扉の取っ手を引っ張ってみると何かに引っかかるような手応えがあった。鍵はかけていないと言っていたから、やっぱり錆びているのだろう。戸外の中庭に佇む塔だ。見たところ、扉の上に屋根代わりになるようなものも存在しない。長期間雨に晒されて放置されればそりゃあ錆び付くだろうと真佳は思う。

(……力任せに……)

 と言っていたっけ。いいのかなあ。うっかり扉のほうが崩壊したりしないだろうか。いやそんな力が強いわけではないけれど、本体の木のほうが錆より脆そうに見えたので。

(せーのっ……)

 ニ、三回強めに引っ張ったら戸が開いた。ぱらぱらと錆が降ってきたので手で払って全部落とした。
 思ったより普通に開いた。ここ数年で誰か開けでもしたんだろうか。ひんやりとした石の土台に素足を乗せた。靴の件、さっき卿に言っておけばよかったなと外に出るとき思ったが、その時にはもう既に卿とは離れた後だった。別に素足で外に出るくらい、どうってことはないのだが。
 ……人を殺したことはないが、間接的に死に追い込んだことはある、と、さっきの続きで考えた。多分真佳が関わらなければそれほど早く死ぬ必要の無かった人が、死刑になったり死んだりした。首都、ペシェチエーロで出会ったトゥッリオやベルンハルドゥスもそうだろう。港町スッドマーレでも、何人かの治安部隊がシルバー・ハンマーとの抗争で死んでいる。これは傲慢な考えだろうか。自分が関わったせいで彼らを死に追い込んだのだと考えるのは、彼らにとって失礼だろうか。……少なくとも殺し屋の少年であったトゥッリオ・パンツェッタはそう言って、甘えんなよと舌を出して行きそうだけど。
 ……伸ばせば届く命だった。
 やっぱり、お祖母ちゃん、私はまだ、大事なものを護れる力は手にしていない。
 塔の内部は外より随分ひんやりしている。石造りであるということだけがその理由ではないだろう。館のほうだって石造りではあったので。多分絨毯とか、灯りとかが無いせいだ。塔全体が吹き抜けになっているために、上部から差し込む微量の太陽光だけが真佳の足元を照らす頼りとなった。上のほうはきらきらと埃が舞っているのが見えるだけで何かを見通すことは出来ないが、例の虫の蛹が吊り下がっているというのはないらしい。であるならば、見ていかない理由も特に無い。塔の内縁に沿うように造られた螺旋階段を一歩一歩、石の感触を確かめるように上っていくことにした。
 五階、六階……まだあるだろうか。窓の位置を目安に目測で数えながら真佳は思う。七階、八階まで行くなら、本当にこの国に来て最高レベルの高さかも。それくらいこの国には高い建造物というのが無い。日本ほど狭くないから、という理由もあるかもしれない。スカッリアの正確な広さは、真佳にはちょっと分かりかねるけど。
 丁度通り過ぎるときに窓の外に目をやると、既にガッダの館は真佳の下に沈んでいた。ペイントされて十数年、下手したら何百年になるに違いない屋根の、赤と言うよりは黒だと言ったほうが信じられそうな色合いが、お昼も過ぎた陽光をどこか怠惰に跳ね返している。チッタペピータの町並みは幾つか見下ろせたが、ただし街壁が邪魔してそれより先は見通せなかった。そういえば、街壁だけは教会よりも高いものが揃うのだっけ。戦争の名残りか何かだろうか、と、真佳は勝手に考えている。
 体力には自信があるので、特に息切れもせずに最上階に到達した。さっきの延長線で釣られるように窓(と言ってもガラスも開閉できるものも無いけれど)の外を見てみると、高さ的にはギリギリ街壁は越したくらい。屋根も含めれば街壁よりは高いだろう。なるほど、遠くからでもこの塔だけは見られたはずだ。
 もしも街壁とそう距離が離れていなければ、或いは真佳なら何とかして街壁のほうに乗り移ることができたかも。しかし残念ながらここからチッタペピータの街壁までは何とかできるような距離ではない。幾らガッダの屋敷が街外れにあるとは言っても、そこはそれ、流石広さに余裕がある国と言うべきか、飛び移ろうと考えようものなら地面への落下は免れないし、投げ縄か何かを出来るような距離でもない。

