果たしてさくらの言うとおり、マクシミリアヌスを留めることは当然というか不可能だった。帰って来てそこに枢機卿がいると知るや否や、「こうしちゃいられん」と息巻きながら落石処理の道具を手荒い所作で放り投げて、教会を飛び出していったのだ。極力関わるなよとヤコブスが言うような隙も無い。多分、隙があったとしてもヤコブスは言いには来ないと思うが。ヤコブスにとっての“極力関わ”りたくない相手というのは多分、枢機卿一人に収まるようなものじゃない。

「まるで弾丸だな、ありゃ。いや、ガタイの良さから言うに砲弾か」

 マクシミリアヌスが放り出した道具の数々をやれやれという感じで引き上げながら、カタリナが呆れ混じりに独り言つ。手伝おうかと尋ねると、「ああ、いいよいいよ」カタリナは片手を振りながらけろりと笑った。

「どうせ明日も行くんだから、そこに置いとくだけでいいんだよ。ここまであいつが全部持ってきてくれたもんだから、実のところ若干の消化不良感が拭えなくてね。貨物車兼戦車みたいのがいると本当に何でもやっちまうんだから困りもんだよね」

 実際あまり迷惑は被っていなさそうな顔でそう言った。カタリナも働くのが好きな人種か、さもなくば暇なので体を動かしていたい手合いなんだろうと考える。

「落石の状況はどうでしたでしょう」

 頓珍漢な日本語で真佳が言うと、カタリナは顎に手を当てながらうーんと唸った。道具を食堂の隅のほうに適当っぽく追いやる様を、真佳は椅子の背もたれを抱え込むような形で逆向きに座りながら見守っている。背もたれの上で組んだ腕に、ほとんど惰性で顎を乗せた。

「落石だけなら、数日もあれば馬が通れるくらいは回復するんじゃないかと思うんだけどね。何せあの足場だろう。岩を移動させるために馬を使うわけにはいかないから、どうしても人の手だけでほとんど何とかしなきゃいけない。あたしらが来たことで随分作業効率は上がったように思えるが、それでも数週間はかかるんじゃないか。村の連中も困ってるんだ。出来れば、“馬が通れるくらい”じゃなく、“物資を積んだ馬が通れるぐらい”まで回復させてやりたいしね」

 それに対して真佳は特に異論は無いのだが、カタリナはほんのちょっとだけ振り向いてから、「……駄目かな」伺うようにそう言った。すぐ真横に突っ立っているさくらを見上げて、真佳のほうも何となくだがそちらにお伺いを立ててみる。

「別にいいんじゃない。故郷なんでしょ。それくらいは面倒見てやっても」

 腕を組んだまま、気負ってもいなさそうな顔でそう言った。むしろ何で自分に伺いを立ててくるんだという怪訝な顔で。
 マクシミリアヌスとヤコブス以外のガプサの面々、彼らが帰ってくる際に一緒になった男たちの顔も、真佳は遠巻きにだが確認している。瓢箪型をしたこの村のくびれ部分からしか確認出来なかったが、こんな寂れた田舎とは思えないほど屈強な体を持った男たちが一定数存在することに驚いた。とは言え彼らももう十分壮年を通り越したと言ってもいいような頃合いで、落石処理とかいう長期的な仕事にはとても耐えられそうには見られない。持久力に長けた壮年の男、殊更マクシミリアヌスみたいな男手は、この村にとっては非常に有り難い存在であると言えるだろう。
 こういう田舎でよくあるように、働き盛りの若い男たちの存在は教会の二階の窓からでは視認することは叶わなかった。瓢箪の上側の空間に集結している可能性も無くは無いが、いたとしても多分二、三人が限度だろうという感はある。

「懐かしい顔に会った?」

 ほとんど出し抜けにさくらは聞いた。
 カタリナは目をしばたかせ、ぞんざいに積み上げられた道具の横で、こちらに視軸を向けたまま、物も言わずに突っ立っている。

「故郷なんでしょ」

 と、少し前と同じことをさくらは言う。確かに、そういう知り合いがいても可笑しくないのだということに、今の今まで気付かなかった。

「ああ、残念ながら――」

 いたともいないとも取れる言葉を最初に言って、カタリナはそこで声を切る。

「あの現場にはいなかったよ。まあ、あたしらがこの村を出たのは十年か十五年くらい前の話だからね。いたとしても風貌が変わって気付けなかったのかもしれないし――」

 どうにも尻切れトンボな答えを並べ立ててから、「よく言うだろ。時の流れは早いって」取ってつけたような言葉でねじ伏せた。真佳にだってすぐ分かる。理由は全く不明だが、彼女はあからさまに嘘を吐いているのだと。

