宿に帰ったら、当たり前だがマクシミリアヌスもカタリナも、ガプサの他のみんなもいなかった。夜(と多分朝)大所帯となるここは、大多数が落石の撤去作業にかかりきっているために昼間はしんと静まり返る。多分、さくらは今日も静かに読書を続けているのだろうし、部屋に帰っても暇を持て余すだけだなあと考えると自然と足が向かなくなった。トランプみたいな遊び道具があるのかないのか、結局マクシミリアヌスやカタリナには聞きそびれている。

(……子ども……)

 昨日のさくらの反応を思い出す。子どもらしい子どもは、今日出かけた段階でも未だ見かけていなかった。さくらはここをすぐ出るのだからと無理やり話の方角を捻じ曲げたが、真佳はそれには微塵も納得してない。

(……どうせ夜まで暇なのだし)

 森の奥まで入ったり、迷子にならなければいいだろう。或いは、マクシミリアヌスやさくらに見つからなければ。

(……枢機卿やルーナのとこには大手を振って行けるようになったのに、結局目を盗みながら行動することになるのだなあ)

 ほとんど自業自得なのだけど、真佳は自分で考えて吐息した。


To be, or not to be


 一旦宿に帰ってから、取って返すように宿を離れることになる。この教会のシスター(みたいなことをしている人たち)は普段は聖堂のほうで立ち働いているのか、彼女たちにも出会わなかった。

(……?)

 首を捻って外に出る。念のためにと気配を探ってみたのだが、二階にさくら以外に誰かがいるような気配は感じなかった。ヤコブスのことだから、気配を消しているのかもしれない。糸目のフゴあたりの気配はすごく分かりやすいのに、ヤコブスやカタリナはまるで山猫みたいにとても綺麗に気配がかき消えるときがある。

(まあいないならこれ幸い……)

 絶対会わなきゃいけないわけでもなかったし、ヤコブスもいないならいないで都合がいいので対して疑問にも思わずに即座に思考を切り替えた。
 真佳らに宛てがわれた部屋から玄関先は見通せない。さくらに見つかる心配は無きに等しいが、念の為ほとんど壁に張り付くようにして左右を確認、……少し考えてから、何気ない足取りを装って、そのまま前に歩みを進めることにした。万一ヤコブスになら見られても別に問題無いが、さくらに見られるとなると問題だ。
 教会から村を瓢箪と見立てた場合のくびれの部分までは一直線。そのほかに障害物らしい障害物は無く、開けた土地とくびれ部分の通路が右斜め前方に広がっている。その唯一の通路には向かわずに、そのまま通路を形作っている森に足を踏み入れた。

「……」

 教会を振り返って、誰かが出てくる気配が無いのを何とはなしに確認してからそのまま左。誰かに見られないように行動するとすれば、外縁を形成している森を伝ったほうがやりやすい。これなら多少派手に動いても、木々が邪魔をしてすぐに真佳と気付かれることは無いだろう。
 特に何か思い当たるところがあったわけではなかった。ただ、村を覆うこの、誰かが意図的にこうしたみたいな森の形が気になった。それから、もしも子どもがどこかに潜んでいるならそれは森の中以外に考えられないだろうとも。

(それ以外に気配を感じない……。森の中にいる、という確信も無いけれど……)

 森の中は今までいた場所からは遠すぎて、気配を探る以前の問題だったのだ。流石に何メートルも離れた場所の気配を探れるほどのチートじみた能力は有していない。これがあれば戦争なんかに大分役に立ちそうだが。

(……真っ先に戦争を行うことを前提に持ってくるあたりが多分おかしいんだな)

 即座に自分で突っ込んだ。多分、普通の人はそういう思考はしないのだろう、と。
 十八年前、か……。
 ヤコブスの話を思い返している。ヤコブスとカタリナは、十八年前にこの村を出たと言っていた。十八年前。奇しくもそれは、スカッリア国と隣国との戦争が終戦した頃合いを指すという。真佳自身、そうと聞いたことはないが、カタリナがよく低声で、マクシミリアヌスに対して言っていた。「流石、十八年前の戦争の功労者」、と――。
 十八年前の戦争と、ヤコブスとカタリナが村から出た事案、それが関わっているかどうかは分からない。ただ、十八年前という、その小さな符合が何だか嫌に気になった。

