「……いえ。私も、いきなりお邪魔して申しわけない」

 ということを、我ながら呆けた口調で口にした。まず謝罪が出るあたりこの時には冷静さを取り戻していたのかもしれないが、昔から外面を取り繕うのだけは得意だったのでさくら自身どうだったのか分からない。
 エルネストゥスが笑った。にっこりと。邪気の見えない笑い方。

「そんな大したものでも無いのだけれど、そうだね、気に入ってもらえるなら嬉しいよ。中に入るといい。子どもたちには、僕が招き入れたと説明しよう」

 いえ、別に。気になって寄っただけだったので私はこれで失礼します。
 ……と、口に出来たら良かったのだが、善意百パーセントしかないにこにこ顔を見ていると何故だか断る気が起きず、気が付いたら「はあ……」とさくらは頷いていた。
 少し考えてから、……まあ別に、無理に帰る必要も無いし、見つかってしまったからと言って何か困ることでもなし、ヤコブスの口にまた苦虫を放り込むことにはなるが……
 別にいいだろう、と思い直して、改めてさくらは頷いた。

「お手数でなければ、是非。ツリーハウスというのを目の当たりにしたことが無かったので、少し気になってしまって」

 上辺だけはきれいな笑顔を繕いながら、エルネストゥスを見上げて口にした。
 子ども用に作られているためにエルネストゥスが中腰のまま、さくらは膝立ちのままというのが、どうにも格好つかなかったが。


勇猛の星


 ヤコブスよりも少しだけ背が高いと評されていたエルネストゥスは勿論、小屋に入るためにはさくら自身も若干腰をかがめて進入しなければならなかった。子どもなら天井を気にせず遊び回れるであろうこのツリーハウスも、大人が入るとなると歩くだけで一苦労だ。

「どうぞ。残念ながら飲み物なんかは毎回子どもたちの持参制でね。おもてなしらしいおもてなしも出来ないんだけど」

 と言って、エルネストゥスは小屋の左奥にあるソファの一帯を示してくれた。座ってみると案外固くて、ソファと言うより木の椅子に申しわけ程度のクッションを設え、その上からシーツを被せただけのものだとすぐ分かる。しかし座ってみたら天井は案外高くて、頭を気にする必要がないことにほっとした。
 エルネストゥスがさくらの正面に座るので、さくらは少し驚いた。

「いいの?」
「ん? 何がだい?」
「窓の外。見ていたようだったから」

 ――さくらが小屋に入る前、小窓を覗いたときのエルネストゥスは、扉の真正面の大きな窓のすぐ傍ら、つまり今さくらが座っているソファより扉から向かって右側の位置に座していた。そこにもシーツの敷かれた、背もたれの無い椅子みたいなものがあって、エルネストゥスは窓に右半身を預け、もたれるように窓の外を見ていたのである。別に熱心にそこだけを見ていたわけではなく、時々視軸をよそへやったりしていたから、必ず見ておきたいものがあったわけでも無かったのだろうが……。

「ああ、いや、うん」

 と、エルネストゥスは照れくさそうに口にした。

「子どもたちを目で追っていたんだ。秘密基地でじっとしているような子たちでもないから、秘密基地が見える範囲の場所でしか遊ばないこととだけ言って放置はするようにしてたんだが、どうしても気になってつい」

 そうして、笑うついでに照れているのを誤魔化すみたいに頬を掻いた。まるで子離れできていなことを恥じているようにも見える振る舞いだったが、やっていることは子どものお守りに他ならないのではないか、とさくらは思う。

「恥じること? 面倒見がいいだけでしょう」
「僕は一応この村を出て、彼らのお守りから離れた身だからね。本来なら今の年長者が彼らの面倒を見るべきなのに、年長組の仕事を奪ってお守りのようなことをやっている。僕のことを知らない子どももいるだろうに。そういう子からして見れば、よそから突然やってきた癖に年長者よりも偉ぶった口を叩く、赤の他人にしか見えないだろう」

 そう言って自嘲気味にエルネストゥスは笑った。聡い人だとさくらは思う。或いは、感覚が子どもに似通ったままだと言えるのか――これは語弊があるけれど。
 ともかくエルネストゥスは、自分本位でなく子どもの視点で思考を結ぶことが出来る稀有な青年だ。と言ってもそう悲観することも無いのではないか。今の年長者にしてみれば、子守りを代わってくれる大人が現れて、その間自分は好きに遊べるのだとしたら、それほど楽しいことも無い。エルネストゥスになら、年少者だってすぐに懐くような気もするし。

