「そういえば私、気になっていたことがある」
「まだあるのか……」

 すごくうんざりした声でヤコブスが言った。直近の質問は、これからの事柄を円滑に進めるためのただの確認事項じゃないか、と真佳は少し不満に思う。せっかく名前を呼んでくれたと思ったのに、尚も一秒だって話したくないくらい疎まれているとは度し難い。

「今回のは雑談だけど出来れば答えてほしいなー」
「御託はいいからとっとと述べろ」

 逃げ道を作っても怒られた。私にどうしろって言うんだ。

「……カ・ルメとジークの宗教の話を聞きたいんだよ」

 気を取り直して言葉を紡ぐと、一応聞く気にはなってくれたのか、興味深げに片眉を持ち上げ、ヤコブスは「ほう?」と囁いた。真佳は唇を湿らせる。

「異世界人を神と崇める、いわば異世界教みたいなの……。そういうの、この世界ではどうなのかなって。私の世界ではいろんな宗教がいろんな場所で存在していたけど、この世界では何というか」

 ソウイル教が唯一認められた宗教……と、少なくとも教会はそう認めているじゃないか……とまで、真佳は口には出来なかった。その教会に異教だと認定され、見つかったら粛清される側の人間に言うには、流石にデリカシーの足りない話題だと思ったので。
 異世界人を神と崇める宗教があることについては、以前に何かのタイミングで教えてもらったことがある。それはそういうものがある、という程度の話で、自分に関係する話だとも思っていなかったがために、詳しい話を誰かから聞いたことは一度も無い。それが今、ここに来てとても身近な話になった。

「……そういうこともあって、ヤコブス的にはどうなのかなって。教会的からは異端だと排斥されるものだろうけど、ヤコブスとしてはどう思う?」
「……まるで試すみたいなことを言う」

 疲れたようにヤコブスは短く吐息した。吐息されてから一瞬自分の口にした言葉を反芻して、あっと思う。これでは、教会に異端認定されている君らは当然異端認定しないよね、するんであれば、それは教会と同じ杓子定規を持っているっていうことにならないか? とかいう、めちゃくちゃ意地悪な質問をしているみたいに聞こえる……かもしれない。

「……や、そういう意味で言ったんじゃなく、他意はなくて、私はただ単純に、」
「いい。貴様がそういう意地の悪い質問を、悪意をもってしないことはこれまでの経験で知っている」
「…………」

 それって物凄い褒め言葉ではないか!? やったー! 嫌われてると思ってたヤコブスに褒めてもらった!! と口に出しかけたが、口にしたが最後、心底嫌そうな顔をされた上でもう二度とそういったことを言ってくれなそうな気がしたので、すんでのところで押し留めた。
 煙草を吸って、吐くだけの時間を設けてから、ヤコブスは考え考え、どことなく慎重に口を開いた――。

「……そうだな。教会から見たら、どれもこれも異教と断罪されるというのは正しい。彼らは自分たちの信ずる宗教こそが、正しく神に届くものだと信じている。信じているからこそ、それ以外の宗教を神に届かない邪教のものだと断定するのに迷いが無い」

 どうにも水気を孕んだ、しっとりとした声だった。いつも砂漠の砂山かと錯覚するような、明暗を分けたからっとした口調で話すヤコブスにしては珍しい。それに思うところがあるのか、伏し目がちに、咥えた煙草の先端と煙草を挟み込んだ指の間の、そのどこでもない場所を見つめるでもなく眺めながら。

「だがそれは、俺から見てもそう映る」

 不明瞭な声で、彼は言う。

「結局どいつもこいつもおんなじだってことだろう。自分が信じる道のほうが正しくて、それ以外の神は邪神に見える。そういう意味では、俺も教会と同じだな。狼女の信じる、異世界人を神と崇める宗教は、俺にとっては間違いだらけのガラクタだ。肯定で答えよう。俺にとっても、奴らの宗教は異端に見える」

 自嘲気味にそう言った。煙草の煙を吐くのと同じに、小さい声でぽっつりと。「……結局、正しいものなどどこにもありはしないんだ」……聞いてほしくなさそうな弱音であったため、真佳は聞かなかったことにした。

「だが貴様は……――」

 何かを言いかけて、思いとどまったように口を閉ざす。「……いや、いい」結局ヤコブスはその続きを、真佳に向かっては発さないことにしたようだ。代わりに、別の話題を口にする。

「貴様はどう思う」
「何が?」
「狼女どもの宗教だよ。異端だと思うのか? 一理あると思うのか?……そういえば、貴様は奴らが神と信じる人間と同じところの出身だったな」

 ……なるほど、そう考えると興味深い話である。分け隔てられた二つの世界で、一方の人間を一方の人間が神と崇める。“神と崇められた人間”と同じ世界に住まう人間の意見というのは、なかなか探し当てられるものでは無いだろう。

「うーん、どうかな。そもそも宗教というものにめちゃくちゃ疎い育ち方をしたので……。それを神と言うのなら、別にそれでもいいんじゃない、と……」
「……? 神の存在を信じていないのか?」
「そういうわけじゃないんだけど」