(あんまり探らないほうがいいのかも。本人たちが話してくれるまでは……)

 自分だってそこまで他人に話せるような事情があるわけでは無いのだし。

(鬼莉のことだって――)

 と、真佳は思う。
 鬼莉のことだって、結局ヤコブスは突っ込んだことはこちらに聞いてはこなかった。危険か危険じゃないか、それだけでいいと口にした。ヤコブスがそういう姿勢を貫いてくれている以上、真佳もそこら辺を突っ込んで聞いてしまうのは、フェアでは無いと思うのだ。

(……やめよう)

 ヤコブスとカタリナのことはこれで終わり。大人しく、村の子どもたちのことに心を砕くこととしよう。彼らはどこにいるのか。いるはずなのに、いる気配を見せていないのは何故なのか。

(こっちは面倒に巻き込まれないための自己防衛、ということで)

 自分自身に尤もらしい理由をつけて、足は止めることのないままざくざくと森の中を移動する。瓢箪のくびれから反時計回りに、ちょうど五時方向から三時方向までは歩いてきているのではないか。楕円形の村の一部を横に見渡す形になった。何とはなしに、真佳はそれを見渡した。
 ――手前に倉庫と家屋、教会、遠くのほうに村長の家。数えるくらいしか建造物の見えない風景を、舐めるように見回した。
 視軸はそのまま反対に。左手には木々に染まった森の中。誰かのささめきも、葉擦れの音に染まってここまでは聞こえてはこないだろう。
 そのまま村からつかず離れずの距離を保ってさらに二時方向まで。今度は森の中を注視しながら進んでみたが、目星い音は聞こえなかった。
 ……うーん。

(流石にもっと奥まで踏み入ってみないとだめだよなあ)

 首の裏側を爪で掻きながら考えた。ちょっと入ったくらいで分かるようなら、そりゃあ村にいる状態でだって視認することは出来るだろう。

(本格的に探すならまた今度か……一時間、二時間もかけたら流石にさくらは心配するし……)

 それに、万一迷って帰れなくなってマクシミリアヌスが大騒ぎするような事態になったら村の人たち(森の中にいるとして)にだって流石にバレる。
 一周ぐるりと回ってみても構わないが、多分収穫は無いんだろう。何はともあれ今日はここまで。村の内情を探るなら、もうちょっと時間を割かないと。

(まあ、収穫を期待していたわけでもないのだし)

 これで見つかればめっけもんということと、あとはちょっとした好奇心で入ってみただけ、入ってみただけ。さくらに言うと呆れられそうだが。

(……さくらの言うとおり、何事もなく通り過ぎればここの問題は私たちには関係ない)

 何を隠していようが、何を必死に守っていようが。
 ……万一何事も無く通り過ぎれなかった場合のことを、その時さくらがしたように、この時真佳も気付いていないふりをした。



(……?)

 何だ、と思って足を止めた。森から出ていくところを見咎められるのも嫌な話ではあったので、そのまま森をたどって、来た道を四時と五時の中間あたりまで戻ってきたところである。
 森の中ほどに誰かいた。
 木々の隙間からちらちら見えるだけなので、全体像は掴めないがそれが生きている人間であるのはどうやら見た感じ間違いない。
 簡素なシャツに黒いワークパンツ――ベストをつけていない少々やくざな格好に警戒線をギリギリのところまで引き上げたが、

(……? なんだ……)

 数秒目を凝らしただけですぐに警戒態勢を解除した。知ってる顔だ。ガプサの頭領、ヤコブス・アルベルティ――。

(……が、こんなところで何してるんだろう)

 今度は疑問の色濃い視線でヤコブスの背を凝視した。あれだけ村を嫌がって、あれだけ宿から外に出るのを嫌がっていたはずだけど。今のヤコブスの行動は、それとは百八十度違う種類のものだと思う。

(道理で気配を感じなかったはずだ、と言ったらいいのかな……)

 何となくだが――手近な一本の樹幹に体を寄せて、息を潜めた。ヤコブスのほうは相変わらず背中をこっちに向けたまま、真佳がいることを多分想像もしていない。
 いつからそこにいるんだろう。真佳がここを通ったときもいたんだろうか? 流石に人がいれば、真佳も分かると思うのだけど……。或いは、そのとき既にヤコブスに見られていたというのは考えられないだろうか。

(でも捜されてるって感じじゃないしな……)

 警戒されているというふうでもない。ということは、多分ヤコブスは本当に真佳がここにいることを考えてもいないと思う。

(……何してるんだ?)