「……そう。懐かしい顔触れに会えるといいわね」

 こちらが疑問に思うくらい、さくらは意外なほどあっさりとその話を打ち切るつもりでいるらしく、そんな当たり障りのないようなことを口にした。


点描


「嘘を吐いてるとして……それは何? 嘘吐くよーなことあった? さっきの話……」

 難しい顔でそう言うと、カタリナの有する嘘の一端を引き出した張本人の姫風さくらは、「さてね……」素っ気なく言ったきりそれきり口を閉ざしてしまった。一体どういう意図で発端となった言葉を投げかけたのか、真佳には皆目分からない。

「嘘を明らかにしたいんじゃないの……そーゆうもんだと思ってたけど?」
「別に、隠したいならそれでもいいわよ。不思議に思ったから聞いただけ。カタリナ、ヤコブスと違って外にも出てるしあの性格だし、知り合いに会ったらうきうきで報告するもんだと思ってたから」
「……むう」

 それは確かに。そう考えると、外から帰ってきたカタリナがそういった話を口にしないのを見て不自然に感じるというのは頷ける。特に落石撤去なんて活動をしているわけだから、そこには少なからず村人というのはいるはずで、実際真佳はその村人と一緒に帰ってくるカタリナの姿を目撃している。

「でも言いたくないみたいだったから、ならそれでいいかって。特段暴く理由も無いでしょう?」
「うん……それはまあ、はい」

 渋々ながら頷いた。別に真佳もそこまで暴き立てたいわけじゃないのだが、いやほら、だって……さっきのさくらが本当に何かを暴き立てようとしている刑事か何かに見えたものだから。普通に推理ショウを期待した。多分カタリナも、そういう勘違いをしてると思う。ドキドキしてんじゃないかなあ。分かりにくいんだから。
 寝具が適当に横のほうに押しのけられてる、昨夜はカタリナがベッド代わりに使っていたソファーの上で、真佳は何とも言えない顔をした。さくらと真佳とカタリナに宛てがわれた寝室だが、カタリナは今はここにはいない。多分、何か暴き立てられると警戒して時間を潰しているんじゃないかと思われる。
 ソファーに一番近いベッドに足を組んで座るさくらから、逆に怪訝そうに問いかけられた。

「何? 暴きたいの?」
「うーん……そういうわけでは……」
「……? 変なの」

 多分自分の気迫を分かっていないのだろうと考えた。さくらは特に興味無さそうな顔で、ベッドとベッドの間の棚に立てかけられていた聖書を面白くもなさそうに読んでいる。当然書かれている文字はスカッリア語なのだから、さくらと言えどその意味を完璧に把握するまでは行っていないとは思うのだけど。
 薄々感づいていたことではあるが、首都などの都市部から田舎に下ってゆくたびに、異世界語、つまり真佳らの言うところの日本語の普及率は格段に下がっていっている。これは食べ物屋さんのメニューや看板なんかのことを言っているのではない。本棚に並ぶ本のことを言っている。何のために日本語の本があるのかと問いかけたら、単なる娯楽のためとのことだったので、まあ田舎にほとんど存在しないというのは当然のことのような気もしないでもない。つまり何が言いたいかと言うと、田舎で娯楽が無い上に読むものすらないので時間を持て余している。ひどく暇。

「ゲームも何もないしなー……」

 ぼやき気味に呟くと、「アンタそこまでゲームするほうだったっけ?」というどうでもよさそうな言が返ってきた。「第一希望は本だけど、それが今どーしよーもないんでしょーが……」読み物がある分、そりゃあさくらには危機感が無いかもしれないが。スカッリア語を習おうかしらと、一瞬本気で考えた(元の世界の勉強への真剣度合いから言うと、三日も経たずに飽きるだろうという確信はある)。
 真佳とさくらの出生というか、ここに至るまでの成り立ちは大分複雑ではあるのだが、有り体に言うと二人揃ってこの世界の人間というわけではない。ひょんなことからこの異世界にやってきて、ひょんなことからこの世界の人間と旅を始める運びになった。さくらのかねてより探していた事件の真実が、この世界で見つかるだろうという運命鑑定士からのお告げを受けたためである。つまりこれはさくらの旅で、厳密には真佳には関わりのない旅だった。帰る術は既に提示されているのにそれでも共に付き合っているのは、結局のところ彼女を置いて先に帰るという選択肢が真佳の中に存在し得なかったためである。
 この世界にもゲームというものはあるのだろうか。文明的な生活は間違いなく送っているのだから、何かしら娯楽というものはあるはずだが。例えば子どもであればあやとりとかおはじき……?とか、カードゲームとか。

