どこから行くの、と言ったら「正面からに決まってるだろう」と返された。
 ……いわゆる不法侵入で、相手はこちらの来訪を望んでなどはいないわけで、こちらのうち一人と相手は味方同士であったわけで、そこのところは大丈夫なのかということをかなり直接的に尋ねたら、その“味方同士”だった彼女は「ウン」と小さく返事を重ねた。

「どの道小手先のやり方なんてウィトゥスには通用しやしないんだ。だったら最初から正面突破のほうがいい。何、用心棒も勿論いないよ。マナカを人質にすることはあるかもだけど」

 それは十分危険なことなのだが……まあ、遠くのことや心の中のことが分かる相手に迂遠なやり方をとっても仕方ないのは確かであるので、さくらは続けては発言しないことにした。

「気をつけてほしいことが一つある」

 と彼女は言った。

「僕のことを考えないこと。意識してないことは幾らウィトゥスだって拾えない。だから、情報が奴に漏れないようになるべく僕のことは考えないこと。まあ、読めなくたって聡い奴ではあるんだけどさ」

 察せられることに関しては注意のしようもないだろう。ガッダが彼女に下した命令に反してさくらとヤコブスが館にいること、彼女がそれに同行しているというだけで、味方でなくなったのは明らかだ。隠し通せるものではない。
 さくらとヤコブスだけが館に行って、彼女だけどこかに隠れていてもらうということも考えた。が、外に出す前に却下した。ウィトゥス・ガッダが千里眼の持ち主だとして――彼女の動向は逐次把握できるはずだから。言ったところで、彼女とヤコブスも同じ判断を下したろう。

「仲間を待ってもいいんだぜ?」

 ……さくらは少し想起するだけの間を置いた。

「いえ――来られるような立場になったら、アイツは自分で来るでしょう。場所は知っているのだから。アイツはそういう男だものね」

 ふうん、と彼女が少し興味深げに片方の眉を跳ね上げた。
 面白くなさそうにヤコブスが舌を打ち鳴らしたのを聞きながら、そういえば、とさくらは思う。

「アンタの名前を聞いてなかった」
 彼女は笑ってこう言った。「殺し屋でいいさ。それ以上でも以下でもない。もともと貴殿と僕とでは、出会ったこと自体が既に間違いだったのだ」


デカデンツァ・ノッテ


 ――ということで、さくらはこうしてここにいる。最初は警戒の色を隠そうともしなかったさくらとヤコブスも、ガッダの館を進んでいくごとに警戒心が薄れていった。“殺し屋”の彼女が言っていたようにそこには誰もいなかった。ガッダと真佳しかいないというのはどうやら本当であるらしく、人が潜んでいるような気配も無い。西洋の巨大な建築物は、それ自体には計算し尽くした形式美感があるものの、ほとんど大部分が長い間使われていないことが伺えるような明確な劣化が見て取れた。

「……成る程、これだけの広さなら街中の子どもも囲えよう」

 囁くように呟かれたヤコブスの低声が周囲の湿気を吸い込んだような板張りの廊下に吸い込まれて浸透するように消えていく。……さくらはアルブスの長老が言っていた、百五十年前と五百年前の小児誘拐事件を想起しながら長い廊下を見渡した。形式的ではあるし迷いにくそうではあるものの、目的地が分からないだけに前方を歩く彼女の背中がなければきっとさくららは迷ったろう。
 過去の異世界人がここを目安と決めたのも当然だ。ヤコブスの言うとおり、この街の中で子ども全員を匿える場所と言えばきっとここしかないだろう。……それでも当時の街の住人は、ガッダの家に押しかけることはしなかった。街の権力者の報復を恐れてのことである。当時も今も、証拠も無しにウィトゥス・ガッダに立ち向かえるような人間が、この街には存在し得なかったとさくらはここに至って理解した。
 ……一つだけ分からないことがある。ウィトゥス・ガッダは一体どのような方策でもって、ここに街中の子どもを集めたか。

「ああ、ウィトゥスの武功の話かい」

 悪行の話だ、というのは敢えて突っ込まないことにする。ここを問答したところで何も進展はしないので。

「アンタは知ってるの?」

 とさくらは聞いた。

「ウィトゥス・ガッダが子どもを一夜にして攫った理由」
「百五十年前と五百年前の話かい?」
「……まあ、そうらしいとは聞いている」

 勿論さくらだって自分の目と耳で経験したことではないのである。それはこの殺し屋の彼女も同じだろうけど。

「さてね、眷属にでも連れてこさせたんじゃないか?」

 ……けんぞく?
 一瞬頭に漢字が浮かばなかった。

「えーっと、たしか奴の眷属コウモリだろう。理由は分かってないけれど、一属性に複数体の眷属が確認されているってやつ。一夜に複数の子どもを攫うなんて、ウィトゥスにとっては朝飯前もいいところだろ? むしろ簡単すぎて飽きるレベルじゃない?」

 ……ヤコブスのほうを仰ぎ見た。何でこっちを見るんだというような迷惑そうな苦々しげな顔を返された。

「……ウィトゥス・ガッダは第一級なの?」

 ということをさくらは初めて知ったのだ。そもそも疑問にも思ってなかった。彼の魔力の質について話題に上ったことはなかったし、多くの人間が第二級魔力保持者と聞いていたので話題に上らない以上ガッダもそうだと漠然とながら認識していた。
「……俺も知ったのは初めてだ。街の外の人間にとって、奴は胡散臭い伝説紛いの何者でもないんだよ」ヤコブスが鬱陶しそうにそう言った。相も変わらずぼそぼそとした声なので、彼女には聞こえてないかもしれない。
「第一級だよお」と彼女はえらく気楽に言った。