(流石にそう容易くとゆーわけにはいかないか……)

 仕方なしに窓から離れ、改めて部屋の様子を見回した。
 見回す――と言っても、一階を通ったときに思った通りの狭い小部屋だ。何でここに来たんだっけと思ったら、真佳が中庭を見るともなしに眺めていたのを何故か卿に捕まって、気になるならどうぞと言われてそれに促されただけだった。行く場所が特に無かったし暇つぶしにはなったけど。
 アトリエ……のようなものだったんだろうか。石造りなことも手伝って、基本的に殺風景で生活感が希薄に見える場所なのに、そこにはどこか人肌の暖かみのようなものがある。その原因を探してみたら、床や壁に飛び散ったと思しき絵の具の痕跡が見つかった。小部屋をよくよく観察すると、端に追いやられた木箱の脇にはかなり大きなキャンバス立てもあるようだ。ここで絵を描いていたのだろうか。何かしらの絵を。

(見晴らしはいいしなー……)

 窓の外に広がった街並みは、壮観と言えば壮観だった。朝焼け時には多分もっと絵になった。ここで風景画を描いていたとしても何ら不思議なことはない。
 キャンバス立ての横の木箱を好奇心でもってひらけてみたら、そこにはパレットなんかの絵を描く道具が几帳面気味に仕舞われていた。ではキャンバスはと言うと……。

「……何でこんな」

 若干呆れ気味に突っ込んだ。キャンバスは額縁の中にある。一体誰がいつから飾り出したか知らないが、貴族は自画自賛が好きだなあとは考える。そこにはウィトゥス・ガッダがいた。今のままと変わらぬ姿のガッダ卿が、玄関ホールにある肖像画と同じ笑顔で座っていた。何も二カ所に同じ肖像画を飾らなくてもよかろうに。もしかしたらほかの場所にもあるのかも。貴族の考えることは分からん。
 塔の内部を一通り見ては回ったがほかに目ぼしいものは見つからなかったので、いよいよ階段を下って屋敷に戻ることにする。その最後の段階になって、……ちょっと考えてから肖像画のかかっている壁と肖像画の裏とを見てみたが、何のことはない普通の肖像画と壁だった。まあこんな当たり前の場所には何も残さないか……意識が釣られるように玄関ホールの肖像画の裏にも思いを馳せたが、あんなドでかい肖像画を安易に外すこともできまいしなと考える。卿に言ったら多分手伝って外してくれるけれど……真佳の勘ではあそこの裏にも多分恐らく何もない。
 塔の中には何も無かった……では次はどこを探そう? もののついでに考えながら塔から出た真佳の視界に、風にそよぐ金髪が飛び込んできてきょとんとした。向こうもこっちに気付いたようで、塔から見て右側の屋敷、二階から、スサンナがぱたぱたと手を振った。……無視するのも何なので真佳も手を振り返した。何やってるんだろう。スサンナのほうも卿を殺す手立てを、まさか探しているのだろうか?
 手を降っていたスサンナのジェスチャーが、いつの間にか上がってこいの動作になっていることに気が付いた。

