「……まさか八週齢にすら至っていない子犬みたいなことを言い出すとは」

 呆れたように言いながら、素知らぬ顔でカ・ルメは野菜たっぷりのサンドイッチをぱくついた――どういう反応をしたらいいのか戸惑っていた真佳としては、最初にカ・ルメが指標を示してくれて助かったと言うべきか何と言うか……これは本当に茶化していい問題なのか、真佳としては疑問が残るところなのだが。

「弟と言われて大笑いしていたことの片鱗がよく分かった」
「ほんと? じゃあ見る目あるよヤコブスサン。本質はこんななのに、外面だけはいいもんだからジークと仲良くない人から見たらまるで私が妹かその程度の扱いでさあ」
「いや、貴様も割合駄目な姉の素質は備えている」
「……褒めるのか貶すのかどっちかにしてくれない?」
「貴様らを褒めるつもりは甚だ無い」
「それはもう戦争だよ。やってるよそれは」

 真佳とジークを置き去りにして構成されていくカ・ルメとヤコブスのやり取りによって、居心地の悪かった凝り固まった空気が若干混ぜっ返されて動きやすい環境になった気がする(ヤコブスがカ・ルメとそこまで喋ってくれるとは到底思っていなかったのでそれが少し意外だが、今はその辺を一旦脇に置いといて)。
 ちらとジークに目線をやると、未だに分かっていなさそうな顔でそれでも侮辱されたことは分かるのか、「子犬って何だ、大体同い年だろうが」とイマイチずれたことを言っていた。

「……忘れてください」

 サンドイッチを片手に持ったまま、両手を挙げて降参のポーズ。「は? 何がだよ」心底気に食わなそうな顔で食い下がるジークに、「君その辺にしときな。火傷を負うのは子犬のほうだぜ」待ったをかけてくれたのはカ・ルメであった。流石幼馴染、引き際もきちんとわきまえていらっしゃる……。納得はしていない顔をしていながらも、カ・ルメに追求するなとまで言われてしまったら話を続けにくいのか、不承不承ながらも口を閉ざしてくれることと相成った。
 分からないことは分からないまま過ぎ去ったほうがいいこともある、というか。
 でも良かった、下手に答えを出させなくって。ジークがカ・ルメをあろうことかそういう目で一切見ていなかったことはある意味奇跡で、万一この二人に何らか進展があったとしても無かったとしても、それはきっと二人だけの辿る道となるのだろう。下手に加速させてもいけない関係性というものが、この世には幾らでも存在する、ということだ。……ちょっと大人びた学びを得てしまった。別にコーヒーなど飲んでいないのに苦く渋い味がサンドイッチとは別に舌の上に広がって、大人な気分に浸る真佳である。

スウィン・スウェン


「あっ! 俺とカ・ルメのことか!」

 ……そうして話は終わったとばかり思っていた真佳の前で唐突にジークが声を張り上げたのは、それから一、二時間経った後、森の中でのことだった。「ぶっ」と思わず真佳はジークの大声に驚きの声を上げかけて、

「な、何突然。びっくりした」
「びっくりしたのはこっちだ」

 当たり前の抗議をしようとしたら、逆にジークに恨みがましい目で睨まれた。繰り返し言うが、昼食の時の話はもう既に終わったものと思っていたため、この時の真佳は話の転換をきちんと理解していない。

「誰と誰が付き合ってるって? 面倒なことを口にしやがって。見ろ、鳥肌が立ってきた」

 と言ってチッと舌打ち。狼とヒトのハイブリッドでも〝鳥〟肌なんてものが出るんだなと微妙に違うところに関心しつつ、

「……今!?」
「は? 何がだよ」
「いやそこに至るのが遅すぎるでしょ。っていうかそれまでずっと同じこと考えてたの? 何時間も? もう話は終わってると思ってるんだからびっくりするのはこっちだよ!」
「何時間も考えるくらい余裕無いわ馬鹿、自惚れんな。それでなくてもアンタらの面倒とかで精一杯だっつうの。ただアンタが言ったのが小骨みたいに刺さって気分悪かったからちょくちょく考えてはいて今やっと合点がいった」
「嘘でしょ」
「嘘言ってどうすんだ馬鹿。じゃなくてだから誰と誰が付き合ってるって」
「もーそれ終わったよー! 忘れてって言ったじゃーん! 早く取って帰ろうよー!」
「はあ!? 逃げる気かテメェ!」
「逃げないわ! どのみちご飯調達しないと帰れないでしょーが!」

