一先ず情報を整理しよう。
 ガッダ卿、ウィトゥス・ガッダ卿は不死であるとされていて、街の人間に生け贄として子どもを捧げることを命令し、その子の血液を啜ってこれまで生きながらえてきた。あるいは、それを楽しみとしていたか。かつて吸血鬼であるのかどうかと尋ねられたこともあるらしい。誰に言われたかは分からない。それは真佳が考えることだと卿にやんわり拒否られた。真佳の知ってる人間でなければ正解するわけもあるまいに。
 不死と言われているが何百年、何千年生きているのか具体的なところは不明。異界人と会ったことがあるのなら、五百年は生きているのに違いはないだろうけど……。
 っていうか、それならば吸血鬼ではないかと尋ねてきたのは異世界人であるのでは? ただし吸血鬼の話は一応この世界にも広まってはいるようだったし、それを見た別の人間が……というのも考えられる。卿が生け贄を求めているのは街の人間なら皆知ってる。けれどスサンナの話では、彼はこの街の人間に恨みを持っているらしい。そんな人間に尋ねるだけの間を、あのガッダ卿が与えるだろうか。
 ……吸血鬼は血を生命の根源としている。どの吸血鬼伝説がこの世界で広まっているかは不明だが、血を吸う特徴だけはどこでも多分一緒だろう。あとは死体であったのが蘇ったとか、ニンニクが苦手とか、日光に弱いとか……鏡に映らない、十字架を嫌う、霧やコウモリに変身することができる、エトセトラ、エトセトラ……。意外に特徴があるものだ。この場合の十字架はソウイル教のシンボルだろうか。ニンニクに関してはただ単に五感の強い部分を逆手に取っているだけなので、匂いの強いものなら何でも応用は利くはずだ。あと武器になるものは、杭とか銀の弾丸とかか……。彼が本当に吸血鬼であれば、という話だけれど。

「貴方は案外、すぐに人を殺す術を考えるんだね」

 ……心の中を読み取ったらしいガッダ卿が口にした。



Cinquecento(チンクエチェント) anni(アンニ) fa(ファ)



「ガッダ卿は不死なんでしょ。殺されることに危機感を覚える必要も、ないよーに思うけど」

 いい加減卿の読心術には慣れ切っていたので世間話のように真佳は言った。彼の不死という情報の真偽を、確かめるためというのもあった。不死だと言われているけれど、吸血鬼だって一応死にはするんである。
 これに真っ先に言を発したのは、意外なことにスサンナだった。

「そうだよなあ、本当に不死であるんなら、僕と一戦交えることを卿は恐れないと思うんだ」

 ……真佳が思った方向とは違うが、まあいい。ともあれ真偽が知りたいわけだから。
 卿が短く吐息した。人間は愚かなことに時を使うんだなとでも言いたげな、諦観の混じった溜息だった。

「それは貴方の質問かい? あの時僕が口にした、質問にも答えようというのに準拠する」

 そうだよ、と心の中で口にした。それだけで十分なはずだろう。今まで随分人の心をその頭脳で讀んできたんだ。
 やれやれ、と卿が発話した。

「貴方は随分意地が悪い」

 ……卿にだけは言われたくない、と割りと発作的に考えた。

「よかろう。貴方がそう問うのなら、僕はそれに応えよう。不死かという話だったね。僕が不死であるのかどうか。正確に言えば、不死とは言えない。そう、正しく、吸血鬼が銀や杭で死ぬように」

 スサンナが些か訝しげな顔をして、自身の隣のウィトゥス・ガッダ卿をまじまじと見詰めているのを視認した。彼が真面目に答えているのが意外であったのか、或いは不死ではないと言われたことが意外だったのかは分からない。卿は言葉を継いで往く。

「ただ、不老であるとは言えるだろう。幾つのとし月を超えて来たのか、と、問うてみるかい? いや、応えずとも答えよう。ざっと五百年以上といったところかな。それ以上は覚えていない。永く生きていると、どうも数えるのが億劫になってしまってね……」

 ――五百年。
 卿の玉顔を見つめてゆっくりと真佳は吐息した。では……では、間違いない。卿は異世界人と……当時の異世界人(・・・・・・・)と、話をしたのだ……本当に。
 卿が一人、くすりと笑った。
 真佳の心情に対して何ら言葉は返さなかった。返す必要もなかろうとばかり。

「そういう意味で、不死ではないが半ば不死であるとも言える。殺す方法を人類が思いつかない限り、僕は永遠に生き続ける。そう、永劫に……」

 ――一瞬、宇宙の中を彷徨い続ける卿を視た。地が焦土と化し海が焼け、地と天の恵みが失われて惑星が破滅に導かれてしまったとしても、卿は、卿だけは永遠に生き続けるのだ。永遠に。それは何と……何と気が遠くなるほどの生だろう?