「……?」

 首を傾げると、スサンナも焦れたふうにいいから上がってこいという動きに変わる。何なんだ……この屋敷には今、唯我独尊がひたすら多いな?
 仕方なく方向を転じると、スサンナもそれ以上は真佳にジェスチャーを送ってきたりはしなかった。右側の屋敷……真佳がさっきまでいたのとは別の屋敷だ。別の屋敷という言い方は違っているかもしれないけれど。どちらとも、玄関ホールのところで内部的に繋がってはいるので結果としては同じ屋敷だ。基本構造だけを見れば折り畳まれた右翼と左翼という格好で、玄関ホールから見るならば真佳がこれから行くのは右翼のほう。ずっと左翼側にいたために、右翼には初めて足を踏み入れる。真佳はよくは知らないし、この屋敷の門戸をくぐろうと玄関扉と対峙したときも全体を見通せなかったので不明だが、多分右翼側と左翼側は鏡合わせのように同じ造りをしているのではないかと思う。中庭から中に入るとすぐ目の前に階段があって、二階に上がるとすぐに中庭に面した窓があった。さらに枝分かれしている箇所もあるけれど、スサンナがいたのはその中庭に面した窓で間違いないため真佳も迷うことはない。

「よう」

 という声をかけられて、真佳は少し鼻白む。さっきの窓のサッシに頬杖をついて、赤目の女がとても軽率に真佳のことを出迎えた。

「捜査のほうは順調かい?」

 からかうような口調であったが、その顔に嫌味なところは見当たらない。廊下に出てすぐ呼びかけられた格好なので、真佳はスサンナのほうに近寄りながら言葉をかけた。

「何も分からない」

 素直に答えてから、「スサンナは?」何をしてるの?と聞きたかったのだが、言葉が足らなかったようで真佳と意図とは違う答えが返ってくる。

「僕は何も探ってないさ」

 スサンナの捜査は順調か、というふうに聞かれたのだと思われたらしい。「あー」ちょっと考えてから、さっきの質問を撤回した。

「じゃなくて、んーっと、スサンナは何してんの? こんなとこで」

 こんなとこ……と言っておきながら、真佳もここらへんの部屋の具合はよく知りもしないのだけど。でも卿は言っていたし、昨日卿に連れられて色んな部屋を開ける結果になったので知っている。よく使う部屋以外はどこも惨憺たる有り様だ、と。

「ああ……」

 スサンナはどこか拍子抜けしたような、放心したような態だった。よそへ外した赤目をふわふわさせて、多分片側に並ぶ扉のどこかを眺めていたのだと思う。……ちょっとしてから思い立ったように反対の、中庭のほうに視軸を落とした。真佳が通った中庭が、最初見下ろしたのとは違う角度で見渡せる。

「……散歩かな」
「屋敷の中を?」
「広いからね」

 まあ……確かに冒険するのにはこれ以上無いほどの敷地だし、屋敷であるか。真佳も幼少の頃合いなんかは、祖母や両親に連れられた旅館先で随分冒険を楽しんだものだし。その時は行ける場所が限られていたけど、ガッダ卿の屋敷は基本どこでも開かれている。うらぶれた廃墟とかお化け屋敷とか……そういうのが好きな人にはたまらない建物であるかもしれない。

「スサンナはここには初めてではないんでないの?」
「まあ初めてではないけれど……ほかにすることもないしなあ」

 確かに。携帯電話とかゲーム機なんかがあれば暇つぶしにもなるけれど、そういう道具はこっちの世界では見ないしな。そんな中で時間を潰そうとするのなら、散歩ぐらいしかないのかも。実際真佳も、卿の殺し方を探すことにした動機の一因としてそれがある。大部分は別のところにあるとは言っても。

「……じゃあ、今私が呼び止められたのも暇つぶし?」
「それもある。暇だからな」

 一応こっちにはやらなきゃいけないこと……というか、屋敷を動き回る大義名分があるのだけどなあ。多分さくらや、お祖母ちゃんだってそうすることだ。絶対に殺さないにしても、もし万が一どうしても殺さなければなったときに何も知らないでは済まされない。

「……私はとても忙しいのですけど」
「知ってるよ。卿を殺すんだろう?」

 殺さないけど……まあそれでもいいよ。曖昧な感じで頷いた。

「だからさ」

 とスサンナ。

「情報収集でもしていくかと思って」

 窓枠に頬杖つきながらとても良い笑顔でそう言った。



それはRPG的であり

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