秋風家……というのが世間に何らかの意味をもたらしたのは、そんなに大昔のことではない。全ての始まりは祖母であり、秋風撫子こそがその名を興した張本人。真佳はその、単なる二代目候補に過ぎない。
 ……何故それほど強いのかと、何人もの人に言われてきたっけ。真佳はそれに答えなかったが、説明が面倒であったことのほかに、こういう話をしてもみんなは今と同じ目で自分を見てくれるだろうか、という、そういう猜疑心があったのも確かであった。
 単純に言うと祖母に鍛えられた故ではあるが、仔細に語ると勿論それだけが要因ではない。それに関してはまず、いかにして祖母が秋風の名を轟かしたのか、その理由をとくと説明せねばなるまい。

『当時、一番の有権者の弱味をもらった』

 ――と、祖母は幼い真佳に対して、鬼の首でも取ったみたいに得意になって説明していたものだった。実際、それは“鬼の首”ではあったのだ――政治家か、多分政治に強く口を挟める男だったのだと思う。その時一番権力が強く、そして一番煩わしい男であった。
 その男に対して祖母が一体何を成したのか、その辺のことを真佳は知らない。その後善政が敷かれたかどうかも聞いていない。ただその男を筆頭に、祖母が数多の権力者の弱味を握ることになったのだけは聞かされた。秋風家は聴唖者であるべきだとは祖母自身の言葉であるから、ただ無言の抑止力にその当時から徹していたのかなと、真佳自身は漠然と思っている。
 そうやって隠密に名を轟かせたものだから、有権者の中で秋風家の名を知らぬものは無くなった。しかも彼らにとっては苦々しいほうの意味合いで。とくれば、当然彼らは秋風という名を疎ましく思う。秋風撫子に握られたこの弱味を、それを表す証拠というのを奪い取ってしまいたいと考える。
 つまりはそういうわけだった。まだ幼稚園に入ってもいない真佳に向かって、その時まだ人並みの身長ぐらいはあった祖母は言う。真佳の手を握るその手はまだシワに侵されてはなく、真佳よりも小さくなかった。

『――強くならなきゃならない。お前は一層強くならなきゃならないよ――自身の身を護るためだけの力じゃない。大事なものも護れるように――お前はここの、当主になってみせるのだから』

 ――そのときの祖母の薄茶色をした双眼だけは覚えてる。霧の晴れた早天のように澄み切った、凪の如き確かな双眼。
 その日から紡がれた祖母による修行の数々は……正直美談で語り終えられるものではないためここでは割愛しておこう。兎にも角にもそういうわけで、真佳は今の地位を得た。未だ祖母には敵わぬし、当主にもなっていないけど。自身の身だけでなく……大事なものをも護れるような力を持った。秋風の名を持って生まれた者として、それは当然のことだと幼い頃は思っていた。



その血の定め



 適当な部屋のドアを開けて見てから昨日のようにけほけほ咽た。昨日一通りの部屋は卿と一緒にドアを開いて見て回ったはずなのに、相変わらず埃は充満したままだ。ちらっと室内を覗いたら昨日見かけた虫の蛹みたいのがここにもいた。真佳は微妙に退いた。
 いや、別に、虫くらい、いいんだけど。場合によっては虫くらい食べれるようにしておかないと生き残れないかもしれないし、いいんだけど。虫くらい。……こういう感想がぱっと出てくる理由も祖母との特訓のそれである。一人無人島に置いてかれるのはままあったので後半慣れた。
 ……と言っても、こういった普通の部屋に果たして“不老不死の弱点”が本当に眠っているのかどうか。無闇に家具を持ち上げたりして部屋を一層埃塗れにしてしまったら真佳が困る。探索が終わるころには頭から埃をかぶった“灰かぶり”が誕生だ。卿は気にしないと思うけど……ここのお風呂場がどこまで使えるかどうかも微妙だし。
 卿のことは殺さないとは言ったけど、まあ万一のために一応僕の弱点くらいは探しておいても損はなかろうという卿の甘言に乗せられて、こうして卿の自宅を真佳一人で走り回っている。もし迷ったなら迷ったと思ってくれれば迎えに出ようと卿自身に申し出られた。そうまで言われてしまったら、真佳としても特に断る理由はない。“万一のために”卿を殺す術を探さなければいけないことも、確かに事実ではあったので。

(でも本当にヒントも何も全くない……)

 結局満足に中も見ず、扉を閉め切りながら考えた。第一有形であるか無形であるかも分からないのに、自分はこの広い屋敷で一体何を見つけようと走り回っているんだろう。
 廊下を幾つ曲がったかはもう覚えていない。左手に一定間隔で窓ガラス、右手側に一定間隔で片扉、の、無限回廊みたいな廊下を、もう何十回も通ったような気すらした。連続殺人犯の心を読むのは、鏡の迷路を歩くようなものだ……と言ったのは、確かバリー・ライガであった。
 廊下の窓ガラスを覗き込むと、この館と繋がる西館だか東館だかと呼ばれていそうな同じような建物が、中庭を挟んで存在していた。中庭に聳え立つ塔を除けば建物の高さは全部で三階。階段を上ったり下りたりした記憶はないので、居間と同じ階ということでいいのだろう。そして居間は二階にあった。玄関広間に出たとき、一度階段を下った覚えがあるから覚えてる。あの塔も……。
 中庭に立つ塔は多分、チッタペピータに入る前から肉眼で視認が余裕であったあのガッダの塔で間違いない。道中トマスにガッダの怪談を聞かされる引き金になった塔だった。教会より高い建物を建ててはいけないという決まりがあるのか、それとも自主的にしているのかは不明だが、然程高い建物の印象がないスカッリア国にしては珍しいことだと思ったのだけは覚えてる。
 夕に見るのと昼間見るのとでは随分受ける印象が違うなと、真佳自身は考えた。夕と言ってもここは太陽光をガッダの建物自体が遮断して早々に夜を迎えるので、実質あれは夜であったと言ってもいい。下草さえも宵闇を吸って重く茂っていた当時と違い、今は薄く差し込んだ蜘蛛の糸みたいな光を、乞食に投げ渡された神からのパーネ(パン)であるかのように有り難がって享受してやっと生き延びることができたみたいな、切迫感を伴った、怠惰で殺伐とした生そのものが充満している場所であるかのような気さえする。そして真佳はそういった生の営みが嫌ではなかった。生とは勝ち取るものだということを、ずっと祖母に言われてた。