「自己紹介がまだだったね。僕はエルネストゥス。あの村の生まれだが、今は首都の教会に勤めている。村に枢機卿がいらっしゃっていることは耳にしたことがあるだろう? 彼のお付きを賜った。と言っても、僕に特別な才があったわけではないから畏まらなくても大丈夫だよ。ただ運がいいだけで、そこは神に感謝すべきだが」
 やっぱりそうだったか……と思いながら、さくら自身も口にした。「……サクラです。察しはついているようですね。あの村に今現在滞在している、旅人だと」

 ――初対面、さくらが何か言う前に異界語で話しかけられた。真佳と先に会っていて、その時何か言われたからだろうか。異界語を話すことに躊躇が見られず、恐らくこちらの身分も分かってのことだと推理した。

「小さな村だからね。噂もすぐに村中に回る。旅人が何組かは聞いていなかったけれど、何となくね、マナカと雰囲気が似ていたものだから」
「それだけで? それだけで異界語を口に?」
 重ねて問うと、逆にエルネストゥスが少し驚いたように目を瞠った。「そんなに驚くことでも無いだろう? この国の人間は、大概が公用語と異界語が達者になるよう育てられているはずだろう。どちらを使っても通じるのなら、どちらかに懸けるのに手間が要るかい?」
「…………」

 ……そういうものか。と、さくらはとりあえず納得しておくことにする。五百年前にやってきた異世界人に今度いつ会っても失礼が無いようにとどちらの言語をも躾けられてきたこの国の事情を、まださくらは肌で認識できていない。

「むしろ、君たちのように片方しか話せない人のほうが珍しいが……いや、これは流石に言い過ぎだね」真正面に座る青年は、そう言って肩を竦めて訂正した。「教育に十分な時間を割けない厳しい大地の生まれは一つの言語を駆使することで精一杯だと聞いている。異世界人に敬意を払うことに疑問を持つ貴族たちは、そもそもまともに異界語を習ったりはしないとも。五百年という時間は国土からすれば短いはずなのに、随分時勢も変わったものだ」
「……まるで五百年この国を見守ってたみたいな言い草ね」
「そう見えるかい? なら僕も、あのころよりは随分大人になったんだろう」

 と言って眉をハの字にして力なく笑った。情けない微笑にも取れたし、何かを諦めてきた男の微笑にも感じられて戸惑った。
 今目の前にいるのはエルネストゥス……で間違いない。自分でそう名乗ったし、容貌だってヤコブスの言ったとおり寸分も違いはしなかった。……でも多分、ヤコブスの言うエルネストゥスとも違うんだろう。ヤコブスが見ているエルネストゥスはきっと少年だったころのエルネストゥスで、今現在、きちんと腹を割って話したことが未だ無いんじゃないかと思われた。

「それで、旅人の君がどうやってこんな奥地にたどり着いたのか、聞いてもいいかな。森に迷い込んだ……わけでは無いよね。だとしたら君がここに無事到着したのはとてつもない幸運だ。ソウイル神の導きと言える」
「えーっと、一応……痕跡を辿って」……暇だったので、とは言いづらい。「村の人たちが入っていくのを毎日見てたので、どういうところがあるのだろう、などと……」

 行動の一番のきっかけを抜かして言葉にすると、想像以上に要領の得ないふにゃふにゃした答えになることに気付かされた。まるで考えなしの小娘の言動だ、と自分の軽はずみな行動に今更目眩がしたりする。過剰な余暇は人にろくなことを考えさせない。

「成る程、つまり暇だったんだね」

 ……人と話すの苦手かこの男。
 飽くまで邪気なく明るく朗らかに言い切る男を前に前言撤回。やっぱりヤコブスはちゃんと今のエルネストゥスを見て鬱陶しがっているようだ(というのを真佳に近寄らせようとしなかったことから推理した)。

「でも驚いたよ。まさかそんな痕跡だけでここまでたどり着いてしまうなんて。彼らも馬鹿じゃない、大きな痕跡を残すことは無かったはずだ」
 そうね、とさくらは首肯する――「畑や秘密基地が出来てすぐのころだったら見つけ出せなかったかもしれない。長い年月は人に油断というものを生ませるの。気になるのなら、知らせておいたほうがいい」