「だからこそ、僕は貴方に言いたいことがあるけれど……」

 と卿は言う。
 想像の中の卿でなく、ちゃんと目の前で足を組んで座している、現実のほうのウィトゥス・ガッダ卿である。

「後にしよう。ここは貴方の場、貴方の領地。僕はそろそろ真面目にさ、貴方との約束を果たしてみてもいい時期だ」

 一度真佳は目を伏せた。
 香茶の香ばしげな紅色の色彩が真佳を見上げて揺らめいた。

「……異世界人のことを教えてほしい」

 スサンナの反応が気になったが特に目立ったリアクションは見られなかった。この国ではほとんど全ての人間が異世界人に傾倒している。その事実が真佳の真意を上手い具合に隠したらしい……ほんの少しだけほっとした。

「卿は異世界人と話したことがあるんでしょう。キミが……」ここはさくらに則ろう。ハッタリをハッタリに見せないように、至極自身ありげに見せかける。「キミに吸血鬼かと問いかけたのは、異世界人であるのでしょう」

 ……心を読める卿に対して、ハッタリを仕掛ける意義があるのかどうかは別として。
 カップを持つ手に力が入った。

「卿は、どうやら、何か……異世界人とのことを話したがっているように、感じる」

 今度こそスサンナは意外そうにきょとんと両目を瞬かせた。ソファの上に片膝を立てるという行儀の悪い格好で(ただし卿に言われたからか何なのか、靴だけはきちんと脱いでいた)。
 卿が笑う、空気の擦れる音がした。

「それでは結局、貴方の問いに答えるという目的を逸してしまう」
「でもそれが多分、私をここに連れてきた動機と直結していると考えた」
「――」

 卿の動きが止まったことを智覚した。
 ……それが手痛い指摘であったらしいと自覚したのは、この時卿の唇が止まっているのを実際に目の当たりにしてからだ。発作的に口をついて出た、それがどうやら図星を刺した。
 ……ふふふ、とやがて卿は口に出して笑った。
 それが段々くつくつとなり、くっくっくっと笑いを噛み殺すような音になる。

「いやはや、いやはや! 二回目(・・・)だ、これ(・・)で! 本当に全く、君たちは僕の予想をあまりに安易に凌駕する。これはね、本来であれば、最後に告げるべきはずのことであったのだ。それを貴方は強引に、いとも容易く僕の喉元に引っ張りあげた。そのことをしかと念頭に置きながら、僕の独白を聞くがいい」

 言ってからまたくっくと笑った。腹を押さえて心底面白おかしげに……。あまりに笑うものだから、真佳は卿が壊れてしまったのではないかと懸念した。

「いや」

 手のひらをこちらに立てて卿が言う。

「心配は要らない。僕は至って正常だから。くくく……ただ、逃れられないものだなと思っただけだよ。お国柄というやつか」

 ――その意味をスサンナが分かっているとは思えなかったが、真佳は卿の言っている言葉を理解した。首都、ペシェチエーロと港町、スッドマーレで言われたことや考えたことを想起した。この国にも“お国柄”というのはあって、そしてそれは、“元の世界”であっても同様だ。

「五百年前の話をしよう」

 と、ウィトゥス・ガッダはそう言った。
 腹の笑いを引っ込めて、唇だけに胡散臭げな弧を浮かべ。紫眼(しがん)が肉食動物のように炯々唸ったように見えたのは、果たして真佳の気のせいだったか違うのか。

「五百年前、家を訪れた者が在る。貴方の言う、異世界人がそれだった」
「……訪れた?」

 と真佳は聞いた。卿はまるで聞かれることを最初から想定していたかのように、あまりに悠々頷いた。
 ……訪れた、というのは不思議な話だ、と真佳は思う。宿屋でも何でもない他人の家に、それまで面識の無かった人間が唐突に門扉を鳴らすなど……?

