というやつさ。いつかは誰かが聞いておかないとならないんだから、あそこで全部聞き終えてもらっているならありがたい」
「そう言ってもらえるとこちらとしてもありがたいけど」

 と、ほっと安堵の息を吐く。まるでヤコブスのお姉さんか何かみたいだ。と思ってしまったが最後、それはそれでジークとカ・ルメの言葉の応酬が連想されてしまうので愉快な気分になってしまう……。こんなところで一人でにやにやしていたら確実に不審者なので、出来れば勘弁願いたい。

「グイド、というのは、教会の人間じゃないよね。ヤコブスと同じ新教の側の人間と思うんだけど、合ってる?」

 そんなことも話しているのか、とでも言いたげな、驚きで多少見開かれた眼差しを向けられて、若干居心地が悪くなる……別に言ったわけではないし、出会った頃にはもう星見で彼女のほうは知っていたし、教会の人間じゃない云々というのは多分さくらと合流前にカ・ルメが言った、〝食べてるものが上等〟かそうでないかのにおいの判断であると思う……のだが、実際に詳しく言い訳することはしなかった。そんな暇が無かったからだ。
 カ・ルメの問いに、さくらが先に対応する言葉を口にした。

「……合ってる。グイドはヤコブスと同じガプサの人間で、さっきも言ったとおり記憶力に長けている。体格の良さは懸念事項の一つだけれど、こういう事柄には欠かせない人員なのは間違いない」
「それは助かる。公式に記述出来るものがこちらには欠けているからね。教会では魔術式を使ってその場の状況を客観的に保存してるって聞いてるけど、少なくともそれに類似した何かはこっちにも欲しいと思ってた」

 ほくほく顔で頷いて、次にカ・ルメは違う言葉を口にする。

「現場を見ていたのは?」
「そのグイド」

 自分たちより数メートル先、ヤコブスの隣で悠々と歩くグイドの方向を目線で示して、さくらは言った。

「殺されているという報がマクシミリアヌスに入ったとき、マクシミリアヌスにくっついて行かせる形でヤコブスが見に行かせた。殺害現場の当時の記憶も、間違いなくグイドは持ってる」
「いいね、とてもいい!」パチンと手を打ち鳴らせて、上機嫌でカ・ルメ。「ヤコブス、あの子、大分無愛想でありながらそれを補って余りある頭がある。いいね、実にいい。これで当時の話については解決だ。あとは現場を改めて、不明点を明らかにし、あとは……」

 そこで言葉を打ち切って、「……ふむ」難しい顔で親指の腹を顎の付近に近付けた。瓶底眼鏡の上で髪と同色の眉が二つ、気難しげに寄っている。

「あとは、そうだな……アリバイの確認でも出来たらいいんだけど、流石に君たちには難しい?」

 そういう話がカ・ルメから持ち出されるのは意外だとでも言いたげに、さくらは一瞬カ・ルメの顔を凝視した。それから後、考えるように目を伏せた後にさくらの視線がこっちに流れる。
 すう、と、目を細められた。
 何だその顔は。
 いい人員を見つけることには長けているとでも言いたげだな?

「いえ、村人全員にではないけれど、村長宅にいた人間と教会宿舎にいた人間にはマクシミリアヌスが話を聞いてくれて、こちらに情報共有してくれている。一応私も聞いてはいるけど、記憶力の観点からグイドから直接話しを聞いたほうがいいと思うわ」

 ふうん、と今度はカ・ルメが尻上がりの吐息を上げて、にいっと、口角の笑みを深くした。

「信頼されているんだね?」
「……ここではどのように取られているか分からないし、ちゃんとした診断も出せないけれど、多分……」随分先、ヤコブスと二人並んで歩くグイドの背中を見据えながらさくらは言った。「瞬間記憶能力保持者よ、彼は」

 ざく、ざく、と、四人が各々土を踏む音。
 カ・ルメとジークの反応が得られていないと感じたのか、さくらがもう一度口にした。

「……って言って、分かる?」
「……うーん、言葉の意味は何となく。要するに瞬間的に記憶することが出来るって、そういうことでしょ? 字面的に」
「そういうこと」

 少しほっとしたようにさくらが言った。五百年前の異世界人がどの知識をどういうふうに残しているのか、当たり前だが真佳やさくらに瞬時に判断出来るものでは無い(極論を言えば、間違った知識や勘違いを振りまいている可能性もあると言えばあるわけで)。

「一度グイドが見聞きしたことを、グイドは決して忘れない。その上でこちらの味方に立ってくれている。信頼しないはずが無いでしょう」

 なるほど、とカ・ルメが横で、神妙な顔で頷いた。グイドの能力に関しては、真佳も薄々そうなんじゃないかと考えていたので、特に驚きとか、そういった感情は浮かばなかった。そういう知識がない人から見たら、単に「記憶力がいい」という問題に落ち着くのだな、ということが、何だか不思議と心に残る。

「瞬間記憶能力……」
「そう。記憶を忘れない代わりに、忘れられないの。忘れたいことも」
「忘れられない…………」

 カ・ルメがあまりにも神妙に呟くもので、さくらは少し、戸惑ったように付け足した。

「……さっきも言ったとおり、どこかそういう知識がある人間に診察してもらったわけじゃないから。どの度合いかまでは流石に私にも分からないし、本当に瞬間記憶能力を持っているかどうかも、私たちには決められない」

 そっか、とカ・ルメは呟いた。ほとんど声になっているか分からない溜息のようなもので、その声音がさくらにまで届いたかどうかは定かでは無い。
 一体グイドのそれがカ・ルメの心のどの琴線に触れたのか、真佳には知る由も無かったのだが、カ・ルメはとても慎重に、大事なものをそっとなぞるように小さな音で付言した。

「……忘れられない、というのは、辛いよなあ……」

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