ナチュラル・サテライトの回り方



 テントを出るとジークがいた。まさかカ・ルメがいなくなってからも外をうろついているとは思わなかったので、真佳は流石に驚いた。
「あれ、何やってるんだ?」カ・ルメが真佳の後ろから呑気に言葉をかけてから、ここではっとしたように「……何かあったのか?」
 手前を任せていいか、とジークに言ったのはカ・ルメである。より村に近いほうにテントを据えて、村人がまかり間違ってもこちら側を見に来ないか、その見張りをジークは仰せつかっている。外にいる理由を詮索してしまうのも、仕方のないことと言えるだろう。

「別に」

 とジークは答えたが、その顔は見るからに不機嫌そうだ。カ・ルメの横に真佳がいるからかもしれないとも思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。ジークの鬱陶しげな視線を辿ったその先、ずっとずっと向こうのほうに、ヤコブスの背中を視認した。
 見留めたのがほとんど同時であったらしく、訝しげにカ・ルメが問う。

「ヤコブス? 何やってんの、あれ」

 見晴るかすように目の上に手のひらでひさしを作りながら。……真佳ならまだしも、そこらの人間よりは遥かに視力がいいに違いない狼人族、そんなことをしないでも、真佳よりもずっとよく見えているだろうに、と真佳は思う。が、口にはしない。

「ここらを下見しておきたいんだと。万一のために」

 吐き捨てるようにジークが言った。とっととテントの中に入って休みたいが、カ・ルメに任されている以上ヤコブスに何かあってはいけないために仕方がなしに見張っている、という感じだろうか。そのくせ本人は不満げなジークに対して、休みたければ休めばいいだろうと素知らぬ顔で言い捨てているに違いないのだ。真佳もよく邪険にされているので手に取るようによく分かる。ジークに対して同情もする。
 ヤコブスの背中は森の縁と崖の縁、その中間をふらふらふらと漂っていた。地形の把握のためだろうか。ほかに自力で崖の上に上がる方法は無いかという……。ジークの力を借りないと上に行けないということは真佳としても不安要素の一つではあったので、後でヤコブスに話を聞いてみたいなと思う。不満げなジークにはちょっと申し訳ないけれど。

「まあまあ、そういう用心深いのが一緒にいるほうがこっちとしても助かるっていうもんじゃないか?」
「…………」

 ジークは不満げにカ・ルメを睨め付けはしたけれど、押し黙ったまま、結局何を答えることもしなかった。それで二人の会話は途切れてしまったので、ほんの少し躊躇してから、真佳の用事を持ち出した。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

 ジークは片眉をつり上げて、訝しげに真佳を見た。自分に話が飛んでくるなどとは、どうやら露ほども思っていなかったらしかった。

「今日の夜、ジークも村についてきてくれる、ってことを聞いたんだけど……」
「カ・ルメが言ったんだろう」ふん、と鼻を鳴らして、「そのつもりだが?」

 カ・ルメが言うならそうに決まってるだろうとでも言いたげな顔をされている……。流石の真佳もそこで二の句を失った。本当にそれでいいのだろうか? 真佳と一緒に村に潜り込んだことが分かったら、ジークやカ・ルメにも疑惑が飛ぶことになるのだが。
 真佳の思惑をよそに、ジークははんっと鼻を鳴らして更に、

「そもそもの話、ここから村に行くのには俺の力は必須だろう。誰に持ち上げてもらうつもりだ? 俺抜きで上に出られると思っているのか?」

 いや、だから君たちの安全を……。あまりに威圧的な言葉の羅列に、流石の真佳も言いかけた言葉を引っ込めてかちんと来たまま言葉を告げた。頬を引きつらせて上目遣いに睥睨しながら。

