“崇敬”


「枢機卿、お待たせしてすみませんでした。ただいま連れてまいりましたよ」

 気軽に言って開いた扉の向こうに村長の姿がまず見えて、真佳は少し居心地が悪くなりながら会釈した。三日連続でお邪魔することになるなんて、今回ばかりは真佳の意思では無いけれどあまりに図々しすぎだと自分で思う。構いませんよという具合に頷いてくれた村長の優しさが心に染みた。続いて訳知り顔で笑ったので、前言撤回、優しさはありがたいにしても、相変わらず枢機卿目当てと思われているようで複雑な心境に陥った。

「おや!」

 驚いたような声がしたので、自然意識がもう少し手前に吸い込まれる。エルネストゥスの長駆で見えなくなっていたが、いつもの(という言い方も複雑なのだが)テーブルに座しているのは、間違いようもなくデ・マッキ枢機卿だ――隣でヤコブスが、真佳にしか聞こえない音量で舌を打つ。

「君も来てくれたのかい。今回はエルネストゥスくんの友人が見えるという話だったが」
「僕の友人の、更に友人だったのです。友人が彼女も是非にと言ってくれたので、一緒にお連れしました。お知り合いだったんですね!」(誰が是非にだと隣でヤコブスが毒づいた――)。
 枢機卿は頬を笑みの形に綻ばせて、「昨日少しお茶をしていた時間があっただろう。その時の客人だよ、彼女は。また話がしたいと思っていたから、その心遣いはありがたい」

 枢機卿自らが立って皆に椅子を勧めようとするので、慌てて椅子を引いて腰をおろした。多分ヤコブスは枢機卿の対面でないほうがよかろうと思ったので、枢機卿の真ん前に。エルネストゥスが枢機卿の隣に座り、ヤコブスが真佳の隣に座する。枢機卿は今日も、足が揃っていない使い古された椅子に腰をおろしたようだった。

「ヤコブス・アルベルティ。会わせたいと言っていた友人です。この村の出で、田舎にはよくあることですが、兄弟みたいなもんでした。大分前にこいつが村を出ていったので、そこから二十年くらいは音信不通だったんです」
 エルネストゥスがヤコブスを紹介する様を、枢機卿は隣で興味深く聞いていた――「成る程。随分長い間会っていなかったんだね。またこうして出会えたのは神の思し召しと言うよりほかない」
「はい、僕もそう思っていたところです。だから余計、枢機卿に会っていただきたかったのかもしれません」

 村長がどこからか真佳のカップを持ってきて、昨日と同じ色の香茶をポットから注いでくれていた。真佳らが着く前にほか三人分のカップは既にセットされていたのだが、真佳が急遽メンバーに加わったことでカップが一つ足らなくなっていたのである。ありがとうございますと村長に聞こえるくらいの小声で言って、カップの縁に口をつけた。この村の香茶が、真佳は決して嫌いではない。

「その彼が、まさか君と知り合いだったとは。数奇な運命もあったものだね」

 枢機卿がそう言ってこちらに視軸を向けたことに気が付いていた。どことなく声が弾んでいる気がする。この老人は、見た目からではとても想像が出来ないくらい時に雄健で精力的だ。

「二人とも、教会の部屋を借りているんだろう?」

 エルネストゥスがヤコブスと真佳、双方に向かって口にした。

「そこで出会ったのかい? 三組の旅行者が偶然こんな辺鄙な村で過ごすなんて、それこそ奇跡としか言いようがないけど……」
「道中たまたま知り合っただけだ。落石で立ち往生していたので俺がこの場所を教えた。親しいわけでも無ければ、友人や知り合いとも口に出来まい」

