「君は本当に失礼だな」

 と、さも憤慨したようにカ・ルメが言った。しかしこればっかりは真佳もヤコブスの側に立たねばならない。いくら本好きの身でありながら一人分の寝る場所と座る場所を確保できているとは言え、そこに誰かが寝泊まりするなら話は別だ。ついでに言うならカ・ルメは女性であり、且つヤコブスは男性であるため、真佳が何とかカ・ルメのテントに、例えば天文学的な確率の奇跡でもって潜り込めたとして、ヤコブスの寝る場所は別で用意しなくてはならない。

「そこが問題なんだ」

 それまで我関せずを貫いていたジークが、心底弱り果てたみたいな声を出して言う。それに真佳はおやと思った。真佳の前でジークが見せた表情は、どれも真佳やヤコブスがどうなろうとどうでも良いといった風の顔だった。例えば真佳やヤコブスがこれからテントの外で野宿するという話になったとしても、きっと、“それはいい、カ・ルメのテントよりはよく眠りにつけるだろうよ”と突き放して言うに違いないと思っていたのだ。ジークはカ・ルメか、あるいは己の種族にしか興味が無いのだろうと、漠然とそう考えていた。

「俺も止めたし、まずはそこを考えてから行動に移しても遅くは無いだろうと言いもした」
「何だよう、あそこで拾いに行かなきゃ村の人たちに回収されちゃってたかもしれないじゃん。どう考えても時間が優先だったでしょうよ」
「……俺は休める場所があるのかと聞いただけだったんだが?」

 ちくちくと嫌な予感でも覚えているのか、自身の米噛みに指先を当てながらヤコブス。奇遇だなあと真佳は思う。今、真佳自身も、きょう寝る場所にありつけるかどうかの不安を抱き始めたところであった。


心情インスタビレ



「別に隠そうと思ったわけではないんだよ?」

 とカ・ルメは前置きをした。ばつの悪そうな、ちょっと拗ねたような言い方で。

「ただ、ちょっと厄介なことになったというか……話したら来てくれなそうな気がしたから、つい……というか」
「何が隠すつもりはなかっただ」

 顎あたりまで伸びた焦げ茶のサイドヘアーを人差し指に巻きつけるように弄くりながらぽつぽつと語るカ・ルメの言を、一蹴したのがジークである。

「どう考えても欺瞞だろう。族長との話もつかないまま連れ込んで、一体どう責任を取る気だ? 捨てられている猟犬を拾って来るのとはわけが違うんだぞ」
「わ、分かってるよー! でもあのタイミングじゃないとうまく引き込めなかったんだから仕方ないじゃん、族長含めて、旧弊で保守的な年寄りのほうがどうかしてると思う私は」
「……………………」

 人差し指どころか拳で米噛みをぐりぐりやりつつ、長い長い沈黙の末ヤコブスが引き絞った言葉を吐いた。

「……なんだって……?」
「だから、旧弊で保守的な……」
「そっちじゃないだろ、馬鹿」代わりにジークが請け負った――「この集落の人間はアンタらが来ることを肯定してない。カ・ルメが話をしたがいい返事をもらえなかった。完璧に否定されたわけでも無いから説得をすれば首を縦に振ってくれる可能性もあったが、こいつは時間が無いことを理由に強硬手段をとったのさ。俺が渋っていたのはそういう理由だ。俺たちが主に活動する時間は夜中になるから、ここまではバレずに事を運ぶことは出来たと言えるが、アンタらが休む場所となると話はより難しくなる」
「…………」

 片足が勝手に後退ってよろめいた結果として、真佳は本棚の一つに背中を預けることとなった。ヤコブスは米噛みをぐりぐりしながら苦虫を噛み潰しまくっていて、カ・ルメは未だに自分のサイドヘアーを拗ねた顔で弄っている。「だからこの機会を理解できない年寄り連中が……」などとぶつくさ。長台詞を発した時点から、ジークは腕組をしたままそこに屹立し通しで感情の揺らぎは伺えない。こうなることが、初めから分かっていたんだろう。
 カ・ルメがさっき口にした、“集会所”にいる“老人”たちの“よもやま話”というのは、もしかしてカ・ルメに対する苦言を意味していたのではないか。

