「最初はこの村も、正規の教会を招じ入れていたんだ」

 と、エルネストゥスは幹の向こうから口にした。

「僕が二十一か、二十二のころだったかな。えーっと、今から十八年前になるから、うん、ちょうどそのころだ」

 ……随分年を食っていたんだなとこの時真佳は初めて知った。ヤコブスと同年代のように話していたのだから、よく考えたらそれで当然だったのだ。

「よく覚えているんだ、その頃のことは。――きっと、この村の人間全てが、鮮明に覚えていることと思う」

十八年前の切り口


 ――昔、この村はまだほんのもう少しだけ南にあったんだ、と、エルネストゥスは発話した。
 どこにでもあるのどかな村で、首都や南町へ続く主要な物資の配給ルートから外れてはいたものの、何の苦痛も無い細々とした暮らしだった。不満があるとすれば生活の変化が無いことで、もう少し幼い時分には首都に行ってみたいと思うこともあったものの、その頃のエルネストゥスにはその退屈も既に日常の一部と化していた(それがいいことなのか悪いことなのか、僕には判断はつかないけれど、と、エルネストゥスは付言する)。

「そのとき世界は戦争というものをやっていたが、それもここでは遠い世界のことだった。何せ敵国に狙われるような物資も無い、人もいない、そんな村を滅したところで、スカッリア国には何の痛手にもならないからね」

 その当時の戦場はほとんど敵国と近い場所にある南町、今で言うスッドマーレあたりのことで、そこが陥落しない限りは少なくとも危機感を持つことはなかろうと、大人たちは高をくくっていたし、子供たちは戦争ごっこに夢中であった。

「けれど関係の無い事柄なんて、きっとこの世には無かったんだ」

 どこから入り込んできたのか、南町という城壁を這々の体で乗り越えてきた敵国の小隊が、よりにもよってエルネストゥスらのいるフォスタータに迷い込んで来てしまったのだ。ほかの村は見当たらなかったか、或いは城壁があった都市だったか何かできっと押し入ることが出来なかったのだろう(その当時はまだ、都市と呼べるものが今よりずっとあったんだ、とエルネストゥスは付け足した)。食料も何もかも底をついていた彼らは生きることに必死で、必死過ぎた。きっと敵国を落とすことよりも、食料を得ることのほうが彼らにとっては重要だったのだと思う、と、エルネストゥスは口にした。

「ひどい有様だった。僕らが気づいたころには、既に村には火が放たれていた。明らかに倉庫と分かる家屋以外を、彼らは根絶やしにしようとした。どうせ敵国の小さな村だからと、無論彼らは思ったろう」

 ――その言葉には、自分も同じ立場だったらきっと同じことを思うだろうという正直な響きがあったと思う。エルネストゥスは彼らの行いをどうやら否定しなかった。ただ事実のみを語るその口に、真佳は高い位置に広がる星の海を仰ぎ見る。幹の向こう側にいるエルネストゥスの、語るその唇と表情の変遷を想像しながら。

「僕らは何かが焦げる臭いで漸く事態に気が付いた。力のある男たちが彼らを取り押さえようとしたけれど、戦い慣れた彼らと、ちょっと喧嘩が出来るだけの村の男とでは分が悪過ぎた。それに、そもそもその時にはもう、一人二人取り押さえたくらいじゃどうにもならない状態になっていたんだ」

 ――ぱちぱちと爆ぜる炎の音と、視界を覆う黒煙。木材や家具が燃える煙たい臭いが鼻をつき、みしみしと何かが軋む音がする。炎の壁に阻まれた向こう側で、倉庫に群がる異国の男たちの姿。炎風が頬に吹き付けて、その日は夜なのに随分と辺りが熱かった。
 エルネストゥスの語る言葉は正確だ。正確に、その当時の情景を真佳の心の芯に刷り込んだ。
 ――ああ、思い出した。
 この村にやってきた当時、微か、ほんの微かにだけど――
 何かが焼け焦げたような、妙な異臭にぶつかった。

「教会は随分無力でね」――言った言葉には、苦笑みたいな憐れみすら含んだ何かが混ざり込んでいる――「治安部隊関係者でもない、ただの聖書従事者だ。出世も何も期待できない片田舎で村人たちに教えを説くだけの生活を送っていた彼らに、異国の彼らをどうにかできるわけもない。外敵なんて、野生の獣くらいなものだったからね。武器らしい武器も当然、この村には存在しなかった」

 それで――
 当時の彼らはただ燃える家と、貯蓄していた食糧を詰め込み逃げ行く男たちの姿とを、何も出来ないまま見送った。男たちが去った後も、村の人間たちは鎮火作業に精を出すことも出来なかった。ただ自分たちの無力さと、平和にあぐらをかいていた愚かしさとを噛み締めながら、焼ける臭いを嗅いでいた。

「それで教会が信じられないって……?」
「まさか。村人たちもそこまで馬鹿じゃなかったさ」

 と、エルネストゥスは口にする。自分もそこで同じ体験をしておきながら、随分他人事みたいに気軽に口にするんだな、と、真佳は少し考えた。或いは、彼は――“彼ら”はもうずっと前から、そういった自らの受け入れるだけだった怠慢を、乗り越えているのかもしれないな……。

