「僕を……」唇を湿した。「僕を(・・)殺してくれる仲間だって……?」

 唇が乾いて途中言葉が出なかった。私は冗談だと思いたいのだろうか。頬がいつになく引き攣り過ぎて、多分しばらく直らないだろうと自覚した。頬と一緒にお腹のほうの臓器も何故だかひくひく蠢いた。胃が……多分、胃が痛い。

「不老不死が死を望むのが、そんなに意外に見えるかな?」

 意外、
 とか、
 そういう話じゃそもそもない……!!
 言いたいのに喉のところが萎縮して次なる言葉を紡げなかった。だって、何か、つまり何か、こいつは、真佳に、自分の自殺を手伝えと、そう口にしているのか。……真佳に? 本当に?

「そう口にしているんだよ。本当に」

 ……胃がさらに痛覚を圧迫しだした。幾らなんでもこんなに急速に胃痛に見舞われたのは今回のことが初めてだ。

「……できるわけないだろ……!!」

 自分としては大声を出したつもりであったが、胃痛の苦しさと喉の収縮とが結託し合って絞り出すような苦しげな肉声しか引っ張り出すこと叶わなかった。仕方がないので左脇腹を強めに押さえて、ソファの背もたれに強く背中を預けて一時視覚を遮断した。ほら、もう変なこと言うから……。一秒、二秒……合計で十秒数えて目を開けた。目を開けたらウィトゥス・ガッダが、心外そうな顔でこっちを見ていた。

「そうダメージを受ける必要もなかろうに……貴方は幾分大袈裟に過ぎる」
「大袈裟なもんか」

 誰々を殺してほしいみたいな話はあっても、いまだかつてこの自分を殺してください、さあ早くなんて話を聞いたことは無かったぞ。

「そもそもそんなに死にたいのなら私の知らないところで勝手に一人で死ねばいい」
「そういうわけにもいかないので今貴方に頼んでいる」

 卿が深く吐息した。
 何十回何百回と試していそうな様相に軽く背筋が粟立った――もしも本当に試していたなら、それは鬼莉と同様の寸分違わぬ狂気だぞ。

「呪われているんだよ、この身は」

 投げやり気味に男が言った。今まで彼の色んな声音を聞いてはきたが、人生投げ捨てたみたいなこんな声音はついぞ聞いたことがない。

「生にしがみつくようになっている――そういう呪いだ。ガッダは永遠に繁栄し、何に劣ることも起こり得ない。神との契約を反故にしてまで――……」……一瞬空気が沈黙に屈したようにキンと鳴る。「……そういう、呪いだ」

 紫色の双眼が伏せられて、多分そこらの女の子よりも長いであろう睫毛がそれに圧し掛かる。厭世的に逸らされたそれに真佳も少し考えた。

「……それは自分では外せない?」
「無理だ。数百年かけたガッダの叡智の結晶、先祖の妄執そのものを、容易く断ち切れるわけが無い。そもそも形式化された現代の魔術には既に呪いという古代の遺物は存在しない。存在しないものは今の魔術師に分析することすら出来まいよ」
「……」

 ガッダの叡智の結晶……先祖と彼は言ったから、勿論それはウィトゥス・ガッダ卿のことではない。彼が真実ガッダの末裔であるのなら、それは家族にかけられた呪いであるってことになる。

「そうとも」

 ウィトゥス・ガッダは口にした。

「呪いをかけたのはガッダの家系。それは合ってる。僕は親に、祖父母、曽祖父母、大樹の根幹に至るあらゆるガッダの先祖によって呪いを受けた」
「……死ねない呪い?」

 そうとも、と、今度は唇の動きだけで彼は肯う。

「正確には、自分で命を断てない呪い。他人に殺しをしてもらうまで試したことは今まで無い」
「……スサンナもいるのに。依頼したら良かったじゃないか」

 何でそこまで試さなかったんだ、と心の中ではそこまで言った。どちらにせよ卿には筒抜けだとは思うけど。
 卿は笑った。
 卿に似合わぬ自嘲的な笑声だった。

「そうだな、正しく伝えるべきだった――殺しは依頼した。この街の人間以外の、腕利きの殺し屋を選んでね。しかし彼らは僕の殺し方を見抜けなかった(・・・・・・・)
「…………?」

