星はすばる


「獣人族……――」

 という単語が、真佳の後ろ、ヤコブスの側からぼそりと聞こえた。ケモノヒトゾク――という単語が一般的に何を指すのか真佳は知らなかったが、言いたいことは何となくだが把握した。成る程、目の前にいる、頭蓋骨から獣の耳を生やし、尾てい骨から獣の尾っぽを生やしている、ヒト型の彼女を指す言葉として、それはひどく分かりやすい。

「異邦人、と言ったな」

 彼女に問うたのはあいも変わらずヤコブスだった。真佳は彼女の存在を未だ測りかねていて、どう声をかけたらいいか分からない。教会の新教と旧教が並々ならぬ関係性にあるのと同じように、獣人族である彼女らと一般のヒト型のヤコブスらに何らかの因縁があっては困る。
 それに、今は村からの追っ手も無視出来ない。

「分かるのか」

 イマイチ伝わりにくい物言いに彼女はこくりと小首を傾げて吟味するだけの間を置いて、

「ああ、彼女の正体? もしかして聞いたことがない? 私たちが信仰しているものが何なのか」
「無論、噂くらいは聞いたことがあるが……」
「じゃあ、誰が異邦人でそうでないかなんて、私たちにとって見分けるのは当然のこととは思わない? それとも貴方は、誰が神で誰が神じゃないかも分からない?」

 一瞬、ヤコブスの気配が刃物みたいに鋭くなった――一拍遅れて真佳も気付く。彼女は今、ヤコブスの信じる神を愚弄したのだということが。

「あ、うーん、ごめんなさい、怒らせるつもりじゃなかったんだけど」
「では一体どういうつもりだったと?」
「普通のことじゃない? 己の信じる神と同じにおいを、見間違うはずなんてないことくらい。そう言いたかったの。貴方も容易に判別はつくでしょう? 私にとって、というより私たちにとって、異世界人かそうでないかを見分けることは太陽の光を浴びるくらい当然のことという話」

 ふん、とヤコブスが鼻を鳴らした――彼女の言い分を素直に認めた風では無かったが、殺気は一応収めたらしい。真佳としてはヤコブスがいつ彼女に襲いかかるものかとヒヤヒヤしていて大本の話が見えなかった。えーっと、つまるところ……?

「待って、つまりキミたちのカミサマって」
「そう、異邦人。察しがいいね。察しがいい子は大好きだよ」

 女のくせにいやにハスキーなボイスで流れるように口説かれた。が、鼻にかかったぐるぐる眼鏡がいい感じにデバフになって何も本気に聞こえない。

「とは言え、別に君を神様と祀ることはしやしないさ。私たちが祀り上げるのは五百年前、私たちより前の時代に光を与えた救世主様だけだとも。無論冷遇はしないがね。救世主と同じ土地からいらっしゃったのだもの。私は貴方を歓迎したいと思ってる」
 待て、と小声でヤコブスは口にした――「何の話をしている?」

 口元に笑みは乗りこそすれ、瓶底眼鏡の奥の瞳がどうなっているか、真佳には判別しかねるが……女はどうやら、笑ったらしい。体の後ろで両手を組んだ(と思われる)格好で、茶色のおさげを揺らしながら小首を傾げて。

「だって行くところがないんでしょう?」
「……何故そう思う」
「みんな言ってるわ。枢機卿が殺されたって……ええ、貴方たちの言葉を遠方から聞き取るのは慣れていないけれど、それくらいの言葉は聞き取れますとも」
「何故それで俺たちの行く当てが無くなるんだ」
「……私、何も知らないと思われている? もしかして」
「思われているというか、当然そうだろう。貴様は一体どこの情報源を元に俺たちの前に姿を表した?」
「なんて警戒心の高い……。出産したばかりの母親だってそこまで……いや、流石にそれには劣るか」