 一応忠告の意味でそう言ったのだが、「畑の存在まで!」とエルネストゥスは驚きの声を上げただけだった。子どものように注意があっちへこっちへ行く人だ。

「そんな驚くほどのことでも無い。見ていたらそれぐらいのことはすぐに分かる」

 気恥ずかしくなってわざと仏頂面でそう言うと、「そうかい? 君の観察眼、随分凄いと思うけどな……」納得してないふうでそう言った。別に自慢をしたいわけでも無いのだから、必要以上に持ち上げられるのは据わりが悪い。

「……随分立派なツリーハウスですけど」

 だから無理矢理にでも話題を変えた。

「エルネストゥスさんが作ったんですか?」
「うん、もう随分前にね。最も、僕らは作ったって言うより手伝っただけ、作ったのはそのときの年長者で――」そこでふと思いついたみたいに音を立ててくすくすと笑った。「――ああ、いや、ごめんね。こういう話をつい最近もしたなあというのを思い出して」
「つい最近……?」
「ヤコブスとマナカと、それから枢機卿と香茶を囲んだときの話だよ。その時にも秘密基地の話になった」
「ヤコブスと……」
「そう。作ったのは僕とヤコブスを含めた、その時の子供全員でだ」

 改めて、ぐるりと周囲を見回した。六畳にも満たない小さな小屋で、家具らしき家具は今さくらやエルネストゥスが座っているソファーもどきと、それに挟まれた多分古くなったのを譲り受けたらしいローテーブル、窓際の椅子、それくらいのものしかない。あとは各々子供らが持ち込んだらしいガラクタにしか見えないものや、この村の地図、何に使うのかも分からない世界地図。外から見たポスターは何だったんだろうと思ってよく見てみると、文字は読めないもののどうやらそれは教会が発行している第一級魔力保持者をまるで英雄のように讃えている類いのものらしい。随分前のものなのか、それとも扱いが雑だったのか、四隅が大分ぼろぼろで、ついた折り目のあたりの印刷が剥げているのが印象的だ。決して色鮮やかなものでは無いのだが、何故だろう、この“秘密基地”では一番強く目を引く何かがある気がする。

「その時の創立者の、年長組が張ったものだね」

 と、エルネストゥスはさくらの視軸を見て取ってから口にした。擦り切れた写真だが、あの特徴のあるライオンのたてがみみたいな顎髭は……。

「マクシミリアヌス・カッラだよ」

 本来ならばエルネストゥスの口からは出てこないだろうと思われていたその名前を聞いたとき、何故だかぞっと、胃の腑が凍った思いがした。さくらの変わった反応に気付いたふうもなく、ポスターから一度視軸をこちらに向けて、エルネストゥスが微笑した。

「彼も今、この村に来ているんだろう? すごい偶然にびっくりしたよ。まさか戦争の英雄と、自分の故郷でまみえることになるなんて!」
「戦争の英雄……?」

 マクシミリアヌスは最初のころ、枢機卿に会いに村長宅へ行っている。そのときにエルネストゥスと、もしくは(さくらはまだ今回はお目にかかってないが)ルーナとも顔を合わせている可能性があることを、さくらはそのとき意識した。
 意識して、それから次に、その単語が引っかかった。“戦争の英雄”――。

「あれ、知らないのかい?」

 と、むしろ意外そうにエルネストゥスは口にする。「彼も教会にいるのだから、当然のようにもう顔は合わせていると思ったよ」と付け足しながら。

「十八年前に終わった戦争のことは、無論知っているだろう? その終戦間際、最も活躍した第一級魔力保持者が、他ならぬこのマクシミリアヌス・カッラだよ。彼のおかげで生き残った民も壊滅を免れた村もあるという専らの評判でね。僕はその時たしか二十くらいだったけれど、凄い人もいたものだと感心したものだ。彼は、当時……たしか二十四くらいだったかな。自分とあまり年齢が変わらないのに、市民からの信頼が厚く、立派に兵士をやっている。彼がいるならきっとこの戦争は勝てるとみんなに思わせる、それはすごい人だった」
「…………」

 マクシミリアヌスのそういう評価を自分たち以外から初めて聞いて、正直なところ驚いた。第一級魔力保持者として一目置かれたり、属性が火炎だということで重宝されているらしい場面はたびたび目撃していたが、能力じゃない、彼の本質を大衆的目線で褒め称えた人を見たのは初めてのことであったから。

(そんな有名人だったのか……?)