 ……真佳は、少し驚いた顔でヤコブスの横顔を見つめていた。意外にも真佳を庇ってくれるようなことを口にするので。例えばヤコブスがガプサであることがバレたとき、落石現場で知り合った程度の女なのだから真佳は無関係も同然だと主張すればそれを二人は信じるだろう。
 何だかんだでお人好しなのだな、と言うと、怒られるだろうか。ヤコブスは自分のコミュニティと、せいぜいさくらくらいしか優遇しないものだと思っていた。

「そうなのかい? ヤコブスが君と一緒ならと言うものだから、もっと特別な関係だと思っていたのだけれど」

 エルネストゥスに不思議そうに顔を覗き込まれて「や、まあ……」咄嗟に曖昧な返事と空笑いとで誤魔化した。視軸をそのまま助けを求めて真横にシフト。素知らぬ顔のヤコブスが涼しげに香茶に口をつけている場面を目撃させられただけだった。……そーゆう嘘を吐くのなら事前に打ち合わせしておけよ。

「ああ、首都では見かけなかったからね。君の旅の性質上……」少し喋りにくそうに枢機卿はしかつめらしい顔をして、咳払い。「教会関係者以外の道連れはつくらないものと思っていたから、少し不可思議に思っていたよ。村の手前で出会ったのなら、成る程、事情は汲み取れる」
「驚いた。彼女とは首都からの知り合いだったんですね」

 エルネストゥスが別の話題を拾ってくれたおかげで、真佳の旅の事情についての話題が取り上げられなかったのは幸いだった。真佳が異世界人であるということは、村長は勿論エルネストゥスにも今のところ素直に話すつもりは無い(……そういえば、香茶を入れてもらってから村長は姿を消している。きっとまた、聞き耳を立てることもなく奥の部屋にいるのだろう)。

「首都で一度話しただけだがね。昨日ここへ来てくれて、随分久しぶりに話が出来た」
「枢機卿にそんな交友関係があったとは驚きです。ご友人のご親戚とか、そういう間柄ですか?」
 枢機卿が少し言葉に詰まる間があった――「あ、ああ、それに近いと言ってもいいだろう」

 異世界人であるからこその交友関係とは口が裂けても言えないために、そういう曖昧な話に落ち着いた。真佳としても、助け舟を出せるくらい何か良い対案を考えていたわけでもないので。

「えっと……落石の撤去が終わったら、エルネストゥスさんは枢機卿……と一緒に、枢機卿のご実家……に行かれるんでしたっけ」

 無理やり話の方向を捻じ曲げようとしたら、つっかえつっかえの言葉になった。たしか、ルーナはそういうふうに言っていた。枢機卿のお供であるなら、きっとエルネストゥスも枢機卿と共に同じ場所に行くのだろう。

「そうだね、そういう予定になっている。そこからしばらく枢機卿のご実家の村でお世話になった後、枢機卿について首都に帰るつもりだよ」
「道中、しばらく一緒になるかもしれないね。そういえば、君たちはどこへ向かうのだっけ?」

 枢機卿に逆に話を振られてぎくりと貼り付けた笑顔が強張った。藪蛇だった。途中まで枢機卿と共に行くことになったら、真佳はいいにしてもヤコブスやガプサの面々が大変だ。
「……えーっと」ちらっとヤコブスに助けを求める意味で視軸をやったがまるでこっちを見やしない。我関せずで香茶の表面に面白くもなさそうな視線を送り続けているだけだ。薄情者! と思ったが、村の手前で会っただけ(という設定)のヤコブスが、真佳の行先に言葉を差し挟めるはずもない。

「……私はよく分かんなくて。旅のお供に任せきっちゃってるって言うかあ……方向音痴なのでぇ……」

 大変苦しい言い訳になったが、地の利の無い異世界人であることを考慮してくれたのだろう、枢機卿は納得してくれたらしかった。四人中三人が事情を察してくれているわけなので、無論この話が長続きするいわれもない。