 なんていうことを独りごちながら、女はうーんと人差し指の腹で唇を何度か叩いたりなんかしつつ、

「私に君たちを害する気はこれっぽっちも無いんだけど……じゃあどうしたら信用してくれるかな」
「どうしたらもこうしたらも無い。貴様に請うような言葉は持たん。俺たちに出会ったことを忘れて、即刻ここから去るんだな」
「そういうわけにもいかないんだけど……。だって私、異邦人の君を助けるためにやってきたのに」

 異邦人の君を、という言葉が引っかかった。この場合の異邦人とは、勿論ヤコブスやなんかのことではなく――

「……私?」

 反応すると、女と話しながら着実に真佳の前に歩みを進めていたヤコブスが鬱陶しそうな目でこっちを強く睨めつけた。それには肩を竦めるだけで応じて、ヤコブスの腕越しに彼女に問う。

「何で私? 救世主とは違うんでしょう。助ける理由は皆無じゃない?」

 自分のことを異世界人であると何故分かったかのくだりはスルーした。最初ににおいがどうのこうの言っていたし、彼女らが崇める神が異世界人だと言うのならまあほかと違う空気を感じ取れないことも無いかもしれない。納得は出来ないが、以前にも一発で真佳やさくらを異世界人だと見抜いた種族に出っくわしたことがある。耳は無かったが、角と尻尾という、通常のヒト型と似て非なる部分は彼らの種族にも存在した。さくらを真っ先に異世界人だと見抜いた彼は直接五百年前の異世界人と対面したことは無かったと言うが、それでも人づてで見分け方を聞いていたようだと聞いている。

「ああ、だって、そういうお告げだったもの」
「……お告げ?」

 馬鹿みたいな声が出た。そういえばこの世界ではそういった非科学的な話が現実に起こり得る摩訶不思議空間だったことを思い出す。誰もが神との交渉を受け入れ神託を待ち望み、実際にそれは現実を揺るがす決定的な事項であるとされている。あのマクシミリアヌスや、この堅物に見えるヤコブス・アルベルティですら、運命鑑定士の告げたお言葉は神の御言葉として重視する。
 でも、この場合は少し勝手が違ってくる。ヤコブスらの信じる神とは太陽神、ソウイル神のことを指すが、彼女たちの神は異世界人――それも五百年前にこの地に訪れた異世界人だと言っていた。

「……五百年前の異世界人が、まだキミたちのとこにいるということ?」
「え? まさか! そんなこと、考えるだけでもおこがましいよ。さすが救世主様の同郷は考えることが違うなー……」

 何だかひどく感心された。
 いや、そういう話ではなくってですね……。

「私たちが見るのは星だよ、星」
「星……?」

 言われるがまま、成り行きで真佳は遠く頭上を仰ぎ見た。まだ昼にも差し掛からない午前と呼べる時間帯、青に覆い尽くされた大空に星の欠片は一片たりとも見当たらない。
 いくつかある月と呼ばれる天体がそれでも二つ三つ、散乱した太陽の光に照らされて白く朧気に輝いていた。

「と言っても、ここから見える星じゃないけどね」
「ええ……」

 (真昼で空が見えないとは言え)頭上を見上げた自分がまるで馬鹿みたいではないか。不満を隠そうともせず女にじっとりとした視線を向けると、しかし彼女は悪びれたふうもなく、

「救世主様に教えてもらったんだよ? 救世主様がこの世界の星の動きなんか、知ってるわけがないじゃないか」

 尤もらしいことを口にした。それは確かにそうなのかもしれないけど……いや、五百年前の異世界人から教えてもらったのだというくだりは、今初めて聞いた新事実だ。あの口振りでは、やっぱり当然この世界の星を想起して当然のような気がする……。もやもやを抱えながら真佳は大人しく口を噤んだ。思っててもうまく言葉に出来なかったし、こんなわけのわからないところで議論をしても仕方がないので。