 片眉を跳ね上げた。
 言っている意味が分からない。
 卿が吐息。

「正確に言えば、僕自身も自分を殺す術を理解しているわけではない。ただ喉に刃物をつきつけてみることを試しても、毒薬を流し込んでみても、目をえぐり取ろうとしてみても、不老不死の体を終わらせることは出来ないまでも何らかの外傷はどこかに残せるはずなのにどうしても致命的なところまで自分の腕が動かなかった。それが祖先がかけた僕への呪い」

 紫眼がまともにこっちを向いた。
 ……宝石みたいな光の入り方をするその双眸に、真佳の心臓はやっぱり鳴った。

「今一度僕ははっきりさせた。これが不老不死という呪いであることは間違いない。ただし僕は以前にこうとも言った。僕は不死ではない、吸血鬼が銀や杭で死ぬように、と……」
「……何らかの方法がある?」
「そう」

 卿が指をパチンと鳴らしたので驚いた。今まで外の出来事に、そこまで露骨な反応を見せて来たこと無かったくせに。

「失礼、人生に半ば王手がかかっているので僕は些か興奮している。――貴方の国の遊戯の解釈は、無論これで合っていようね?」

 それは将棋のことを話しているのか。随分と余分なことを知っている――王手を取るのはむしろ私になってるようだし取る気は全く無いけれど。……今のところは。
 卿が笑った。――しまった、見透かされた――頭の中で舌を打つ。それも届いているのだろうに彼は気にした素振りも無いまま言葉を継いだ。

「――不老不死にも弱点がある。殺すための弱点だ。その一手を打たれようものならたちまち死の淵に立たされるような代物だけど、その手順を僕は知らない。知っているのは僕に呪いをかけた張本人、僕の祖父…………無論既に死んでいる」

 ……それを聞いてほんの少しだがほっとした。

「じゃあ幾ら殺そうと思っても、私には絶対に殺せないじゃない。方法を知らないんだから」
「だから僕は貴方に、その解読と実行を依頼している――正確には、貴方たちに、だね」
「…………」

 なぜそこまで無理難題をかけられているのに諦めないのか。生きてほしいと願われたのなら素直に生き続けていれば良いものを――半ば投げやりにそう思う。

「……彼らが生かそうとしたのは僕ではなくて、彼らの栄光そのものだ」

 ……唾棄するように男は言った。
 そしてこうも付け足した。

「他人に生を願われただけで生きるなら、貴方は他人に死を願われれば(・・・・・・・)死ぬのかね?」



謀略ラビュリントス



 ――頭の中で誰かが笑った。どちらかと言うと不快な微笑で、誰かに似た声だと思ったらそれもそのはず、それは真佳の声だった。正確に言うと、真佳の声と言葉を借りた――

「負けダよ、マナカ」
「…………」

 真佳は何も口にしない。

「言い当てられチャったんだもん。他人に死を願われれば死ぬのカ、って」

 口角をつり上げて彼女は笑う。反射した窓ガラスのその中で……? 違う。現実を見ろ。今はそんな……そこまで彼女の進行を許したつもりは毛頭無い。
 ――ベルンハルドゥスのことが頭に蘇っている。ペシェチエーロで。確実に死を願われて。私は――…………。

「キリ」

 ――男の口唇からその言葉が飛び出して、ようやく真佳は我に還る。

「今のはキリで、間違いないね……?」

 聞かれた――と思ったが、冷静に考えれば今更だ。鬼莉がああやって表層に現れたのはこの街に入ってこれが初めてというわけじゃあない。わけじゃあないから……お願いだから、落ち着け、心臓。

「マナカが殺せないならそれでもいい」

 ――どこか満足そうに男が言った。
 まだ心臓がばくばくしてる。体の内側がじんわり熱く、背中に冷たい汗がじわりと滲んだ。

「僕はキリにお願いすればいいんだから……彼女なら、僕の頼みをきっと断りはしないだろう」

 ……随分な自信じゃないか。冷や汗の滲む片頬を無理につり上げながら真佳は思う。本当に頼んだくらいで鬼莉が殺してくれると思っているのか? あいつは殺人狂というわけではない。人を殺すこと自体に快楽をおぼえる類いの人種では――

「だから貴方がいるんだろう? ここに」

 ――目を上げた。
 卿は微笑んでいる。憐れむように。慈しむように――

「期待しているよ、最後の人質(・・・・・)――貴方がここにいる限り、僕の願いは叶わざるを得なくなる」

 ……ああ、と、真佳は思った。
 この時初めて、最後の切り札さえ(・・・・・・・・)見通されてることを理解した。

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