「ところで、エルネストゥスはどうしてこんな時間にこんな場所に?」

 エルネストゥスがのろのろのろとおっかなびっくり木の枝から下ってくるのを、一足先に着地していた真佳は眺めながら口にした。降りてくるのを待ってからのほうが良かったかもしれない。返ってくる言葉は息絶え絶えで、枝を踏み外す心配のほうに随分意識が行っていた。

「え? 特にこれといって理由というのは無いんだけど……」

 そろそろと足場に最適な太さの枝につま先をつけて、一息。

「……ちょうど眠れなかったから、散歩していたというところかな。村に帰ってくるのは随分久しぶりになるしね。また出立する前に、しっかり村を見て回っておきたいというのもあった」

 一息ついたらまたそろそろと次の足場へつま先を移動させていく。そんなんでよく登ってこれたものだなと、真佳は感心するやら呆れるやら。

「そっか、色々知ってるんですもんね」
「まあ、村の外の人よりかはね」

 樹幹越しにへらっと笑ってみせてから、「わ、危ないな……」足場を定着させるほうに、また意識を持っていかれたようだった。
 エルネストゥスの話は未だに耳に残っているので、想像するのは随分容易い。さっきエルネストゥス自身が口にしていたように、川などのライフラインは勿論、もしかしたら村の貴重品を集めた倉庫なんてものがこの森のどこかに隠されているのかもしれない。エルネストゥスはそういうものの正確な場所を知っているから、見て回ろうと思えばいつでも見て回れるのだろう。それは村の宝であるから、真佳は積極的に暴こうという気は特に無い。

「あ、もしかして、子どもの遊び場とかも……」

 そういうところにあるのだろうか、と思い立って呟いたのだが、続く“そこにあるのか”という言の葉は真佳の胃の腑が消化した――まるで尋ねているみたいな言い方に聞こえないか、ということに、気が付いたからである。しかし音にしてしまったものは当然真佳には覆しようもなく、その肉声はばっちりエルネストゥスに聞こえてしまっていたらしい。

「遊び場というか、そうだね。大人がそうと決めたわけではないのだけれど、村にはご覧のとおり、面白いものと言ったら登れる木くらいしかないものだから、自分たちで勝手に遊び場を見つけてそこで日がな遊んでいたよ。ちょっと気になって村が隠している各所を探してみたんだけど、元気よく駆けずり回っていたから安心してくれていいよ。今ここにいる子どもは僕が村を出た後に生まれたか、そのときにはまだ生まれたばかりの赤ん坊だったりだったから、普通に警戒されてしまったけどね」

 そうか、と腑に落ちたとともに、少し気になったこともある。

「……村全体で子どもを隠しているのだと思った」

 瓢箪型の変わった地形と教会からも隠された村、この意味するところがどこかからの侵略を警戒してのことだというのは真佳も薄々感づいていた――というか、それしか理由が見当たらなかった。子どもは村の宝である。で、あるのなら、その侵略者を想定して子どもも匿い続けているのでは……というのが、真佳の想像だったのだ。

「匿おうとしても匿いきれないだろうね。この村の子はいつの時代も奔放闊達だから、どこかに閉じ込めててもいずれはすぐに出てきてしまう」

 よ、と掛け声をかけながら地面に無事着陸して、笑いながらエルネストゥスは口にした。
 ふうん、そうか。本当に、単に遊び場所が村の中では無かったというだけだったのか。色々と考えを巡らせていた真佳としては、拍子抜けするやら何やら……。まあ、いつだって“事実は小説より奇なり”がまかり通るわけでもあるまいし、現実なんてそういうものか。子どもが事件に巻き込まれていなくて良かった、と考えるべきなのかな、ここは。
 ――と、いうようなことを考えていたのが顔に出ていたのか、エルネストゥスが「ふふ」と小さく微笑した。

「まだ何らかの陰謀を期待したかい?」

 ちょっと面白そうに口にする。エルネストゥスはこの村と、それからヤコブスの兄貴をやっているみたいな顔でいつも一歩引いた意見を言うが、こういうところはまるで成長を忘れた子どもみたいな顔をする。成長を忘れた、という意味では、ヤコブスもこういう類いなのかもなあ。
 取り繕おうと思ったが、ちょっと考えてやめにした。エルネストゥスの纏う空気が、あまりに気さくだったために。

「うーん、少しは。立地も不自然だったし、子どもはいないし何より教会から隠されている、そういう村なんだから何か不可解なことがあるんでないかと」
「はは、素直だね。でもその気持ちは分からないでもない。僕もロマンゾはよく読むほうでね」

