馬を繋ぐということを、“樽腹”グイドが引き受けてくれた。あだ名のとおりふくよかな腹を持つ褐色の肌の男で、ガタイがいい上にスキンヘッドなことも相まって、コンビニ前なんかにたむろされていたらあまり関わり合いになりたくないと多分思っていただろう。その実栗色の双眼はくりくりしていて純粋で、内面はトドのように温厚だ。

「ほかの馬も繋いどくから大丈夫だよー。大人しくていい馬ばかりだからねー。中佐さんはいい仕事してくれるよねー」

 こっちの気が抜けそうなのほほんとしたことを言いながら、危うげ無く教会附属の厩に丁寧に馬を繋げていく。グイドの気質が感染したのか、はたまた彼の言うとおりマクシミリアヌスの仕事が良かったためか、馬はどれも大人しくグイドの導きを待っていた。
 中佐さん、と舌に乗せずに繰り返す。友好的に振る舞っている、いないは別にして、ガプサの中では唯一、グイドだけが旧教治安部隊の中佐に対して実に普通に対処する。何というか、旧教と新教の間にある当然の壁が彼の前では見当たらないのだ。人とのしがらみを感じさせない。まるで自然と共にあるように。

「ヤコブスの家はここにあるんだよね」

 結局、厩から離れることなく真佳は言った。「ん?」当然離れるものと思っていたのだろうグイドが、少しく意外そうに真佳のほうを見下ろした。鼻をつく馬糞のにおいも、真佳にとっては昔に嗅いだ懐かしいものの一つであった。

「多分あると思うけどー……ごめんねー、おれも彼の家のことはよく知らないんだ。故郷の話を、首領としたこともなかったからねぇ」
「みんなの前でも故郷の話をしたがらなかったんだ?」

 話のついでに尋ねると、「いや、そうじゃなくてぇ」言いながら、一頭分の馬のロープを結び終えていた。さっき彼自身が言ったように、グイドが全員分の馬を繋いでくれる手はずになっているが、彼が常にその役を買って出ているわけではない。今日はたまたま、ほかの人間が隣り合った部屋の確保の交渉や、食料の調達に駆け巡ることになっていた(本当に小さな村で、まともなお店すらも存在しないと聞いている。商いごとは全て教会の人間がボランティアで行っているという)。

「そもそも誰も、出生なんかの話はガプサでしたことがないんだよねぇ。どういう経緯で旧教から新教に入ることになったとか、そういうの言いにくいこともあるものだから」

 ああ……成る程。
 視軸をずらして真佳は冷静に考える。ソウイル教、それも公の教会がよしとする旧教しか認められていないこの世界では、宗旨変えとは大罪に等しい行動だというのは、今までこの国で生きてきて真佳も何となく知っている。そもそも旧教の教えを否定すること自体が悪なのだ。そうなった経緯を面白おかしく語るほど、彼らは無論、楽観的ではないだろう。

「じゃあ、ヤコブスのみならず……」
「うん。ほかの人のも知らないよー。おれはね。ほかの奴は知ってるかも。ヤコブスとカタリナが同郷だっていうのは、何となく分かってたけどねぇ」

 結構近いところにいたんだねぇと、言いながらまた一頭分の馬を繋ぎ終えた。一方を引くと結び目が締まり、もう片方を引くと簡単にほどけるタイプの繋ぎ方。日本では追い剥ぎ結び、と呼ばれている――馬を繋ぐためのオーソドックスなやり方で、そのまま馬つなぎとも称される。

「グイドはここに村があるって知っていた?」
「んーん。ここ、一応教会はあるけど……」

 グイドは頭上を仰ぎ見る。梁が剥き出しの厩の天井を、真佳も何とはなしに目で追った。
 グイドの話す声のトーンが、一段回だけ低まった。

「……正規の教会ってわけじゃあない。多分、今頃中佐さんも気が付いてるんじゃないのかなあ。教会のガワをつくって、村の人たちがそれらしくあるよう運営してる……って感じ。司祭は自然に見えたから、もしかしたら過去教会で働いていたことがあったのかもね。でも、ここのことは首都の教会は把握してない。中佐さんが知らなかったのも無理は無いんじゃないかな」

 真佳は怪訝に眉をひそめる。正規の教会じゃない、って……。

「それ、いーの?」
「普通は良くない。多分教会に知れたら、寄付金の巻き上げがあるんじゃないかとか、正式なソウイル教の教えをきちんと受けさせていなかったのじゃないかとか、いろいろ調査が入ると思うよー」
「……ヤコブスがここに来たがらなかったのはそれ?」
「にしては、カタリナは提案したんだよねー。単に中佐さんを信じてるか信じてないかの違いかなー」

