「話は決まったかい?」

 と毒の魔力を持つ彼女は言った。さくらとヤコブスが宿を出てきて開口一番。彼女がいない間にヤコブスと二人、話を詰めていたことは無論彼女も察したようだ。チッタペピータ中央区に林立する行政機関塔を背景に、彼女は瞳をこっちに向けて微笑んだ。迂遠なやり方は効かなさそうだと、さくらは思った。

「アンタに味方になってもらうことにした」

 ……彼女が小さく口笛を漏らした。単刀直入に結論だけ述べたことに対して、ヤコブスはさくらの横でげんなりとした顔で小声で言った――「遠回しに言って聞いてくれる輩ではないとは思うが……」。だってそれしか無かっただろうと心の中でさくらは答える。

「具体的にどういう形で?」

 一瞬驚いたような顔はしたものの、彼女はその一瞬以外には表情を変えたりはしなかった。ニュートラルにギアを入れた状態で、飄々とした不遜な笑みを絶やさない。

「ウィトゥス・ガッダを生き延びさせる」
「……正気か?」

 と彼女は言った。「……てっきり金で話をつけると思ったが」。小さく発した彼女の言葉を、さくらは正確に把握した。

「勿論。だってアンタをこっち側に引き入れるには、それしかないでしょう。ほかの誰でも、アンタにだって出来ないことを、私たちがやり遂げる」
「……そういうことを言ってんじゃないよ、僕は」

 彼女が赤い双眼を眇めて見せたのをさくらは真っ向から受け止める。

「……言わなかったかな。“ウィトゥスは死にたがっている”。そして僕はたしかこうも言ったはず。“雇い主が一人消えるだけさ”、って」

 彼女は数秒間を置いた――或いはさくらの答えを待っていたのかもしれないが、さくらはそれには答えなかった。……彼女が小さく肩を竦めた。

「そんな条件で僕を手懐けられるとお思いかい?」
「思うわ」

 即答。

「だって本当は望んでいないのだもの。ウィトゥス・ガッダが死ぬことを」

 ――根拠は無いんだな、とつい先ごろヤコブスはさくらに述べている。ないとも……心の中で繰り返す。ヤコブスに言ったような系統立てた解答は、さくらにとって後付の理論にほかならない。そうであるとの仮定、さくらにとっての直感を元に整えた、言わば砂上の楼閣だ。言葉のとおり、それを長時間維持し続けるのはきっと至難の業だった。

「……何でそう思う?」

 彼女の答えは慎重だった。だからこそ、さくらはほらねと思うのだ――。

「嘘を吐きすぎて、そこだけ嫌に自然であって――かるが故に不自然だから」

“殺し方が分からない”と彼女が口にしたときの違和感は、紛うかたなくそれだった。使い古された台本を、そのまま読んでいるみたいだと思ったのだ――言語化できるまでに少し時間はかかったけれど。
 彼女は一瞬空を仰いだらしかった。
 それから特に意味もなさそうなのにきょろきょろと周囲を見回して、「……あ、いや、今はマナカに執心か……」独りごつ。

「勘弁してくれよ。奴はこの街の中のことなら人の心さえ覗き見ることが出来るんだぜ? バレたら今までの僕の苦労が台無しだろうが」

 ……?
 わけの分からないことを言う。“奴”とは誰だ? 話の流れからウィトゥス・ガッダしか考えられないような気もするがそんな馬鹿な……。
 ……覗き見ることが出来るって?

「では、ガッダの千里眼の話は本当だったんだな」

 ヤコブスが後ろから口を出す。……話に上っていたのか……そうか……。

「貴殿らが考えているほど便利なものではないと思うがね。ウィトゥスはこの街の中限定での異能と言ったし、視点は一つしか無いらしい。で、今はマナカにかかりっきりと思うから……」
「こちらのことは視られていないと」
「恐らくね」

 ……これだから異世界というやつは。いや、吸血鬼だとか魔術だとかのたぐいの話が出たときにそれは嚥下したはずだ。そもそもの話、ここへ来る以前に骨しかない生物(……死物?)と邂逅している。

「……真佳ではなく、こちらの動向を監視している可能性は?」

 開き直ってさくらは聞いた。彼女は「無いね」とすぐ言った。

「マナカが視ている可能性はあるけれど、ウィトゥスに関してそれは無いだろう。僕を送り込んだってことはそういうことだ。……ああ、いや、違うな。言い方が悪かった。自分で動かないってことはそういうことだ。こっちを重要視なんて全くしてやいないのさ」

 ……突っ込みたい箇所はほかにもあるが、

「真佳が視ている……?」

 友人に千里眼の能力が備わっているという話を勿論だけどさくらは聞いたことが無い。こっちに来てから突然開花したわけもあるまいし。

「ガッダ家の言わば遺産だよ。世界を映す千里眼の鏡――ああ、そういえば、これも街限定か、或いは範囲が決まってるのかもな。少なくとも僕は、奴がほかの場所を映したとこは見たことない」

 世界には不思議な物品があるものだと、無理矢理胃の腑に落とし込んでおくことにした。突っ込み始めたら話が進みそうになかったために。

「……改めて、返事を聞いていいかしら。アンタを味方につけたい、という」
「うーん、そうだな。即答してもいいけれど、ここは敢えて明言を避けよう。最後まで信用してもらいたくないしね。ただしガッダの館には連れていこう」

 ……ヤコブスが多分、眉を顰めるような間を置いた。

「信用出来ない人間と共に巣窟に赴けと?」
「まあそういうことになる」

 彼女はそれ以上返答する気は無いようだった。――気持ちは分かる。ウィトゥス・ガッダが本当に人の心をも覗き見ることが出来るなら、彼女のことを信頼していると安心しきるのは危険に過ぎる。
 ヤコブスは舌打ちしただけで深く追求はしなかった。

「では出来るだけ早めに行こう。ウィトゥスが何かの気まぐれで、こっちに意識を向けないうちに」


地下の世界、落ちていく


「勝手に出たのを怒ってイる?」

 ――くすくす笑って女が言った。真佳の内側で、こいつはチェシャーの猫のようににやにやにやにやずっと笑い続けている。少なくとも、真佳が意識を向けたときにはそうだった。

「怒っているね? でもそれは仕方ナいんじゃない? もとはと言えば、キミがさっさと殺さナいからワタシが出ることにしたのだシ」

 ……真佳は何も口にしなかった。

「キミがやらないならワタシがやるわ」

 気にした風もなく女は続けた。

「最初に言ってあったでショう……その期限が近づいているということよ」

 TOP 

inserted by FC2 system