「お昼ご飯」

 ということを、カ・ルメは真佳の言った言葉どおりに復唱した。
 ……大変に嫌な予感がする。

「あー、うーん、なるほど。道理でお腹が空くと思った。君たちはこういう時間に二食目を食べるわけだったんだね」

 カ・ルメの呑気な物言いに、ちくちくと痛みを覚えたみたいに自分の米噛みあたりをぐりぐりぐりとやってから、ヤコブスは苦い汁を今まさに喉奥に抱えているみたいな、苦渋に満ちた低い低い声を絞り出す。

「……まさか、食料のことは何も考えてなかったのではあるまいな?」
「いや、考えていたよ。考えていたとも。ただ、こんなに早く言われるとは思っていなかったというか」

 瓶底眼鏡越しにも遠くのほうに視線を逸らしているのがよく分かるくらいの、あからさまな挙動でカ・ルメは言った。真佳は短く吐息する。

「キミたちの族長にサンドイッチもらったんだ。私もまだ手をつけてないから、というかそういう余裕が無かったんだけど、カ・ルメもお腹が空いてるんなら、みんなで一緒に食べようよ。その後のことは……まあ、適当に考えるとして」

 本当にそれでいいと思っているのかみたいな手痛い視線がヤコブスから突き刺されたが、真佳は気付かなかったふりをした。

オラ・ディ・プランゾ


 そこいらを散策していたジークをカ・ルメのほうが引っ張り込んで、真佳とカ・ルメのテントの中でちょっとした食事会が形成された。何よりヤコブスが嫌そうな顔をしていたが、真佳のほうが、まあいいじゃん、食べる間だけなんだからと譲らなかった。別に押しに負けたわけでは無いのだろうが、渋々顔でヤコブスも、揃って付き合ってくれることになる。
 一目見ただけでは分からなかったが、族長だかその従事者だかが詰めてくれたサンドイッチは結構な量であったらしい。狼人族の胃袋を基準にされているのか、ともかく真佳一人では到底食べ切れないくらいの量で、何だかんだでカ・ルメやジークが消費を手伝ってくれて助かった。ヤコブスはずっと仏頂面をしていたが。

「一応念の為なんだけど」

 サンドイッチを嚥下してから、ヤコブスのことは視界に入れつつ真佳は前置きからまず口にした。

「お昼ご飯を食べたら当然晩ご飯のことを考えてしまうので、今後の食料のことはどうすればいいかと思って……。割と何も考えないでついてきたので……」

 大分譲歩した話し方をしたら、隣でヤコブスがぽっつりと、「何も考えず連れ込んだのはあっちだろう」――サンドイッチと一緒に苦虫でも一緒に咀嚼しているのかと疑うくらいの渋い顔色でのたまった。当然耳のいいカ・ルメやジークにも聞こえてしまったと思うので、「まあ、ほら、考えてなかったのは私たちもだから」咄嗟にフォローに回る羽目になる。何でこんな役回りになってるんだろう、私。卵とアスパラガスとよく似た食感のするサンドイッチを噛み締めながら、真佳は複雑な顔で考える。
 カ・ルメはあからさまに、そっちから話を振ってもらえて助かったみたいな顔をした。

「ああ、うん、そうなんだ。私たちがご飯を食べる時間は大体日が落ちてからだから、朝から起きている場合の時間を考えていなかった。申し訳ない――」ちらっとヤコブスを見たようだったが、ヤコブスは知らぬ存ぜぬで野菜をふんだんに使われたサンドイッチを食っている。大人げない……。「……うーん、まだ時間があると思っていて甘く見てしまっていたのだけど、今のうちに木の実とか果物を見繕って溜め込んでおくつもりだったんだ。何も考えていなかったわけではない……よ。本当に」
「いや、こいつは何も考えていなかった」
「ジーク」

 混ぜっ返すジークを眉根を寄せて睨みつける(多分)カ・ルメに対して、これもフォローするつもりは無かったのだが、気がついたときにはついつい口を差し挟んでしまった。いやだって、気になってしまったものだから。

