トマスは一瞬躊躇うような視線をマクシミリアヌスのほうに投げかけたが、席を外してほしいとまでは要求したりはしなかった。マクシミリアヌスも遠慮をするほうでは無かったので(ガプサ相手のときに限定して、だが)、それはマクシミリアヌスの眼前、知的な新緑色の双眸を前に呟かれることになる。

「――まあ、知ってると言やあ知ってはいますがね……」

 薄い頬をどこか気まずげに掻きながら、視線を逃して首肯した。ガプサの幹部格二人、それもヤコブスがあまり語りがっていないような話を外部に話せと言っているのだから、そりゃあ気まずく思ったりはするのは当然だ。しかし真佳はそこで敢えて話さなくていいよとは口にしたりはしなかった。拒否されるならされるでいいし、話してもらえるのなら話してもらえるでめっけ物だと思っていたので。そういう邪智深いことを真佳は普通に考えた。

「……そう詳しいことは知りやせんぜ? ただ昔、故郷でちょっとしたごたごたがあったって話でさ」
「ごたごた?」

 続けて問うと、トマスは「へえ」と頷いた。食後のエスプレッソに口をつけたのを目で追って、何となくだが真佳もエスプレッソに口を含むことにした。枢機卿のもとでご飯をご馳走になってきたというマクシミリアヌスを除いて、真佳、トマス、さくらの三人のテーブルの上には、茶褐色の液体が真っ白のカップに注がれたままになっている。

「こことは知らされてませんでしたが、まさかこんなところが首領の実家とは思いもしやせんでしたよ。もうちっとばかし賑やかな土地だと思ってたもんで。少なくとも首領の話では、そういう賑やかな場所だった。こんな今にも錆びつきそうな村なんかじゃあなかったはずです」
「ここ数年で劣化したということ?」

 片眉を跳ね上げさくらが聞いた。ヤコブスが故郷から離れたがっている理由を一度は耳にしておきたいのは、どうやら本当に真佳だけではなさそうだ。トマスが短く頷いた。

「それか、首領の頭ン中では確かに活気づいた村だったのか……ってな話ですが、いや、あの人はそんな感傷的な性格じゃあありやせんでしたね」

 苦笑するみたいに小さく笑った。思い出に侵されて誤った認識を語り聞かせるヤコブスというのは、真佳にとってみても想像しにくい怪物だ。トマスの微苦笑に同意する。

「実はオレぁ三番目なんですよ」

 やぶから棒に言われたその発言の意図が分からずに、数秒困惑するだけの間をやった。その間がまるで演出か何かであったかのように、“大鼻”は継いで言葉を紡ぎ出す。

「首領の組に入ったのが。オレが入ったときにはもう首領はもちろん、姐さんもいやして、その後にグイド、フゴ……という具合でさ。まあ、この中ではオレが一番お二方とは長い付き合いということで」
「分かることも多い、と」

 さくらが言葉を引き継いだ。
 トマスはすぐには答えず、まず口角を苦笑の形につり上げた――。

「お二方がお話にならないことを除いて、ですがね。それ故お二方の故郷に対する思いが隔たっているのも分かっちまうというか……姐さんは多分、この村のことをよく知らねえ」
「……?」

 眉根を寄せて視線だけで問いかけた。言葉を発さなければいけないのだということを忘れていたので。しかしトマスはさくらのように空気を読める男であったため、結局その意図は汲み取ってもらえることになる。

「オレも詳しくは分かりやせんが、そういう印象は感じます。首領は誰かと会うのを極端に警戒しているようなのに、姐さんはそういった警戒が微塵もねえ。むしろ物珍しげに村の人間を観察してる節すらあった」
 マクシミリアヌスが太い首を頷けた――「確かに、俺もそれは感じ取られた。故郷に来るのをあれほど極端に厭っていた君らの首領とは大違いだと感じたものだ。どうせ何かやましいことを行って出てきたんだろうと思ったが……」

 ……何気に失礼なことを言う。
 でも、確かにそうだ。真佳から見ても、ヤコブスは外に出ること自体を避けようとしている節すらあるのに、カタリナはむしろ外に出るのを楽しく感じているようだった。