「成る程。では貴方の死生観というのは、その祖母の存在に少なからず依拠していると言っても何ら過言ではないわけだ」

 ――唐突に聞こえた声音に真佳は体ごと反転させて振り向いた。何となくそうだろうとは思っていたが、果たして……本当にそこにウィトゥス・ガッダが立っていた。

「私まだ迷ったなんて思ってないけど」
「僕も、迎えに来たつもりはないよ。“偶然”だね」

 と言って卿は目を細めて軽く笑った。視線を逸しながら……微妙に悔しさを感じたのでちくしょうと思う。

「取っ掛かりがないと考えていたから」
「あるの? 取っ掛かり」

 そうだ、よくよく考えたら、ヒントを知っているとしたら卿である。血縁者に呪いをかけられたとき、よく知らないけどとりあえず現場にいたのはいたのであるから。
 そう考えると卿は笑った。さっきよりも小さな、引っかかりを覚えたような笑みだった。

「そんな大層なものでもない……彼らが僕に永寿の呪いをかけるとき、その話は僕の耳には届かなかった。驚かせるつもりだったのか、逃げ場を無くすつもりだったのか、僕には判断しかねるがね……」
「……逃げ場を無くすつもりなら、どうしても卿でなければならなかったということにもなるんだけれども」

 嫌がってる男にそんな大役やらせても、遠い未来彼らの悲願が男によって達成されない可能性のほうが大きい。実際卿は、こうやって、人に自分を殺させようとしているわけで。なら次の世代を待つなり何なりしたほうが、ガッダの血を永続させるのに確実なのではあるまいか。……秋風家のこともあるため若干近しい頭で考える。

「まさに時間は無かったのだ」

 と、ウィトゥス・ガッダは口にした。

「次の世代に託すような猶予はなかった。これを逃すと一族が死に絶えるほどの窮地でね……僕が敬虔なソウイル教信者であることを彼らは知っていたけれど、それをどうこう言ってる余裕は、彼らにはまるで無かったのだ」
「……何かの……病気?」

 そうだね、と卿は頷いた。
 窓の並ぶ壁際に、ゆっくりとその背を預けさせて。

「ガッダの永続は祖父の悲願だ。祖父は祖父の父のそのまた父、またその更に父より以前から脈々と受け継がれてきた血族永続の呪を、どうしても達成したかった。……孫の僕にもそれと分かるくらいには、祖父の執念は相当だったよ。まさかそれが達成されるとは一度も思ってはみなかったがね……。人は神の意思を超え得ることは出来まいし、神もそれを許さないものだと思っていたのだ」
「……若かったんですね」
「突然他人行儀になるね、貴方は」

 敬語というのが伝わるのかと考えた。まあそうか。英語にも確か丁寧な言い方とか、そういう話を授業で何か……聞いたような…………頭が痛くなりそうだから勉強の話はやめておこう。

「当時、医術士というものは、まだ存在していない時分でね。治療と言えばひたすら薬草師に頼むのみ。その彼らにもどうにも出来ない病に罹った祖父は、ついに孫息子に全てを託すことにした」

 他人事のように卿は言う。実際もう何百年も過ぎ去って、他者が作り込んだシナリオみたいに感じてしまっているかもしれない。遠い遠い昔のことを自分の過去として己の道と繋げるのは、少し難しいことであるかもしれない。……だって卿は、それまでずっと“ヒト”として生きてきたものだから。

「街の城壁の結界、あるだろう?」

 聞かれて真佳はその話の転換に面食らいつつも「うん」と答える。ただの相槌みたいになったかも。

「あれも正直なところ、ほとんどは祖父の仕業だね。本来ならばガッダの血を守るための城壁で、そこを逆手に取って今回の企画に流用させてもらったのだ。第一級魔力保持者の魔術でさえも跳ね返す、これもまた、神を超える禁忌なり」
「……」

 真佳は何も答えなかった。多分答えたら……卿を殺すのを了承してた。神を敬う人間が、神を超える禁忌を犯してまで自分をここに閉じ込めたのなら、と……。恐らくこれも卿に見透かされているけれど。

「あの塔が気になるのなら、行ってみるといい。誰も立ち入る恐れもないからね、鍵は一度もかけてないんだ。もしかしたら長年使っていないので、扉が錆びついているかもしれないが……」

 そこで言葉を切って、少しく笑う。

「まあ、力任せにすれば開くだろう」

 自分の持ち分だろうと出かかったのを何とか中途で呑み込んだ。いい加減……ではあるが、信じる神を侵された敬虔な信者の気持ちとしたら、そうしてしまうのが当然であるやもしれなかった。

 TOP 

inserted by FC2 system