「だってでないと辻褄が合わない」

 と、金髪赤目の殺し屋の女はそう言った。

「ま、でも安心してくれ。僕だってすぐにそれと考えついたわけじゃない。確信したのは暫く時間が経ってから。即ち、僕がウィトゥスを殺す方法を発見してから数ヶ月ぐらい経った後」

 居間と廊下に垂れ下がった灯りが戸口に立った彼女の顔と、それからその後ろに控えて立ったさくらとヤコブスとを平等に、頼りなげな光量でもって照らし出していた。赤い双眸がまるで人食い生物の口腔のように怪しく光り鬼莉を落ち着かない気分にさせる。何のことはない、客観的に見る赤目というのは、鬼莉にとっても初めてのものであったのだ。

「最初はどうしようかと思ったさ。何せウィトゥスが千里眼持ちであることを僕は既に聞かされていたし、心の中で思ったことを知られることにはすっかり慣れた後だったから。うっかり頭で考えようものなら貴方は僕に自分の殺害を迫ってくると思ったし、詳細は省くが、何にせよその時僕に貴方を殺す意思は欠片も存在しなかったのだ。しかし殺害方法を知っている類稀なる存在を、ウィトゥスがみすみす見逃してくれるだろうなんてことも全く思っていなかった」

 そして、その時の彼女の予測は実際正しいものだった。ガッダは自らを確実に殺してくれる存在として真佳の中から鬼莉を見出し、街の全てと引き換えに真佳に殺しを依頼した。

「何も僕が完璧に隠し切れたわけじゃない。思考を制限するというのはそうそう容易くできることではないからね。一分の隙無く貴方の前で考えないでいられたわけじゃない。それでもウィトゥスは気付かなかった。最初は別のところに意識を向けていたからだと考えたから、一瞬の幸運にほっとした。でも時間を経るごとに気付いたよ。それは幸運なんかではなく、ウィトゥス、貴方に対するガッダ一族の呪いだと」

 ――そうスサンナが断定したとき、恐らく反射的にだが、ウィトゥス・ガッダは拳を握り締めたらしかった。甲に血管が浮き出すほどに、指先が白く変色するほどに、執念が心臓を握りつぶしそうなほどに、強く、強く。
 ガッダが微塵も見せなかった黒々とした感情の一端を鬼莉は見た。

「だってご先祖様からしてみれば、折角子孫を不老不死にしたんだぜ? 不安の芽は全て潰しておきたかったんだろう。結果、ウィトゥスは自分を殺害する方法に関して認識することが出来なくなった。千里眼の唯一の死角と言うんだろう。面倒くさい家に産まれたもんだと同情するよ。それほどまでに家名を永続させたかったものかとね」
「スサンナ、貴方は……」
「ああ、言わなかったさ。知っていて」

 批難されるのを知っていたかのような口振りだった。
 それでいて、後ろめたさを女は持っていなかった。

「何でなんて下らない質問をするなよ、ウィトゥス。理由は既に言っただろう。誰も彼もが貴方に忠実に動いてくれるわけじゃない。知っているだろう」

 あまりに鋭利な刃をガッダに突き刺したものだと思った。その傲慢さと慢心こそが貴族に産まれたが故の産物なのだと、暗に女は指摘した。それがガッダの心臓に食い込まないはずは無い。
 一瞬、何かを落ち着けるような空白があった。赤目の女も、まるで知っていたかのように何も口にはしなかった。

「――では、何故今それを?」

 ウィトゥス・ガッダが口にした。
 ――稲妻のような重々しい轟きはありこそすれ、黒々とした執念深いナニカを男は微塵も滲ませない。青白い顔に若干の血色が戻ったように鬼莉には見えた。そこまでの侮辱を受けて尚“殺し屋の友人”という立場を取り続けるつもりは、ガッダには無かったということだ。その紫眼はあまりに熾烈に輝いた。――クハッ、と、スサンナが笑い声のようなものを口にした。

「知ってるだろう? 隠す必要が無かったからさ」
「……僕を、殺してくれるというわけかい? 長年その機会を棒に振っておきながら?」
「殺人者は興が乗らないと殺しをしない。言われたことがあるんじゃないか?……」

 そこに自分の存在が仄めかされていることをすぐと鬼莉は自覚した。同じようなことをガッダに言ったのは現実だ。それともほかに、ガッダに接触した殺人者の中で同じようなことを口にした社会不適合者がいたかもしれない。