「君がこの村に来られたことを、実は不思議に思っていたんだ」

 かわりに枢機卿が口にしたのは、真佳やさくらが枢機卿に対して思っていたようなことだった。考えてみれば、お互い知人の入れ知恵のおかげでようやっとこの村の存在にこぎつけたということになるのだから、真佳らが不思議に思うのと同じくらい、枢機卿が真佳らの存在を不思議に思って然るべきだった。ルーナにはしどろもどろの返答で見逃してもらったが、昨日枢機卿が真佳に対してその点を聞かなかったのは……踏み込み過ぎないよう気を使ってくれた、ということか。

「エルネストゥス君のご友人の導きがあってのことだったとは、流石に想像がつかなかったよ」
「……私も、ルーナからこの村の出身者が枢機卿のそばにいるとは聞いてたんだけども」ヤコブスのほうをちら見して、「それがヤコブスの知り合いだとは……とても……」

 というか、ヤコブスに友人がいたなどとはとてもとても……。一匹狼だし、どちらかというと頭としてグループの長を務めるタイプだと思っていたし、そこに並び立つ人間がいることを想像したこともなかったし。それがこんな対等な関係を持った知人がまさか実際に存在したとは。

「……何か?」
「いーえ、何も」

 そういうときだけ勘がいいというか何というか、半眼で問い質されたので努めて興味ないフリを装って白っぽい声で切り伏せた。枢機卿やエルネストゥスがいるからか、それ以上突っ込んで聞いてくることはしなかった。

「本当に変わってないなあ、ヤコブスは」

 そういったやり取りを前に一体どういう感情を想起したのか知らないが、本当に楽しそうな顔でにこにこにこにこ笑いながらエルネストゥスが感慨深げに口にした。ヤコブスはそれに一瞥をやっただけで、視線の先をすぐに香茶に移してしまった。

「……昔っからこんなんなんだ……」

 小声で呟きながら香茶に口をつけると、意外にも斜め前方から反応があったので驚いた。

「そうなんだ。聞いてくれるかい? この通り小さな村だから、子供の中の最年長がほかの子のお守りをすることが多かったんだけどね」
「くだらない話をするな」渋面を作ってヤコブスが迷惑そうに口にすると、
「えー、いいじゃないか、減るものでもないだろう」
「何が楽しいんだ、そんなもん話して」

 ぼそりと呟いて舌打ち。確実にエルネストゥスにも聞こえているとは思うのだけど、エルネストゥスはまるで聞いてもいないふうで次の話題に口をつけている。

「ほら、協調性が無いだろう? 団体行動というのが壊滅的に不得手でね。僕とヤコブスは年が近かったから、よく一緒に集団に混じっていたんだが、お守りをされる立場のときは勿論、お守りをする側になってもいつの間にか一人でふらっとどこかへ行ってしまうんだ。される立場のときはまだいいんだが、お守りをする側になると、二人でする仕事を僕一人でこなさなきゃならないことになるだろう? 子供たちのお守りを、一日中一人でするってことも多かったなあ」
「それは……」

 容易に想像ができる。どうせ一人で森の中にでも分け入って、木の上なんかの高いところで煙草を吸いながら空の色でもずっと眺めていたんだろう。肉食動物は狩り以外の時間を体力温存の時間に充てるのだという話を、何故だか知らないがこのタイミングで思い出した。

「お守りされてる立場のときも、大変そうな……。お守りしてくれてた年長者さんが」

 香茶で喉を湿らせながら酸っぱい顔で口にすると、「そうなんだよ」と深い同意を示してくれた。よほどエルネストゥスも苦心したのか、随分と感情のこもった肯定だ。

「まだ小さいくせにふらふらどこかに行くもんだから、世話を任せられてる年長者のお兄さん、お姉さんがいつも忙しなく走り回っていたもんだ。何せ大人に叱られるのはその年長者なわけだから。ヤコブスを捜している間、僕やその他の年少者は大体大人しくしてるようにとまとまったところに放っておかれて、外に遊びに行けもしなかった」