「教会を信じないんじゃなく、全て自分たちで何とかしようと考えたんだよ。それまでの見晴らしの良い場所じゃなく、森の中に村をつくり、万が一侵略されたとしても大勢では来られない地形に村の形を整えた」
「あ……」

 あの入りにくい瓢箪型の地形は、そういう意味合いがあったのか。どこかからの侵攻を想定されているとしか思えないとは思っていたが、まさか本当にそういった意味があったとは。

「川の場所も隠したし、ほかにもいろいろ……」

 とそこで言葉を濁し、いや、とエルネストゥスは言葉のレールを切り替えた。

「全て話してしまうのも村の人たちに悪かろう。すまない。気を悪くしないで欲しいんだけど、一応君も部外者の一人には変わらないから」
「あー、そこは気にしないでください。流石に話してもらえるとは思ってないので……」

 まさか正規の教会を入れていない理由がそういうことだったとは。ここの村人たちは、どうやら真佳が思っていた以上に逞しく、そして、生きる力に溢れている。誰が決めたのかは知らないが、あの長老が今も村人たちに尊敬される長老の地位である以上、彼が何らかの形で人々を導いてきたのにはきっと間違いは無いだろう。
 いい村だ。
 枢機卿がこれを知っているのかは知らないが、もし知っていたのなら……そうだな。
 この村を教会に引き渡すなんていうことは、きっとしようなんて思わない。

「でも、エルネストゥスは外に出て正規の教会に入ったんだよね」

 村の気質と相違していることを不思議に思って、真佳はよく考えもせずに口にした。エルネストゥスにはそういうところがある。こちらが不思議と、いつの間にか気を許してしまうような。

「うん、村の中だけにこもっていても、自分たちに出来ることには限りがあるだろう? ならこうして外に出て、また村の新たな力になれたらいいなと思ったんだ」

 ――エルネストゥスは立派な人だなと考えた。我欲というのがまるで無い。エルネストゥス含め、みんなこの村のためにと身を粉にして働いているのか。教会に入るのもそう容易いことでは無かったろうに、出世欲というものとエルネストゥスとは驚くほどに無縁であった。
 ……あれ、でも……。
 さっきの話の中で、解消されなかったことがある。

「ヤコブスが外に出たのも、同じことが原因だって言ってなかったっけ」
「ああ、そうだよ。この事件があってから、ヤコブスはひっそりと村から姿を消した。一人、女の子もいなくなっていたから、きっとヤコブスと一緒に出たんだろうと思ってる。彼女はヤコブスに随分懐いていたようだから」
「ヤコブスが外に出た原因は……エルネストゥスは知らないの?」

 白っぽい沈黙が流れた。エルネストゥスはそれが何を意味しているか、よく分かってない風だ、ということを、真佳はその沈黙の中で理解する――。

「だから、あの事件が原因だろう? ほかにそれらしい事件は、あの時分には無かったはずだ。きっとあいつも、見識を深めるために外に出て……村の役に立とうと考えているんじゃないかと、僕はそう思っているけど。まあ、何も言わないんだけどね。素直じゃないからなあ、あいつ」

 ……成る程、エルネストゥスもそこら辺の詳しいところを聞かされたわけでも無いらしい。真佳としては、あの鉄面皮で排他的なきらいのある男がそんな殊勝なことをするだろうかとつい勘繰ってしまうのだけど、エルネストゥスからして見たら多分それが真実なのだ。ヤコブスだってワンチャン、この村をちゃんと仲間として見てる可能性も無きにしもあらず…………。
 いや、絶対に仲間としては見ていない。寧ろ疎んじているし、見識が深まったところで絶対村には帰って来なかった。これまでのヤコブスの色々を思い返して、強く思い直す真佳である。
 でも、エルネストゥスの言うとおり、ヤコブスが村を出たのがその事件があった直後であるというのなら、それが原因であったというのでほぼほぼ間違いないのだろう。ヤコブスがそれで一体どのような思いを抱いたのか真佳は知らない。それで教会嫌いが発露したというのも、無理やりすぎる気もするし。
 何にせよ、ヤコブスの詳細が分からなくてほっとしている自分がいた。真佳の秘密をほじくり返してこない以上、ヤコブスの過去を詮索しないという決めごとは、今でもひっそり生きている。
 これ以上ヤコブスの話を続けたくなかったので、わざわざ真佳のほうから別のことを口にした。

「枢機卿には、そのことは話したんですか?」
「正規の教会がいない理由かい? 僕は話していないが、村長が代わりに話してくれた。僕とルーナもそれに同席をしていたから間違いないよ。その上で下ったのが、あの寛大な措置というわけさ」

 どこか自慢げにエルネストゥスが口にしたのが印象的だった。この村の村長もだが、皆枢機卿の行いを、まるで己の功績のように声高々と語るものだ。ソウイル教に誇りを持っている者は、という意味だが。卑下されるよりはずっとずっと気持ちがいい。

「話してくれてありがとうございます」
 エルネストゥスは少し笑ったようだった。「眠れない夜の暇つぶしなったのだったら、これ以上光栄なことはないよ」それを受けて、真佳も少し微笑した。

 木の葉の影の隙間から、ちかちかと瞬く星を見た。これはおべっかでも何でもなくて、ただの一つの真実として。吐息混じりに口にした。

「この村が、前より好きになりました」

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