「そーゆー言い方だと、まるで私たちを監禁しているみたいに聞こえますね」
「――」

 今度二の句を継げなくなるのはジークの番だ。言い返されるとはまるで思っていなかったのか、間抜けにぽかんと口を開けて、腕を組んだ状態で氷みたいに固まった。
 ……そういう様を見て、真佳としては、うわー何でこういうこと言っちゃったんだとひっそり後悔し出している。別に聞き流すことも出来たのに、大人げない……かどうかは、相手の年齢も知らないので言い切れないけれど。もしかしたらジークのほうが真佳より大人で、大人げなかったのは彼のほうだったかもしれない。
 ぷはっ……とどこかで、空気が抜けたような音がした。

「ふっふっふっふっふ……」

 肩を震わせて何事かと思ったらカ・ルメ、

「ジークが一本取られるなんて、面白い。正論を差し挟まれた気分はどうだい? 見つかりにくくて村に近い場所がここぐらいしか思いつかなかったとは言え、君無しで彼女らが行き来出来ないのは本当だ。だからヤコブスもああして道を探し回っているんだろう」

 喉を震わせながら、ジークと同郷でありながらジークの味方をすることなどは無く、むしろ真佳の意見を補強してジークをいじめるみたいなことを言う。カ・ルメの意図がよく分からず、煽った張本人であるはずの真佳のほうが目を瞬かせてジークを見た。ぱかっと開いていた口をいつの間にか苦虫を噛み潰したみたいな苦々しげな一文字に染めて、ジークはカ・ルメを睨みやる。今度は押し黙ることはしなかった。

「この立地で疑いの目を向けられる可能性を指摘したのは俺だろう。それをカ・ルメが、緊急事態ならしょうがない、早さが優先だと切り捨てたんだ」
「そうとも」あっけらかんとカ・ルメが言う。「だから立地については私は不満に思っていない。でもマナカらにとって危険にも見えるこの土地を、マナカらがあっさり納得してくれるとも思っていない。要はね、ジーク」

 笑いを含んだとても真面目に言っているとは思えないような口ぶりで、けれどもカ・ルメは容赦無く、ジークに人差し指を突き付けて、顔を近付けこう言った。

「君は話の持ち出し方を誤った」

 苦言を呈しているふうなことを言いながら、その実表情は悦にまみれ、口の聞き方は歌うように軽やかだ。言っていることとやっていることがちぐはぐで、カ・ルメの重力がどこにあるのか、一瞬真佳は分からなくなって胃の腑が浮いたような不安定感に襲われる。
 二度、三度瞬きを繰り返して、ようやっと方向感覚を取り戻した。

「ま、要はもっと話し方に気をつけなよという忠告さ。ヤコブスにも不遜な態度を取ったんだろう。そんなんじゃあ和解できる人間とも和解できない」

 ひょいと肩を竦めてジークに寄せていた体をカ・ルメが離すと、不安定だった重力場が元に戻ったみたいにその場の雰囲気が落ち着いた。真佳は内心、こっそり胸を撫で下ろす。
 ジークはどういう顔をしてるだろう。同い年に見える女の子から母親みたいな説教を受けたのだ。反感を持って噛み付くこともあり得るのではないかと思ったが、意外なことにジークの反応は大人しく、バツが悪そうな顔で唇をもにょもにょさせて自身のうなじに手をやりながらそっぽを向いていたと思ったら。

「……すまなかった」

 ぺこっと勢いよく頭を下げて、真佳に直に謝った。
「………………」まさか謝ってくるとは思わなかった真佳は間抜けにぽかんと口を開けて、ジークの下げられた後頭部を見つめる以外に咄嗟に反応を返せなかった。

「言い方に悪意があったことは認める。俺はアンタたちを信用してない。が、だからと言ってわざわざ不和を招く言い方をすべきではなかった」
「え、や、いや……私も……意地悪なことを言ってごめんなさい…………」

