道行きストラテジー



「ここが私のテントです」

 とどこか誇らしげに言うカ・ルメに連れてこられた一つのテントは、橙色と赤のパッチワークになっていた。狼人族が使っているテントはどれも長い間使い古されたものばかりであるらしく、悪くなったところから継ぎ接ぎが当てられているために目に鮮やかで集団でいると賑々しい。ただのテントであればすぐにそれと判別出来なくなるだろうと思ったが、赤とオレンジのテントと覚えれば良いのだから話は随分簡単だ。柄の無い赤と小花が散ったオレンジのパッチワーク。これだけ特徴があるのだから、真佳でも迷うことは無いだろう。
 招かれるままに中に入ると、意外にも必要な物が充実していて居心地は良さそうに思われた。書き物机にパイプ椅子……寝袋は何故かゴミのようにテントの隅に追いやられている。しかしそれより何より、カ・ルメのテントで目を引くものと言えば、その蔵書数の多さであろう。
 テントの下から上までを覆うほどの(……というか辺の一つが確実にテントの許容スペースをオーバーしている。テントの形が不自然な形に張っていたのは本棚の形に出っ張っていたからだったのだと、中から見ると腑に落ちる)大きな本棚に本を詰め込み、本と棚板の間の空間にも今にも破裂せんばかりにペーパーバックが詰め込まれ、勿論それで足りるわけも無いので結果として床や机の上にも大量の本がそういう化石みたいに積み上げられて固まっている。椅子の上に本が無いのは、読書のためのスペースをきっちり確保するためだ。真佳も元の世界では本を読むほうだったのでよくわかる。床には積み上げなかったが、本棚の余白は全部本で埋めていた。
 足の踏み場も無い部屋だとカ・ルメを罵るより、よく眠るスペースだけは確保したと褒めてあげるべきだと同じく読書家の真佳は思う。
 しかし当たり前のように、ヤコブスとジークは揃って微妙な顔をした。

「もてなしを受けられる場所でもあるのか?」

 とヤコブスが言うと、そういう反応を予想していたかのようにジークが、

「だからアンタの部屋に招くことは反対だったんだ。普通に集会場でいいだろう」
「集会場なんてつまんないよ。あそこ、老人のたまり場みたいになってるじゃないか。お爺ちゃんお婆ちゃんたちの実入りの無いよもやま話を救世主の同郷に聞かせる気か?」
「座って話せる場所が微塵も無いところに連れてくるよりマシだろう」
「あ、あのさー……」

 これ以上黙っていると交わることのない平行線の会話を延々と聞かせ続けられそうだったので、そうなる前に手を上げた。

「ジークのテントに行くという選択肢は無かったの?」

 我ながら真っ当なことを言う。邪魔者が入る余地も無い場所でゆっくりと過ごしたいのなら、あとはジークの領地しかあり得まい。
 そう言うと、しかしカ・ルメのテントに客人を招くことに渋い顔をしていた当の本人であるジークのほうが、心底鬱陶しそうに顔を顰めて言うのであった。

「何で俺が見ず知らずのアンタらを招待しなきゃなんねえんだ」
「ほらね、こう言うの。私も言ったんだよ? 私の部屋に招くことをそんなに反対するなら、じゃあジークの部屋を貸してよって」

 はんっ、とジークが鼻を鳴らした。どうやら笑ったらしかった、ということに、二、三秒くらいしてからやっとのことで気が付いた。

「じゃー……カ・ルメのおうちしか選択肢は無いわけなんだけれども……」

 ジークとヤコブス、二人の顔色を伺うことになってしまった。この洞窟内に四人(ジークがい続けることになるのかどうかは微妙だが念の為四人)がじっくりと腰を据えて話を出来る場所があると言うなら話は別だが、そういう案が出ないのであれば仕方がない。幸いなことに、村からここまでの距離はそう長くは無かったため、真佳自身は立ちっぱなしで話をすることは可能だが……。
 ヤコブスが疲れたみたいに吐息した。

「座らずに話を進めることには慣れている」
「失礼な、座る場所くらいあるとも。えーっと、寝袋を一旦脇へやって、椅子の上に当然一人は座れるでしょ? それで多分三人は……いや、椅子に二人座れば四人全員座れるね! 勝った!」
「何と戦っているつもりだ?」