「その時のことは、僕もよくよく覚えているよ。何せ何年、何十年も暇をしていたものだから。僕は伝説の怪物として変わらず街の人間に忌避され続け、そして僕も彼らに近寄ろうとはしなかった」

 恨んでいた――とは、ガッダ卿は認めなかった。
 或いは、口にしなかったと言うべきか……。

「当時この街ではね、子どもが消えていたんだよ」

 ……言っている意味が分からなくて真佳は両目を瞬かせてから卿を見る。

「言葉どおりの意味だったよ。一晩で多くの子どもたちが姿を消した。彼らは、というのは当時の貴族たちのことであるのだが、それをひた隠しにし続けていたので、外から来た人間たちは、子どもらが皆感染病にでも罹ったのではないかと噂した。ほら、子どもの姿が街からごっそり消えてなくなったわけだからね。家から出て来れないのだろうと皆はそう思ったし、であれば病気であろうと夢想した」
「貴殿だろう?」

 ……というのを横から言われて驚いた。スサンナが面白くもなさそうな顔で、香茶に入れた多量の角砂糖をスプーンの平で押し潰しながら当たり前のように言ったのだ。そしてそれは当然のように承認される。

「ああ、種明かしをすると、それは僕の悪行だ」

 ……悪行と言う割にはひどく清々しげに口にした。スサンナは、「やっぱり」とも、「だろうな」とも口にしない。太陽が昇るのは誰の御業?――ソウイル神! ……なくらいナチュラルに交わされる言葉の放擲のやりとりに、座っているにもかかわらず強い立ちくらみに襲われた。頭の中がぐらぐらしてきた。

「それ、それで……」

 何だか口調までもぐるぐるしている。

「……街の人たちは気付いたの? その……ガッダ卿が首謀者だって?」
「まさか」

 カップを持ち上げながら短く答えた。ガッダ卿のその応答には、当時の貴族たちをあからさまに見下してでもいるかのような色合いと、それから優越感、自身に対する絶対的な自信なようなものが含まれていると真佳は察する。香茶を優美に傾けながらなお投げ捨てられた短い質問への解答は、真佳に不安定感を抱かせる。

「彼らは僕を、少なくとも面と向かっては疑わない。それだけの度胸が無いからね。今も昔も変わらない、門扉が破壊されたのが僕のせいだと分かっていながら、ほら、ごらん――誰も僕の館を訪れない」

 ……それは確かにそのとおり……。あの時、というのは真佳がここに来る前のことになるのだが、道中誰も目的を同じくする人間とは出会わなかった。ガッダ卿の仕業だ、と、あれだけ吠え立てていたにもかかわらず。
 彼らはここには来なかった。
 直接申し入れるだけの度胸が、確かに彼らに無かったためだ。

「かるが故に彼らは当時もここへはやって来なかった。もし誰か一人の仕業であってそれが人為的になされたものだと言うのなら、それは間違いなく僕の仕業に違いなかろうとはっきり気付いておきながら」
「でも、貴殿もそこを利用した。糾弾されないと、絶対の安全圏だと分かっていながら犯行に及んだわけだから、それは正直どっこいどっこいの五分五分だ」

 ――くふっ、
 と男が笑った気がする。くつくつと喉を震わせて、「そうであろうね」……。
 真佳は最早卿が本当にこの街を恨んでいるのかが判断出来ない。本当に恨んでいるとして、その憎しみの感情は一体どこに仕舞い込んでいるのだろう。――何十年も何百年もの期間中。

「あの時は血が必要だったんだ」

 と男が言った。

「血……?」

 と真佳は口にする。またその話……。生け贄の子どもから血を貰っていたという。血がそんなに重要なのかと思いかけたところで卿が悠々と首肯した。

「僕が幾ら不死だとしても、その不死性には無論限りがあるからね。栄養を取らなければ苦しむし、それは死ねない分永劫の拷問であるとも言える」
「……食事をしないと死ぬ……じゃない、死ぬほど苦しいということ?」

 真佳が聞くと、そこで卿はふふっと笑った。刻まれた笑いシワが、まるでディルムッド・オディナのほくろのようだと真佳は思ってほんの一時視軸を外す。

「食事というほど豪勢なものをする必要は無いよ。だから僕は人の血液を求めたわけだし……血は子どもの血液が一番いいね。成人した血液はとても飲めるものではないよ……」ああそうだ、と思い出したように卿は言う。「そういえば、異世界人の血の味とは一体どのようなものなのだろうという興味を抱いたことがある」

 ……それは“異世界人”を前にしてわざわざ言わなきゃならないことだったのか。頬を引き攣らせる真佳をよそに、スサンナはやっぱり何も気付いていないという態で、「まずは異世界人ととっ捕まえないとどうしようもならないだろうに」と言っている。問題は本当にそこなのか?
 ――咳払い。

「“異世界人”なら――」

 若干挑戦するような気持ちで卿を見た。

「だから、五百年前に会ったんでしょう?」

 ――敢えてそこに乗っかった。

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