「悪かったとは思っているわ」 とさくらは言うが、ヤコブスはこちらを振り返るつもりは無いらしく怖いくらいに自分の進行方向を凝視している。進行方向と言うか、正確にはその先で悠々と歩みを進める金髪で長身の彼女の姿を。 「怒っているとは言っていない」 ぼそりとした口調でガプサの頭目は口にした。怒ってないと言いながら、煙草も吸ってないくせに随分不明瞭で不貞腐れたような声を出す。 と思っていたら、ズボンのポケットをごそごそやって煙草を取り出しにかかったらしい。ガプサの上衣を鞄の底に押し込められた以外、初めて会った時と彼の装いは変わっていない。それはほかのガプサの面々にも言えること。 「……実際、落とし所をつけてくれて助かっていると言ってもいい」 火がつく音。不明瞭な声で彼は言う。さっきよりももう一段回低い声音で、金髪の彼女に聞かれたくないのだろうことはすぐ知れる。 「俺ではどうあっても倒せない相手だ……悔しいことに。第二級は第一級には敵わない。これは僻みでも何でもない、厳然たる事実としてだ。いくら武器があったとしても俺一人ではどうにもならん……」 その上さくらというお荷物を抱えていたのでは、とさくらは自分で彼の言葉に付け足した。 同じく第一級のマクシミリアヌスでさえ苦戦した、ということを思い出しているかもしれない。さくらのほうにも回ってきたその情報は、無論カタリナから直接彼にも届けられているのだろう。さくらが得たそれよりもより詳細なものかもしれない。ガプサの組織は一枚岩であると言ってもいい。 彼女の能力――毒、と聞いている――に、相性としては良かったはずだ。どれほどの猛毒であろうとマクシミリアヌスは燃やせば良かったはずだから。ただそれが間に合わないほどに彼女の技量が上だった。守るべき相手がいたとしても、戦うような時間的余裕がなかったとしても……。 さくらはその現場を直接目にはしてないが、強敵であることは容易に知れる。 見たところさくらよりも何歳か上なだけに見えるのに、と彼女の後ろ姿を見ながら何とはなしに考えた――実力が年齢を感じさせない類いの人間は、この世界に来てから幾度となく目にしているなとふと思う。 「あまり俺から離れてくれるなよ」 ――とヤコブスは不明瞭な声で口にした。嗅ぎ慣れたチョコレートのにおいが風に攫われて後ろに消える。 「いつ、何をするか分からん――せめてもの条件としてこれだけは君に呑んでもらう」 ……それは条件と言うより救済だ。絶対に敵わないと自身で認めたはずなのに、それでもさくらを守ろうとしてくれるその理由は一体何だろう。……それに関しては、マクシミリアヌスに対しても言えることだと思うけど。 「そういやさ、貴殿らウィトゥスに会ってどうするの? マナカを返してもらうつもりか?」 半分だけ顔を振り向けて彼女が言った。フードを被っているために彼女の金髪も視線の位置も、背後からでは見定めにくい。 「それ以外に何かあるのか?」 と言うのはヤコブスの言。あまりにぶっきらぼうで会話のキャッチボールを試みようという気が微塵も見当たらないような声色で。 「貴殿とは会話が成立する兆しがねえな」 くつくつ笑いながら彼女が言った。外套に覆われた肩がそれに合わせて上下した。 「……アンタはどうしたいの?」 とさくらは言った。 驚いたように彼女の視線がさくらのほうを、一瞬間だけ振り向いた。 「ただ案内するためだけにここまで来たの?」 「……心外だねぇ。ちゃんと護衛もしてるだろ」 片方の肩だけを器用に竦めて彼女は言ったが、最初のあれ以降何らかの害をもたらす存在が襲いかかってくる予兆は無い。彼女の存在が抑止力になっている、と考えることも可能だが……。 「……ウィトゥス・ガッダを、殺すことになるかもしれない」 ……我ながら、昏く陰湿な口調になった、と自覚する。 フードに覆われた彼女の頭がぴくりと反応したような気がしたが、歩きながらだったので単なる気のせいであるかもしれない。 ……ずるい言い方をしたとも思う。できやしないくせに彼女の心を確かめた。 「雇い主が一人消えるだけさ」 彼女は言った。 「むしろ奴はそれを望んでいるからね」 「……? 殺されることを?」 「ああ。結構な変わり者だろう? まあ、マナカよりはマシだけど」 随分真佳と話をしたような口振りだ。 ……そういえばまだ尋ねていないことがある。ウィトゥス・ガッダにこそ聞くべきであると思っていたが、もしかしたら彼女は答えを知っているかもと考えた。ガッダ卿にも真佳にも、どうやら繋がってはいるようだから。 「理由、まだ聞いてない」 「?」 「真佳は何故ウィトゥス・ガッダに選ばれた?」 「……」 一時彼女の双眼が振り返ってこっちを見ていた気がしたが、フードに遮られて“あの子”によく似た赤い双眸は見られなかった。あちらからも確実にこっちが見えていたとは思いにくい。 「……誰も殺せないから、というのが正しいんだろう」 「誰も? ……アンタにも?」 肩が強張ったのを今度こそさくらは視認した。マクシミリアヌスから聞き取った彼女の言動からすると、彼女は殺しに抵抗がなく常に強者を求め依頼とあらば何者をも殺せるような人間だ。そんな人間が殺されることを願う人間の側にいて、殺しを依頼されていないとは思えない。 