 さくらには正直実感が無い。マクシミリアヌスの周りに人集りが出来たり、道行く人々が物珍しげにマクシミリアヌスに視線をやったりというシーンを直接見ていないからだ。……いや、思い返してみればちらほらとそういう場面はあったかもしれない。人集りと言うよりは子どもの集まりだったし、物珍しげに遠くのほうからマクシミリアヌスを観察していると言うよりは、気さくに声をかけられていたくらいだが……。全部教会の人間だからという、それだけの理由だと思っていた。
 思えばさくらはまだ、直接的にはマクシミリアヌス自身の戦いをこの目で見てみたことがない。

「あの紙は、そのカッラ大尉――今ではカッラ中佐だったね――を広告塔とした宣伝だよ。第一級魔力保持者優遇、君もカッラ大尉とともに神命を果たそう――みたいな内容の、まあ募兵広告と言うかね。ありきたりな内容だったけど、カッラ中佐が広告塔に立ったのとそうでないのでは随分人数が違ったという話だ。それでこの国の第一級魔力保持者は、ほとんど教会側についたらしい。まあ、聞いた話で本当のところはどうかは分からないけれどね」

 と言って、誤魔化すように右肩を竦めて微笑んだ。改めてエルネストゥスからくだんのポスターへ視軸を投げて、……ふうんとさくらは吐息する。全体的に緑めいた印刷の中で、当時のマクシミリアヌスがしゃちほこばった顔で敬礼(つまりこの国の、左胸に右拳を当てる方法で)して、そのままを数秒維持していたのに待ちきれなくなったみたいににかっと笑う、そういった記録映像が目立つ場所に枠で囲われて載っている。記録映像を残せるのはマギスクリーバーくらいだと聞いているが、教会から発行されたとあらばそれも可能だろうと納得できる。むしろ、一ポスターにそこまでの労力をかけるほど、第一級魔力保持者を求めていたのだという熱意を感じた。

「当時の年長者が宝物でも見せるみたいにあの散らしを広げたとき、喝采が上がったものだ。まさか英雄の映像記録入りの散らしがこんな片田舎に回ってくるとは思わないじゃないか! 僕たちは散らしの存在すら知らなかったが、ちょっとした用事で都会に連れて行かれたというその年長者から聞いた話はどれも夢のようなものだった。カッラ大尉が演説をしている場面に出くわして、その演説を耳にしたことを聞いた。最後の締めが格好良かったと言って、何度も語っていたから覚えてしまった。“ソウイル神の血脈が流れたこの地を我らが不動のものとする。共に血族を護ろうじゃないか!”」繕って張った声で口にして、エルネストゥスは苦笑しながら頬を掻いた。「まあ、僕には似合わない言葉なのだけど……」
「そのときにもらった散らしがあれ、と」
「ああ、大事に大事に折りたたんで持って帰ってきたんだと言っていた。この秘密基地に飾るのに丁度いいとね。誰もカッラ大尉に尊敬の念を抱いていない子どもはいなかったから、勿論一番いい場所にあの広告は飾られた」

 それから数十年、エルネストゥスがこの村の年長者の立場を越えていい年をした大人になるまで、ずっと飾ってあったというわけか……。道理で散らしの色も飛ぶはずで、今では文字はほとんどのものが判別できず、ただマクシミリアヌスが枠内で動く様だけが、まるでそこだけ過去と繋がってでもいるかのようにくっきりとした彩りを残している。マクシミリアヌスの威光を今でも讃えているかのように。

「今のマクシミリアヌスはどうでしたか?」

 彼はさくらのマクシミリアヌス呼びに特に違和感を持たなかった。或いは、言及しなかったと言うべきか。ポスターに視軸を据えながら、きらきらとした眼差しで。

「ああいうのを英雄衰えずと言うんだろうね、威光の圧が凄まじく、まさしく当時僕や僕の周りの人間が思い描いていたとおりの、彼は間違いなく勇猛の星で、救世主だった」

 TOP 

inserted by FC2 system