「おや、正解だったか」

 ――首を巡らせて舌を打つ。金髪をアシンメトリーに整えた女の後ろで、見知った顔が瞠目したのを視界の端に捉えてしまった。
 彼女の瞠目に鬼莉の存在は起因しない。ガッダが撒き散らした血の惨状と、そこに佇む真佳の(・・・)姿が単に繋がらなかったせいだと鬼莉はすぐと予測した。

「まさか貴方まで現れるとは思わなかったよ、スサンナ」

 とガッダは少し吐息しながら不満そうに言葉を発す。

「連れてくるは連れてくるとしても僕と顔は合わさないとか、普通はそういう選択をとって然るべきではなかったかい?」
「そんな馬鹿らしい」スサンナの一蹴は早かった。「どの道あんたは僕をいつでも見れるんだから、今ここで逃げ出す必要が無いだろう? 数年来貴殿に心をさらけ出しすらした僕を、そう甘く見てはいけないよ」

 ガッダはただ吐息しただけだった。それは短い間でのやり取りだったが、鬼莉には少々据わりの悪い時間ではある。真佳に体を返すべきか、窓から飛び出して逃げるべきかを咄嗟のうちに考えて、それから何で自分が逃げないといけないんだという開き直りで腹が決まった。

「――殺そうとしたのか?」

 まず初めにさくらの隣に在る無精髭の男が口にした。何で何も知らない男に気安く話しかけなければいけないのかと鬼莉は反発心を催した。訳知り顔で鬼莉の行動を口に出して欲しくない。

「…………鬼莉」

 流石に驚いて強張った顔で彼女を見た。隣の男になんてちらとも視線を向けはしなかった。というか、そういう隙は無かったのだが。さくらの発言があまりに早かったものだから。

「……へェ、流石に早いね。そんなに真佳が殺人を犯す現実が受け入れがたカった?」

 殊更邪悪な笑みを浮かべてやった。さくらの表情は変わらなかったが、表情筋はどうやら強張ったらしかった。後ろでヤコブスが怪訝に顔を顰めたような気がしたが鬼莉は素知らぬふりをした。

「……何でアンタが“出て”来てる? あれ以来出てきたような素振りは真佳は」
「まサか真佳の言動を頼りにしてた? あれがそう容易く心の内側をさらけ出すはずないデショ」まあガッダの館に赴くまで、鬼莉が表に出られなかったのは事実だが。それをご親切に教えてやるほど鬼莉は義理堅くはないのであって。「真佳の言動をただ待っていたのなら、それこそお笑い草なのでハない?」
「……」

 さくらは何も答えなかった。
 答えられないようなことをわざと口にしているのだから当然だ。鬼莉はさくらに何の弁明も許さない。

「――これは、またまた」

 呆れたようにガッダが言ったのが鬼莉の癇に若干障った。“殺されるごっこ”はやめるのか、壁にもたれて座っていたのを危なげなく立ち上がって、立ち上がったときに二、三度少し咳き込んだ。「“ごっこ”とは失敬な」鬼莉にだけ聞こえる声音でガッダが言った。――なるほど、人数は増えたが見透かす相手はシフトしないらしいと鬼莉は思う。

「――諸君」

 とガッダが口にした。荘厳でよく通る声音を形作られたとき、視軸の先を知れずガッダに合わせてしまったことに一拍遅れて気がついた。――実に癪に障る。恐らくさくらと、それ以外の者もそうだろう。

「僕はあなた方を、ここへ招き入れた覚えはない。スサンナ、今回ばかりは貴方もそうだ。僕は彼女を街に押し留めて欲しいと依頼はしたが、ここに連れて来ていいとは言っていない。話は分かるね。皆即刻ここから立ち去るように。これは懇願ではなくガッダ当主としての厳命だ」
「そういうわけにはいかない」

 部屋中がびりびりと痺れるような演説を真っ先に叩き切ったのがさくらであった(なるほど当主、人を言葉一つで屈服させる術をよく心得ていると言えるだろう。さくらはそれにはかからなかったが)。
 どうやら屈しないよう踏ん張っているらしいさくらが、わざと凛とした口調を形作って返答としての言葉を紡ぐ。

