結局真佳が選ばれた理由については、存分に回り道をした結果彼女は“分からない”とだけ口にした。それを言いたくないがために延々と脱線を繰り返したのではあるまいなと少し疑いはしたものの、隠す理由も思い当たらなかったのでさくらは追求しなかった。
 その間に随分街を突っ切った。中央区画は斜め後ろに通り過ぎガッダの尖塔は既に見上げる位置にある。一体何の因果であるのか――満月に満たない月を背景にそびえるガッダの屋敷の尖塔は、よく聞く吸血鬼伝説のイメージぴったりの構図であるとさくらは思う。尖塔だけでも随分年季が入った屋敷だ。近づいてみるまではそこまで陰気臭くは感じていなかったのだけど。

「もっと貴族絢爛なのかと思ったかい?」

 さくらの表情を見てのことだか知らないが、訳知り顔で女が言った。フードの下の口元が不遜ににやついているのを見てとった。

「街一番の古株貴族であると聞いていたから、それなりに」

 貴族というイメージから感じ取れるものと同様に、ここの貴族たちの重視するものも血統であるらしいと何となくは察しがついた。であるならば街の覇者は、言うまでもなく最も古い血筋を持つガッダだろう。貴族としての権力ではないものの、実際に彼はこの街を牛耳っているようだった。そんな彼の住まう屋敷がみすぼらしい屋敷であるとは……流石に想像していない。
 ふふふっと、悪戯に成功した子どもみたいな笑い声を女は漏らす。

「一応これでも、奴は気に入ってはいるんだぜ? 吸血鬼城みたいだってさ。あいつはどうやら病的に吸血鬼伝説を信奉しているようなんで」

 吸血鬼の話はさっきもやった。ウィトゥス・ガッダは吸血鬼であると明言しているというのをたしか、彼女の口から聞いた気がする。その時は不老不死の真偽が気になってそこまで突っ込まなかったけれど……。

「そこまでどうして吸血鬼伝説に?」

 聞くと、彼女は短く「さてね」と言った。

「自分のことを称されたのが嬉しかったんじゃないか? あいつは貴族が嫌いだし、ガッダの名前は特に嫌う。そういうのでなく、ただ自分自身を称した言葉が嬉しかったんだろう。それがたまたま吸血鬼であっただけ。或いは、世界と共に過ごす退屈な毎日を発狂せずに過ごすための最後の防波堤なのかもしれない」

 本人を目の前にして吸血鬼に例えるなんて奇特な人間もいたものだなとさくらは思う。きっとどうしようもない類いの人間だ。

「僕個人としては、ウィトゥスが人血を飲むについてはただ単に吸血鬼伝説をなぞってるだけだとずっと思っていたからね。不老不死が真であっても吸血鬼ではあり得ない。だってそれって、異界のおとぎ話だろう」

「……この、」世界には、と言いそうになって、既で言葉を呑み込んだ。尋ねようとしたことをそっくりそのまま視線に変えて、ヤコブスのほうを仰ぎ見る。彼は瞳をぱちぱちさせながら、「まさか本当にいると思っていたのか?」……容赦無い言葉を口にした。
 ……流石にさくらだって、長老に吸血鬼だと断言された時は信じがたかったとも、と心の中で照れ隠し紛れに毒を吐く。でも(さくららの世界で言う“ドラゴン”と同じ姿では無いにしろ)ドラゴンだっていたのだし、吸血鬼だっていてもおかしくないのかな、と思うのは正常な思考なのではないか?

「まあ、実際には違ったようだけど……」
「……違った?」
「うん」と彼女が頷いた――「栄養のために仕方なくとか何とか。狩りをしてるのと同等だ。割に切羽詰った内容で僕は少し拍子抜けした」

 ……人の血を飲むことについてか?
 突っ込みたかったがあまりにあっけなく言うものだから突っ込めなかった。独特な考え方をするのだな。

「極めて効率的なエネルギー源ですものね」

 代わりのことを口にする。
 適当っぽくなったかも。本当は“飲む”よりも、直接血管に入れるほうがいいらしいが、そこのところは吸血鬼リスペクトなのかもな。実際には“飲ん”でいるのか“入れ”ているのか知らないが。

「そうなの? じゃ、切羽詰まった時にでも試してみるかな」

 ……とんでもない化け物を生み出してしまった気がする。今後彼女の被害者が出ないことを真に祈ろう。この辺りの区域に、首筋に二つの穴が穿たれた変死体が発見されたりしませんように。