 呆けた頭でそれでも何とかこの場に相応しい謝罪を述べると、ジークは頭を上げながら再びうなじに手をやって、

「……別に。アンタが謝ることじゃない」

 睨みつけているんじゃないかというくらい鋭い眼差しでそう言った。叱られた子供みたいに唇をすぼめているので、あまり威厳は感じなかった。

「後でヤコブスとかいう男のほうにも断っておく。アンタたちの面倒を見ることを厭ってるわけではない。事を荒立てて後々に禍根を残すつもりは毛頭無かった」

 尖らせた唇の先で、拗ねたようにそう言った。真佳は本当にまじまじとジークの顔と、それから頭の天辺とつま先までを何往復かするくらい凝視してしまってから(髪と同じ銀色の体毛がついた三角耳が申し訳なさげにしゅんと垂れ下がっていて、最初に抱いた彼のイメージや、真佳より背も体格もいいその外観とのギャップに一瞬くらっと目眩がした)、

「…………」

 やっぱり呆けた顔でカ・ルメを見た。
 カ・ルメは唇に人差し指を僅かに添えて、茶目っ気に少し小首を傾げた。ウインクをして見せたのかもしれないが、分厚い眼鏡が邪魔をしてそこまではよく見通せない。

「えっ……と、うん、私も貴方とは仲良くしたいと思っているので、これからも協力してもらえると助かる、ます。えっと……はい」

 視線が定まらないままあっちこっちへ視軸を向けて、慣れない言葉で何とかわたわた言い切ったと思ったら締まりのない結びになってしまって内心ちょっと落ち込んだ。あああ、だから人見知りをしているのだという……。こういうときに話すべきうまい言葉が見つからなくて、口から言葉を出した後にもっとうまい言い方があっただろうと後悔するのだ。
 ジークやカ・ルメが何を思ったのかは知らないが、ジークはそれに対して、少なくとも表面的には気になることは何も無かったと言わんばかりの涼しげな顔で頷いた。この流れなら爽やかな笑顔くらい見せてくれるのが普通なんじゃないかと思うのだが、彼の表情筋はプラスの方向ではほとんど機能をしないらしい。

「そうしてくれるとこちらも助かる」

 特に過度な修飾語をつけることもせず、ストイック気味に頷いた。……どうやら話は終わったようだ。
 …………これは一応、和解をした、ということで良いのだよな? 謝罪をされたという一点以外にそういう要素が見当たらなかったため、何だか実感が湧かないが。まあ、最初に出会ったころから不機嫌そうな顔を晒してきたジークが、突然親しげに笑顔を浮かべてぺらぺら喋りかけてきたらそれはそれで……ちょっと怖い気がする。

「俺はテントに戻っている」
「それがいいね、君は根を詰めすぎるから。二人のことは私が責任を持って預かろう」
「……それが不安にさせるんだが……まあいい、ほんの二、三時間だ。頼む」

 カ・ルメと短い会話を交わして、自分のテントに向かって歩き出していってしまった。そうだろうなと思っていたが、真佳のほうに特別視線を向けてきたりもしなかった。
 ふふっ、と、まだおかしそうにカ・ルメが笑う。

「君がああいったことを言い出すとは思わなかった。本当に面白いな、君は」

 含み笑いを漏らしながら、意地悪そうににやりと笑ってカ・ルメが言う。
 真佳は少しぶうたれた。

「別に、言うつもりだったことじゃ……。っていうか、キミだって楽しんでなかった?」
「楽しんでいたとも」

 あっさりカ・ルメは首肯した。

「だってジークに対してあそこまで明け透けに物を言う人間が、今ではほとんどいないからね。不意を打たれたジークの顔ときたら」そこでまた楽しそうにくくくと笑って、「あー、駄目だ、これは三日は思い出して笑うぞ」
「ジークの前では自重してね……」

 流石にそこまで引きずられるとジークのほうが爆発しそうだ。せっかく和解したのにあろうことかカ・ルメの言動によって再びこの会に亀裂が入る、なんて目も当てられない。目的を達成するまでは少なくとも、出来る限りの良好な関係を続けなくてはならない状況に真佳たちは陥っている。