「真佳を連れて帰らせてもらう。アンタが真佳を巻き込んで何事か企んでいるのなら、それを実行し終える前に強制的に終わらせる。真佳はアンタの思う通りには動かない」

 ガッダの視軸がさくらへ向いたのを見咎めて、鬼莉は舌打ちしかけたのを既のところで呑み込んだ――ガッダの双眼に殺意は無かったが、代わりに下賤な民を見下すようなあからさまな軽侮があった。殺意が無いということは害意が無いということと決してイコールでは結ばれない。真佳だってあの殺し屋に学んだはずだ。殺意がなくても人は人を殺せるということ――。

「――なるほど、貴方は聡い」

 藪から棒に男は言って、黒縁眼鏡のブリッジのところを押し上げた。――さくらの心を読んだのだと理解した。

「ほとんどご明察であるとは言える。確かに僕は彼女を、僕を殺せる数限りある人間としてこうして屋敷に招じ入れた。マナカに、ではないがね。初めから狙いはキリだった」
「キリ――?」

 聞き返したのは殺し屋だった。鬼莉は今度こそ舌打ちを飲み干すことはしなかった。人のプライベートをよくもまあずけずけと口に出すものだと、殺意とともに考えた。「――僕にはそれは心地の良い寝物語にしかならないぜ?」少し微笑って男が言った。

「どこでそれを知った、という顔をしているね」

 鬼莉に対してではなく、さくらに向かって男は言った。心ではなく顔色を見たのは明らかで、そしてそれは鬼莉から見ても十分に識別できるものだった。さくらにしては珍しいことに、彼女はその時ポーカーフェイスという概念をどこかへ落っことしていたわけである。道理であろう。どうやら鬼莉の存在は、真佳にとってトップシークレットであるらしいので。

「……ふむ、成る程。疑問に思うのも最もだと言いたいところだが、僕の中にあなた方に与える慈悲は無い。招き入れたつもりは無いと明言したろう。客人として扱われるなどとゆめ思わないでおくことだ」
「……まさか」

 低く唸るような声音でさくらが言った。さくらにしては慎重に徹するようまるで努力しているかのような声色だ。ウィトゥス・ガッダといういろいろ規格外な男の存在は、どうやらさくらであっても鉄の心を維持できるような易いものではないらしい。そのことがほんのちょっとだけ鬼莉の自尊心をくすぐった。

「こっちだってアンタを主人役と思ったことは無いのだもの。無論、客であるなどと夢にも思うもんですか」

 そこに明らかな敵意があって、ふうん……と鬼莉は尻上がりの吐息を鼻から漏らす。一応本気で真佳を連れ帰るつもりはあるらしい。さくらには何も出来なかろうが。

「ねえ、キリって何だい」

 空気も読まずに女が言った。ガプサの首領だとかいう男も事態の把握濃度においては女と同格か、或いはそれ以下であるのは間違いないにも関わらず、舌打ちしただけで何も問うては来なかった。成る程、話が早くて助かる奴だと鬼莉はしゃあしゃあとそう思う。

「というか、本当にいい加減出てイってくれる」

 新しいクナイを取り出しながらついに鬼莉も自論を述べることにした。新しい参入者を見限ったとも言い換えられる。彼らに真佳は救えない。
 スサンナが目を見開いた。ひゅう……と口笛を吹きさえして。彼女は真佳と同じく本能で生きてきたタイプの人間だから、真佳が真佳でないことをいち早く理解するだろうとは思っていたが。

「そういうわけにもいかない」

 ということをさくらが言った。

「鬼莉、何でアンタが出てきているかは知らないけれど、アンタの意思も私たちには関係無いわ。真佳を(・・・)連れて帰る。この一点を私は譲るつもりは無い。
 ……それに」

