目の前の赤目の少女はこっちを見上げて、それからきょとんと瞬きを繰り返した。思えばこうして赤い目をした人間と対峙するのは随分久方ぶりであったのだなと考える。スサンナが家族を離れてからだから、十年は経っているんだろう。飛び出したことに後悔はなかった。それよりも、ああやって神から賜る微小の幸せだけを糧に、慎ましやかに節制に、建設的に生きるあの部族に対する不満のほうが大きかった。自分は殺しというどうやら天性の技術があって、それを使えばもっと大きな幸福を、例えば食事であったり服飾だったり、贅沢なものを飽きるくらいに買い漁ることができるのに、どうしてこの人たちはそれを喜ばないんだろう、という。
 当時スサンナは、自分が神から彼らの部族への贈り物なのではないかと考えた。随分慎ましやかに神を尊敬して生きたから、これからは贅沢をしていいのだ、という。
 十歳になるかならないかの頃だった。今はそんな幼い考えは起こしていない。ソウイル教の聖書を紐解くと、悪魔が甘言を用いて人類を敬虔と節制から堕落させようと画策するような話があった。これに屈しない者をこそ神は愛しているのですよ、という教訓の。……多分彼らにとって、スサンナの存在はそれだった。
 マナカは、あの部族とは直接の関わりが無いらしい。卿は詳しくは教えてくれなかったけど、それでも多少のことは教えてくれた。では……
 それでは、一体どういう場面にどういう反応をするかという、ただそれだけが気になった。
 そして果たして――
 卿はスサンナを、とめるだろうか?



頓才コッリズィオーネ



「…………」

 胡乱な表情のままあっちこっちにどうしようかなあというふうに視線を逸らし続けたが、スサンナが突っ込んでくる様子も諦める様子もなかったので真佳もついに観念することにした。とても低い声音でもって、

「情報収集って……スサンナから?」
「僕でもいいが、僕でなくても勿論良い。と言っても、ここには他にガッダ卿しかいないのだがね」

 ……面倒臭いなあという顔を隠すこともせず、それに対して真佳は言った。

「楽しんでるでしょう」
「バレたか?」

 楽しんでるんだ。満面の笑みだしな。宝塚歌劇団の男役もこなせるんではないかと思われる綺麗な顔が、さっきから美男子的に破顔していた。

「何か情報を持ってるの?」
「どうだかな。それを貴方が引き出すんだろ? 僕は何も、タレコミに来たわけじゃあないんだぜ?」

 ……とても面倒臭いなあという顔をまた真佳は隠さなかった。いや、でも、まあ……あの得体の知れない蛹が棲息している部屋を、隅々まで探索するというのに比べれば大分マシか。何百年もほったらかしにしている屋敷のこと、ほかの新生物が潜んでいないとも限らない。……別に本当に虫はいいんだけど虫は。さくらじゃあるまいし。

「じゃあ、えっと……」

 何を質問しようかなと考えたけど、特に質問が浮かばなかった。何だか考えるのも面倒臭いし、直接的でいいのかな。

「……卿の殺し方、スサンナは知ってる?」
「うん、知ってる」
「ふーん……」

 …………一瞬スルーして次の質問を考えそうになってから、

「は!?」

 遅れてスサンナの返答が脳の重要なところに突っ込んだ。口をぱくぱく開閉させてスサンナの顔をまじまじ見たが、彼女は目を細めて微笑っただけで嘘だよーなんてことを言い出しそうにも思えない。
 ……何も期待していなかったのに。思わぬところで大当たりを引いてしまった。いや、というか、スサンナはもともと真佳にそれを教えようと思って声かけた?

「……え、何、どういう……? どういう方法……?」

 そう言うと彼女はちょいと片眉を持ち上げながら不服そうな顔をして、

「僕は暇つぶしがしたいんだけど」

 め、面倒臭ぇ!!
 多分心の叫びが顔に出た。

「殺す術を探しに来たんだろ? だから僕は貴殿に声をかけたのであるからして、それなりの確かな答えを得ないとさ」

 言ってる意味が分からない。眉を潜めながら真佳は聞いた。

「何……? 話を聞かせろってこと……?」
「だからこれは取引だ」

 ……スサンナが頬杖をほどいて窓のサッシに手を置いた。右手で窓枠を掴んだ格好で、真佳のほうに向き直る。

「僕は貴方から情報を引き出す。貴方は僕から情報を引き出す。お互いの会話の中で、ね。忘れないでくれよ。貴殿が動き出したから、僕もそれに応じたのだ」

 ……自分の生唾を呑み込む音が聞こえた気がした。何だか分からないが、彼女は真佳を、彼女の指標でもって見極めようとしているらしい。……その指標に適う自信が真佳には無い。その心情を、多分スサンナは汲み取った。