「どうするの? 出ていったほうがいい感じ?」

 自分でも意外なほど、真佳はヤコブスやカ・ルメよりかは冷めていた。諦めていると言うよりか、無理なものは無理なもので仕様がない、目の前の現実をあるがままに受け入れるしかないという感情。昔から現実を許容することにだけは長じていた。そうでないと生き延びることが出来なくなるためである。

「そんな勿体ない!」

 とカ・ルメは言った。

「だから、君たちは私とジークの部屋にだね……。そういうふうに考えていたんだ。私だって何も考えてなかったわけじゃない」
「しかし俺たちが村に戻らなければいけないのは、夜だ。貴様らの活動時間帯、貴様らの種に見つかることなくテントの外に無事に出られると思っているのか?」

 それが難しいことは多分カ・ルメのほうがよく知ってる。「う……」と一瞬鼻白んだ。真佳が知る限り出入り口は一つだけで、しかも狼人族というものは、話を聞いただけでも聴力や嗅力に長けている。

「村に戻る直前にごたごたに巻き込まれるのだけはごめんだ」

 それは真佳も同感だ、と言わざるを得ない。捜査の時間や寝静まりつつあるというタイミング、ある程度の時間を想定して出ていくのだ。枢機卿が殺されたのは村長の家の一室なのだから、村長の生活リズムは計算に入れねばならないだろう。ぎりぎりに引き絞ったタイムスケジュールを、村に着く前の段階で台無しにされるわけにはいかない。さくらの旅程がかかっている。

「う……わ、悪かったと思ってるよ。だから迷惑をかけないように調整を……。例えば、夕方に一回ここを出て、森に身を潜めるとか……」
「その必要は無いよ、カ・ルメ」

 すぐ後ろで、柔らかい声がカ・ルメのそれを否定した――あろうことかやんわりと。駄々をこねる子供を嗜めるように、やれやれと苦い吐息をついて。
 振り返った先に立っていたのは、感情表現の慎重さに比べればひどく若めの男であった。三十から四十代くらいと思われるが、落ち着いた雰囲気から六十代と言われても納得してしまうかも。銀の体毛にペリドットのような色の目が以前に出会ったアルブスという種族を想起させたが、肌はそれよりも赤みを帯び、角の代わりに頭の天辺に近いところに三角の耳が生えている。間違いなく狼人族の一員だ。

「族長」

 という反応を示し姿勢を正したのは、カ・ルメではなく意外にもジークのほうだった。カ・ルメはと言えばその声だけで誰がいるのか察していたらしく、びくりと肩を震わせた状態で縮こまって固まっている。なるたけ自身の存在を消そうと努力していることは何となく伺い知れるのだが、いかんせん狭いテントに少人数しかいないこの空間、気配を消すにも限りがあるというものだ。
 っていうか、族長って言った? この人が? 改めて男に視線を戻すと、若い女と男がその背後でいたたまれない顔で溜息を吐いているのに気が付いた。カ・ルメと同じ茶色の体毛。カ・ルメと血が繋がった両親だろうと何となくだが想像がつく。

「楽にしてくれていい、ジー・クァート」

 ジークのほうに先に断りを入れてから、族長と呼ばれるには若すぎる男が真佳と、ヤコブスに目を向けた。八角形のちょっと見かけない眼鏡を鼻にかけている。人と同じ位置に耳が存在しないからか、或いは日本人よりも目鼻立ちがはっきりしているからなのか、狼人族がかける眼鏡は大体鼻を挟むタイプの鼻眼鏡だ(パーティ用の面白いやつではなくて)。

「カ・ルメ」

 と、カ・ルメの母親らしい女が言った。カ・ルメがぎくりと体を揺らし、一層いたたまれなくなったみたいに縮こまる。
 族長が短く吐息した。溜息と言うほど無粋ではなかったことを意外に思う。

「すまない、カ・ルメ。私の言葉が悪かったね――きっと言葉が足りなかった。異邦人を連れ込むことは感心しないという理由を話すべきだった」
「族長」

 とカ・ルメの父親と思しき男が言ったが、それを族長は右手を挙げることで黙らせた。男が口の端でもにょもにょと――「しかし、理由も聞かずに飛び出したのは娘のほうで……」男の言葉は狼人族以外には、あとは真佳にしかきちんと伝わっていないだろう。