 結局そこに思考が戻った。自分の体をざっと確認。音を立てそうなものも目立つものも重たいものも持っていない。麻のシャツにベージュのワークパンツをハーフパンツに変えたもの、服を見ている最中に気に入ってしまった、水色のビーズが通された腰紐を、首都ペシェチエーロからベルト穴の一つにずっと結わえ付けている。荷物を持って枢機卿のもとを訪れたわけではなく、着の身着のまま出てきたことが幸いしたと考えた。ズボンと同じ、ベージュのワークブーツのつま先で、むき出しの土を一、二回ほど突っついた。
 何かを探しているらしい。どこか目的に沿った一方向に向かうのではなく、ところどころでしゃがみ込んだりきょろきょろと辺りを見回したりするヤコブスを見ながらそう思う。単純に落とし物をした可能性も捨てきれないなと、この時初めて気が付いた。
 ニ、三度、靴のつま先で土を掘り返すように足を動かして、それから首を捻った。そこには何も無かったらしい。きょろきょろと辺りを見回して、結局何を見つけたふうもなくその場を離れていってしまう。少し離れた場所でも同じ動作を過程を繰り返し、首を捻って場所を――
 今度は繰り返さなかった。
 真佳が通り過ぎたときにも同じプロセスを繰り返していたのかもしれない。目星い場所は全て試みた後なのか、首裏に手をやりながらその場を完全に離れていった。絶対見つけたいものでもなかったのか、その後ろ姿に未練らしきものは無い。

(何をやっていたんだろう)

 ……つい先ほどヤコブスのことを探るのはやめようと心に決めたところだが、その挙動はやっぱりどうしても気になった。ヤコブスが木々の隙間に完全に消えるのを見送って、さっきまでヤコブスがいたところ――真佳が歩いた外縁よりも数メートル奥まった森の中にこっそりと足を踏み入れた。
 ところどころつま先で穿ったような穴が地面にあいている。決まった法則性があるわけじゃなく、数メートルごとに思い出したように掘り返したような跡だった。これらから何を探していたのかという情報を集めきるのは難しい。多分、真佳以外の人間が訪れたとしてもその結果は同じだろう。
 ……聞かないと駄目だな、と思った。割と消極的に。見てたのか、疫病神だな、とでも言われそうな気がする。彼らの言動について掘り返さないと決めたのだし、答えてもらえる確信も無いし必要性も無いのだし、聞かずに済ましてもいい気がする。……というのは、どちらかというと言い訳だが。

「わ」

 何かを踏んだ感触に思わず声が先に出た。土とは違う硬い感触で、木の根っこともどうやら違う。

「何だ……」

 屈み込んで覗き見ると、どうやらそれは鉄板だった。縦五センチ横三センチの小さな板で、厚みは五ミリくらい。鉄板、と言ったが、正確には真佳にはそれが何で出来ているのかは分からない。ただ、小さな板が鈍色の光で木漏れ日を反射しているのが分かるだけ。
 鉄板の表側(というのは、むき出しになっていたほうの表面のことだ)に、小さく文字が刻まれているのを視認した。この国の文字だ、ということは分かるのだけれど、当然のことながら真佳には何と書いてあるか分からない。結構古いものらしく、ところどころ擦れて読みにくいという面もある。

(捜していたのはこれだろうか……)

 それらしいのはこれしかないが。きっと、靴の影にでも引っかかって上手く視界に入らなかったのだろうと思う。

(……さて)

 渡すべきか渡さざるべきか、それが問題だ。

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