普段昼まで寝ている上に今日は朝に叩き起こされてからずっと起きて活動している……という現実があるにせよ、お昼寝の習慣がない真佳にとっては、ちゃんと眠れて十時辺りに起きられるかどうか、疑問の残るところであった。昼まで寝ているので当然だが、お昼寝なんてしたことが無い。二度寝なら何度も経験があるけれど、二度寝と言うには微睡みは遠く彼方に過ぎ去ってしまった。健やかな寝息を立てるカ・ルメの横で寝袋に体を横たえながら、どうか早く寝られますようにとどきどきした頭で考えた。昼まで寝過ごすなど言語道断、自分の行く末がかかっているのだ。真佳以外がきちんと起きられているのに真佳だけが寝過ごすなんてあり得ない。
 結果的に言うと、秒で寝れた。
 まだお日様が燦々と降り注ぐ真っ昼間に、特に問題なくすやすや眠れた。起きて魔術式で時計を確認すると九時半だった。カ・ルメは隣でまだ寝ていた。

「…………」

 人の助けを借りずに時間どおり起きれたことが稀だったため、自分でもどういう反応をしていいか分からなかった。


蒼生レアーレ


 結果的にカ・ルメより真佳が先に起きれてしまったので、ヤコブスのところと先に合流したほうがいいのかどうなのか、でもヤコブスもジークも眠っているなら二度手間になるよなあということをすやすやと寝息を立てるカ・ルメの横で考えているうちに、流石にカ・ルメが目を開けた。いつの間にか相当な時間がかかってしまっていたようだ。

「んん……?」

 自分の寝袋の上で正座している真佳のほうを難しい顔でカ・ルメは見てから、枕元に置かれていた瓶底眼鏡に手を出した。

「あれー、マナカ。早いねえ君は」寝ぼけた声で寝ぼけたことを言い、欠伸をしてから伸びをした。「もしかして私最後?」
「分かんない。とりあえず一緒のほうがいいかなと思って待ってた」

 ……というか、眼鏡をかけていないカ・ルメの素顔を初めて見た。髪と同じ色の焦げ茶色の双眸は思ってたよりも垂れ目がちで、優しい印象を受ける顔立ちをしている。当然というか何と言うか、眼鏡をかけるとその片鱗が全くと言っていいほど現れないけど。

「ジークと一緒に取ってきた果物で腹ごしらえもしたかったんだけど、何を食べたらいいか分からなくて」
「適当につまんでくれても構わないのに」

 ……その〝適当〟を判断する知識も真佳には無いのだ。出来れば腐りやすく食べやすい熟れたものから手を出したいが、それがどういうものを指すのか真佳には分からない。この国では食べ物ごとに完熟を示すサインが異なっている可能性がある、とまで、本当の本気で真佳は思う。

「今何分前?」
「えーっと」

 ポケットから魔術式を引っ張り出して、指の腹を置いて適当に発動。旅立ちの日、マクシミリアヌスに配ってもらったその日からずっと使い続けているので、魔術式が刻まれた羊皮紙はもうすっかりくたびれてしまった。八割くらいは多分、真佳の扱いの問題だが。

「使えるじゃん、魔術」

 カ・ルメに不意に言葉をかけられて、真佳はぱちくりと瞬きする。

「……あ、いや、うーん、まあだから、初歩的なものは……」

 カ・ルメらの住む集落に寄ったとき、中空に浮かぶ光の輪を見て、たしか真佳が言ったのだ。魔術の才能が無いかもしれない、って。その時カ・ルメは光の球体の作り方を教えてくれたし、言われるままにやってみたらほんの些細な光体が指の先に現れた。それくらいの魔術の扱いは簡単で、時計の術式の展開も感覚的にはそれくらいの難易度だった。こういう簡単なものならば、特に集中せずに行える。

「そういうのが大事なんだよ。初歩の初歩から徐々に体に馴染ませる。魔術体得ってそういうものじゃない? 知らないけど。小さい頃から当たり前になったので、そういう努力をしたことがないから」
「…………。十分前です」

 ちょっと考えたが面倒くさくなったのでツッコミ部分は放棄して、そのちょっと前に聞かれたことのみ口にした。

「割と時間無いじゃん。めちゃめちゃ寝てしまった……ジークとヤコブス怒ってるかなあ」
「さあ……。十時集合なのだし怒るまでは行かないと思うけど」

 ……行かないとは思うが、遅刻したら普通にねちねち嫌味は言われる。カ・ルメも起きたし向かうのはいい頃合いだろう。あちらが向かってくるのならテントとテントの中間でばったり合流すればいい。カ・ルメが共にいるのであれば、いないカ・ルメを起こしに戻るなんていう二度手間をする必要が無いのだから。
 魔術式をポケットに無造作に突っ込みながら立ち上がると(これで多分また一層くたびれた)、カ・ルメも寝袋の中から芋虫が這い出るみたいな緩怠さで抜け出てきた。「えーっ、寒っ。一回顔洗わせて……」せっかくかけた眼鏡を外して、テントの端にリングでまとめて吊られてある魔術式を一つ手に取り顔を洗う。当然受け皿がないので魔術で具現化させた水はぼとぼとテントに落ちるのだが、水辺に寄らなくても水を使えるのは何度見ても本当に便利だ。勿論精神力やら魔力やら色々なものを持っていかれるが、顔を洗うくらいの時間と量ならその消費もほんの少し払うだけで事足りる。
 カ・ルメはタオルやハンカチを使うことなく、その場でぶるっと身震いして顔に張り付いた水気を飛ばしたので、普通にこっちにまで冷たい水が飛んできて、頬やら髪やら服やら、いろんなところに飛び散った。狼の血が混じっているのだからまあ多少はイメージ通りとは言えるけど……薄々分かってきていたことだが、カ・ルメは間違いなく物臭だ。