 ヤコブスが疲れたように突っ込んだ。

「いいからそのまま話せ。拒否するのも疲れる。話くらいは聞いてやる」

 そう言いながら、懐から煙草と魔術陣とを引っ張り出して火をつけた。カ・ルメに断りなどしないあたりこっちはこっちで唯我独尊というか何と言うか……。チョコレートの香りがすぐに鼻腔をくすぐった。ここ数日で、随分とこのにおいにも慣れてきた。

「じゃあこのまま進めさせてもらうけど」

 とカ・ルメは言った。
 ジークはヤコブスの煙草の香りに顔を顰めたが、カ・ルメはちょっとも顔に出したりはしなかった。気にしていない、というわけでは無いと思うが。人間より嗅覚に優れた猫なんかも、煙草のにおいは苦手なのだと聞いたことがあるし……。カ・ルメやジークは猫でなく狼人族だが、猫より嗅覚の鋭い狼の血(と言っていいのか分からないが……)が混じっているのなら、それより顕著な反応を見せても不思議は無いと思われた。

「まず多分君らが疑問に思っていそうなことから説明するね。マナカとヤコブスの現状だけど、星の動きからだけでは、実はそこまで詳細なことは分かってなかった。難関降りかかりし……って、それだけね。それだけじゃあ足りなかったから君たちの村の住人たちの“声”を直に聞かせてもらったの。枢機卿が殺されて、あろうことかマナカがどうやら疑われている……あそこの村の人たち、君の正体については知らないのね。異邦人って単語が一つも聞こえてこなかった。君が隠してるんだったらそれはそれで別にいいけど……。ともかく、星の動きと村の人たちの話を聞いて、マナカという名前の君こそが、難関降りかかりし異邦人であると突き止めた。君たちの航路はまだ続いていたから、きっと一時的に逃げてくるんだと思って森の中で耳を澄ましてずっと待っていたところ、本当に君たちがやってきてくれたと、そういうわけ」
「……じゃあ、私……というか、異邦人があの村にいることを知ったのはそのときが最初?」
「いいや、初めっからだとも」

 妙にあっけらかんで、悪びれの無い回答だった。真佳は少し鼻白む。

「星を見ていたと言ったでしょう? この世界に異邦人が舞い降りてくると詠んだときから、君たちの行動は定期的に詠んでいたとも。近々近くを通ることも」
「何でそんなに……」
「不思議かな、私の行動が? 例えば君は憧れの人の同郷であったり同階級の人間の動向を、気にとめたりはしなかった?」

 そう言われるとそのものずばりの覚えは無いが、思い当たるような節はある。例えば好きな漫画があったとして、その世界に触れられることがあるのなら例え好きなキャラクターそのものでないNPCであったとしても、接触したいと思ったり、動向が気になったりはするだろう。カ・ルメやマクシミリアヌスにとって、真佳たちの世界は漫画のそれと変わらない。……ということに、どうやら漸く気が付いた。

「デ・マッキが死んで、そいつが加害者として疑われた」

 ヤコブスが冷静に前提の話を口にする。そこに何ら感情は無く、まるで計算式を読んでいるかのように穏やかだ。

「こいつの命運を詠んでいたのなら、真犯人というのは判別しないのか?」
「残念ながら無理だね。マナカがまだ真犯人に至っていない。マナカの航路が“デ・マッキの殺人犯”としての真犯人にぶつからない限り、マナカの星には描かれない」

 やれやれ、とヤコブスが溜息。
 チョコレートの香りが一層辺りに広がった。

「どの道犯人を突き止めない限り解放されないということか……」

 面倒臭さを隠そうともしないどころか、今小声で「面倒くさい」と付言したことを真佳の耳は拾い上げた。
 事は教会のお偉方の殺人事件、容疑者であるところの真佳が見つからないとなれば、当然真佳と行動を共にしていたマクシミリアヌスやさくらだって自由な行動を取れるはずがない。しかし、かと言って真佳が村の住民の前にのこのこ姿を表そうものなら、村が注目されなければ真犯人などどうでもいい彼ら彼女らに弁明も聞かれないままひっ捕らえられ、首都まで送り返されてしまうだろう。何度か足止めは食らったものの、ここから首都まで一月半。首都で弁明を聞いてもらえて解放されたとしても、ここに戻るまでにさらに大体一月半のタイムロスが生じるということになる。
 ふむ……と真佳は頬を引きつらせながら考えた――即ち、真犯人を見つけない限り真佳やさくらの旅はここで打ち止め。だって、今から短くてもプラス三月の足止めなんて冗談じゃない。

