午前一時二十八分、漸く真佳が眠気眼でしょぼしょぼとベッドから起き出した。「うー……うー……」とゾンビみたいな声を上げて、もたもたと掛け布団を押し上げてベッドの上にぺたんこ座りをしたまま停止。ここからベッドから降りるまでさらに時間を要することを、さくらは十分承知している。
 毎度のことながら、よくそこまで睡眠に時間を割けるものだとさくらとしては感心するやら呆れるやら。実は今日、昨夜ヤコブスと会話したとおり、さくら自身もそのくらいは眠っていようと一応努めはしたのだが、ガプサの首領に言われたとおりどうしても惰眠を貪ることが出来なかったのだ。普通に目が冴えて二度寝が出来ない。窓から差し込む太陽光は意気揚々と輝いているし、世界は陽の気で溢れているし、無理に目を瞑ってもどうしてもそれらのものに邪魔された。結局馬鹿馬鹿しくなって起き上がって時間を確認すると、いつも起きている時間より五分くらいは遅かった。

「……うー……」

 ベッドの上に座り込んだまま目を両手でごしごしやる真佳の頭は鳥の巣みたいにぼさぼさだ。もともと癖っ毛なのをそのまま流してウェーブみたく繕っているので、櫛を入れない起きぬきはいつもこういったことになる。もっと手入れを加えてストレートに近付けるんだという気概は今のところ真佳からは感じられない。と言って、ストレートヘアの真佳を想像できるかと言われると、さくらも首を傾げるのだが……。
「う……」ごそごそという音がして改めて意識を傾けると、驚くことにまたベッドに潜り込もうと画策していた。

「ちょっとちょっと、夕方まで寝る気か? 起きたんでしょこのまま起きなさい」

 掛け布団を引っ張ると「ウワー」寝起きの弱い握力で握られていたのだろう、布団は無事さくらの腕に収まった。顔がほとんど見えない髪の毛の塊が一言、「起きてないモン……」夢の狭間を彷徨っていそうな夢見心地の声で口にする。

「起きてるわ。そういうのを起きてるって言うの。折角起きたんだからもう寝るのはやめて、顔を洗ってきなさい。髪に櫛も入れること。いつもに増してひどいわよそれ」

 掛け布団を二つに折り畳みながらそう告げた。また掛け布団が九十度傾いていた。真佳は寝起きだけでなく寝相も割合悪いのだ。

「何もすることないモン……やだア……」
「だからって一日中寝てるわけにもいかないでしょうが。ほら、起きる!」

 未練がましく敷布団に蹲る真佳の背を平手で叩き、ベッドの上から追い出した。

音無プランゾ


「鬼だ。阿修羅だ。鬼畜だ」
「“お昼ご飯に間に合わせてくれてありがとう”は?」
「……お昼ご飯に間に合わせてくれてありがとう……」

 不承不承といった感じで、さくらの言ったことをそのまま真佳は口にした。フォークで突き刺した野菜を口に入れて、もっしゃもっしゃと不貞腐れたように噛み砕いている。寝起きはすこぶる悪いながらも、ご飯を食べているうちに機嫌が戻ってくるというのが真佳のよくやる行動なので、その点についてさくらは考えないことにした。
 さくらの世界では、たしかフジッリと言われている――ねじれたショートパスタを濃厚でとろみのあるトマトソースに絡めたパスタが一品。アクセントにトマトの果肉が入っているのが絶妙に食欲をそそられる。どうやらこの国で“トマト”に該当する果実に酸味らしい酸味はほとんどなく、トマトらしい甘さのみを抽出したものがこの国に出回っている果実なのだと、二ヶ月の時間を経て漸く理解出来てきた。
 あとはフィッシュフライ二切れとサラダ。どちらもスカッリアでは見慣れた定番メニューで、タルタルソース(らしきもの)もドレッシングもどうやらこの村の自家製だった。サラダの横には、白っぽいチーズがスライスされて乗っている。お客に出す料理ばかり見ているのだから当然だが、この国で手抜きと呼ばれる料理に出くわした記憶がまるで無い。
 フォークにすくい上げたパスタをしげしげと見つめ、勢いよく口の中に放り込んだ後、難しそうな顔で咀嚼してからやにわに表情を明るくさせる――隣に座る真佳の挙動を横目で見ながら、本当に忙しない表情筋だなということをさくらはこっそり考えていた。この国のトマトは、どうやら真佳の口に合うらしい。昔夕食だか何だかで添えたプチトマトに酸っぱいものがあったらしく、口をすぼめて耐えていた真佳の表情を思い出してさくらも少し笑ってしまった。あの顔は本当に面白かった。