 屈託なく口にした。ロマンゾ、というのは以前首都ペシェチエーロにて、マクシミリアヌスの買い物の付き添いで暇だったときに覗いた書店で見かけたことがある(……まあ、付き添いで、というか、真佳の旅支度の買い物だったので、どちらかと言うと主軸は真佳だったのだが……主導権は完全にマクシミリアヌスが握っていたのだから、付き添いということでもよかろう)。
 この国の言葉は、読む分には英語よりかは分かりやすい。文字で書いてRomanzo、ローマ字読みでそのまま読める。棚の中身から考えると、それは恐らく“小説”という意味だった。
 この国はそれほど豊かではない。首都や港町、富裕の街を経て、村中に入ったときに真佳はそのことに気が付いた。戦後から十八年しか経っていないのだ。それも仕方ないのだろう。主要都市はそれなりに見栄えのするよう整えられたが、そのほかの町には満足に梃子入れがなされておらず、まるで何世紀もの隔たりが地続きになってあるようだ。
 そういった理由であるために、この国では本というのは贅沢品の一つであった。教会から配られる聖書以外の書物を、果たして主要都市外の人々が手にしたことがあるかどうか……。
 だからエルネストゥスのその発言は、真佳にとっては意外なものだ。けれどもまあ、よくよく考えてみれば仮にも教会に属している身、趣味というほど読書に傾倒できるかどうかはともかく、手に入れる機会には恵まれているのか、と考える。たしか首都には図書館もあったはずである。真佳が読める言語で書かれた書物といえば、ほんの一握り程度ではあったが……。

「意外だ。異世界人のお話とかもよく読むの?」
「勿論。勉強事を除いて、一番初めに読んだ書物らしい書物がそういった類いの話だよ」

 手についた砂を払いながら、月光のもと微笑を浮かべてエルネストゥスが口にした。いつの間にか自分の話す言語から敬語が失われたことに気付いたが、エルネストゥスが何も口にしないので甘えさせていただくことにした……。エルネストゥスにはそういう、いつの間にか心を許してしまう不思議なところがあると思う。エルネストゥス自身に、気負ったところが一切無いことが理由だろうか。
 ただ、まあ、何というか。

「君も好きならおすすめなんか教えてほしい。図書館の創作小説はある程度読み終えてしまったし、教会に収蔵されている異世界人に関する文献も読み漁ってしまってね。ほかにもあるなら読んでみたいなあと思っていたんだ」
「んや、まあ、えーっと、あの……」

 めちゃくちゃ笑顔でちょっと突かれるとまずいところを的確に、ずいずい踏み込んでこられるのは、困りものと言えば困りものではある(まあ、今回ばっかりは異世界人の単語を簡単に切り出した真佳の過失で違いない)。

「……私も、図書館の本くらいしか読まないからなあ」

 結果物凄く明後日の方向を向きながら白々しく口にすると、しかし気付いたふうもなくエルネストゥス、

「そっか、まあそうだよな。図書館の本くらいしか、気ままに読める本は聖書以外には見当たらないものね」

 とても難しそうな顔で得心した。扱いやすいのか扱いにくいのか微妙に真佳には分からない。まあ、いい人なのは間違いないので、それはそれで別にいいのだけれど。
 空になったハンカチーフを小脇に挟み込みながら、じゃあ、と真佳は口にした。

「付き合ってくれてありがとうございました。いい息抜きになりました」
「敬語に戻ったね」ということをほんのちょっぴり意地悪く言われて、真佳は微妙に笑顔を凍らせた。い、今そこを言うのかよ……改めて言われたら恥ずかしいだろうが……という。

 エルネストゥスがくすくす笑った。「冗談だよ」と口にした。

「僕も、いい息抜きになった。僕らがお供しているのは枢機卿だろう? 国で二番目に偉い人間を相手にしているとなると、否が応でも緊張してね」

 それであっけらかんと破顔した。真佳はそれを疑わしく思っている。枢機卿とエルネストゥスが会話しているのをこの前の茶会で見たことがあるが、今とそう変わらなかったように思うので。確かにあの時は隣にヤコブスもいたとはいえ。

「また気が向いたら枢機卿とお茶の席を設けてくれるとありがたい。あの人に君の話を振るとね、“さて、毎日来てくれる義理は無いからね”とは言うけれど、その実この時間帯にこそは君が来やしないかと、ちらちら時計を眺めながら今か今かと待ち望んでいるんだよ」

 そう言って内緒事みたいにふふっと笑った。まー……そう言われると照れるやら赤面するやら……。会う人会う人真佳に枢機卿の相手をしてあげてくれと勧められるが、その枢機卿の相手をする真佳が何の地位も資格も無いただの凡人だということを、みんなきちっと理解しているのかどうか。

「多分また行くよ。暇だしね」

 しかしまあ、あの時間は決して苦痛ではない故に、こう答えるしか無いのだが。

事のすべては罪のない玉突きゲームに始まった

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