「僕には殺し方が分からない」 嘘だ―― と根拠もないのに理解した。 ただし理由は分からなかった。 心が先にそれに答えていたものだから、彼女のその口振りが通常の応対とは違うものだということに少し遅れて気がついた。殺し方が分からない――というのは通常適切ではない。少なくとも、殺し屋を公言しているような彼女には。 “ウィトゥス・ガッダは吸血鬼である”――アルブスの長老は断言した。何故だか今更、背筋が妙に粟立った……。 「……まさか本当に吸血鬼?」 きょとんとした顔で、今度こそ本当に殺し屋の彼女は振り返る。赤い色彩はすぐにフードに掻き消えた。 「……異世界から伝わったその伝承を知ってる人が、まさかウィトゥス以外にいるとは思わなかったな」 知名度は低いようなんだけどなと彼女が小さく付け足した。――思わずヤコブスと顔を見合わせる。ヤコブスの金目が怪訝に揺れる。 多分“知らないのか”と言おうとして、一旦言葉を引っ込めた。 「……貴様、なぜ異界語を話す?」 今度は彼女は振り向かなかった。もとより自分の背後の状況だと知らんとばかりに、何でもない口調で「ロセットの血族だからさ」。 ……ロセット? という顔をヤコブスに向けた。さくら以外には聞こえない声量で彼は短く補足した。 「――赤目を有する民族の話は誰かから聞いてはいるのだろう。その民族の名がロセットという。赤目の民が金髪を有しているのを見たことはないが、ほかの種族と関係を持った分派であるなら合点はいこう」 ……なるほど、ロセットの民と名乗るのではなく、ロセットの血族と名乗っていたのはそのためか。 彼は更に付言した。唇の動きを余り見せないやり方で――唇の先に引っかけた煙草の先だけが僅かな振動に微動した。 「……ロセットは慣習的にスカッリア語でなく異界語のほうを好んで使う」 ……異界語のほうを好んで使う民族の話は聞いたことがある。ただ、マクシミリアヌスはそれに関して一言も言ってはいなかったので、彼女と対峙した時もスカッリア語を介していたのだろうと考えた――実際には彼女はずっと異界語のほうを介していたのか。であれば、異界語で話しかけられたことで警戒したのはお門違いであったということになる。 「むしろそれに合わせてくれてたんだと思ってたけど。知らなかったのか? 金髪のロセットは珍しいけどさ……しかしそれなら、何故そっちこそ異界語を?」 ……そう問われると答えられる答えが無いのが実情なのだが……。 彼女は、ウィトゥス・ガッダ以外には吸血鬼伝説を知っている者を存じていないと口にした。それ即ち、ガッダはともかくとしても少なくとも彼女だけは真佳の正体には至っていないということだ。さくら自身の正体についても同様に。 「マナカ関係かい?」 ヤコブスと二人、答えを出しあぐねていると、彼女のほうからそう問うた。真佳の目が何色であるのか、無論彼女は知っているだろう。 「ご想像にお任せするわ」 しかしさくらはそれには乗らずに敢えて明言を避けることにした。一緒に行動することにしたからと言って、何もかも話す必要は無いのだし……これでも一応彼女のことを本格的に信じ切ってしまったのではないのだし。 「連れないの」 ちぇっ、と彼女は舌を打ったが、そこまで気分を害した風ではないらしい。得な性格をしているものだと頭の隅で考えた。 「それより吸血鬼とやらの話が聞きたい」 ヤコブスがそう口にして、やっと話が脱線していたことに気がついた。どちらも重要事項の話であったため、うち片方に随分意識を引きずられていたことになる。 「ああ、ウィトゥスが吸血鬼かどうかってことか」こちらも今更気がついたように先導していた女が言った。「どうだかね。本人は吸血鬼であると明言してるし、どうやらそれが気に入ってもいるらしい。不老不死であることに関しては僕はあんまり興味が無いから考えたことはないのだが、まあ殺せないのは確かだね」 ――また同じようなことを口にしたと考えた。 ただし今度は嘘だなどとは思わない。そこには余分な色は無い。事実だけをありのまま、述べているという感想をさくらは抱く。 「殺そうと試みたことが?」 ヤコブスの形のいい横顔のラインに、眉をしかめた隆起の型が強く入っているのを横目でさくらは視認する。 「一応ね。順当な方法で殺そうとは試みたんだ」 順当……というのは多分、彼女の能力的に毒殺のことだと思うけど。 さくらのよく知る世界では、それを“順当”とは決して言わない。 「――でも殺せなかった。貴殿ら吸血鬼について詳しいんなら、それをあいつに教えてやりなよ。きっと喜ぶだろうから」 ……自分ではやらないんだな、とさくらは思う。と言って吸血鬼の殺し方なんてさくらだってよく知らない。ブラム・ストーカーの小説くらいは読んだことはあるけれど、大分昔であったので……。どうだったっけ、墓地から死体を引っ張り出して心臓に杭を打ったのは『吸血鬼ドラキュラ』の中だっけ? その後か前に首を斬り落としていたような……? そんな凄絶な死体を作らなければいけないというのはぞっとしない。 「ま、不老不死かどうかについては本人に聞いてみるといい。絶対にうんと答えるだろうが」 フードの端を手持ち無沙汰気にいじくりながら、完全に他人事の態で彼女は発言を締めくくったらしかった。 |
伝話インモルターレ |