「その結論に至ってくれたのなら話が早い」

 と、カ・ルメが言った。

「私は君たちのそれを手助けしたいと思ってたんだ」
「というと?」

 問い返したのはヤコブスだ。真佳はカ・ルメの提案が予想外すぎて、目を白黒させることしか出来なかった――でも落ち着いて考えてみれば確かに、カ・ルメは最初から、真佳の手伝いをしたいのだと申し述べていたはずだ。
「君たちが犯人を捕まえるまでの間、私が君たちの安全に眠れる宿を提供し、調査の手伝いをしてあげる」
「何故」
「理由は最初に述べたでしょ。救世主の同郷を助けたい。私も異邦人の伝説に名を連ねてみたいだけ。これ以上なく理にかなった行動理念だと思うけど」

 と言われるとヤコブスも放つ言葉を失うのか、細く長い息を吐き、口を閉ざしてしまうのだった。宗教という概念に緩やかな認識が許される日本で育ったため故か、真佳は時々この国の人間の反応に戸惑ってしまうときがある。“現実主義者”という単語がしっくりくるヤコブスに至っては殊更だ。“現実主義者”と“宗教家”が同時に存在し得るということを、真佳はヤコブスに会って初めて知った。

「それは確かにありがたいけど……」

 慌てて真佳は口を挟む。

「カ・ルメにメリットは無いのに、いいの?」
「メリットならさっき言っただろう? 君の役に立って、君の記憶に残れさえすれば、私はそれで十分なのさ」

 ……そして真佳も、改めてそれで押し切られると口を閉ざさざるを得ないのである。人の価値観はそれぞれである。特定の誰かの役に立つことだけが行動理念の人間が存在するということを、真佳は否定することが出来ないのだ。
 浮かれたようにパンッと両手を打ち合わせて、カ・ルメが言った。

「さて、意思疎通が図れたところで、これからどうする? 調査がしたいって言うなら森まで送るけど、休みたいって言うなら休んでくれていいよ」

 気楽に言うカ・ルメの横で、「全部俺が主軸じゃねえか……」と、諦めたみたいにジークが言った。カ・ルメはそれに、取り合うつもりは無いらしい。一体どういう関係なんだと、ここにきて真佳は疑問に思う。

「事件が起きて即村へ帰るのは危ない。日を置くべきだ」

 ……ヤコブスが答えて、それがそのまま実行されることとなった。今は時間的に、多分昼の少し前。休むには早すぎる時間なために、ここらの散策でもさせてもらうことになるのだろうか……無意識にテントの出入り口へと視線を投げる真佳をよそに、ヤコブスが続けて口にした。

「……とは言え、現場を長く放置しておくわけにはいかない。誰かしらが調査は進めてくれているものと思うが、調査が必要と言うのなら俺も現場は直接見たい。夜、村の住人が寝静まったころに戻って調査はしてみたい」
「……だとさ、ジーク。夜にあの崖を越えるのは可能?」
「誰に物を言っている? 夜目なら一層楽勝だろうに」

 だとさ、とでも言いたげに、カ・ルメが肩を竦めて見せた。女一人抱えられなかったことを、或いは、ジークが何もかもやってしまったことをまだ拗ねているのか、唇が微妙にとんがっている。しかしそれよりも、今の真佳にはほかに気になることがある。

「……ヤコブス、協力してくれるの?」

 何を言い出すんだみたいな、苦々しい顔を返された。

「するもしないも、協力しないことには始まらん。俺はヒメカゼに果たさねばならない目的があると聞いたからついてきたんだ。貴様の状況がその足枷になるというのなら、排除せねば俺の目的も果たせまい」
「ヤコブスの目的って?」
「言ったろう、ヒメカゼの目的を果たさせることだ」

 ……ほんの少しだが嫉妬した。真佳と同じ目的を、ヤコブスも持っているということに。さくらの横に並び立つのは自分だけだという認識が、いつの間にか真佳の胸に根を下ろしていたらしい。

「んじゃ、まあとりあえず、夜まではここで休憩ということで良いのかな?」
「それでいい。が……」

 カ・ルメのテント内を眺めやって、ヤコブスがあからさまに眉を顰めた。家主の前での配慮とか何かそういうものをどこかへ捨ててきたかもしれない。

「あるのか? 休める場所が」

 めちゃくちゃ直球にヤコブスのほうがそう問うた。

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