 つい今しがたもそういったことがあったかのような口振りで吐息して、すぐに思い出し笑いでもするかのようにふふっと笑う。よく笑う人だな、と真佳は思う。
「いけないんだ」ヤコブスにぎりぎり聞こえるくらいの低声でもって真佳が言うと、「貴様には関係あるまいが」とても苛々した声色で、同じく低声で返された。

「そういえば、その時は聞いたこともなかったね。一体どこに行っていたんだい?」
 枢機卿の前だというのに隠しもせず舌打ちをして、「今更どうでもいい話だろう」
「そういうわけにはいかない。今とても気になっているんだからね。あ、じゃあ当ててみようか。秘密基地とかはどうかな?」
「よく覚えているな、そんなもの」
「そりゃ覚えているだろう。作るのに大分苦労したんだから」
 舌打ちして、「貴様も俺も材木を運んだだけの話だろう。働いたのはその頃の年上の何人かくらいで――」
「秘密基地……?」

 我ながら弾んだ声を発してしまった。だって秘密基地だとか冒険だとかそういうものは、否応なく心の中の少年を奮い立たせるのだ。
 ヤコブスが面倒臭そうに舌を打つ。代わりにエルネストゥスが話してくれた。

「十歳とかそのあたりの頃かな、当時の子供の中の最年長に内緒で、年長者より少し年下の何人かで秘密基地を作ろうって話になってたのに割って入ったことがあったんだ。材木を運んだり切るのを手伝ったりして、楽しかったなあ。ほかの奴らには内緒だぞって秘密基地に入らせてもらうたび、わくわくしたのを覚えているよ。そういえば、その時もヤコブスはあまり乗り気ではなさそうだったね」
「ただの木の上の廃屋だったからな。誰もいなければまだ価値があったものを、いざ出来てみれば結局誰かしらが居座っていたために一度も一人ではくつろげなかった。今では場所も記憶に無い」
「きょ、協調性が底辺だなあ」

 素直な感想を漏らしたら、「ほっとけ」と面倒臭そうに言い捨てられた。わかっていたつもりだったが、ちょっと思った以上に一匹狼が過ぎている。

「楽しそうだね」

 一人静かに香茶に口をつけながら話に耳を傾けていた枢機卿が、心の底からといった感じでそう言った。

「私にはそういう過去が無いものだから、君たちが少し羨ましいよ」

 枢機卿なんかに羨ましがられたところで悪寒が走るだけだとばかりにヤコブスが瞬間嫌そうな顔をして、それをカップを傾けることで紛らわしたのを真佳は見た。それとは対象的にと言うか、エルネストゥスは至極無邪気な面様で猊下の顔を思い出したように見つめ返している。

「枢機卿も、是非我々の秘密基地にご案内したいところです。残念ながら僕も正確な居場所を覚えているわけではないのですが……」

 エルネストゥスが少し残念そうに言ったのに対して、ぼそりとヤコブスが突っ込んだ。「あんなボロ屋に案内してどうするんだ」――。確かにまあ、あばら家というのは国の偉い人を招待するには至極不釣り合いな家ではある。
 枢機卿は微笑した。あばら家に招待されるなら招待されるで、別に構わないらしい表情で。

「君がお供についていてくれて良かった。おかげで私の知らない村の歴史を、こうして聞かせてもらうことが出来た。これは実に有意義なことだよ。私の今の業務は、教会を忘れて心を休めることにあるからね」

 エルネストゥスの表情がどんどん明るくなっていくのを、香茶の味を舌先で転がしながら無感情に見つめている。エルネストゥスは本当に枢機卿を尊敬しているのだなあと思いながら。多分その尊敬は、崇拝に近いものなのだ。
 ――殺し屋ではない僕が貴方様を殺害するのは神の真意では御座いませんが――
「……」心の中に浮かんだ懐かしい声色に、真佳はずっと気が付いている。

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