星の道行き



「真犯人を探し出せるか不安?」

 とカ・ルメに尋ねられた。そういったことを考えていたわけではないのだが、まあそういうことにしておいてもいいか……。実際それが為せるかどうかは大事なところだ。

「不安、というか……どの道何としてもやらなきゃいけない道だから、そういうのは別に無いんだけど……」

 犯人探しという観点において、真佳は精通しているわけではないし、何をどうすればいいのかも正直言ってよく分からない。そういったようなことはある。でも別に、これは必ずしも一人で解決しなければならないものでも無いのであり。

「村に残った――」さくらの顔を思い出して――「友達、と、教会の中佐が協力してくれる。私ではきっと犯人を上げられないと思うけど、その二人ならきっと事件を解決に導いてくれる」
「君の信頼出来るハラカラであるというわけだ」

 立てた足の上に頬杖をつき、相変わらずにやにやした含み笑いを張り付けながらカ・ルメが言う。感情がそのまま何の思想も通さず表に出てきたみたいなその表情を、今度は真佳は突っ込まなかった。「まあ、そういうことになるのかな……」と、曖昧な言葉を代わりに返す。

「いいね、そういうことなら大分私も心強い。特に教会の中佐というのがいい。こういった事件には手慣れてそうだ」
「不安にならないの?」言ってしまってから、カ・ルメと同じようなことを言ってしまったと気が付いた。
「不安って?」

 足らなかった言葉を付け足す前に、カ・ルメがそこを聞いてきた。真佳は少し言いよどむ。

「つまり……教会の中佐ということは、教会の人間ということだ。今の教会はほかの宗教を認めていない。ソウイル教以外の宗教を異教と言って断罪したこともあると聞いてるし……」

 カ・ルメが笑った。
 息をふっと吐きかけるみたいな、気の抜けた声で。

「でもマナカ、その中佐殿は曲りなりにも、ヤコブスを容認しただろう?」
「――」

 ぱかっと口を開けた状態で、真佳は一瞬固まった。それに対する対応が、真佳にはすぐに浮かんでこなかったのだ。間抜けに口を開けたまま、暫くしてからようやっと。

「……ヤコブスのこと、知ってたの?」

 ヤコブスのこと、というのは、当然のことながら、ヤコブスが信仰している、“ソウイル教新教”と呼ばれている宗教のことである。
 カ・ルメは軽く肩を竦めた――

「言っただろう? 君たちのことは、君たちがこの世界に降り立った時点からずっと見てた――その道中で知り合った人間のことだって、見える範囲のことならお見通しだ」
「そういうの、どういうふうに分かるんだ……」
「ええ……? 何と言うのかな……色が違うというか、所属が違うというか……属性が違うというか、星が……。……まあ、ともかくそういうこと。感覚的に知ることなので詳しく言語化は出来ないよ。過程を知りたがる人間なんて今までいなかったし」

 そういうものか……人の気配を感じ取るのと似たようなものかな。あれだって別に目の端に実際に見たものではないし、においを現実に感じ取ったわけでは無い。感覚を教えてくれと請われたところで、真佳とて言語化するのは難しい。

「まあともかく、ヤコブスが教会が正しいと認めているのとは別の宗教を信奉しているんだ。今更私のような者が現れたところで、中佐殿はわざわざひっ捕らえて私なんかを首都送りにはしないだろう。そういった暇が無いからね」

 カ・ルメの視軸が真佳を射抜いていることに、真佳はここで気が付いた。

「……私とさくらの旅があるから?」
 カ・ルメがにっこりと微笑んだ。「そうだとも」

 ――不思議な女だ、と真佳は思う。富裕の街チッタペピータで出会った、吸血鬼という在り方を望んだガッダ卿のことを真佳はちらりと想起したが、それよりは少し違う気もする……。ガッダ卿もカ・ルメも、底が見通せないのは同じだが、星の光も届かない圧迫された深海の如き全き黒を思わせる卿と違って、カ・ルメのこれは深海と言うよりかは……。
 ……星を浮かべた宇宙空間。水圧がない代わりに不安定さすら感じさせる、空虚な黒を想起する。

「中佐殿もヤコブスも、君たちのことを重要視しているということさ」

 ……ヤコブスは違うと思うけど、という言葉を寸でのところで押し留めた。さくらのことは大事に思っているようだけど、別段真佳自身のことは……。
 もにゃもにゃ思っている最中にもカ・ルメの言葉は続いていて、

