ジークがどれほど帰るのを嫌がったって小さい果樹園、収穫はいずれすぐに終わりを迎えるし、それに忘れそうになるが実のところ真佳にそれほど時間は無い(ということを馬鹿正直に口にしたが最後、自分の一大事なのに忘れるやつがあるかと多分総ツッコミを食らう)。日が僅かに西に傾いてきた時分には、ここ数日に必要そうな数の収穫は終えていた。これを持って帰って、魔術式の施された箱の中に封入する。防腐の魔術式が彫り込まれた木箱を持ってきているとかで、食べ物の鮮度を心配する必要は無いと言う。ご飯の問題はこれで解決。交通の便やインターネットが無いことはともかくとして、こういうところはつくづく便利な世界だなと感心せざるを得ない……。
 恐らく本人にとっては退っ引きならない心境なのだろうが、真佳から見た限りではうだうだと、二つの籠を両手に提げた状態で、部活が嫌だとのたまう中学生みたいなだらだらした足取りで歩いている。その二歩後ろを、真佳はちょこちょことついていく。尾てい骨の辺りから生えている銀毛の尻尾が、振り子みたいにちらりちらりと揺られているのを見るでもなく眺めながら真佳。

「あの、籠」
「は? いいっつってんだろ」
「そんなこと言ったって……。一個くらい持つって。半分私たちのための食料なわけだし」
「重いもんぶら下げてちんたら歩いてくる奴を待つほうが面倒くせえ」
「私そんなにか弱では」
「ノーマルなヒトの力量とかな、俺らにとっては下等生物レベルで比較にならん」
「……」

 と、そこまで言われてしまったらこれ以上食い下がるのも馬鹿みたいだ。ジークの言うとおり、狼人族のそれと我々ノーマルのそれとでは、能力に差があるのも恐らく事実であるのだろうし。
 ふと思い至ったことを、食い下がる代わりに口にした。

「そういえば、私前に聞いたことがある。異世界人を神と崇める宗教があること。そこでは異世界人の言葉しか喋らないんだって」
「ふうん」
「その宗教って、ジークたちの前に同胞だった人たち……のこと? 何かカ・ルメが言ってた。宗教の話で分裂が起きて、別れたんだって。ソウイル神を信仰するカ・ルメたちが残ったとこと、異世界人を信仰するとこと」

 はあ、と、疲れたようなため息をジークが吐いた。

「あんまりそういうの他所で言わないほうがいいぞ」
「な、何で」
「アンタたちの世界ではどうだったかは知らないが、大分繊細な話題なんだよ」
「その顔で繊細とか」
「喧嘩売ってんのかテメェ」
「痛い痛いですごめんごめんごめん」

 片手だけで両米噛みあたりをぎりぎりぎりと締め付けられて、真佳の申し出とともに飽きたみたいに離された。孫悟空の頭にはまった緊箍児というアイテムを、瞬間的に想起する。孫悟空もここの辺りを締め付けられていたのかもしれない。それは大層痛かっただろう……という、同情めいた感情も米噛みを押さえると同時に飛び出した。

「ともかく難しい話題だから、せめて俺とカ・ルメに対してだけにしとけって話」
「ふうん……大変なんだな」
「他人事だな随分……まあ他人事なんだろうけど」もう一回、疲れたように吐息した。「――分かたれたあっち側の集落がどういう状況なのかは知らんが、多分それは別ものだ。それは赤目の……」ジークがちらりとこっちを向いた――具体的には、真佳の瞳を。「……ロセットの民だろう」
「ロセット?」

 聞いたことのない単語に小首を傾げる。……そう、少なくとも真佳はこのとき、その単語を知らなかった。後になってようやく、さくらが別筋から話を聞いて理解していたことを知る。
 そういえば目の色が似ているんだよなと難しい顔で小首を傾げながら、

「そういう民族がいるんだよ。赤目で茶髪の。いつからかは知らないが、異世界人を崇め奉り、異界語を操るようになったとか。身体能力はノーマルにしてはずば抜けているが、戦闘を好まない性質で、宗教の違いから教会から迫害されることを恐れて、幾つかの集落に分かれてひっそりと暮らしている……らしい。俺も詳しいことは分からん。うちも商人には定期的に接触するが、それは族長の役割だからな。こっちまで情報が回ってくることはほとんど無い」
「…………」