 グイドが小首を傾げたので、真佳は苦い顔のまま視軸を下方へ引き下げた。フクロウみたいに首を捻ったままグイドが器用にロープを繋げ続けているのが、どこか奇術めいて真佳に映る……。
 マクシミリアヌスは気付いたんだろう。グイドが気付いたと言うのだから。教会で働いている者として、それが分からぬ者ではない。今、マクシミリアヌスは軍服を着ていないはず。かっちりした感じのスラックスと、上等なワイシャツを着てここに来た。この村の住人たちはまだ、マクシミリアヌスの正体に気が付いてはいないんだ。
 ……教会に対しての秘密事を、これ以上マクシミリアヌスにさせてしまうのは忍びないのだが。
 真佳は内心呟いた。


じゃがいもの森



「勿論知っているとも」

 苦々しい顔でマクシミリアヌスは口にした。周囲にだけに聞こえる声で、硬いサラダを食べながら。
 今日の晩ご飯はボッリートにサラダ、山盛り盛られたマッシュポテト(こちらの世界ではピューレと言われているのを聞いたような)。ボットリートは首都ペシェチエーロで一度だけ食べたことがある。茹でた肉のことを指すと思っていたのだが、ここでは野菜が圧倒的に多くどちらかと言うとポトフの意味に近かった。商人が通っている様子も無いし、小さな村だ。大きな牧場があるようにも思えない。ここでは肉は貴重なのかもしれなかった。

「こうも教会への内証事が増えることになるとは思わなかったぞ……。一見したところ、まともにソウイル教の流れを汲んでいるからまだいいものの、これが異教の集団であれば流石に看過出来ないところだ。全く、貴様らといるとろくなことがない……」

 忌々しげに、自身の斜向いに座るカタリナへ向かってマクシミリアヌスが口にした。カタリナは特段気にしたようなこともなく、じゃがいものピューレをスプーンですくって宣った。「落石してたのは流石にあたしらのせいではないさ」。……四人がけテーブルにそれぞれ分かれて座ることになったため、必然的に真佳、さくら、マクシミリアヌス、カタリナという島が出来上がる。じゃがいものスープを真佳はこくこくと飲み込んだ。
 フォスタータ、というのがこの村の一応の名前であった。でも村の人間はそうは呼ばない。教会に内証で、こっそり商品を売買しに来てもらっている商人たちが、いつしかここをそう呼ぶようになったらしい。言葉の意味を真佳は知らない。

「ともかく」

 レタス的なものに荒くフォークを突き刺しながら、荒げた声でマクシミリアヌスが口にした。

「とっととあの忌々しい落石を何とかして先に進まにゃならん。俺はここに長居する気はないからな」

 鼻息荒く息巻いて、ばりばりサラダを貪った。真佳としてもその意見には全面的に賛同だ。さくらも早く先に進みたいだろうし、ヤコブスも消極的だった。ここで長期滞在を続ける理由は今のところ見当たらない。

「ああ、それなら手伝ってやったらいいかもね」

 とカタリナが、唇の端を自身で舐めながら口にする。じゃがいものピューレが好きなんだろうか。富民の街、チッタペピータで見ていたときより食いつき方が違うので、この村のものが好きなのかも。

「この村の人間も、あそこの落石のことは知っている。あっちも何とかしたいんだよ。あそこは商人が特に通る場所だしさ。ペシェチエーロやチッタペピータの人間にまではここの異常は感じ取れないかもしれないけど、ここより西の村の人間にとっては大問題ってわけ。何せ都市まで続く道だ。生命線なんだよ。あそこが通れなくて困り果てているのは、何もあたしらだけじゃない」

 ピューレを更にすくって口にした。チッタペピータではまだごろごろしたじゃがいもの食感があったけど、ここではよりクリーム感が強かった。少しくチーズの味がする。

「落石を撤去する動きがあるのか?」
「あるよー。さっき司祭に聞いてきた。あー、まあ正式な司祭じゃないんだけど」
「今その話はいい」

 厳しげな声でマクシミリアヌスがカタリナの気遣いを摘み取った。カタリナは肩を竦めたが、それは嫌な空気というわけではない。多分、それもマクシミリアヌスなりの気遣いだ。

「よかろう。俺も同行すると伝えよう。人手が多いほうが早く済むのは道理だ。君たちはそれまで、ここでゆっくりしていればいい。何、長旅を癒やす最適な休憩期間と思えばいいさ。これから先は更に長く、舗装されてない道が続くからな」

 髭に埋もれた唇を弧の形に歪めてマクシミリアヌスは実に気軽に言い切った。落石は巨大であり、そしてあの足場は難解だ。慣れていない真佳が行って足を引っ張るより、マクシミリアヌスに全面的に任せたほうがいいのだろう。こればっかりは、真佳も同意せざるを得なかった……。

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