「まあつまるところ、君たちの邪魔にならない範囲に留まる場合においては、多少の些事は許されるのに違いないという話。もしも向こう――向こうっていうのは村の中でのことだけど――で鉢合わせたら、普通に紹介してくれればいい。狼人族の宗教はヒトのそれとはほんの僅かとは言え違うから、狭い目で見れば異教徒だ。出会っただけで異教徒なんだと、すぐにあっちも分かるはず」
「耳や尻尾を隠したりはしないの?」

 きょとんとした顔を向けられた。瓶底眼鏡の奥底で、二、三度瞳を瞬かせてでもいるかのような間があった。

「……そんなことする必要ある?」
「え、いや、だって、一目で異教徒だと分かられるんなら、教会に目をつけられるのでは……?」

 人差し指の腹を顎にやって、「んーーーー…………?」と間延びしたような唸りを一つ。真佳の単純な疑問に対するだけにしてはあまりに長く考え込むので、少しはらはらし出してきた。

「……そうか、君たちの文化に触れるときは、耳や尻尾を隠すべきなのか……」
「え……!? い、今までどうしてたの……?」
「私自身が外に出ることは一度も無かった」
「一度も!?」

 驚きに声を上げる真佳とは対照的に、カ・ルメは沈思するようにゆっくりと、己の記憶を照らし合わせるように慎重に、僅かに一つ頷いた。真佳の提示したその問題に、今の今まで思い当たったこともなかったと言わんばかりの挙動であって、それで真佳も自分の認識を改めなければなるまいと、居住まいを正してカ・ルメの次の言を待つ。

「よく考えたら、食べ物や水は近辺で何とかしていたし、私自身が買い物に行くことなんて無かったんだよな……。勿論現地調達が必ずしも出来る状況かどうかは運ではあるし、布地とかは輸入が多い。加えて私たちは大体が流浪の民なんだから、輸入しているということは誰かがヒトの文化から購入していると言って差し支えない……ということは」
「……ということは?」

 ぽん、とカ・ルメが手を打った。

「なるほど……買い出しに言ってた奴ら、全員擬態してたのか……」

 ……至極真っ当な答えに辿り着いて、一瞬テレビに映るお笑いの人よろしく勢い余ってずっこけそうになった。

「…………考えたこと……無かったんだ……」
「無かった。一度も。あー、なるほどなー。道理でみんな暑苦しい格好で外に出るもんだと思った」

 そこまで見ていて何故気が付かなかったのか。宇宙空間なんて深遠なものに例えてしまったのは、ちょっとやり過ぎだったのかもしれない。前言撤回……。

「そうか、じゃあ、私も外に出るときは頭に布を巻いて耳を隠そう。尻尾のほうはどの道服で見えないからいいとして……ちょっと待ってね、テントをそのまま持ってきたから、多分どこかにちょうどいい布が……」とか何とか鞄の中身をごそごそやって、奥のほうから無理矢理に引っ張り出してきた布を両手で掲げ持ってから、「あった」満足そうに頷いた。

 カ・ルメが白いワンピース(型だけ見ると間違いなくそれ)の上に羽織った真朱色のベストと、ほとんど同じ色合いをしたスカーフだ。あの服装をした上で頭に羽織ると言うのなら、色合いから見ても然程不自然には見えなかろう。
 その布を実際簡単に頭に巻いて見せながらこっちに視軸を流しやり、何に納得したのか、うんうんと陽気に頷いた。

「じゃあこれで。あっ、中佐殿に出くわしたときはすぐに外してしまおう。そっちのほうが話が早いし、変な誤解も生まないだろう」

 狼人族でない人間の女が共にいるということと、狼人族の女が共にいるということで一体何の誤解が生まれると言うのだろう。難しい顔で考えたが、結局よく分からなかった。
 ところで、全体な色味的には問題が無いものの、頭にスカーフを巻くことでそのぐるぐる眼鏡が昆虫類のグロテスクな複眼じみた不気味さを醸し出していることに、果たして彼女は気付いてくれているのだろうか。こんなものを夜、見知った家の部屋で見ようものなら、最悪人を呼ばれてしまう。
 カ・ルメとさくららが出会うような気配がしたら、即座に自分が間に入ろうと覚悟を決めた。
 ……というか、今更ながら気が付いたが。

「カ・ルメ、マクシミリアヌスたちと会う気があるの?」
「何を今更」
「や、だって何か……そういえばどこまで手伝ってもらえるかとか、聞いてなかったなって気が付いて」

 狼人族の一時的な住居となっている洞窟では、たしか二人が村まで送ってくれるという話をもらっていたはずだ。それを殺人現場の部屋の中まで来てくれるものと勝手に思い込んでいた上に、何故だかカ・ルメ本人もマクシミリアヌスと会うことを前提で話を進めてくれていたから気付くのが随分遅れたが、そういった詳細な話を真佳は何も聞いていない。