「木の実とか……って、あるの? この辺に」
「あるとも」

 弁明の機会をよくぞ与えてくれたとばかり、カ・ルメがちょっと食い気味に首肯した。ちらと隣のヤコブスを見ると、感銘を受けるどころか胡乱げなどうでもよさそうな顔で、カ・ルメよりもむしろ自分の手にしたサンドイッチのほうに執心している。
 カ・ルメは少し唇を尖らせたようだったが、気を取り直したように改めて、真佳のほうに向き直った。

「崖の付近には何も無いように見えるだろう?」
 ちょっと歩いた道を思い返してみながら――「うん、木の実は成ってはいなかった」

 針葉樹林というのか、広葉樹林というのか、詳しいところは真佳には分からなかったけれど(そもそも真佳の世界の常識がこの世界にどこまで通用するかも未だに謎のままなのだが)、少なくとも食べられそうなものが無かったらしいのは確かである。崖の付近は地面もむき出しの岩肌だったこともあり、木の実の成りそうな低木も期待出来ないんじゃあなかろうか。
 カ・ルメは我が意を得たりとばかり胸を張り(狭いテント内なので、カ・ルメが身動ぎした結果カ・ルメの持ったサンドイッチが危うくジークの頬にぶち当たりそうになっていた)、

「森を少し行ったところに、ちょっとした果樹園を作ってあるんだ」
「果樹園を?」

 何で? というのが言外に出た。カ・ルメはそれを、正確に受け取ったらしかった。

「ジークと二人でね、定住先の近くの、人が立ち入りそうにない場所に、その土地に合った果物を植えることにしてるんだ。組織が二つに割れてから、どうにも神経質というか、束縛的になってきて、ちょっと居づらくなるときがあったから。ちょっと息抜きに外に出る先に、食べ物でもあったらいいよねって話をして、そこから」
「……何も考えていないわけではなかったんだな」

 ……別に聞かせる意図があったとは思えないような低声で、ヤコブスは意外そうに、どこか皮肉げな色を滲ませてそう言った。基本的に物静かな人だと思っていたのだが、感情的になるとどうにも思っていることを口に出さずにはいられない性分であるらしい。っていうか、そういえばマクシミリアヌスには常にこういう態度だったっけ……。ほとんどスルーしてたので今の今まで気付けなかった。

「失礼なやつだなあ、君は」

 カ・ルメが膨れっ面でやり返す。どうにも、聞かなかったふりをしてくれる気はないらしい。聞こえてしまうのだから仕方がないのだが。

「一応これでも考えているんだ。少ない時間で。今回は本当に、朝から行動するということがどういうことかを考えていなかっただけで……まあ、ご飯に関してはこれしか考えていなかったので、今のところ三食目も明日の一食目も二食目も……果物にはなってしまうんだけど」

 ヤコブスのほうに視線を送る。
 何でこっちを見るんだとでも言うような鬱陶しげな目線を返しながら、ヤコブスは渋々というふうに口を開いた。

「……別に貴様らにそこまで期待していたわけではない。考えなしに勝手に首を突っ込んでそっちの種族のごたごたに巻き込んだ挙げ句、人の行動を監視してきたのが気に食わなかっただけだ」

 カ・ルメが意図を図りかねた困り顔(多分。眉尻が下がっているので)をしているのに気付いたのか、そこのところは不明だが、ともかくヤコブスはそこからさらに突っ込んで話をする気になったらしい。

「……昼飯について考えていなかったのはこちらも相子ということだ」

 渋面を作った苦い口調で、それでもそこまで言い切った。
 相子だって、というしたり顔でカ・ルメのほうを見ようとしたが、「俺も」ちょうどそこへジークの声が真佳の耳に突っ込んだ。ほとんど何も考えていない条件反射的な反応で、真佳はジークに視線を移す。

「俺もやり過ぎたと思っていた。別にアンタたちを俺たちの見てる範囲でのみ行動させるつもりは無かったんだが、誤解を招く言動をしたと思ってる。申し訳ない。これはカ・ルメに言われたことでは無いし、ましてや総意というわけでもない。少し神経質になっていた……アンタたちがカ・ルメを傷つけるんじゃないかと考えて」
「カ・ルメを?」

 真佳が頓狂な声を上げて隣のヤコブスを見上げると、ヤコブスも怪訝げな顔をしてカ・ルメに視線をやっていた。やっぱりつられるようにして、真佳も視軸をカ・ルメに投げる。カ・ルメは「うーん」と、困ったように後頭部の、具体的には三編みにしたその分け目ぐらいのところを掻きながら難しい顔で眉間にシワを寄せていた。