「……思うに」

 とトマスが後を引き受けた。ヤコブスに対するマクシミリアヌスの失礼な風評被害に特段ツッコミはしなかった。

「これはオレの推測ですが、姐さんは何らかの形で、村を知らないまま出てきたんじゃねえでしょうか」
「一体どういった理屈だ?」

 マクシミリアヌスが眉根を寄せるがトマスは少しも揺らがない。「例えばですよ」人差し指を立ててまるで論駁するかのように口にした。

「姐さんがここを出たのは、もっと幼い頃だった、とか」
「幼いころ?」ほとんど反射で聞き返している。
「首領と姐さんの年齢差を考えれば、分からねえ話じゃないでしょう。オレぁ首領がいくつんときに村を出たのか知りやしませんが、例えば姐さんが四、五歳のとき、首領は十九、二十。どうです? あり得ない話と言い切れないとは思いやせんか」
「四、五歳の子どもをヤコブスが村から連れ出したりなんてするかしら」
「そりゃ……」さくらの指摘は尤もで、トマスも一瞬二の句を告げていなかった――「そこのところはわかりやせんがね」

 肩を竦めて、どうやらそこは潔く認めるらしかった。ふむ、と訳知り顔で思考する。トマスの推測には筋が通っているような気はするが、それでも何か、ピースが一つ欠けているように思われた。それさえ分かればその推測に一本の芯が通るのだが……。


星の道筋


 表に出るとヤコブスが煙草を煙草ケースから引き抜くところに出くわした。唇の端に火のついていない煙草を咥えて、非常に失礼なことに実に嫌そうな顔をする。

「二日連続とは縁があるね」
「さて。俺は君が人を追いかけ回しているほうに金を賭けるが」
「おめでとうー。ヤコブス今負けが確定したからね」

 物凄く忌々しそうに舌打ちされた。多分賭けに負けたからとかいうのではなくて、真佳が嫌味を嫌味として受け止める気が無かったからだが。ちっともノッてくれる気配がありゃしない(ノッたらノッたですごい気持ち悪い)。
 真佳はここにいるのだが、ヤコブスはまるで誰もいないかのように誰に配慮することもなく煙草の一端に火をつけた。煙草そのものに魔術式が描いてあって、そこに魔力を注ぎ込むことで勝手に着火する仕組みらしい。首都ペシェチエーロで見たものとはタイプが違う代物だが、それは使用者が第一級の魔力保持者か第二級の魔力保持者かによるのだということを、真佳は割合最近知った。つまるところ魔力の質だ。魔力の質がいい第一級と、魔力の質が悪い――と言うと大分失礼な気がするのだが、それ以外の言い方を真佳は知らない――第二級。掃いて捨てるほどいる第二級に比べて第一級の数は限られていて、それ故にこの世界は少数が優遇されるかわりに第二級が生活しやすいようになっている。第一級に合わせるよりも第二級の魔力の質に合わせるほうが簡単だし、急速的に生活が楽になるという確かな利点があったためだ。終戦してまだ二十年足らずの歴史しか持たないこの国が、ここまで持ち直した理由の一つとも言えるだろう。
 第二級用に誂えられた魔術式は第一級には脆すぎて、第一級は世間に溢れる普遍的な魔術式を行使することが難しい。真佳が首都で見た喫煙者は第一級魔力保有者だったがガプサの首領は第二級。つまるところ、ヤコブスの吸っているようなのと同じ煙草を、首都の第一級は扱えなかったということだ。

「…………」
「あ、待って、待ってよ」

 何が不満なのか(と言ったら多分とてつもない顔をされる)、火をつけ始めたばかりの煙草を引っ掛けながら無言で教会宿舎に入ってしまいそうになるので慌ててそのシャツの裾を捕まえた。もとは真っ白であっただろうシャツは恐らく煙草のせいで黄みがかかり、アイロンがけする余裕も無いのでしわくちゃのくしゃくしゃになっている。
 何の装飾も無いシャツにゆったりめの黒のワークパンツ、今は羽織っていないがガプサを象徴する青の上衣というのがヤコブスのいつものスタイルだ。上衣は多分、旅が終わるまで鞄の底で息を潜め続けることになる。

「何なんだ、貴様は」

 心底鬱陶しそうに振り払われた。自分と一緒にいたくないというのは考えるまでもなく分かっていたので、まあそういう反応だろうなというのは予想がついていたので傷つかない。

「聞きたいことがあるんだって」
「それに答えてやる義理は?」
「ないけども」

 躊躇もなく切り返すとヤコブスがこれ見よがしに舌を打つ。口の中だけで呟くような、忌々しげな悪態が聞こえた。「人見知り? 誰が……」。

「ねえ、ヤコブスとカタリナって、村を出たのは一緒のタイミング?」
「だから答えてやる義理は無いと言っている」
「じゃー答えてくれるまでひっつきまわるからいいよ別に」
「…………」

