「さて……」

 部屋の壁に背をつけて、腕を組みながら独りごつ。チッタペピータに最初に来たとき、さくららにと宛てがわれた教会関係者御用達の宿屋の一室だった。フロントには当たり前のように誰もいず、ほかの客人の気配も感じられなくなった宿屋にこういう形で戻ってくる羽目になろうとは……。客人はどこに行ったのだろう。教会施設か、あるいは息を殺して未だ部屋にいるかもしれない。
 クリーム色の上品な壁紙に四方を囲われた部屋の中で、ヤコブスが苦渋に満ちた息を吐きながらソファの一つに腰を下ろした。全体重を一挙に預けるようなやり方で。

「八方塞がりだぞ」

 とまずヤコブスが口にした。
 同じことを言おうとしていたところだ、とさくらは思う。実質進退窮まった。チッタペピータからは出られない、ガッダの館には行かせてもらえない、ただ時を待てと金髪赤目の女は言う。
 彼女は部屋には来ていない。宿屋の前で適当に待っているよと言って離れていった。教会関係者御用達というこの宿屋が、殺し屋風情のことをしている彼女には居づらいのかもしれないと考える。

「……駄目だと言うにはまだ早い」
「強がりか」
「……」

 流石に図星であったので言葉を返しはしなかった。だって強がってでもいないと。壁を越えるまでの無茶をして、ここまで来たのに諦められるわけがないだろう。
 さくららの目的は単純にチッタペピータを出るということだけじゃない。ガッダの屋敷にいるであろう真佳と合流を果たし三人揃って外に出ること。チッタペピータを出てしまえばガッダもそうそう手は出して来れないだろうし、外に出ること自体はマクシミリアヌスが何とか策を講じてくれているものと期待する。だからあまり悩みは無い。しかし……

「何とか彼女の目を盗んで、ガッダの屋敷に入り込む方法を考えないと」

 目下のところそれが一番の悩みのタネだ。さくらとヤコブスだけでどこまで彼女の視界を盗めるか。

「無理だと思うがね」

 とヤコブスは悲観的にそう言った。

「あまりに戦闘慣れし過ぎているような女が相手だ。隙を見せてくれるとは期待しないことだな。あの能力も厄介なことこの上ない。こちらの目論見がバレたとき、既に毒の刃が体を侵食しているという結末だって無視出来ん」

 ……実に冷静な判断だ、とさくらは思う。実際ヤコブスの言うとおり。さくらが提示したお題目は決して希望に満ち溢れたようなものじゃない。

「でも、やらなきゃいけない……」

 暗い声音でさくらは言った。避けられないことだ、彼女を見事欺くことは。さくらの中に真佳を諦めるという選択肢は存在し得ない。きっと真佳がそうであるように。
 ヤコブスが短く吐息した。

「策は考えているのか?」

 さくらは少し鼻白む。考えないと、と言ったはずだが……まあいいか。どの道いつかは提案しなければいけなかった。さくらの中にはそれ以上に何とかなる案が無かったので。……或いは、マクシミリアヌスが動けるならばもっと容易になるだろうけど……彼も仕事だ。こちらはこちらで何とかしよう。

「突拍子もない案だけど」

 とさくらは前置きしておくことにした。

「ヤコブスの言うとおり、彼女は私たちに一分の隙も与えてなどはくれないでしょう。どうやら私のことは生かしたいみたいだったけど、あまりに過激な立ち回りをすれば彼女だって本気でとめざるを得なくなる。その時どこまで無事でいられるかなんていうことは、懸けてみるには危険に過ぎる」

 ヤコブスは黙って聞いていた。ソファに座したまま投げやり気味に放った両足の膝に無造作に肘を置いている。目線で続きを促した。

「……勿論私たちでは彼女に勝てないという前提で……となると、彼女に邪魔をされないで、且つガッダの屋敷に入る方法は一つしか思い浮かばない」

 ヤコブスの視線を受け止めてさくらは若干間を置いた。……呆れられるだろうか。あり得ないことだと一蹴されてしまうだろうか。きっと彼はそうするだろう。しかし少しでも可能性がある策は、さくらはこれしか考えつかない。

「彼女を味方につけましょう」

 ……案の定ヤコブスは耳を疑ったような顔をした。

「味方にさえしてしまえば彼女は私たちの邪魔をしないし、運が良ければガッダの館内部を案内してまでくれる。真佳がどこにいるか想像もつかない私たちにとっては願ってもないことになる」
「……気でも違えたか?」