 こちらを見据えたまま、扇情的に目を細めたのが鬼莉には見えた。相も変わらずナイフのような銀をしているものだと鬼莉は思って舌を打つ。

「アンタが幾らその方法でウィトゥス・ガッダを殺そうとしたところで、それではガッダは殺せない」

 ――流石の鬼莉も、五百万もの苦虫を噛み潰しているかのような顔色でさくらを睨みつける羽目に陥った。そこに恥辱と憤怒が含まれていることを何より鬼莉が知っている。言われないでも知っている、それでもやるしかなかったのだからやるだろうとは実際口にはしなかった。それこそ負け犬の遠吠えにしか聞こえないような気がして。
 ――負け犬の遠吠え。
 実際まさしくその通り、これでは埒が明かないことを、何より鬼莉は現実として理解していた。ただ考えるだけの時間が無かったためにガッダの言葉に乗った形になっただけ。殺すための技術ならば当然真佳と同じレベルでは体得しているし、殺し続けるだけならば判断する時間が無くとも永久に続けられることだったから。
 このやり方では突破口が開けないことを鬼莉は誰より理解している。だから気乗りしなかったのだ。時間稼ぎの殺しとか、得られるものがないことは当たり前のことであろう。
 それをさくらに、よりによってさくらに指摘された。
 これ以上の侮辱がこの世のどこにあるというのか?

「まるで僕を殺す術を、会得しているかのようなことを言う」

 軽薄の色の濃い、浮ついた声でガッダが言った。浮ついた声自体はそれまでと何ら変わったところはないものの、軽んじているのは明らかな声色で、まるで自身が擁立していた殺人鬼が見逸れられたことに対して、多少なりとも憤慨しているかのようだった。
 しかしさくらが次にこう言ったとき、

「会得していますとも」

 ガッダの顔は文字通りの意味で凍りついたかのように思われた。皮膚からは血色という血色が失われ死体の肌に立ち返り、視神経が断ち切られ瞳孔は開き切り死後硬直が開始する。言わせてもらえば、鬼莉がガッダと会ってから――いや。
 真佳がガッダと会ってからこれまでで、それは一番吸血鬼らしい姿のように鬼莉には見えた(ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』で、吸血鬼は本来は死体であるために日中は死体に戻ることになっている)。無論それはそう見えているだけで、実際にガッダが死に絶えたというわけではない。ガッダの言葉を借りるなら、彼は“不老不死”であるからだ。

「――――――何だって?」

 引き攣った声でガッダは言った。今まで人類の十歩も先を行ってるみたいな気取った態度ばかり見せられていた鬼莉にとって、それは少し胸がすいた反応であったことは認めよう。

「会得していると言ったのよ。アンタを殺す特殊な術というやつを」
「――」一度、唾を呑み込むような間があった。「……何故貴方が。この館に、貴方は今初めて足を踏み入れたはずだろう」
「僕が教えた」

 今度こそガッダは生者らしく驚愕に目を見開いて、その視軸をそのまま長身の女の顔にシフトさせたようだった。「――」まるで喉に宝玉か何かが詰まってでもいるように、ガッダはその時何の言葉も発さなかった。代わりにスサンナが続きの言葉を口にした。笑顔で。

「ガッダの執念は恐ろしいね。この場合のガッダとは、つまりウィトゥスのことではなくて貴殿の血縁者のことだけど」

 どこか他人行儀にも聞こえる言い方だ、と鬼莉は思ったが、それに関して何か続けて考えたりはしなかった。それよりスサンナの赤い双眸にフラストレーションを感じていたので。いつの段階でか真佳はこれを、鬼莉の目と同一であると認識していた(冗談じゃない、と鬼莉は思う)。

「安全装置を取り付けたんだ、貴方の先祖というやつは」

 今、初めて聞くことを女は言った。
 しかし、寝耳に水の話であるのはガッダも同じであったらしい。

「安全装置……だって?」
 女は短く頷いた。「そう。ウィトゥス自身の殺害方法を、ウィトゥスに知られないような細工をね」

 ……一呼吸置いてから、

「それが違和感の正体だ」


スパーダ・デッロ・スピーリト

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