 きっかり六秒くらいの間をあけて、さっきより強めの舌打ちが真佳の鼓膜を強打した。家屋の中に入ろうとした体勢はそのままに、ヤコブスの背中が発話した。苛立ちを隠しもしてない声色で。

「そうだ」
「ヤコブスが出たのって何歳くらい?」
「それも答えにゃならんのか」いっそ舌打ちが合いの手みたいに聞こえてきた。当たり前の顔で聞き流す。「十八年前だ。十九歳」

 ということは、カタリナが四歳の時ってことになる。トマスの推理はあながち間違ってもいなかった(まさか本人に聞いてくるとはトマスも思ってなかったろうが)。
 直接尋ねてみようということを考えていたわけではなかったのだが、ぶっつけ本番で体当たりしたら存外うまくいってしまったことに実は真佳自身びっくりしていた。ひっつきまわるの一言で話してくれるとは思ってなかった。それほど真佳にひっつきまわられるのが嫌だった、とも取れる……。
 まあいいや。教えてくれるんだから。
 小事は見ないことにするのが真佳のいつもの考えだ。

「もう行っていいか」

 うんざりしたような声音で言われた。漬物石にでも乗っかられたような疲弊具合だがやっぱり気にしないことにする。今畳み掛けないとまた同じ機会が訪れるとも限らない。

「その時にガプサに入ったの? カタリナは四歳だけどどうしたの? ヤコブスが連れてきたってわけじゃないでしょう、多分。あと、何でガプサに入ろうと」
「煩い」
「痛い痛い痛い」

 頭を片手で鷲掴みされて指の力だけでぎりぎりぎりと締められた。な、何でそんな無意味に器用な技を持っているんだ。ちょうど米噛みのところがぎしぎし言ってめちゃくちゃ痛い。

「畳み掛けるな。質問を許したわけじゃない。答える義理は無いと言っただろう」
「だから答えてくれるまでひっつきまわるって言痛い痛い痛い」

 手指の力を格段に強くしやがった! 一体どういう握力してるんだこの人。
 痛い痛いと喚いていると、別に聞き入れてくれたわけでもなかろうが、ぱっと手を離されて「わ」慣性のというかたたらを踏んだ。危ないなあ。痛いと言ったのは自分だけれど……。凹んでるんじゃないかと思ってそっと米噛みに手をやってみたが、触った感じ頭の形は正常だったのでほっとした。

「ひっつきたければ勝手にひっつけ。もう二度と貴様の質問には答えん」

 頭に手をやりながら、ぴんと来るものがある――。

「分かった、何かまずい質問があったんだ痛い!」

 おでこに平手を食らわされた。バチン! とかいう殺人的な音がした。年下の女の子に対して加減しようという気が一切無い。

「くだらないことに時間を割いている暇があるなら落石の撤去作業にでも加わるんだな。そのほうがよっぽど建設的な上何より」
「何より?」
「俺がこの村とおさらばできる」

 半眼で唇を尖らせた。自分は落石撤去に加わらないくせに……というのは、同じく加わっていない真佳が言うのも可笑しな話なので言わないが。

「何でそんなに村を出たがるかな」
「何度も言わせるな。答える義理は」
「単なる疑問提起だもん。十九歳……十九歳かあ。黒歴史かな?」
「……可笑しな組み合わせの言葉があるんだな」

 片眉を跳ね上げてそう言われただけだった。黒歴史という言葉がそもそも伝わっていなかった……。黒歴史って別の言葉に置き換えると何になるんだろうと考えようとしだしたところでヤコブスの背中がこれ幸いと戸口に消えようとするので、「あっ、待ってよずるいぞ!」慌てて真佳も追っかけようとしたのだが、よっぽど真佳と話すことを厭っているのか、真佳が戸口をくぐったときヤコブスの背中は既に階上に消えようとしているとこだった。

「もー……」

 今追いかけても、追いつけるのはヤコブスが自室に丁度入るか入らないかのところだろう。鍵でもかけられたらどの道話はそこで打ち止め、強行も何もありゃしない。流石に諦めたほうがいいんだろう。今日のところは、という意味だけど。

(最後の質問のどれかについてはどうやら答える気が無いらしい……大分厳重にロックされていると見た。さーてどーやって切り抜けようかなー……)

 ヤコブスの消えた二階の先を眺めながら、懲りもせずにそんなようなことを考えた。

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