「スサンナは
 ……私に卿を殺してほしい?」



見張塔からずっと



 スサンナはすぐに返事はしなかった。真佳も何も口にしない。外眼筋が硬直したみたいにスサンナは、眼球さえも動かさなかった。表情筋も動かなかった。

「……何で?」

 言ってから、さらに彼女は付け足した。

「何でそれを聞こうと思った?」

 ――質問に質問で返すのはずるい、というのをまた言ってもよかったが、無駄に時間が過ぎるだけなのでやめにした。真佳は小首を傾げて、素知らぬ顔で発話する。

「聞くのが普通と思うけど。だってスサンナは、昨日私に“頑張れ”と言った。“貴方ならきっと彼を殺せる”と。ならスサンナは、私に卿を殺してほしい?」
「――」

 返事は無かったが理解していた。彼女の表情はまさしく“あれ”と酷似している。鬼莉に追い詰められた“私”の顔だ――赤目の濃度がほんの僅か薄まった。

「それともあれは本心ではない? まさか本当に卿があそこまで私に対して発破をかけて、殺させようとしているなどとは思わなかった? 単なる軽口のつもりであった?」
「――――――」

 俯いたスサンナの顔を真佳は見られなかったけど、見る必要は真佳になかった。答えられない(・・・・・・)、というのが正解だった。
 ……多分、お眼鏡に適えば卿を殺す手がかりを、或いは答えを提示してくれるというのは本当だ。そこに嘘偽りはないとは思う。真佳の第六感も告げている。そのためにこういうお遊びを始めたことに、確かに矛盾は無いだろう。
 でもそれだけじゃない。
 それが何かは分からないけど……ただそれは、明らかに真佳の依頼されたことに直結していると考えた。

「…………………………」

 長い沈黙を織り出して、
 片手で顔の上半分を覆って、女は長大息を一つした。

「意外に切れ者だな。僕一人が食い物にするつもりだったのに」
「別に私は……勘がいいだけ」

 一瞬さくらの顔がちらついた。さくらならどんなアプローチを仕掛けるだろうかと考えた。スサンナは窓枠に両腕を乗せて腕を組む。この屋敷の窓枠はスサンナの身長よりも少し低い位置にあり、彼女の腰が肉欲的に曲がるのを暗い色合いのマントが覆う。

「そこに何か別のものを含ませたのは確かだよ」

 と彼女は言った。
“そこ”というのが何か少しだけ考えて――それがこの質疑応答に対応するのだと合点した。

「多分恐らく無意識に。はあ……そうだな、それが推進剤だったのかも。確かに赤目の動向は気になるが、今この時に自分の手の内を明かしてまで賭けに出る必要なないんだものな……くそう、抜かった」

 最後のほうはどちらかと言うと自分自身に対して、彼女はそうやって発言していたらしかった。真佳には何のことだか分からないけど――。

「赤目の動向?」

 その一箇所だけが引っかかってそう聞いた。
 彼女は唾液を呑み下すだけの間を置いて、「……そうだよ」比較的低くなったトーンで是認した。

「僕を排斥した彼らの意見こそが本当に赤目の総意であったのか、どこへ行ってもその道しかなかったのか……貴方の反応を見て見極めようとした――というか、参考にしようとした。思った反応が得られなければ得られなかったで、多分別の機会に別の赤目を探っただろう。我ながら、女々しいったらありゃしない……」

 決別したのは確かであるのに、と彼女はほとんど音に成らない声音でもってそう言った。

「……赤目の民は戦闘を好まない、と」

 スサンナが短く頷いた。確かに最初……彼女に初めて出会ったときに、スサンナはこれを断言していた。それ故に排斥した彼らの意思が果たして総意であったかどうか。
 もたせ掛けていた体を伸ばし、今度は窓枠に片手を添えながら――目は相変わらず屋敷の外にやりながら、吐き出すように彼女は言った。

「僕が最初に殺したのは、長老ではなかったんだ」

 ――その吐露は、懺悔のように真佳に聞こえる。

「外に殺しを依頼された、名も経歴も知らない女が初っ端だった。いい案だと思ったよ。殺しはいい稼ぎになるだろう。僕にはそれしかなかったから……清貧を良しとする彼らの、ちょっとでも足しになればいいと浅はかながら考えた」

 ――スカッリア首都、ペシェチエーロで、生活するために殺し屋になった男の子と真佳は接した。生きるためには働かなきゃならない、どうしたって金がいる、と、真佳より幾分かは確実の少年は、流れるような言葉でそう言ったのだ。家の事情には目を瞑るとして、父も母もいてそこそこ稼ぎのある家庭に生まれている真佳にとってそれは心に迫るものだった。

「怒られたよ」

 一度だけ、視軸をこっちに流し込んでから彼女は言った。

「長老にそれがバレて。それまでに結構な人数殺してたから、蓄えも結構なものになっていた。普段温厚な長老と、お人好しな民が全員揃って。民からの追放を命令されて、それでも僕は食い下がった。僕は間違ったことはしていない。ならば力づくで分からせてやるって長老に喧嘩を吹っ掛けて――結果的に彼を殺した」

 自分の瞼がぴくりと反応したような気がしたが、スサンナは相変わらず中庭を挟んで向こう側の屋敷を見ていたのでどうやら気付いた様子はなかった。
「それから民から身を引いた?」――自分の声が驚くほど透き通っている――と言うと聞こえはいいが、それは単に存在しているという荷重がほとんど皆無であるという意味だ。
 彼女は頷いただけで、そこに言葉は存在しない。

「それからあそこがどうなっているのか、僕は知らない。どうやら貴方も知らないようだ。別の集落だったんだろうね、僕は貴方を見たことも聞いたこともなかったもので」

 ……それはまあ、そうだろう……という明言はここでは避けた。

「後悔してる?」

 言ってからまた言葉が足らなかったかと気付いたが、どうやら今回は伝わった。

「長老を殺したことを? 長老を殺したことは後悔してる。あれは何の益も生まないただ無駄なだけの殺害だった。あそこから追放されたことは後悔してないし、殺し屋になったことに関しても同様だ」

 それから踵を軸に体全体で振り返り、

「僕はそれほど、人生に対して悲観的ではないからね」

 肩を竦め食えない笑みでそう言った。

「頑張れ、と言ったのは本心だ」

 ――話が真佳の質問に戻ってきたのを自覚する。多分言われなかったらそのまま真佳は流していた。

「貴方なら――貴殿なら、卿は恐らく殺せるだろう。そうだね――多分に嫌味もあったがね。僕に殺せなかった人間を、殺せるものなら殺してみるがいいさという」
「殺せなかった……」

“なのに卿を殺さなかったの?”“殺さなかった”“何で?”――
 それはつい先程に、真佳がスサンナから聞き出そうとして聞き出せなかった問いに関する解答だ。“これは卿とは関係のない、僕個人のちっぽけな秘密であるからさ”――
 でもそれは可笑しい。殺せないはずはない。卿は死を望んでいるはず。なのに“殺せなかった”とは、まるで卿が抵抗でも示していたかのようではないか。

「それから先の答えは、貴方が見つけて判断してみればいい」
「……見つけるって……」
「卿を殺す方法を」

 ……真佳は少しぶうたれた。

「結局教えてくれないの」
「答えはね。でも有意義な時間であったから、ヒントは上げる」

 彼女が指さした先が見慣れた場所であることに驚いた。

「さっきまで貴方が足を運んでいたあの尖塔。あそこの中に、貴方が望む解がある」

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