当主になる気がそもそもないんじゃないかと思慮するね……スサンナがついさっき口にしたことを心の中で反芻させた。だから殺させたがるんだろうか。傍迷惑な。
 ……真佳を殺すと公言されて、鬼莉が動かないわけがない。見通されたと真佳が感じた“最後の切り札”……殺してくれと頼まれて、あの鬼莉が本当に素直に人を殺してやるとは思えなかった。基本的に天邪鬼だし、多分通常だったら大勢を殺すか一人を殺すかで悩む真佳を嘲笑ってでもいるはずなのだ。それが切り札だった。真佳の最後の。でも実際はそうではなかった。鬼莉は卿を殺すと言った。……真佳が殺されることになったから。
 ……心労に深く吐息する。もしも切り札が守られていたなら、最悪鬼莉を抑え続けたまま別の選択肢を模索することも出来たのに。こうなったらもう鬼莉が卿の殺し方を突き止める前に何とか手を打たなくては……何で卿はそこまで鬼莉を熟知している? 鬼莉のことを卿に吹き込んだという人物は、一体何者?

「随分厄介なことを言われたらしい」

 ……真佳の前方でスサンナの背中が喋ったことに、真佳は一時びっくりしてから足を止めた。彼女は気付かずどんどん先に進むから、仕方なく小走りで追いかけた。よく考えたら何も考えずにここまで歩いてしまっていたので、どうしたら居間に帰れるか真佳は知らない。

「……そういう顔をしていた?」

 斜め後ろに立ち返ってからそう問うと、彼女は金糸の髪をそよがせながら赤い目を――真っ赤な眼をこっちに向けた。

「している」

 ……過去形じゃなくて現在進行系のほうだった。
 ……綺麗な赤目をしてると思う。真佳や鬼莉のそれとは違う。澄んだ目だ。その目を形作っている感情が、傍迷惑なものだとしても。何のことはない、赤目に恐怖を抱いているのは私だけ。……この世界には、私だけ。あの時、中学のとき、真佳よりも恐れ嫌悪し迫害し続けた味方(かれら)は居ない。

「まあ気にするほどのことではないさ。あの人はいつもそうだから。他人に無理難題を押し付ける。自分が無理難題で生きているからね。だから貴殿も、そう気にすることでもない」
「……」少し迷ってから口にした。「スサンナは、自分を殺してくれと言われたの」

 瞬間彼女の歩みがぴたりと止まってあやうく彼女の腕に鼻をぶつけることになりかけた。無駄に身長が高いのだから、一挙手一投足には十分気を使ってほしいと真佳は心の中で小さく愚痴る。

「……成る程ね。そのために彼は貴殿を呼んだのか」

 文字通りの意味で見下されてぶうたれた。呼ばれたというかあれはほとんど拉致だったんだ。言っても仕方ないので言わないが。

「……言われたの? スサンナは……殺してくれと」

 自分の言葉が湿りっけを帯びていることを自覚した。吸血鬼城に降り積もっている数多の埃が真佳の発した湿気を吸い取り膨張し、それで吊り下げ型の電球が軋みを上げて揺動したのだと考えた。

「……言われた」

 だろうな、と真佳は思った。卿は、この街の人間以外の、腕利きの殺し屋を選んで自分の殺害を依頼した、と、そう言った。無論彼女もそのうちの一人だっただろう。彼と彼女の接点を、これで漸く理解した。それ以外で卿が殺し屋と懇意になる事情など、よくよく考えれば思いつくはずが無かったのだ。
 ……そして彼女は失策した。殺す方法が分からなかった。

「殺すのかい、貴殿は。卿はどうやら、随分追い詰められているようだったよ?」

 そう見えたのか……と思ったが、そりゃあ門を全て落として人を街中に閉じ込めてしまっているのである。余裕があるように見えるほうが可笑しいか。
 ……そう、可笑しいのは真佳のほう。のらりくらりとした卿の振る舞いに、彼の真意に、彼の引き絞られて途切れそうな時間の無さに、今の今まで気付けなかった。
 殺されそうになったとき、あそこまで望まれているのなら、死んでもいいと本気で思った。
 では、殺してほしいと切に望まれていたならば?
 ――他人に生を願われただけで生きるなら、貴方は他人に死を願われれば死ぬのかね?――
 ………………鬼莉がどこかで笑った気がした。