「まあ魔力の質が高いだけで何も強くはないんだが。一目で“こいつとは戦っても楽しくないな”と分かるくらい。何せちょっとした動作がもう完全にお坊ちゃんだしね。本人は否定するだろうけど。あれじゃあ戦場は生き長らえんさ」

 からからと笑って背中を向けたまま手を振った。屋敷の廊下に人工的や魔術的な光は無く、月明かりだけが彼女の長身を照らしている。右手には片扉が結構な間隔をあけてずらりと並び、左手の窓の向こうにはどうやら中庭があるらしい――向こうの棟寄りに、屋敷の屋根すら越える尖塔が突き立ててあるのが宵闇の中でぼんやり見えた。街の外から見えた尖塔は恐らくこれだ。
 尖塔の後ろに左右の棟を繋ぐ建造物は見当たらなかったが、下のほうに渡り廊下らしき屋根は見えた。その向こうにはちょっとした森。多分この森の果てには、ガッダの敷地を囲う長い長い塀がある。

「何の属性だ?」

 とヤコブスの尋ねる声をキャッチした。

「何だい、気になるかい?」
 ……精一杯渋い声で、「ここまで話したのは貴様だろう」
「っつっても、僕が全部話して聞かせるのも乙な話じゃないだろう? 別に、貴殿らの味方というわけでもないんだし」

 弾むようなからかうような声だった。ここまで連れてきていて今更何を……というのは、さくらも敢えて言わないでおくことにする。実際そういう話で彼女はこちらについたのだ。
 ヤコブスの声は苦味を増した。“教えたくない”ではなく、“教えても構わないが君の対応次第だよ”と言わんばかりの声色だったのだから当然だ。

「話す気があるのか?」
「無いとも言えない。何せ僕は義理や人情より面白みを求める人間でね。ウィトゥスより貴殿が面白いのなら、僕も素直に応えようさ」
「話にならん」
「おや、引くのかい? 珍しく僕に話しかけておきながら、引き際はあまりに軽率なんだな」

 ヤコブスの片頬が引き攣ったのをさくらは横目でもって視認した。ここは薄暗い上彼女がこちらを見もしないのが幸いしたとしか言いようがない。普段なら決して見せないヤコブスの一瞬の隙だった。……まあ、何と言うか、ヤコブスの辛辣な皮肉に対してこうまでラリーが続く相手が難しいのであるのだが。

「他人の神経を惑わすような傾向のものだと推測したけど」

 というのをついにさくらが言った。
 彼女は虚を突かれた顔で一瞬間だけ振り返った。ヤコブスで遊ぶ機会を取り上げられたことを不満に思ったのかもしれないし、さくらが口に出したのを意外に思ったのかもしれなかった。

「ちぇ、なあんだつまんない」

 前者だったのかも。ヤコブスの顔は努めて見ないようにした。

「まあ、言ってみれば麻薬だわな」

 ――というのを頭の後ろで手を組みながら、こちらを一顧だにすることなく言い切った。もう少し遊ぶ機会を見つけてみてもいいんじゃないか?とも思ったが、そっちを突っ込んでいるような思考の余裕は存在してはいなかった。流石にそっち方面は想像してもいなかった。

「あ、街の人間ですら知らないんだから内緒にしといてくれよ。ウィトゥスが第一級であるってこと。それで怒ることはないだろうけど、手駒は多いほうがいいだろうからさ」

 ……この街のことを思うとバラしたほうがいいのだが、まあそれはそれ、今ばかりは従うことをさくらは決めた。今この瞬間魔術の質など明るみに出したところで、現況がどう転ぶというわけでもない。
 それよりも麻薬云々という話であるが……。

「……子どもに麻薬を使ったの?」

 なんという非人道的な……。よくもまあ使うことを自分に許可出来たものだ。そこらの善悪の感情が欠落していることの証左だろうか。

「そうだよ。麻薬はウィトゥスにとって、単なる使える駒の一つだもの。使えるものは使う。それが普通のことではないか?」

 ……吐息する。成る程……“出会ったこと自体が既に間違いだったのだ”という言に、どうやら誇張は無いらしかった。彼女がさくらの思索を感じ取ったかは知らないが、ただ殺し屋は半分だけ振り向いてから意味深長ににやりと笑った。

「決行日前から麻薬を吸わせ中毒に陥らせてから彼らが自ら屋敷に向かうように仕向けておいた。なるほど、魔力のことが分かれば種も自然と街中に知れるということだ。ウィトゥス・ガッダにとっては痛手だろうよ」

 若干冷笑混じりであるのはさっきの殺し屋への仕返しだろうか。ヤコブスが意外に大人げない執着を持っていることをさくらは今更不思議がりはしなかった。

「駒の一つを失うだけさ。使えないなら使えないで、ウィトゥスは別の手駒を使う。別段痛手というわけもない」

 対して殺し屋は何でもない口調で受け流すようにそう言った。そこに悪感情は見当たらなかった。ヤコブスもきっと、そこに異論は無いと思う。鼻を鳴らしただけでつっかかりはしなかったので。

「それからウィトゥスは麻薬に犯された子どもの生き血を嗜んだ。さっきサクラが言っていたように、それが極めて効率的なエネルギー源だとするのなら、多分嗜む必要があったのだ。百五十年前と五百年前……単純計算で三百五十年の間があるね。それがウィトゥスの活動限界なのかもしれない。三百五十年ごとに奴は子どもの生き血を飲む。これからも」
「……それはアンタの願望かしら?」
「さてね……」

 ……感情の色が見られなかったのが意外であった。崇敬にしろ慈しみにしろ、その返答には何かしらの感情が彩られていてもおかしくないと踏んだのだけど。
「何ともまあ、気の遠くなるような話だな……」同じ色素の薄い声音でガプサの首領は吐息した。

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