遅くなる前に何とかして教会に戻るという話を、ルーナに出来てよかったと思う。これ以上長居して、落石現場から引っ返してきたマクシミリアヌスに見咎められるなんてことがあったら大変だ。部屋を空っぽにし続けるのもまずいだろう。部屋は違えどヤコブスがいるのと同じところに帰ることになるわけだから。

「本当にお土産は要らないのかい? 夜にでも食べてくれればいいのに。気合を入れて作りすぎてしまってね」
「や、えーっと、また来るので」

 大量のビスコッティを持って帰ってカタリナに見つかるわけにはいかない。さくらなら何とか頼み込んで内緒にしてもらうことも出来るだろうが……。
 真佳が慌てて断ると、ルーナは「うん」と屈託なく微笑しながら頷いた。

「またおいで。今度はサクラも連れてくるといい。事前に教えてもらえるなら、もっと豪勢なお茶菓子を用意しよう」

 さくらの名が出たことにまたあからさまにぎくりとする。茶会中、さくらの話題が出ないわけでは無かった。この場にさくらがいなかったことをルーナは不審に思っているに相違無いが、喧嘩をしたわけではないと告げるとほっとしたように破顔した。「まあ、君たちが口も利かなくなるくらいまで喧嘩するなんてとても想像出来ないが」――喧嘩していないと知るや否や、それまで遠慮がちに出していたさくらの話題を堂々と振ってくるようになったのだから、良い性格をしてると思う。
 真佳は曖昧に笑って、「楽しみにしてる……」と言うのが精一杯だった。また近々赴きたいという意向はあるにせよ、その時もまたヤコブスやほかのガプサの面々の目を掻い潜っての潜入になるのは間違いない。

「何でなのかは知らないが、あんまり隠し事はするもんじゃないぞ」

 家から出ていく最後に言われた。ぎこちない動作で振り返ると、ルーナが微笑んだままひらひらと片手を振っているのが目に見えた。丸襟のシャツに胸元が大きくあいた黒のワンピースというこの国のシスターの制服は、ティーセットと共にあると良家の淑女と見紛うばかりに良く映える。
 ……タチが悪いなあと、真佳は胸中で呟いた。


赤い木の実と青い鳥


 村長の家は村の奥の更に奥、教会の影で身を縮こませるようにひっそりとそこに建っている。この村のどの家よりも大きいことは大きいが、首都や富裕の街を眺め続けた真佳にとって、それはどうしても清貧でせせこましい家に映ってしまう。ただ、緑だけは豊かで、村全体を見渡すと一転、随分満たされた心地になるのであった。ここへ来たのはただの事故だが、休暇に来た枢機卿がここへ赴いたというのは、そう悪いことでも無いのではないかと考える。
 入り口から村長の家まで歩いた感想を言うならば、フォスタータは簡単に言うと瓢箪みたいな格好をしている。奥の広いエリアと入り口付近の少し狭いエリアの中間に、村をぶった切るように樹木がそのまま、切り倒されずに屹立している。馬に乗ったままマクシミリアヌスらと入ったときに、少し苦労した場所だ。乗馬に慣れている者でも同時に通れて三体くらい、乗り慣れてない者だと一体通るのが精々だ。まるで何かから攻め入られることを想定しているみたいだなと、真佳はその時何とはなしに考えていたことを思い出す。
 村長の家が少しく森に押し込められているために樹木は立ちはだかるものの、左を向けばそれだけで既に教会の姿は目に映る。今まで見たどの教会よりも小さいことは小さいが、一番高い建物が祈りを捧げる聖堂、即ち教会であることだけは、ほかと変わりないらしい。
 右には生い茂る樹木があって、真佳は今のところそこに立ち入る予定は無い。木々の影からそっと教会側付近を伺ったが、ヤコブスらしき男の背中はここからは認められなかった。今が好機であるのは間違いない。樹木の影から素早く、低姿勢で教会方面へ移動した。
 注ぎ口である入り口を下にして図解してみると、瓢箪の底のエリア、つまりこの部分の左上付近には村長の家以外には目立った家屋は見当たらない。教会から右と、注ぎ口付近になるとまだぽつぽつと民家が建っているのが伺えるのだが。
 人がいる以上、どこかに川か井戸があるのは間違いないが、そこへ至る通路がまるで見えないことに真佳は気が付いていた。瓢箪の外側にあるのは間違いないが、その道はどうやら村人にしかわからないようにされている。恐らく故意で。きな臭い場所だ、と真佳は思う。ヤコブスなら、これら幾つかの疑問点に答えを出してくれるだろうか――今のところ、知っていても答えてくれそうにないのが難点だけど。
 こんな田舎になると外より内のほうがまだ娯楽があるらしく、教会に辿り着くまでの間、真佳以外の影には出会わなかった。子どもはどこかで遊んでいそうなものだが、瓢箪の中に遊べるような区画は無い。川や井戸同様、どこか隠れたところにあるのかも。
 本来は来たく無かった村なのだし、ヤコブスも多分、あまり外には出たくないのだろうと思う。このタイミングで、その事情は実に有利に働いた。教会までの一直線、結局ヤコブスとは出会わなかった。

(……ふー)