 ひしひしとした既視感を感じていた。身体能力がずば抜けた、戦闘を好まない赤目の民――って。

「スサンナのことじゃないか……?」
「スサンナ?」
「何でもない。こっちの話」

 ジークは怪訝そうに横目を投げただけで、ありがたいことにそれ以上突っ込んで聞いてくることはなく、真佳は思考に半分頭を持っていかれたつっかえがちの歩き方で、ひょこひょことジークの隣をついて歩く――。
 スサンナ。みんながフォスタータと呼んでいる村にたどり着く前に宿泊した、富裕の街、チッタペピータ。その片隅にある大きな屋敷で、吸血鬼を自称する不老不死の男と一緒にいた殺し屋こそが彼女である。不老不死の男と接せなければならなかった関係で、無論彼女ともやり取りはあったし、何なら一戦交えてみたこともある。彼女が本気だったかは不明だが、それなりに腕の立つほうの分類だったことは確かであった。

(赤目の……)

 知れず、自分の左目を自分の左手で塞いでいる――スサンナと相対したとき、考えていたことがある。ヤコブスが〝あれ〟という指示代名詞でもって示した女。真佳という人格の裏側にある、もう一つの確かな〝人格〟――鬼莉。
 スサンナに相対したとき、確かに真佳は、その双眸を見て鬼莉のことを想起した。いつも鏡の向こうでにやにや笑う鬼莉の目を思い出して、らしくもなく苛々して……元の世界に赤い目をした人間がいなかったことも手伝って、赤い双眼は否が応でも鬼莉を想起してしまって、相対するのはどうにも、苦手だ。

「そのロセットというのに、ジークは会ったことがある?」
「ねえよ。ほとんど村から離れないんだって。近くに行ったことはあるかもしれんが、ロセットの集落がどこにあるかも俺は知らねえ。知ってるとしたら族長だが、族長だって何でもかんでも知ってるわけじゃないだろう……っていうか、だからってうちの族長に接触すんなよ。一回追い出されてんだからよ」
「流石に」

 真佳だって村どころか教会に追われそうになっているという、今の自分の立場はよく分かっているつもりである。その割には緊張感が足りないんだとジークやヤコブスなら言うかもだが。
 フォスタータの村の状況によっては、次ジークたちの族長に会ったときはその場で即連行かもな……ということを割と本気で、でも多分傍から見たら他人事に見えるんだろうなというくらいの真剣さで考えた。実感が湧いてこないというよりは、もしそうなったとしてもさくらと二人何とか出来る自分の可能性を信じている。地獄はこれが初めてではない。人間生きることだけ考えていれば割合何とかなるもんだ。こういうところがジークとヤコブスをして〝緊張感が足りていない〟と言われる所以なのだろう。

「……会いたいのか?」
「ロセットの人たちに? うーん、まあ、興味は若干無くは無い……かな」
「はっきりしねえな」
「いやー、うーん……。赤い目って私の世界だとね、物凄く珍しいというか、本来発生し得ないの」
「はあ?」
「だから他人の赤目っていうのがあんまり実感湧かなくて……。いやお母さんは赤目なんだけど、それと鏡で見るの以外で見る赤目は、ちょっとこう、気後れしてしまうというか……」
「…………」

 有り体に言えば、怖いのだ。真佳にだって赤目にいい思いは無い。鏡の中でにやにやにやにや、嫌な笑みを湛えている鬼莉の顔ばかり想起する。スサンナに関しては彼女特有のさっぱりした性質から途中で慣れてきたものの、例えば赤い目だらけの集団に囲まれたとして、鬼莉の双眼を想起して萎縮しない自信が自分にあるかと言われると……。

「……ふうん、まあ、どの道会いたいとか言われたところで会わせる伝手も当ても無いけどな」
「何だそれ」
「ロセットの集落について知らねえって言っただろ」
「個人的な付き合いがあるとかだと思った」
「だったらさっきの時点で言う」

 そりゃそうか。ロセット関係で内密にしなければいけない事情は、少なくとも現段階ではジークには存在しない……と思われる。いずれにしてもその件に関して執着も何も無い真佳としては、それで納得しない道理は無い。今後出会わなければ出会わないで、それでいいような気もしている。

(…………)

 スサンナのことを思い出す。今、彼女がどうしているかも真佳にとっては分からない。短く切りそろえた金髪に、赤い双眼がよく映える長身の、ジェンダーレスの女性であった。他者の視点で見てみると、アルビノの遺伝子を持った兎の瞳を想起する。
 ……そういえば、さっきジークは何と言った? 赤目で茶髪のって……ロセットが?