「んーっと、そのマクシミリアヌスというのが私が中佐殿と気を読んだ人で、さっき出てきたサクラというのが、君と同郷の人だよね」
「あ、そう」

 当たり前のように名前を出してしまっていたことに今気が付いた……。ここで名前を出すことで何か不利益があるわけでもないだろうし、別にいいんだけど。一瞬ひやっとした心臓を落ち着けるように考える。

「一応、状況の整理をする、という観点から、どちらかには挨拶はしておいたほうが無駄が無いかなと思うんだけど、そっちを優先させて村の人間に見つかっては元も子もない。君たちがその殺人現場と思われる場所に赴いて調査をしている間に出会えるなら吉、出会えないならそのまま帰るつもりでいた」
「……つまり、村の中にまで入ってくれると?」
「うん、少なくとも私はね」

 ……ということは、ジークがどうするかはカ・ルメにも現状分かっていないということだ。でも多分、ジークは何となく、普通についてくるのではないかと思う。カ・ルメをわざわざ危険な場所に、一人では向かわせないような気が何故かする。

「その殺人現場がどれだけの広さかは知らないけど、最小で三人、最大で四人の人間がお邪魔することになる。そこにマクシミリアヌスかサクラが来るならもっとだね。勿論ただ突っ立ってるだけじゃなく、調査のお手伝いもさせていただきますが」

 混ぜっ返すようなおちゃらけた口調でそう言って、立てた左足に右頬をつけてにんまり、笑った。分厚い眼鏡が頬の肉に押し上げられて、ほんの少しだが目が見えた。髪と同じ、珈琲色の綺麗な目。尤も、そう見えたのはカ・ルメが好奇心の抑えられないきらきらした双眼でこっちを見ていたからという、ただそれだけの理由なのかもしれないが。

「……カ・ルメ、そういうの出来るの?」
「ん? そういうのって?」
「調査とか、そういうの」
「私を甘く見てもらっては困りますよ」

 膝につけた頬を浮かして、心外とばかりに茶目っ気たっぷりに口を尖らせて見せてくる。眼鏡が定位置に下がったために、カ・ルメの双眸がもうこちらからは見えなくなった。

「それっぽいことは一応出来ます。多分。そういう小説だって読んできたし。多分。死体の状況を見て、犯人を推理すればいいんでしょう? あと、アリバイとかそういうの。詳しい死体の検分みたいなことは、まあ中佐殿にお任せすることとして」
「…………」

 その能天気な発言に、本当に大丈夫かなあと不安になった。推理に関しては引き続きさくらに頼るというのが一番順当で安全そうだなと考える。

「まあそれはいいとして」

 己の発言の信用性に己で不安になったのか、カ・ルメのほうからそこで話を打ち切った。

「ひとまず私が考えている手助けというのはそんな感じ。事が終わるまでは君たちに加担する気でいるけれど、犯人が見つけられず実際に君が首都に送られるような事態になったら流石に助けには入られないかな。教会を敵に回すのは、流石に同族に迷惑をかけすぎるので……」

 申し訳無げにそう言って、縮こまるように肩を竦めるカ・ルメに対して、十分すぎるよと真佳は思った。思っただけじゃ伝わらないので、同じ言葉をそっくりそのまま口にも出した。口に出さなくても伝わるという状況に慣れてしまうと、そうでなくなったときに困るのだな……とひっそり思う。
「ありがとう」とカ・ルメは言った。どこか控えめで、慎ましやかに見えるあまりにカ・ルメには到底似合ってないような微笑を乗せて。
 何だかカ・ルメのそういう顔を見ているのがむず痒くなり、真佳は意味もなくテントの出入り口に目を向ける。出入り口に垂れ下がった垂れ布が、たまに吹く風に煽られてほんの少し前後するくらいしか動きのないような光景だ。このテントには虫よけのメッシュドアがついているタイプではないために、垂れ布を下げていると周囲の様子というのは見通せないようになっている。

「じゃあとりあえず、夜になったら村に連れてってもらえるとゆーことで……」
「うん」

 動きの無い垂れ布ばかりを眺めていても不自然なので、すぐに目線をカ・ルメに変えた。

「ひとまず、ヤコブスやジークとも話し合おう。あの二人が何を考えているかも、私にはちょっと分からないし……」

「ジークたちと?」ちょっと意外そうにカ・ルメが言ったが、即座に「分かった」と返されたのでほっとした。真佳を一体どういう目で見ているのかは不明だが、実は真佳の決められることはそんなに多くはないんですよ……と、今度は口に出すつもりのないことを頭の中だけで考えた。

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