「マナカ、上に何か着たほうがいいよ。夏が近いとは言え夜の森は本当に冷える……ってまあ、言うまでもないか」
「うん」

 と真佳は頷いた。カ・ルメが真佳らの今までの旅路を星見で見ていたことを前提で話していることについて、いい加減真佳は突っ込まない。

「これでいい。あんまり着込むと動きにくくて、いざというとき困るので」

 いざというとき、の説明は続けなかった。言うまでもないと思ったので。カ・ルメも特に聞いてきたりはしなかった。
 カ・ルメがざっと服装を正すのを横目に見ながら、真佳も寝袋の上から立ち上がる。白のワンピースにコーラルピンクのベストを羽織ったカ・ルメは眠る前と全くおんなじ服装で、それに関しては自分も同じ。袖を肘の辺りまでたくし上げた長袖のワイシャツと、これまた膝の辺りまでたくし上げた上にピンで止めた黒のズボン。敬虔ある宗教家が上の席を占めるこの国では、当然と言うか何と言うか、全体的に肌の露出を敬遠する傾向にあるため、元いた世界でよく着ていた短パンとか七分丈のズボンとか、そういった類いはほとんどの確率で見られない。そもそも現段階で服を仕立てるお金を持っているのは貴族とか教会関係者くらいなもので、その古着が一般に広まっているというのが現状なのだから、彼らの趣向がそのまま服のレパートリーになってしまう、というのは、至極当たり前の話だろう。
 ズボンのベルト穴にウォレットチェーンみたいに結びつけた、しゃらしゃらした大ぶりのビーズが間隔を開けて通されたチェーンベルト。これだけはマクシミリアヌスに少し無理を通して買ってもらった。というか、真佳が見ていたのを目ざとく見つけて、それくらいのものなら問題無いだろうと話を通して手にしてくれた。ターコイズと言うのがこの世界にもあるのかどうかは不明だが、それに似た色味の石で、真佳は少し気に入っている。
 身だしなみをある程度整えたところで、最後に以前言っていたようにベストと同系色のスカーフを頭に巻き、顎の下でそれをくくって、「よし」とカ・ルメは顔を上げた。尻尾のほうは相変わらず、ワンピースのスカートに隠れているため外からはどうしたって見通せない。

「じゃ、行こうか。どっちが向かうとかは決めてなかったけど、ほぼ直線なのだから全然問題は無いだろう」

 相も変わらず物臭な言い分を至極堂々と口にしてカ・ルメは笑った。女性的なのに男性的な、とても不思議な相好だった。



「信じられん。何か変な物でも盛られたんじゃあるまいな」

 合流して出会い頭にそう言われた。カ・ルメと真佳のテントと、ジークとヤコブスのテントの間とを結ぶ直線上のことである。信じられんのはアンタの思考回路だとよっぽどヤコブスに言ってやりたいと思ったが、過眠が常で遅刻しては迷惑かけることが大半なのは事実だったので、ぐっと堪える選択肢しか真佳には与えられていなかった。
 まだじろじろと疑わしそうな目線を突き刺してくるヤコブスを、わざとあからさまにシカトするような言い方で真佳は言った。

「もうすぐ上に上がるんでいいんだよね?」
「と、聞いてるけど」

 ヤコブスをシカトする格好になったので、結果的にカ・ルメとジークに話しかける形になった。とは言えそこら辺の話はカ・ルメが独断で決めたわけではなく、ヤコブスの意見を聞いてから決定したレベルの話だ。話題が話題だけに無駄に二度手間になってしまって、若干カ・ルメに対して申し訳無さが募ってしまった。
 ズボンのポケットから引っ張り出しそうとした煙草ケースを舌打ちしながら押し戻して、ヤコブスがようやく口にする。

「あれから何らかの外因により文化水準が向上したとは思えない。この時間、起きているのは見張りを除いた一人二人が普通だろう」

 まだ名残惜しげにポケットに目をやりながらヤコブス。これから上空に飛んで村に入るのだ。風圧に煙草が飛ばされかねないという意味でも、村に入ったときに煙草の火先やにおいが目立ってしまうという意味でも、煙草は吸わないほうがいい。誰かに言われるまでもなく、それに関してはヤコブスが一番自覚しているらしかった。