「さくら、カードとか見たことある?」
「カード……? 何の」
「トランプみたいな……そういうのはこの世界に無いのかなと思って」
「さあ。今まで明確な意思を持ってそういうものを探したことが無かったから。……というか、他人の家や宿屋の部屋にそういうものがあったと思う?」
「うーん……」

 まあそりゃそうである。特に今まで泊まってきたのは教会が提供している宿であったり、教会御用達の宿たちだ。ツーランクくらい上の部屋ならそういうのもあるものなのかもしれないが、ギャンブルを彷彿とさせるカードなんてものがそういったところに果たして置いてあったかどうか。

「ヤコブスたちのテントでは?」

 ほとんどダメ元で話を振った。真佳がこの世界に来て最初に泊まったのは首都にある教会本部の客間だが、その当時さくらは真佳とは別の位置で寝食していた。それがヤコブスたちのテントである。さくらは真佳より先にガプサの面々と出会い、首都から少し離れた西側の森で彼らとの時を過ごしていたと聞いている。

「それも他人の家みたいなものなんだから。荷物を漁ったり出来るはずがないでしょう」
「まあ、だよね」

 前述したとおり特に期待も何もしていなかったのであっさり引き下がると、さくらが一瞬「何がしたいんだ」とでも言いたげな目線をくれてきた。だから暇なんだってば。

「だってカードとかがあれば少なくとも暇つぶしにはなるでしょ? 暇なんだよー。この村の子どもに遊びを教えてもらいたいくらいにはー」
「子どもとも知り合いになったのか」

 節操の無いやつだなみたいな呆れ半分の口調で言われたので、「そんなんじゃない、いたらの話。ここに来て子どもらしい子どもは見かけていない」ムキになって言い返した。
 ――さくらが本を閉じた音。予想外の行動に真佳のほうがぎょっとした。

「えー、何、別に気を使わなくていいんだけど」

 と言いつつそういうような内容のことしか話していないような。考えれば考えるだけ申し訳無さが募っていった。これで暇つぶしになるぞなどと手放しで喜べるほどには、真佳は傲岸不遜になりきれない。

「違う、そうじゃない」

 しかしさくらは呆れたような半眼でもって首を振りながら否定する。自分がそんな気を今更アンタに使うわけがないだろうと、言外に込められているのを心で聞いた気さえする。

「それ、子どもらしい子どもは見かけてないっていうの……外に出たのに?」
「……? そうだよ。私も不思議に思ったけど。こんな何もない田舎で珍しいなって」

 こういうことを例えばシスターの誰かに聞かれると苦笑されるのかもしれない。一度扉のほうに視軸をやったが、開いたままの片扉の先に人の気配は感じ取れなかったので若干ながらほっとした。傷つけたくなかったとかじゃなくて、どれだけの滞在になるかすら分かっていないのに今から気まずい思いを自分がしたくなかったからだ。

「……そう」

 また思考に囚われたような顔。さくらはここに来て、よくそういうような顔をする。

「何か気になることでも?」

 と言ったものの、多分さくらが危惧していることと真佳が怪訝に思っていることは同じなのだろうという予感はあった。知覚深度が異なるだけで、恐らく二人同じ部分に目を向けてはいるのだという。

「……同じことよ」

 やがてぽつりとさくらが言った。一瞬、考えを読み取られたような気がしてどきりとしたが、どうやらそういうことでは無い。

「どの道私たちはすぐにここを去るのだから」

 ……少し考えて、真佳は先を補足した。

「……そこまで立ち入る必要は無い?」
「そういうこと」

 ……しかしさくらもきっと、気が付いてはいるのだろう。そうやって素直に進めたことなど、今までの旅で一度たりとて無かったことを。

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