 ……流石に頭の心配をされるとは予想してはなかったな。気難しい顔で目頭を押さえるヤコブスを見ながら考えた。

「私の頭は正常なはずよ。これが夢ではなければね」
「俺が許可すると思うのか?」

 さくらの頭が無事か否かに対する対応はどこかへうっちゃられたようだった。ヤコブスは目頭を揉みほぐしたまま一度たりとてこっちを見ない。

「金であの女が釣れると思っているなら諦めろ。殺し屋なんていう連中は確かに金で雇われてはいるが、それでも一応の矜持はある。金を積まれたからと言って今の主人をあっさり売ることはしないだろう。勿論人にもよるとは思うが……いや、駄目だ、あの女は駄目だな」

 目頭に手をやったままゆるゆると首を横に振る。金、ね、とさくらは思う。そりゃあ金を積んだだけじゃあ駄目だろうと考えた。スカッリアの首都、ペシェチエーロで会った殺し屋は――己の矜持をしっかりと持った子どもであった。

「ウィトゥス・ガッダは殺されたがっている、と彼女は言っていた」

 ヤコブスが訝しげに目を開けて、こちらを見たのを視認した。

「誰にも殺せないから真佳を連れていったのだとも。順当に考えるなら、奴は真佳に自分を殺してもらおうと考えているとしか思えない」
「……随分回りくどい方法だ」
「ええ。きっと、ただ単純に殺してもらうだけなら真佳じゃなくてもいいのでしょう。彼女は“殺し方が分からない”と言っていた。それが真実なのだとしたら、ガッダは特別な方法でないと殺せない――それが、異世界人に殺させる、という方法であるとするならば、わざわざ真佳を持っていった理由は片がつく」

 ヤコブスが眉を跳ね上げた。促されているのだ。さくらが述べた理由では、未だ彼女を味方につけるという策を実行できる根拠に足り得ない。

「断言しましょう。彼女はガッダが死に逝くことに反対よ」

 眉をしかめたのを目にとめた。目頭を揉みほぐしていた彼の手は、いつの間にか足の間に落ちている。黄金の双眼が真っ直ぐこちらを見定める。

「随分と確信的な物言いじゃないか」
「彼女はガッダを殺す方法を知っている」

 男の瞳が細まった。

「無論根拠があるんだろう」
「――殺し方を知らないと言った彼女の言葉に嘘を感じた」
「根拠は無いんだな?」

 ……吐息。
 流石にこれでは押し通せないか。分かってたことだが。

「……無いわ」

 重々しく。

「けれど可能性なら掲示は出来る。ガッダは死にたがっている。彼女が腕の立つ殺し屋であることは間違いない。ガッダは彼女に殺しを依頼しているはずで、勿論彼女もその方法を模索した」
「ああ、それは間違いないだろう」

 ――唾を呑む。さくらはまだ油断しない。

「……ウィトゥス・ガッダが今なお生きているということは、彼女が殺しを諦めたか、或いは――」
「或いは、」と彼は続きを言った。「知っていて、敢えての故意だと言いたいわけか」

 ……さくらは返答しなかった。無論――無論、その問いかけには是と言おう。それがさくらの言う“彼女はガッダが死ぬことに反対している”ということの論拠であって、否定するわけにはいかないからだ。

「可能性は否定しない」

 とヤコブスは肘置きに頬杖をつきながらそう言った。

「なるほど、彼女が殺しを依頼されていたと仮定するなら、そういうこともあるだろう。彼女は諦めるような性質には、とてもじゃないが見えないからな。諦めていなければ、いずれ殺し方に辿り着くこともあるだろう。殺し方を知っているのに殺さないのでは確かに筋は通るまい」

 ――ああ、そうだ。たった一つの仮定さえ成り立てば、そこまでの道筋に異議は無い。
 ……たった一つさえ間違ってなければ。

「奴が殺し方を知っているか、さえ成り立てばな」

 流石に彼は目的を見失うことはしなかった。さくらは素直に頷いた。

「確かめてみる必要がある」

 それ如何によっては、今後の対応が丸っきり変わってくるからだ。ひんやりとした壁の感触を背中に感じながら、さくらは少し目を閉じる。

「……どうあっても尋ねるつもりか」
「一応……できることはやってみたい」

 ヤコブスのほうが吐息した。

「君の問題だ。好きにやってみるがいい」

 目を開けて――こちらを見ないヤコブスに、ほんの少しだけ微笑した。


セグレート会議

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