「そろそろいいだろう」

 ぴん、とヤコブスが路上に弾いた煙草の吸い殻が、地に落ちる前に燃え尽きた。
 路上に痕跡の一欠片すら残らなかった。
 ……尖塔だけでない。ガッダの館の門扉が数十メートル先のほうに見えだした。黒い、恐らく鉄か何かで出来ているのだろうと思われる門扉が真っ直ぐ頭上の夜空を突いている。広大な館のその端側も見えだした。
 ヤコブスがそこで歩みをとめた。

「貴様の目的は達したろう。これ以上共に行動する意味も無いはずだ。失せろ」

 ……歯に衣着せぬ剥き出しの凶器みたいな言葉にさくらのほうが流石に怯んだ。怒気に近い苛立ちがそこに多分に塗り込められていたからだ。
 そこまで警戒することか、と思ったのは事実だが、現状さくらが守られる立場である以上下手な口出しは無用だろう。それに、彼女を本格的に庇うほどの信頼を今、抱いているわけでもない。
 彼女は体ごとこっちを振り返ったまま、意外そうに目を瞬かせたが、やがて人差し指の先を自分の顎に添えてふうむと唸った。

「異論は無い。なるほどな。これで僕の目的は終わる。貴殿らの目的も終わる」

 彼女が小さく頷いた――ガッダの敷地に植わった木々がざわりと戦いだ音を聞く。空気が入れ替わるような不吉な感触――。

「――それが“本当に”僕の目的であるならな」


ウィトゥス・ガッダのガッビア・トラチカ



「殺すつもり?」

 真佳が聞いたとき真佳は卿を見なかった。ただ鏡だけしか見なかった。世界を映す不思議な鏡。そこにさくらが映っている。

「僕は殺せとは伝えていない」

 一瞬殺気が沸き起こるのが分かったが、努めて平静を繕った。それは責任の移譲である。薄汚い大人のやり口。ただし今の真佳にそんな言葉遊びに付き合っている暇は微塵も無い。
 鏡の縁の歪んだガッダが歪んだ姿で肩を竦めたのを視認した。

「僕は殺せとは伝えていない――殺していいとも伝えていない」

 今度は真面目に取り合うつもりがあるらしい。ガッダは残念そうに吐息した。真佳の殺気が緩和されたからだろうと推理する。

「じゃあ何でさくらと彼女を出会わせた?」

 ――さくらのことを聞いたのは少し前。さくらのこと、と言うと語弊があろう。正確には彼は鏡を見ろと言っただけ。そこに何を映せとか、そういうのは一度も何も発言したりはしなかった。真佳なら鏡の前で何を思うか、多分知っていたからだ。スサンナがいるのを目視したときは驚いた。姿を見ないと思ったら!

「随分怒っているのだね」

 とガッダ卿がそう言って、漸く真佳は振り返る。

「怒らないとでも思っていたのか?」
「いや――怒るだろうと想像していた。だからスサンナを彼女に会わせた」

 だろうな――だろうな! だってでないと会わせる意味が無いからだ。ガッダ卿が思い描いている未来はたった一つだけしかない。

「――はは! 別にそれだけが理由というわけでもないさ」

 ――真佳の頭の中を覗き見たのだろう卿がそう言った。口元に綺麗な弧を浮かべながら綺麗な顔で。

「貴方がその程度の怒りで僕を殺してくれる(・・・・・・)わけがないだろう? 彼女はそのための布石だよ。無論殺すつもりは微塵も無い。貴方がしくじらなければ、ね」

 ――唇を湿した。

「随分余裕が無いじゃないか――さくらが街に入った時点で事は自分の手中であると言ったのはガッダ卿では? 街壁の魔術が切れたときには、もう少し余裕があるようにも思っていたけど」
「状況が変わった――というので納得するかい?」

 しない。
 眼差しに強く込めて心の中で呟いた。卿は「だろうね」と口にした。

「貴方が覚えていないのに対しては、まあ予想通りだったと言えるだろう。貴方の中を漁っていても、彼女の記憶らしき断片はこれまで一度も認めたことはなかったからね。むしろ僕にとっては好都合だとさえ考えた。だってそうだろう? 貴方の気持ちがどうであれ、彼女がそうと決めたのならば彼女は僕を断罪するし、貴方はその記憶を有しない。実に都合がいい、我々にとって。更に都合のいいことに、彼女はやはり人を殺すことに躊躇を覚える人間ではない」
「…………何を言っている?」

 声が引きつったのを遅れて知った。何を言っている、と真佳は問うた。それが本心からの問いかけなどではないことを、何より声が。
 ――真佳の声が、証明したも同然だった。

「もう理解したんだろう?」

 ウィトゥス・ガッダが静かに述べた。

「会ったよ、僕は。キリという、貴方の中のもう一つ目の人格と」

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