「私は何も、どの異邦人も立ち入ることを禁じると言いたいわけじゃないんだ、カ・ルメ」言い聞かすようにゆったりと。「私たちの領域に立ち入りたい者がいれば、自由に出入りを許可するつもりだとも。彼らに害意が無い以上、我々も拒む理由は無いはずだからね。ただ、今回の場合は少し理由が違うだろう」
「殺人の容疑者になっているから……?」

 拗ねた口調でカ・ルメが問うと、族長は重々しく首肯した。一瞬間だけ、ちらっと族長と目が合った。真佳らの前でこの話をするのは心苦しいのか、眉間には深いシワが刻まれている。

「容疑者を匿った、ということで種族間に問題が発生する可能性がある。異邦人への興味は私も少なからずあるものの、その件で狼人族全部を不穏に巻き込むわけにはいかない。それは君も決して本意では無いだろう?」
「…………」

 カ・ルメは口を噤んだようだ。真佳も短く吐息した。ヤコブスとこっそり視線を交わらす。やっぱり一時的に、秘密基地に身を潜めてみるしかないか……。隠れながら且つ調査をする必要があるのなら、必要以上に村から離れるのもまた悪手になる。ただ、ずっと秘密基地には当然いられないだろうから……。

「君たち二人についても、巻き込んでしまって申し訳なかったと思っている」

 族長は今度は、真佳とヤコブス二人に対してそう言った。カ・ルメの両親と思われる若い男女も、真佳らに対してばつが悪そうに、あるいは申し訳なさげに頭を下げる。

「助けると言って連れ込まれた上、突然放り出されたのでは困るだろう。せめて今日一日くらいは宿として使ってくれて構わない。迷惑をかけた詫び……と言うとまたおかしな話だが」

 言葉に詰まったと言うべきか、族長は考えあぐねたみたいに頭を掻き、その空白を誤魔化すみたいにほんの短く苦笑した。頬の肉付きが薄く、笑うと頬がこけたみたいに映るから、多分そのためなんだろう――最初の印象よりも、ずっと外見の年齢が高くなる。何となくだが、ヤコブスのチームに属しているトマスの存在を想起した。
 真佳はお伺いを立てるためにヤコブスのほうを振り返る。この世界、特に地理に関して、真佳の持っている知識は多分子供のそれより頼りない。結局はこの世界の住人に頼らざるを得ない以上、安易に是とも否とも言いがたいというのが現状だ。

「いや、すぐ出なくていい、というのであれば、こちらとしても願ってもない提案だ。今すぐには宿の当てはつきそうにないし、これ以上無い温情と言える。ご厚意に甘えさせていただきたい」
「それは良かった」

 眉尻を下げて族長は笑った。ジークとカ・ルメは動かない。

「お客人、ということで、私のテントに来てもらう態でよろしいかな。私の手には余りあるというか、役職柄人より大きめのテントを使わせてもらっていてね。仕切りもあるから、お二方でもゆっくりくつろげる空間があるだろう」
「助かる。恩に着る」

 と言って、ヤコブスは族長と、族長の脇に控えた男女について、誰より先にテントの戸口を潜っていった。真佳の隣を通るとき、何らかあるに違いないと思い込んでいたのだが、真佳に対して目配せ一つこっちへ寄越しやがらない。本気で一日でここを離れるのか、カ・ルメとこれ以上やり取りを交わす気は無いのか、そういった意向が何一つ真佳に伝わらない。

(……やりにくい相手だ……)

 苦い思いで真佳は一つ吐息した。無論、ここにいてはならないと他ならぬ族長が言う以上、真佳とてここに長居するようなつもりは無い。それはこのコミュニティーに対しての迷惑になってしまうし、要らぬ諍いを生んで一層面倒なことになりかねないから。
 それでも……。
 打ちのめされた女の子を相手に、本当に何もせずに出ていくのか……?
 族長が来てから微塵も動く気配のない二人の心情を、慮らずにはいられない。

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