 上手い言葉が見つからない。だってなぜなら、そういった込み入った話を考えたことが無かったので。

「神様はいるとは思うんだけど……別にいなくてもいいというか……特に信奉もしていないというか……。でもそういうお話は割と読めるというか……」
「なるほどな」とヤコブスは言った。「貴様はそういう類いの話を、物語として飲み込んでいるというわけか」
「うーん、そうかも」
「ではソウイル教新教も旧教も、狼女の崇めるものも全て画一で同じだと?」
「そうだね。あまり差異は感じないし、どれが真実だとも偽物だとも思ってない」

 はんっ、と、ヤコブスは鼻を鳴らして笑った。それがいい意味か悪い意味かは分からなかった。けれど、どことなく満足したような気配はする。だからさっきより、幾らか気軽に言葉を次いだ。

「よく言われるのはね、私の生まれた国には八百万の神がいるっていうの」
「ヤオヨロズ?」
「はっぴゃくまんって書くんだけど、実際は八百よりもずっと多くて、数え切れないときに八百万って言葉を使う」
「……?」

 ヤコブスにしては珍しく、分かりかねたような怪訝な顔でひょいと片眉を跳ね上げた。元の世界の海外の人たちにも不思議に思われる類いの話であることを知っていたため、真佳は特段驚かない。

「例えばパンとか、木々とか、風とか、そういうの全てに神様が宿っているという思想」
「……それは、随分と大所帯な」
「うん。だから今更一人二人増えたところであんまり気にならないというか、それも立派な神として普通に受け入れられるということ。でも特別誰かを贔屓して崇め奉るとか、そういったことはしないということ」

 伝わったのか上手く伝わらなかったのか、よく分からない顔でヤコブスは、煙草を吹かしたまま軽く肩を竦めて見せた。
 先述したとおり、真佳は神とか宗教とかそういったことを真面目に系統立てて考えたことがない人間だ。おまけに説明の仕方も拙いほうだと自認して、上手く伝えるにはどうすればいいかと考えることもままあるのだが、うまい対抗策が浮かんできた試しは今のところ一度も無い。さくらならもっと上手く伝えられるのになあと、ヤコブスに伝わっていないことを前提に真佳はここで少し凹んだ。

「俺には――というより、この国のほとんどの人間がそうだと思うが」

 前置きをしてヤコブスはついと、吸い込まれるような高く青い空を仰ぎ見る。太陽の火が生命の息吹を感じられるくらいには煌々と赤く、その陽光に照らされた空を視界に入れただけで心臓の温度が増す気がする。森の木々は陽の光を浴びて益々精力的に生長を繰り返す。朝の(真佳にとっては)早い時間に辿り着いたこの場所に、そろそろ昼が近づいていることを、真佳はこのときやっとのことで気がついた。
 なるほど、そういえば、お腹が空いているような気が何となくだがしてたんだ。まさか気のせいじゃなかったとは。

「……君たちの宗教観は理解出来ん。崇め奉る神が唯一でないというのは、俺たちにとっては考えたこともない、それこそ途方も無いことだ」

 ――まさかまともに話を続ける気があったとは、と、勝手に凹んでいた真佳はここで少し驚いた。

「……五百年前の異世界人はそういったことを知っていたとしか思えんな。あるいは、宗教の違いが人との繋がりの肝要な部分を断ち切ってしまうほど決定的なものだと知っていたために話さなかったのか。――五百年前の異世界人は、自国のそういった宗教の話は一切後に残していない」
「そうなの?」
「……一切、というのは言い過ぎた。異世界人についての話を全て網羅出来るほど長閑な生活を送っていたわけではないのでな。もしかしたらどこかには残っているかもしれん。ただ、俺の読んだものに触れられていた箇所は一つも無い」

 ふうん、と相槌混じりの息を吐く。異世界人にも、意外に老獪な部分があるらしい。もっとのらりくらりとした、吟遊詩人染みた男を想像していた。

「……まあでも、理解出来んものだが、いいな、そういう考え方は」

 ふ、と、息をつくついでみたいに付言した。そこいらの木の幹や岩にでも染み込んでしまうんじゃないかというくらい、それは水気を含んだ色をしていて。
 ……なんだかちょっと、ほっとした。
 風が吹いて木の葉がかさかさと音を立て、遠くで鳥が鳴き声を上げた音がする。チョコレートの香りがまだ、未練がましく僅かに辺りに停滞している。
 煙を肺に入れて、最後の一服をヤコブスは強く、深く吐き捨てた。今度は指の腹で揉み消すのではなく、自分の靴の裏に火先を押し付けることで消火して、ズボンのポケットに適当っぽく突っ込んだ。

「そろそろ行くぞ。昼にする」
「はーい」

 ついさっき空腹を感じたお腹に手を当てながら、そういえばお昼ご飯って何か用意されているんだろうかと、遅まきながら考える。


神の成り立ち

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