「君、どうしてそんなに安穏を優先しようとするんだい?」

 くつくつと尚も笑いながら、雑談のついでといった態で投げられた言の葉に、真佳は少し息を呑む――。

「……何のこと?」

 咄嗟に空っとぼけた言を吐いたが、カ・ルメがそれで騙されてくれるはずもない。吐いた後、自分でも白々しかったと既に後悔し始めている。こんなに分かりやすい悪あがきをするくらいなら、素直に認めてしまったほうがいくらか程度はましだった。
 これ以上恥を晒したら自分で自分が可哀想だと思ったので、カ・ルメに追求される前に負けを認めてすぼめた先で口を開く。

「……別に、平和主義者とかそういうんじゃない。そういうんじゃなくて……だって、ぎすぎすしてたら色々と面倒でしょ。それだけ」

 ついさっきのジークみたいだ、と我ながら理解出来ている。拗ねたみたいに唇を尖らせて、ばつの悪さを感じてぼそぼそと言い訳じみたことを言っている。でも本当に、平和主義者とかそういうんじゃなく……爆発寸前の爆弾みたいな空気が漂ってると、だって据わりが悪いじゃないか。

「お国柄というやつかな」

 とカ・ルメは言った。茶化すような音は今回は含まれてはいなかった。

「……お国柄って?」
「何でも。ただ、五百年前の異世界人も穏健派だったなと思い出していただけさ」

 目を細めて、微笑った――ような気配がした。実際は分厚い眼鏡に覆われて彼女の双眼の動きは一ミリたりとてこちらには伝わってこないのだけど、何というか、彼女のまとう雰囲気が。微笑ったような気がしたのだ。
 ……そういえば、彼女と初めて出会った日、五百年前の異世界人を知ってるふうな口を利いた。星の動きを教えてもらった、当人には渋られたけど、半ば折れる形でって。

「……カ・ルメ、キミ何歳?」

 カ・ルメは一瞬きょとんとしたような顔をした後、すぐに不快げに眉根を寄せて、唇をつんと尖らせながらこう言った。

「女の子に聞くような話じゃなくない?」
「だって、五百年前の異世界人と会ったことがあるんでしょう……」露骨に疑わしさを感じている目を隠そうともしないで真佳。カ・ルメは小さく吐息する。
「……君、アルブスの民に会ったことがあるんだろう? 私たちは彼らほどの長命種じゃないのだから、あまりひけらかすのも恥ずかしい話題なんだけどな……」

 唇の先でぶつぶつぶつとやっていたが、最後には観念したみたいに鋭く、長めの息を吐く。

「まあ、かの異邦人と出会ったような年齢だ。五百以上と捉えてくれればいい」
「それは知ってる」
「細かい年齢を聞きたがるとか君は鬼か?」
「そんなに恥ずかしがること?」
「うーん、だって十何歳とか、私らにとっては玉(ぎょく)も同然だしなあ」

 と尚も渋るので、玉の意味が分からないながらも真佳は「ふうん……じゃあいいや」と身を引いた。どのみち最初から、そっちが本題だったのではないんだし。

「五百年前の異世界人……に、キミは会ったことがあるんだよね」
 ぱっとカ・ルメは子犬みたいに顔を上げた――「ああ、幸運なことにね!」
「その……異世界人のことを聞きたいと思っていた。その人はどうやってキミたちのところへやってきたのか、とか……その人の性格?とか……」

 カ・ルメは最初きょとんとしていたが、すぐに合点したように頷いた。「何だよ、そういう話ならあんな意地悪で回りくどい言い方をしなくてもさあ」とか何とか、どこか嬉しそうに呟きながら、落ちてくる葉っぱを器用に人差し指と親指の先で空中でつまんでみたりする。何だその特技、と真佳は思った(桜の花びらで同じようなことをやろうとしたとき、両手で挟み込む形でも何度かはどうしても失敗した。つまみ上げるなんて尚更だ。まあ、桜の花びらよりもカ・ルメがつまみ上げた葉っぱのほうが当然面積が広いのは百も承知として、それだって)。
 葉柄を人差し指と親指の腹で転がして、回転する葉っぱを見るともなしに眺めながら、カ・ルメは思い出すみたいに慎重に、口を開く。

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