「何? やめる? そしたら僕も何も言わない」

 窓の外に目をやって――

「卿が死なないなら死なないで、別にそれでもいいからな」

 ……多分、卿が死ななければこの街ごと卿は落とすつもりだと彼女に言い募ったところで、彼女は何も言わないだろう。街の人間のことを何とも思っていなさそうだし……それに、卿がスサンナを巻き込む道理は無いわけだから、じゃあ事前に聞いて落とされる以前逃げ出しとくよ、なんて言われてしまえば、彼女を外から説得する要素は何も無くなってしまうだろう。駄目だ。卿が提示したあの条件は、スサンナを動かす突破口にはなり得ない。
 で、あるならば……

「分かった。応じる。話し合いをしてほしい……」

 それで見極めてみるがいい。
 スサンナは薄い唇で、男優的に綺麗に笑った。

「じゃあ、どうぞ。先攻はそっちだ」

 スサンナに言われて思わず真佳は吐息した。何だか変なことになってるなあ。こういうのが得意なのは、むしろさくらなのだけど……というのを、確かチッタペピータの街中を歩き回っているときに思う機会があったような。
 髪の毛を巻き込みながら頭を掻き掻き考えて、考えて考えて考えて、恨みがましくスサンナの飄々たる顔を仰ぎ見た。どうぞ、と言われたって、とっかかりが無いと本当に何と言ったらいいか……。
 話の流れ上、とりあえず真佳はスサンナから情報を聞き出そうとしていいらしい。どういう方法かということを、質問形式で彼女にぶつけろということだ。スサンナの気に入るように、というのは考え込むほどの余地が無い。

「いつ知ったの?」

 と真佳は言った。

「何が? 卿の殺し方?」
「そう」
「さあ、数年前かなあ。あんまり詳しくは覚えていないよ。僕が卿と会って数ヶ月たったころだと思う。あの頃はもっと頻繁に、ここに通っていたからね」
「……なのに卿を殺さなかったの?」

 スサンナが赤目をすっと細めてこっちを見た、気がした。気のせいかもしれない。でも眼光は鋭くなった。目の前の赤目が無感情の光を放つというのを、真佳は体で感知が出来る。意識的にというよりは無意識的に、肉体的に……。だってそれは真佳の苦手とする色で、鬼莉を、もっと言うと鬼莉を孕んだ自分を彷彿とさせるから。

「……殺さなかった」

 そう答えたときのスサンナはいつもどおりの無邪気な破顔。真佳としては最もな疑問を口にする。「何で?」
 スサンナも多分こういう質問が返ってくることを理解していたと思うのだけども、それに対してスサンナは答えを返さなかった。用意していなかったのか、嘘を吐くのを厭ったのかは分からない。ただ彼女はたった一言、「何でだと思う?」と口にした――。

「質問に質問で返すのはずるい」

 真佳の当然に主張に対して彼女は笑う。

「あっはっは、だろうな。でも答えられない。これは卿とは関係のない、僕個人のちっぽけな秘密であるからさ」

 大仰に言って、マジシャンや道化師がよくやりそうな、片手を胸に当てるおどけた調子の礼をした。何を言い募ったところで話すつもりはないようだ。
 ……仕方ないなあと真佳は思う。質問の矛先を即座に変えた。

「どうやって知ったの?」
「どうやって?」
 ……言葉が足りなかった……。「何かを見て気が付いたとか……答えがそのまま置いてあったとか……あ、本か何かに。あるいは推理したのだとか」
「推理できるように思うのかい」
「……人は見かけによらないので」

 苦し紛れにそう言った。実は思いつくままに発言していただけだったので、スサンナが推理できるような人間であるとは失礼ながら思っていない。

「うーん……」

 難しい質問をしたという自覚はなかったのだが、スサンナは暫く、自分の下唇を指で何度か摘みながら難しい顔で彼方を見ていたらしかった。やがてようやっと口を開く。

「閃いた、というのが正しい」
「何を見て?」
「何を? うーん……卿、か……?」

 真佳は怪訝を隠さなかった。多分それほど可愛くない顔で小首を傾げてスサンナのほうを仰ぎ見る。……彼女はやがて根負けしたように肩を竦めてこう言った。

「と言ったって……そうとしか言いようがないんだもんよ」

 唇をすぼめて不満げに。
 この場合不満げな顔をして許されるのは真佳ではないか? 出題者がそんなあやふやなことでは困る。

「もう、いいだろ、別に。僕は答えた。次の質問があるならどうぞ」

 押し切った……と思った顔もやっぱり微塵も隠さなかった。
 ら、スサンナに怖い顔で睨められた。

「ヒントは?」
「なし」

 ちぇっ、駄目か……。未だ裸足のままの自分の爪先を見下ろしながら考える。ちょっと床に浮かせてからぐっぱーさせられるだけの間が持った。
 視軸をゆっくり持ち上げた。

「スサンナは
 ……私に卿を殺してほしい?」

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