 声を出さずに吐息する。なんだってこんな泥棒みたいなことをしているんだろう。赤の他人が見たら、それこそ清貧な教会に押し入ろうとしている悪逆非道の盗人だ。

「なんだってそんな泥棒みたいなことをしているのよ」

 一瞬呼気が肺のところで急停止を引き起こし、「――」声にも息にもならない言葉を、真佳は喉のところで吐き出しかけたらしかった。体が勝手に警戒体勢に入ったが、何のことはない、見知った良く知る人間で、何なら知己と呼べる唯一無二のハラカラだ。
 ヤコブスの気配以外は完全にスルーしていたという自覚はあった。ヤコブスなら気配を消せそうな気がしたから、そちらに神経質になっていた。

「……さくら。まさかと思うけどずっとここにいた?」
「ずっとここにいた。暇だったからね」

 悪びれもせずそう言った。そこには若干の嫌味が含まれているように思われたのは、真佳に引け目があるからだろうか。

「それは……すいませんでしたね……」
「枢機卿のとこ?」
「ってゆーかあ……」

 目を泳がせる。何の迷いもなく枢機卿と言い切った……。声が届く範囲にヤコブスの気配は見当たらないが、さくらにどこまで話すべきか……。
 正直な話、こういう展開は予想出来たはずなのだ。昼のあの会話の後に突如真佳が外出などしたら、さくらがどこに行ったかを理解しないはずが無い。
 ヤコブスが近付くなと言った以上、いざこざが起こる前に詮索してくるだろうことは自明の理。なのに返答に詰まっているのは、真佳が問題を後回しにして考えないようにしたせいだ。

「……あの、大分込み入っているんだけど……」

 不器用な自分にとって、話すことと話さないことを直前に決めることは難しい。悪癖だとは思っているがこれも考えないようにしているために全く改善の余地が無い。それで結局、全部を話す羽目になるのだが……。

「場所を変えてもいいですか……」

 引きつり顔で、尻すぼみの、お伺いの声を投げかけた。



 何だ、そんなことか、というのが、さくらの初っ端の反応だった。昨日の夜、枢機卿と出会ったときにルーナがいたことから、村長の家に赴くに至るまで、兎角真佳は懇切丁寧に説明するように努力した。言葉が足りなかったら今回のことで怒られるかもしれないので。

「別にヤコブスに言いはしないけど、そう……ルーナが来てるの」

 肩に触れるか触れないかくらいのところで切り揃えられた茶髪の毛先を頭半分という態でいじくりながらさくらが言った。たおやかな白い指先に糸が絡みついてるようで、本当にこいつの動作は何故か、同性なのに一瞬どきりとさせられる。
 教会からも村長の家からも離れた場所、瓢箪の底の、右端のあたりにまでさくらを引っ張り込んでいた。瓢箪の注ぎ口がどうやら南であるらしいので、北東――いや、北北東と言うのが恐らく正しい。ここは比較的民家が多く建築されてはいるが、それは村長の家がある北北西と比較してのことで、ご近所さんと言っても家と家の間は家二軒分くらいは離れているという塩梅だ。その中にある、村人全員の所有物っぽい倉庫の影に、二人仲良く身を隠している……というより、身を隠すようお願いしている。ヤコブスに見つかるのを恐れているのは真佳一人だけなので。

「二人一緒に会いに行ったら流石にバレると思って言えなかったんだよー。昨日、っていうか今日の朝方に、後で遊びにおいでって言われた手前、行かないなんて不誠実を起こすわけにはいかないでしょ?」

 まあヤコブスが関わるなと言った以上さくらが乗り気にならないだろうから言い出せなかったというのが大半を占めているのだが、それらも理由の一つと言っても別に差し障りは無いだろう。

「それは別にいいのだけど」

 やっぱり何か考え事でもしているようにさくらが言った。

「彼女、どうしてこの村に来てるって?」
「ルーナ? 休暇中って聞いたけど」
「そうじゃなくって」

 質問の意図が汲み取れず小首を傾げると、さくらはそこで、どうやら質問事項を整頓するだけの間隙を置いたらしかった。

「どうやってこの村に辿り着いたって? ルーナの先導?」
「それ私も思った」

 少し前のルーナとの会話を思い出す。マクシミリアヌスも知らなかった村だから、誰に教えられて連れて来られたのか尋ねると、ルーナは自分以外のお付きの人間に連れて来られたと口にした。それをそのまま横流ししたらさくらは「そう」と呟いた。ほっそりとした顎を親指の腹でとんとんと叩き続けているそれを見て、何事か思考していることだけは真佳のほうも察知した。

「枢機卿がこの村に来てるのがそんなに問題?」

 問うと、「まあそれなりにね……」と、やっぱり頭半分の回答が返される。暫くそうしているうちに、ふ、と、さくらは思考を放擲したみたいに吐息した。

「……まあいいわ。どの道準備が整いさえすればすぐにこの村は出るのだし、以後枢機卿と出会うなんてことも無くなるでしょう」
「……枢機卿とは極力かかわらないように、って?」

 ヤコブスと同じことを言うのかと思って先読み気味に問いかけたところ、「何で」と逆に問うような言を投げられた。

「いいわよ、それは。枢機卿がいるとなったらマクシミリアヌスが向かわないはずがないのだし、アンタだけ止める必要性が無いものね」

 ……考えてみればそりゃそうか。どれだけヤコブスが面倒事を避けたがろうとも、枢機卿との接触を断ち切ることなど元から不可能だったのだ。何だ。こそこそ隠れて訪問していって損をした。次はもっと堂々と遊びに行こうと思う。
 思い立ったようにさくらが聞いた。

「そんなに話すの楽しい?」
「……まあ、それなりに……ってゆーか、暇なんだもん」
「……ま、そりゃそうか」

 納得したように呟いた。

 TOP 

inserted by FC2 system