「じゃあこのまま上へ」

 上へ、と言いながら上空を示してカ・ルメが言った。目的の崖からは少し離れた場所であるため、間に生えた木々の葉っぱが邪魔をして上手く全体は見通せないが、葉っぱよりも随分高いところに切り立った崖が聳えているのが目に見える。数分したらすぐに崖の一番下にたどり着く。
 崖の上のほうを見上げながら、不意に気になったことを口にした。

「私とヤコブスはジークに連れてってもらうとして、カ・ルメは一人で登れるの?」

 ……不自然な沈黙がその場に下りた。

「……登れるよ?」

 斜め上を見た不自然な物言いに、「本当か?」即座にジークが突っ込んだ。カ・ルメの今回の言い分を一番信じていないのはジークであることは疑いない。

「登れるって。絶対。何、ジーク。信じてないの?」
「執拗に目を合わせねえで言われても信憑性も何も無いだろ……」
「だって別に私だって狼の血が入っていますし? あれくらいの崖、あれくらいの……」

 先に述べたことがあるように二階建ての家屋くらいの高さの崖で、狼の血が入っていようがいまいが、流石に一足飛びで登れるものとは思われない。狼人族の平均的な身体性能がどのようなものか、イマイチ真佳には分かっていないが、少なくとも一回どこかの突起を選択して蹴って飛び上がる、という、ワンタスクが必要となりそうだ。
 因みに真佳はこの切り立った崖、その程度のプロセスで終了させる自信は無い。家や木みたいな突起に事欠かない建物ならともかく、前述の通りこれはそのまま〝切り立った崖〟にほかならない。ロッククライミングの講習は一応念の為受けてはいるが、こういった本格的な崖を登るまでには至らない程度のレベルだろう。おまけにこの崖、下りたときには気が付かなかったが、上のほうがせり出している逆台形みたいな形になっている。

「カ・ルメ、あの狼人族……のアジト?の横穴?って、どーやって入るに至ったの?」
「あ、馬鹿にしてるな!? だから普通に登れるんだってあれくらい!」
「あの集落の場になっている横穴なら、動くのが面倒くさいからって理由で毎回俺に運ばせてた」
「……」
「……」
「何だよその目は! 二人揃って! 狼人族だぞ私は!」

 と言われたって信じられるわけがないんだよなあ。ヤコブスと二人、疑いの眼の放列をカ・ルメに向けて、もう一度崖を見晴るかす。

「どうしよう、あれ」

 ジークが疲れたように吐息した。

「アンタら二人を引き上げた後、俺が往復してカ・ルメも連れて戻ってくるよ」
「狼人族だって言ってるだろ! 話を聞く気がないのか君たちは!?」
「無駄に怪我するだけなんだから意固地になるのはやめておけ。俺に運ばれてたほうが楽出来るんだからいいだろ別に」
「くそう……そういう問題では……いやでも確かに……登れる自信は……あんまり……」

 ない……というようなことを、ごにょごにょごにょと。血がどうであれ維持する努力を持ち続けない限りどうにもならないというとこは、どこの世界でも同じらしい。
 カ・ルメの件はそういうことで固まったので、先に真佳とヤコブスがジークに抱えられて、崖の上まで連れて来られた。どちらも肥満体ではないとは言え、高校生の女と成人男性を小脇に抱えて崖を飛び上がれる身体能力に真佳としては舌を巻く。カ・ルメのことはともかくとして、筋力トレーニングに精を出せばこれくらいのことが軽々と出来るポテンシャルが、彼ら彼女らには存在するのだ。

「血が混じってるってすごいなあ」
「何だ、あの女への嫌味かそれは」

 珍しいことに心底乗り気そうにヤコブスが言った。ジークはカ・ルメを迎えに崖下に下った最中だったが、あの調子ではすぐさま上がってくるだろう。
 ちょんと唇を尖らせて、殊更怪訝に真佳は言った。

「意地悪だなあヤコブスは。別に私にはそんなつもりは」
「俺にはそのように聞こえたが?」

 ぷくっと頬を膨らませる。すぐ悪いふうに取る。
 ヤコブスにはきっと理解出来ないだろうが、正直なところ、カ・ルメが怠けたがる理由は分かるのだ。せっかくそれだけのポテンシャルがあるのだから頑張らねばと、そう思えるだけの推進力が浮かばない。即時的なメリットなんて見当たらないし、頑張らねばならない理由に思い当たる節も無い。
 でもヤコブスなら努力しようとするのだろう。自分の出来ることを増やすため、躍起になってトレーニングに努めるだろう。彼はそういう人間だから。もしものとき、絶対に後悔しないため、自分の限界を広げることに邁進出来る類いの人間。
 ――真佳とヤコブスには決定的な差異がある。真佳だってカ・ルメと同じ。怠けられるものなら怠けるほうを選んでいる。怠けられない状況に置かれ続けたからここに来た。

「私はねえ、カ・ルメのことを、そんなにとやかく言えない立場にいるのだよ」
「……? そんなことは知っているが」
「うそだろお……」

 じゃあ何で真佳が嫌味を言っていると思えたんだよ。突っ込む前に、ジークがカ・ルメを伴って真佳の前に着地した。ここで話は立ち消えた。

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