「では今は?」

 ガッダが聞いた――


落丁



 ……殺し屋はすぐには返事をしなかった。何事かを考えていたのかもしれないし、何事も考えていないのかもしれない。その赤目は無表情で、成る程、同級生に虐げられ希望を持つのを諦め憔悴しきった数年前の真佳の瞳に、それはよく似ているかもしれないと考えた。
 彼女が何かを視界に映しているとするのなら、ウィトゥス・ガッダの姿がそこに映っているのだろう。自らの血に塗れ、ワイシャツを濃淡ある真紅に染めて、服の至るところに刀傷をつけたガッダの姿。上着とズボンは黒であるため一見色の変化は無いものの、水に浸せばそれは血の色に染まるだろう。それがこの家の当主、ウィトゥス・ガッダの現在の様相。――鬼莉は胡乱に瞳を眇めた。
 死に損ないであるのは変わりないくせに、何故だろう、それはただの虐げられた人でなく、間違いなく支配階級であり、王であり、当主であった。殺してくれと依頼されたのはこちらであるのに、“狩られる者”の眼をしていないのである。アメジストの双眼に映るのは、飽くまでも――下等な者に対する慈愛と、権威と、沈着さのみ。

「……ウィトゥス」

 と小さく女が言った。

「貴方は今まで何を見た?」

 それはガッダの問いとは関係の無い答えであった。ガッダが紫眼を薄く眇めた――鬱陶しげにも捉えられたし、怪訝そうにも鬼莉には見えた。どちらにしても高慢が混じっているのは間違いなかろうと考えた。

「それは、僕の問いに対する解答かい?」
「――…………さてね」

 ガッダは吐息したらしい。肯定とも否定ともとれないそれをガッダ家当主が容認するとはとても考えられなかったが、どうやらガッダは――この女には僅かに甘い。

「まあいいさ」

 とガッダは言った。

「何を見たか、と貴方は言ったね。いいよ、答えよう。貴方が僕を殺してくれるのなら、僕に不満は無いからね」
 投げやり気味にも聞こえる声で、ガッダは一つ吐息する。「――僕は何も見なかった。見ていたものなんて何も無い。スサンナ、貴方が何を期待しているかは知らないが、僕は神のご意思に反する体になってから一度も、この世界を見てはいない」

 彼女のほうに鬼莉は横目を投じたが、特段の変化も見抜けなかった。その答えを予測していたとも言える。少なくとも表面だけではそう見える。

「何か見てほしかったのかい?」

 言った言葉に揶揄するような色も冷笑するような色も織り込まれてはいなかった。ただ嘆息混じりの諦念だけが含まれていたように鬼莉は思う。ふうん……と、目を細めて男を見た。鬼莉がつけた切り傷は全て修復済みであろう。にも関わらず、男に立ち上がる気配は無い。
 想起したのは昆虫の標本だった。死体を乾燥させて針で刺し、様々な理由で鑑賞される。

「………………いや……」

 ほんの少しの間があった。

「……そうだな、望んで生き長らえているわけじゃない。神を信奉する僕らにとって、それは最も忌み嫌う現状でもある。死ぬこと以外に考えることなどあるわけがない」

 そこに感情の煌めきを見た気がする。美しいものという意味では勿論無い。鬼莉の中に“美しいもの”などありやしない。
 そこに見たのは星が消える瞬間のような爆発だ。質量の大きな星は最後に超新星という大爆発を起こし、まるで一つの星が新しく生まれたように見えるという。それを実際に目の当たりにして考えるのは、陶酔ではなく畏れだろう。死に際の無意味な抵抗、世界への未練がましい執着心。薄気味悪さを感じこそすれ、畏敬を鬼莉は覚えない。

「信奉しているさ。無論。こんな稼業をやっていて、神を信じない不敬者がと罵られたこともあるけれど。だってこんな国に産まれてきたんだ。神が根付いたこの場所で、あの家系で、神を信じないなんてことがあるものか」

 吐露するように女は言った。すぐ側にいるはずのさくらは何も口にはしなかった。それが覆せざる絶対の引き金に指をかける決心であると知りながら、彼女は女をとめることはしなかった。

「生に執着した生物はカバネになる。一生涯神の威光を感じ取れぬまま自我も理性も剥奪されてただただ土と、夜の香りだけを感じて、いや、感じることすら奪われて、延々と生き続ける羽目になる」
「ああ。しかし僕は、神罰すらも享受することが出来なくなった。神の創りたもうた世界の環から、僕だけが弾き出されたのだ。神の恩寵を絶対の糧とするこの僕が」

 ――殺し屋の女はそこで笑ったらしかった。
 口角が上がったのだからそうだろう。しかし鬼莉には、それは泣き出しそうな顔にも見えて。

「――主、その仰せのとおり」

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