「何ていうか、ちょっと過保護なんだよ。私のことをすごく考えてくれると言うと、すごくこう、背中がもぞもぞするんだが」
「別に考えてるわけじゃない。アンタが危なっかしすぎる上に危機感が足りていないから、俺が代わりに見ているだけだ」
「そういうのを過保護って言うんだよなあ……」本当に背中がむず痒そうに眉根を寄せてもぞもぞしながら、「……うーん、まあそういうこと。私がちょっと無神経過ぎた……のだと、思ってもらえればいいです。異邦人に協力出来るのが嬉しすぎて、ちょっと舞い上がりすぎて何も考えてないと思わせてしまった」
「何も考えてないのは常のことだと思っているんだが」
「もういいんだよそういうとこを突っ込まなくても!」

「…………」意外に満ちた顔をヤコブスと二人で突き合わせる。ジークがやり過ぎたと反省していることに関しては真佳も事前に聞いてはいたが、それがカ・ルメのためだったというのは初耳だ。
 喚くカ・ルメをガン無視して、ジークが「そういったわけだから」と口を開く。

「もう俺がアンタたちに対して出過ぎたことを言うことは無いと考えてくれていい。勿論、アンタたちの身に危険が及ぶかもしれないことなら忠告はするが、強要はしない。アンタらがアンタらの責任で怪我をすることに関しては、俺はどうでもいいからな」
「だからそういう言い方が誤解を招くんだって言ってるだろ」

 カ・ルメの指摘にジークは電源を落とされたみたいに三秒くらい固まって、「…………」めちゃくちゃ真剣に考え込むような顔をした。物言いがきついのは、何もそういう性格だからというわけではなく、きっと単に不器用なだけだったのだろうと、今、ようやっと腑に落ちた。

「……アンタらが怪我したいならそれを止めはしないし、カ・ルメが無事なら俺としてはそれでもいいが、極力危険なことはしないでおいてくれると後々助かる」

 律儀に柔和に言い直してくれたので、いよいよ我慢出来なくなって、真佳はふはっと吹き出した。
 その場の全員の視線がこっちを向いた。注目されることはあまり好きではなくて、全員の訝しげだったりきょとんとした眼差しに居心地の悪さを感じて笑いを収めようと思うのに、ジークの怪訝そうな顔を見てしまったら耐えられなくて、口元に人差し指の付け根辺りを押し付けながらくっくっくっと噛み殺した笑いを漏らす。

「何だ、藪から棒に」

 というのがヤコブスの発言で、そのすぐ後の「何か妙なことでも言ったか?」というのがジークのもの。妙なことでも言ったか、のタイミングで、ジークもヤコブスも気が付かなかったが、カ・ルメもくふっとこもったような笑声を立てた。
 まだくつくつという笑いが収まらないまま、いい加減怒られそうだったのでつっかえつっかえ言葉を綴る。

「や……だって、あまりにも素直に言うことを聞いてくれているものだから。ジークがちょっと、カ・ルメの弟みたいに思えてきて」
「おとうと」

 素直な言葉を口にすると、復唱してからカ・ルメが闊達に大笑いし出した。「何だよ」と面白くなさそうなのはジークである。

「だっ、だ、だ、だって、弟て……!」喋るのだけでも苦しそうにカ・ルメが紡ぐ。「普段むしろ君のが兄ぶってああだこうだ言ってくるのに、弟、おと、弟って……!!」
「兄ぶったことなんか一度もない。カ・ルメが頼りないからそうなってるだけだろう」
「そっ、そ、そういうとこ……」

 もはや過呼吸みたいにひーひー言いながら、ついには腹を抱えて床に転がり出した。少なくともこのテント内にはテーブルや椅子というものがなく、地面に直に座っていたために転がり出すのは容易と言える。
 真佳のほうは、抑えた笑いは止まらないまでもいささか冷静になってきた。未だ残っていた笑い声を、ふふふっ……とひっそり漏らしていると、呆れたようなヤコブスの瞳と、視線と視線がぶつかった。
 呆れた顔のまま何も言ってこないので、据わりが悪くなってしゃちほこばった顔で姿勢を正してみたりする。でも笑っちゃいけない状況というのがもう笑うためのバフになっているというのは有名な話で、くつくつと喉の奥で噛み殺した笑いをまたやった。