「今日は枢機卿のところへは?」

 機嫌が直ったのがあまりに明らかだったので、口の中のものを飲み込んでからさくらは聞いた。昼食時、基本的に食堂には人はいない。マクシミリアヌスやカタリナなど、落石撤去に付き合っている彼ら彼女らは勿論のこと、真佳との鉢合わせを避けるためかヤコブスまでもが昼食は部屋で食べるので。つまりこの食堂の中には、厨房に控えたシスター以外真佳とさくらしか存在しないということだ。

「うーん、考えてなかったけど、多分行く。暇なので」
「まあ、他にすることもないものね」

 と言ってさくらも惰性でパスタを口に放り込む。本当に、力仕事に加担していない自分たちが言える義理では無いのだが、全くここは時間の扱いが難解だ。まるで田舎に隠居生活に来たみたい……今の枢機卿の一時の宿としてはこれほど最適な土地も無いのか。一度、シスターの仕事を手伝わせていただきたいと申し出たこともあるが、人手は足りているしお客人にそんなことをさせるわけにもいかないのでと丁重に固辞されてしまった。シスターたちの側から見たら当然で、仮にも賓客、それもどうやら枢機卿の知り合いらしい人たちだという話になれば、それならと雑用を手伝ってもらうわけにもいかないんだろう。さくらとしては大いに困るわけなのだが……。

「……さくらも来る?」
「はあ?」

 さくらが一人物思いに耽っている間、じっとこちらを見つめ続けていたらしい真佳とばちんと目が合った途端、突然妙な提案を持ちかけられた。いや、妙というわけでも無いのだが……。今までそういう話になったことがなかったために、何やら胃の腑がむずむずする。

「私はいいわよ。別に枢機卿と接点があったわけでもないし。楽しんでるんでしょう? なら外は気にせず楽しみなさいな」
「そんなこと言ってぇ……面倒なことが嫌なだけでしょう」

 不満げにカップに口をつける真佳の発言はもごもごと聞き取りにくいもので、さくらはそれを幸いに聞こえなかったふりをした。面倒事を厭っているのは厭っているが、何もそれだけが理由で枢機卿を避けているわけではない――
 真佳と違って、さくらは教会より先にガプサの属性に会っている。教会は全幅の信頼を置いていい場所でないと、脳が待ったをかけるのだ。刷り込み、と言うとおかしいかもしれないが……さくらとしては、真佳よりかは冷静に教会を見極めようとしているに過ぎない。もし何かがあったとき、あちらから見えるこちらの弱点は少ないに越したことはない――。
 水を一口喉の奥底へ流し込む――無論、ヤコブスと違ってマクシミリアヌスのことは信頼している。もしものとき、頼るのならば教会ではなくマクシミリアヌスであるとさくらは確信を持っている。

「枢機卿に会うのなら事前に連絡をしておかなくていいの? そうしているところを見たことがないけれど」
「してないからね」

 ということをさらりと言われた。

「どうせ暇だし、いつ来てもいいって言われてるから。それに電話……というか、遠方通信魔術?みたいなものももらっていないし……枢機卿たちが持っているかも分からない。予約を入れるなら直接行って聞いてみるしかないし、そうすると百パーセント歓迎される」
 吐息してさくらは口にした――「暇だからね」
「そう、みんな暇だから」頷いて、もう一口真佳は水を口に含んだらしかった。

 枢機卿を含む教会を信頼していないとさくらは先程前述したが、やっぱり暇であることは変わりないので、こういうとき憂い無く遊びに行ける真佳が心底羨ましい。それにしても、仮にも国のお偉方がそんなフランクに客を迎え入れていいものかと心配しないでも無いのだが……――
 ……やめよう。
 米噛みに指先を押し当てながら吐息した。旅の同行者の心配をするだけでもいっぱいいっぱいなのに、外の人間を心配している余裕なんてものは無論無い。

「さくらはどうするの? 行かないなら」

 まだ恨みっぽく真佳が言ったので、「うーん……」さくら自身悩みながら、指の関節を顎に添えて呟いた。

「別に、やれることなら何でもあるわよ。聖書の続きを読むんでもいいし村を見て回るのでも……何でも、好きなことをするわ」

 嘘である。あまり長い間考え込んでいると、無理やりにでも枢機卿のもとへ連れて行かれそうな雰囲気だったので誤魔化した。
 まあ、でもそれもあながち間違いというわけでも無い。どのみち宿舎にいるのなら出来ることは限られているわけだし、結局今日もそうやって一日を過ごすのだろうという確信をさくらは持っている。
 ちぇっと真佳は不貞腐れたように舌を打つ。

「そんなに枢機卿のとこに行くのが嫌かあ……」

 呟いて、フィッシュフライを口に放り込んでいた。枢機卿“が”嫌なわけでは無いのだが……そこら辺を説明するとまた面倒なことが起こりそうだったので、さくらは否定しなかった。

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