「私、前にロセット……らしい人に出会ったことがある」
「はあ? じゃあアンタのほうがロセットと接点があるんじゃねえか」
「でもその人は、茶髪じゃなくて金髪だった。そういう場合もあるものなの?」

 ジークはそこで、途端難しい顔をした。真佳の横を歩きながら、何かを思い出すみたいに左斜め上辺りを睨めつけて。

「……さあ。うちもよそのことは言えないが、何せロセットは閉塞的な集落だからな。実際にロセットの民と接触がある奴か、本人たちにしか確かなことは言えないんじゃないか……まあけど、一応赤目の遺伝子が受け継がれてるのはロセットの民だけだというのが一般的な通説だ」
「とてつもなく珍しいけど、あり得るということ?」
「まあ。それでもロセットの民はロセットの民なんだろう。それ以外で赤い目を持つ人間は」

 ……そこで真佳のほうを見て、ほんの一瞬言葉に詰まったみたいに固まった。

「……まあ、アンタしか知らねえ」
「私今までロセットの民だと思われてきたのか」
「事情知らない奴らはそうだろ。ちょうどいいじゃねえか、ロセットの民は異界語しか話さない。それほど疑問に思われることも無かっただろ」
「うーん、そうかも?」

 思い返してみはしたが、実際のところよく分からなかった。異界語しか話さない人間がどういう目で見られるか、この世界の基準を真佳は知らない。真佳にとって、既に数ヶ月過ごしているはずのこの世界はまだまだ知らないことが多すぎる。

「アンタにとっては良かったことなんじゃねえ? こっちの言語話せないんだから。不審に思われなくて」
「うーん、まあ、そうかな……?」
「そうかなって、他人事か」
「いや実はあんまりよく分かんなくて、そういうの」

 ジークは短くため息を吐いた。能天気、と小さく罵られた気がするが、そう言われたら実際そのとおりのような気もするので特に真佳からは抗議しない。そういうところがまた能天気、になってしまうのかもしれないが。
 まあそれはともかくとして。

「カ・ルメとヤコブス、平和に話し合いしてるかなあ」
「何だよ急に……」

 突然の話の転換にジークは訝しんだ顔をしたが、真佳の懸念に思い当たったらしいジークは寸瞬後にはどうにも気難しい顔をした。

「まあ、でも……言ってもカ・ルメはそういう交渉事には長けている。俺よりも。アンタの連れだって合理的に判断出来るほうなんじゃないのか? 無駄な時間は過ごさないように思えたけど」

 そういうところが癪に障るんだがとジークは小さく毒づいた。利害関係にある現状でならまだ話は通じそうだが、そうでない状況で知り合っていたら一緒に行動することは無かったろうなと思われる。……よく考えたら、ヤコブスとマクシミリアヌスもそうではないか? ヤコブスにはそういう業を背負ってしまう宿命でもあるのだろうか。最も、そういう宿命があるかどうかというのが問題なのではなく、そんなものがあったとしても本人が全く気にしていなさそうなところこそが問題なのだが。
 閑話休題。

「それならいいんだけど。私の中のカ・ルメ像がどうも、悪戯好きで怖いもの知らずで、ヤコブスみたいな堅物の神経を逆撫でするようなことを面白半分でしそうな人……だったものだから」

 言葉に全部出してみたら何だか尚更不安になった。ジークはカ・ルメが交渉事に長けていると言っていたが、少なくとも真佳はまだそういう立ち回りを見ていない。真佳やヤコブスに接触してきたときに真佳が得た感想は、〝何を考えているか分からなくてイマイチ信用出来るかどうか判然としない人〟である。
 でもジークがそう言うのならそうなのかな……。真佳よりもカ・ルメとの付き合いが長いジークがそう言うなら、ワンチャン平穏に淡々とこれからの計画を練って……。

「………………」

 ちらりと隣に横目を投げたらジークが怖い顔で固まっていた。
 もちろん真佳を睨んでいるというわけではなく。

「……早めに帰るか」
「そうだね、それがいいと思う」

 満場一致で頷いて、二人揃って歩くペースを速くした。その後、テントに着くまでお互い話しかけようとはしなかった。

アッソルビーレ

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