 不満をぶちまけるみたいにそう言って、木に成っているものを背伸びをしてから引きちぎった。桃みたいな見た目をしているが、桃みたいなピンク色はしていなくて、どちらかというと林檎のような赤い色をしている。さっき少し匂いを嗅いだが、そっちのほうも桃のような甘ったるい匂いはしなかった。もっと爽やかで、あっさりとした甘味を感じる匂いがした。どこかで食べたことがあったかもしれないが、食卓に出されるときは大抵調理された後のものなので、こういった皮つきの自然そのままの姿を見るのは初めてだ。
 カ・ルメの言っていた果樹園、というものに、ジークに連れられてやってきたところである。当初はカ・ルメとジークが行く予定だったのだが、じっとしているのもつまらないので私も行きたいと申し出たところ、カ・ルメは少し考えた後こう言った。

「――ああ、じゃあせっかくだから、この間にヤコブスと村に忍び込む打ち合わせでもさせてもらうことにしようかな。時間というのは有限だし、四人でああだこうだと取り留めもなく話し合うよりは、私とヤコブスでブラッシュアップした計画の結果を話したほうが早いでしょ」

 ……実際のところ、そういう考える事柄について真佳が何か役に立てるとは、我が事ながらちっとも思わなかったので、カ・ルメの申し出には二つ返事でオーケーした。そもそも、果樹園というのを見ておきたいというのが真佳の目的だったのだし。
 ジークとカ・ルメ、どちらが考える側なのか未だ混沌としていたが、ともかくジークもその話には同意した。どの道カ・ルメの決めたことを粛々と行うのだろうなと、ジークが同意したときにちらっとだけだが思いつく。
 と、まあつまりはそういったわけでもって真佳は今、カ・ルメらが作り上げた果樹園にジークと二人、派遣されているわけなのだが。

「そもそも色恋だの何だの……」

 ぶちぶちとまだ不満げにジークが言って、

「アンタそんなこと気にしてる場合かよ、殺人容疑かけられてるんだろうが。人より自分の心配をしろ自分の」

 若干兄貴ぶったその言いようにカチンと来るものがないではなかったので、視線では果物を見繕いながらつんと唇を尖らせて、

「別にジークの心配はしてないし。もしそれで付き合ってるんならそれはそれで適切な距離感というのがあるでしょ。それを探っていただけだし」
「すぐに別れる人類の距離感とかンなもん気にしてんなよめんどくせえ。それまだ青い」

 成った果物に伸ばそうとした手に待ったの声をかけられた。一瞬さっき籠に入れた果物との違いが分からなかったが、触った感触がさっきとは違ってどこかごわついているような気は……何となくする。

「よく分かったね」
「鼻がいいからな。アンタらより」
「え、じゃあそれ私要る?」
「アンタがついてきたいっつったんだろうが。嗅ぎ分けは出来るが手は二本しかない。四人分の収穫を俺一人はダルいわ、流石に」
「単純な労働力という話?」
「だからアンタがついてきたいって言い出したんだろうがって」

 疲れたようにジークが息を吐き出した。思ったよりも真面目な性格だったので、ボケ続ければ永遠にツッコミで返してきそうな感がある。打てば響くというのはこういうことかと妙な納得を覚えてしまった。
 あと、別な話題を出すと集中が逸れてしまうのか、それまでの話題が彼の中でどうにもなあなあになるようだ。付き合ってる云々の話題を続けたくなかった真佳にとっては願ったり叶ったりの状況なので、そのまま別の会話に乗っかった。

「これ、この食べ物、何?」
「スウィン」
「スウィン……?」
「……って、知らねえのか? 食ったことも? 結構一般的な果物だと思うんだけど」
「調理後とかは見たことあるかもしれない」
「どんな箱入り生活送ってきたんだか……」

 皮肉みたいにぽそっと言って、そっぽを向かれた。まあそのとおりだからなあという感想しか持たない真佳としては、まあそのとおりだからなあという顔をするしかない。
 ジークがまた、疲れたみたいに吐息する。

「アンタ言い返すとかそういうのないのかよ」
「いや本当のことだし……」

 また別の実、スウィン……スウィンとかいう果物に対峙して、この手触りは熟しているだろうか、まだ青いままだろうかと探りながらの頭半分で普通に返してしまってから、あー、と、思い出したように付言する。

「ご飯関係は全部マクシミリアヌス……っていう、まあ一緒についてきてくれた教会の人がやってくれて、むしろ邪険にされてたとゆーか……私が何かしようとすると、何が食べられて何が食べられないものか分かっていないのだから頼むから大人しくしててくれって言われて。街にいたときも大体そんな感じ。市場とかに出てるのを見たことはあるけど、それが調理されたらどういうものになるかは実際よく分かってないかな」
「アンタそれで危機感とか覚えねえの?」
「うーん、とりあえず。万一放り出されたときは、まあ……何とかなるよ、きっと。においとかで危ないか危なくないか分かるかもしれないし」

 今度はジークから深めのため息が漏れ出した。疲れた、というよりかは、むしろ肺を含めた臓器が沼の底に沈んでしまったみたいな、どちらかと言うと億劫そうな息である。

「まともに熟してるか熟してないかの区別もつかないくせにどの口が」
「だってそうしないとなんないんなら仕方ない。食べてみて死ななかったら毒じゃなかったってことだよ」