「……私には人を殺す資格が無い」

 スサンナがちょいと振り返り、その横顔の中で器用に眉を持ち上げた。

「おかしなことを言う。人を殺すのに資格なんてものは要らないさ。強い殺意も要らなければ蓄積した憎悪も要らない。こいつがいなくなればという強迫観念だって必要ないし、覚悟だってそんなものは紙切れだ」

 赤目がまた前を向く。どうしても見慣れない澄んだ赤。

「ただ衝動さえあればいい。貴殿なら、もう分かっているんじゃあるまいか?」

 咄嗟的に自分の手元に視軸をやったことに気が付いた。スサンナや卿と比べると黄味のかかった、でも元の世界では肌が白いと羨ましがられたこともある。生命線。掌丘。五指。関節。意識を向けただけで手は曲がる。

「……私はもう随分と他人の人生を歪めてきたから」

 血がついてないことを確認した。
 何度も何度も確認した――これまでに。何度も。どこかについているような気が何故かして。例えば青髭の館に押し込められた、先妻の死体が流した血のように。

「もうこれ以上、人の人生を背負うのは……傲慢に過ぎるよ」

 はっ、とスサンナが鼻で笑った。こういう動作は男性的だと真佳は思う。

「強欲に暴食、それに傲慢と来たもんだ。貴殿はそろそろ異世界の神に見放されても文句は言えまい」
「……?」
「知らないか? ――ああ、そりゃ、普通は異界の宗教の、それも罪源だなんて調べやしないか……」

 ……彼女が七つの大罪のことを話していることに一拍遅れて気が付いた。そうか、宗教……それはそうか、ここではそういうふうに伝わっているのだ、“人間を罪へと導く危険性を孕んだ七つの欲望”に関しては。

「スサンナは異世界の宗教を調べているの」
「昔少しね。神のように現れた異世界人の世界では、一体どういう神様が祀られているのかという……気になっただけだよ。ちょっとだけ」
「勉強家さんでいらっしゃる」
「やめたまえよ、気持ちが悪いな」

 今回の貴族然とした話し方はわざとらしかったと真佳は思う。多分それは本人も自覚してるのだと思うけど。
 スサンナが短く吐息した。

「ウィトゥス・ガッダがここまでやって、貴方に殺される機会というのをみすみす手放すとは思えない。何か言われたのだろう。殺さなければという、何か」
「……」言うか言わないか少し迷った。「……殺さなければ、この街の人たちを皆殺しにすると言われた」

 ひゅう、とスサンナが口笛を吹く。窓の外を仰ぎ見た。長かった日が漸く傾きを増し増して、空は薄っすらと淡紅色の絵を描く。夜より一歩手前では、きっと蛇にも届くまい。

「それほど貴殿に期待しているということだ。貴方ならきっと彼を殺せる」

 流石に真佳はぶうたれる。別に殺したくもないと言っているのに、期待されているから殺せでは何だかあんまりにも身勝手だ。
 と言って、スサンナに向かって代わりに殺せよとも言えやしない。そもそも真佳は卿も街の人も、どちらも死ぬのも反対だ。

「私にばかりぃ……そもそも私に、卿の殺し方が解明出来るわけがないじゃあないか」

 さくらがいるなら別として。
 ……でもこの役を、まさかさくらにさせるわけにもいかないためにこれも峻拒。
 スサンナは小さく笑っただけで、その件については発言を拒否したのではないかと一瞬間だけ考えた。

「頑張りたまえよ。貴殿は傲慢で強欲で、それに暴食なのだから」

 ……さっきの七つの大罪を、ここに持ってきたのだとちょっとしてから気が付いた。

(……勉強家さん)

 今度は声に出さずに呟いた。



七つの罪源

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