「何でうちの世界の星なんか?」

 諸々の細かいところはうっちゃって、当然の疑問を投げかけると、獣の耳と尾っぽを持った女はどこか満足そうに微笑んだ。

「救世主様にもそう言われた。こちらの世界の星の詠み方を覚えたほうが、有益に違いないよと言って。けれど救世主様もこちらの世界に来て間もないものだから、こちらの世界の星からでは方角は詠めても未来を詠むことは出来ない、ということだったから、謹んで辞退させてもらったんだ。うちの星はソウイル神の領域だからね。どうせ未来を詠むのなら、君たちの世界の星がいい。っていうわけで、計算式さえあれば遠く彼方からでも、まあある程度は正確な道筋は詠めるだろうと、半ば折れてもらう形で教えてもらったというわけさ」
「……その、そこまで未来を詠みたがる理由は何なんだ」
「ん? 何故? だって、未来は神様からのお告げだよ? 神の御言葉ならどんな未来でも聞いてみたいと思わない?」

 ヤコブスをの横顔を見上げると、何故そんなことに疑問を持つんだという顔で器用に右肩を竦められた。
 真佳には興味も関心もないとばかりに、すぐに視線を獣人族の女に向けられたが。

「つまり、こいつらの世界の星を見てみた結果、こいつを助けろと出たわけか?」
「うーん、ちょっと違うな。彼女の危険だとは出たけども、別に彼女を助けろとお告げが下ったわけじゃない」
 ヤコブスが片眉を跳ね上げた――「では何故」

 女は笑ったらしかった。
 瓶底眼鏡の奥底で、きっと双眼を艶美に細めて。

「神の同族を助けられる機会があるなら、それに乗ってみたいと考えてしまうのが普通じゃない?」

 ヤコブスの顔を仰ぎ見る。ヤコブスは手に負えんとでも言いたげに、溜息を吐きながら首を二、三度、左右に振った。

「近いのか?」
「遠くはないとも。見つかりにくい場所にあるもんで、足場は悪いかもだけど」
「って……」

 行くの? と、ヤコブスに目線だけで問いかけた。ヤコブスが真佳よりも先に折れるとは珍しい。というか、真佳は肯定してもヤコブスは最後まで抵抗するものと思っていた。

「やつの思考は理解出来る。……その上放っておいたら害になる類いの思考回路だ。頭が痛いことに」眉間にシワを寄せ、渋い顔で男は言った。「――どの道俺たちには行くべき当てが一つも無い。森の中にいつまでも隠れていられるわけでも無し、それも村の連中が探索に乗り出したらその時点で投了だ」
「じゃあ彼女を信用したほうが利益があると?」
 自分から言い出したことのはずであるのに、ヤコブスは不満げに眉根を強く寄せながら「万一罠であったとして、少なくとも俺と貴様の二人だけなら無傷で離脱は可能だろう」

 ……まあそう言われればそのとおり。真佳のほうとしても、相手がヤコブスであれば申し分ない。ここにはそういうことに慣れていないさくらもいないし、倫理観の真っ当なマクシミリアヌスも存在しない。ガプサの面々のそれぞれの技能を真佳は然程知らないが、それがヤコブスである限りにおいて、少々手荒なことになったとしても何とか出来る自信はあるにはあった。

「話はまとまった?」

 小首を傾げて女が言った。彼女の首の動きに追従して、彼女のおさげも左へ揺れた。

「構わん。ここにいても埒が明かん。ただしこいつには俺も付き添う」
「いいよ別に。分かりきったことだったし、別に君を拒む理由はこちらには無いもの」

 真佳とヤコブスから三メートルは距離を取ったその先で、彼女は右手を友好的に差し出した。

「カ・ルメと言います」

 不思議な音だ、と真佳は思った。
「ヤコブス・アルベルティ」とヤコブスが短く名乗ったので、「真佳です」とだけ真佳は答える。ヤコブスが握手に応じる気配が無かったために、真佳もその場から動くことはしなかった。彼女は呆れたように、或いは諦めたように肩を竦めたらしかった。

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