 ジークが何か鋭い息を吐きかけた。何かを言いかけたらしかったのだが、結局何も言わないことに決めたのか、それに関して言葉を紡ぐことはしなかった。
 果樹園には、園と呼ばれているだけあってそれなりに多くの果樹が植えられている。今真佳とジークがいるのはスウィンが植えられている一帯だが、そのほかにも真佳が見たことがない果物や、逆に見覚えのある果物が成る果樹がある。柵とかロープとかで仕切られているわけではないが、見たところ大体どれも各種五本ずつ、ほとんど等間隔になるように苦慮して植えられたような跡がある。カ・ルメやジークがこちらの地方に来る季節が決まっていることも関係しているのだろう、果物が成っていない木というものは、真佳がざっと見たところ見当たらないように思われた。
 ジークとはその五本の木に成っているスウィンを、まずは手分けして収穫しているという構図にある。手分けと言っても密集はしているために距離自体は近く、特に今はジークが隣の木を見繕っているということもあって、別行動をしているという認識はあんまり無い。野生の果物を収穫したことは元の世界ではそりゃあ何度か覚えがあるが、別の世界の食べ物となるとどうも勝手が違うというか……まあそういうわけで、真佳の進捗はどうにも芳しくないのだが。
 お互い無言を貫いたまま、ジークが自分の担当する樹木から距離を取り出したので不思議に思っていると、

「貸してみろ」
「……?」
「それ」
「……これ?」

 真佳が腕に提げている籠の中身を指して言う。籠の中には真佳がきっとこれはと選定したスウィンが入っているのだが……
 やり直し、だろうか。試験官にテスト用紙をチェックしてもらうみたいな緊張感で、真佳は恐る恐る籠ごとジークに差し出した。真佳よりも一回り大きいごつごつした手が、スウィンの実を転がすように拾い上げる。爪は獣人族の常例的なものなのか、そこまで伸びてはいないものの爪の中心が尖ったような鋭い形に切りそろえられている。
 くん、とにおいを掻いだりしげしげと眺め回した後、腰に差していたサバイバルナイフを引っ張り出したと思ったら、ジークは突然そいつで実の半分ほどの皮を丁寧に剥き出し始めた。

「……ジーク?」
「ん」

 と言って半分の皮が向けた実を顔の真ん前に押し付けられる。小姑みたいな嫌味が飛んでくることを覚悟していた真佳は、目をぱちくりさせながら差し出されたそれを素直に両手で受け取ってしまった。

「……えっと、何?」
「食え」
「な、何で……」
「どこで食べたことがあるのか分かるだろ。それで何が安全で何が危険かを学べばいい」

 さっきとは違う意味で目をぱちくりさせてしまった。両手で受け取った果実から、ぷんと甘い、それでいて瑞々しいような食欲をそそる匂いがする。
 ふん、と鼻を鳴らして、ジークが言った。

「獣の血が入ってないノーマルのお前らは俺らよりも弱っちいんだから、毒かそうでないか分からない状態で長生き出来るわけねえだろ。ちったあ学ぶ努力でもしろ。食ったら分かるなんざ千年早ぇ」

 それで真佳が提げていた籠を自分の空いているほうの手で持って、つまり自分の分と真佳の分で両手が塞がった状態で、もう一回自分の持ち場に戻っていった。そこで何をやるのだろうと思っていたら、スウィンの収穫を再開することだという。

「…………」

 実を顔に近づけて、すん、とにおいを嗅いでみる。ジークほど鼻のよくない真佳には甘いにおいとしか分からなかった。元の世界の果物と比べるのなら、これは多分梨に似ている。難しい顔で口元を実に近づけて、はむ、とその実に齧りつく。桃みたいな見た目に反して、食感はやっぱり梨っぽくて、でも梨よりは桃に近いくらいに瑞々しい。切って出してもらったことがどこかであるかも。あるいは、サンドイッチに挟んだ状態で食べた記憶があるような。思っていたほど甘くはなくさっぱりした酸味があったので、或いは肉料理と合わせて出されていたような気がしなくもない。
 足元に籠を二つ並べて置いて、意固地みたいに黙々と一人実を収穫し続けるジークをぼんやりと眺めながら、……ちょっと言い過ぎだったかもな、というようなことを考える。食べてみて死ななかったら毒じゃないということでしょうとか。真佳としてはちゃんと死というものを考えているつもりではあるのだが、人から見るとどうやら真佳の前にはそういう境界というものは無く、目を離した瞬間に思いつきで死んでいそうだとか、そういう不名誉なことをよく言われるので。心配させてしまったか、或いは嫌なことを思い出させてしまったのかも。混乱させないよう言動に気をつけないといけない、とは……一応考えてはいるのだが。

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