「……貴様も笑うことが出来たんだな」

 一瞬、反応の仕方が分からなかった。

「……すごく失礼じゃないです?」
「ありのままを述べただけだが」
「それが失礼だと……。私だって笑うし。笑う機会が無かっただけで……」

 というのは自分でも苦し紛れの言い訳みたいな気が何故かして、歯切れの悪い尻すぼみの言葉になった。
 笑う機会が無かった、というのは、でもだって本当の話でもある。右も左も分からない異世界なんかにやって来て、さくらと再会出来たことで多少リラックスは出来たけど、自分がこの世界の一員でないのは変わらない。そういう居心地の悪さというものは、割と頻繁に感じていた。危機的状況にも連続的に襲われるし、生きようとするので精一杯で……。
 でも、それだけが原因じゃないことも、最悪なことに真佳はちゃんと知っている。

「ヤコブスだってあまり笑わないでしょ」

 やり返すと、

「貴様らの前で笑うことがあるか?」

 めちゃくちゃ冷たい感じで返しながら、サンドイッチに齧りついた。……それはつまりカタリナやトマスやフゴやグイドや、あとギリギリさくらなんかには笑顔を見せることがあるということ? 首を捻りながら考えても、引き攣ったような怖い顔をしているヤコブスの顔しかちょっと想像が出来なかった。

「はあ……笑った……」

 体中の水分を全部使ったんじゃないかってくらいにしわがれた、疲れ切った色の無い声でカ・ルメが言う。それを面白く感じないのはジークのほうで、「そんな笑うことか」と、仏頂面でそう言った。とは言え何故笑われたのかの本当のところは分かっておらず、ただ馬鹿にされているみたいだから気分が悪いみたいな風だったのが真佳としては更に笑いに囚われそうになるというか何と言うか。流石にもう声を立てては笑わないけど。

「説明をさせないでくれ、またツボに入る」

 カ・ルメのほうは冷たいもので、自分の幼馴染で且つカ・ルメを傷つける者には容赦しないみたいなことまで言ってのけた男の子に対して、そういうことしか返さなかった。多分単に、また腹が痛くなるまで笑いに囚われるのは御免被りたい、というレベルのことなのだろうが。
 ――〝アンタたちがカ・ルメを傷つけるんじゃないかと考えて〟
 ――〝カ・ルメが無事なら俺としてはそれでもいいが、〟
 ……ジークが口にした数々の言葉を今更ながらに思い出す。

「カ・ルメとジークって、付き合って……はいないんだよね……?」

 少し難しい問題だしプライベートな話であるため、ものすごくはっきりしない物言いになってしまった。カ・ルメとジークの反応を恐る恐る眺めやる。いや別にどうしても知りたいというわけでもないのだし付き合ってるなら付き合ってるでそれでいいのだが、何かちょっと気になったので。

「付き合ってないよー、幼馴染! さっき説明しなかったっけ? 同年代が少ないからよく一緒に遊ぶことが多いって」
「や、聞いてたけど……」

 想像に反して実にあっけらかんとカ・ルメがはっきり口にしたので、逆に真佳のほうが口ごもってしまった。そういうふうな話題に話を飛ばすのは間違っていたかも。んー、いや、でも、万が一付き合ってるとかだったら我々にも適切な距離の取り方というのもあるし、変な地雷を踏み込む可能性も考えると流石にちょっと看過出来ない……。

「…………」

 けろりとしているカ・ルメと違って、どうにもフリーズしているらしい男のほうに気がついた。それは脈アリだとか照れているとか、そういうありきたりな反応ではどうやらなくて、単純に脳の処理速度が追いついていないために表情の表し方が分からない、とかいう、身も蓋もないレベルの反応で。

「付き合っ……? ……誰と誰がだ……?」

 そもそも考えたことすらなさそうな、そのために今聞かれたことの実感も未だに湧いていないっていうウブと言えばウブと言えなくもない顔で、何も分かっていなさそうな声でそう言った。

 TOP 

inserted by FC2 system