「やるなら玄関でのほうがいい。食堂もそれなりの広さはあるけど、あんな広い部屋、僕一人では一度も使ってないからね。動くたびに埃が舞って、きっと戦うどころの話じゃないよ」
「だから! その戦うというのを私は一度も許容してない!」

 卿の背中を追いかけながら一回怒鳴った。きょとんとした顔をしながら卿がこっちに視軸を向けた。

「貴方のおかげで巨体人が今生命を取り留めた。それが嬉しくないのかい?」
「そっ……れは嬉しいけど、」

 そうじゃなくて。自分をしっかり持て真佳。

「やるならせめて私の許可をとってから交渉してと言っている」
「許可?」

 卿が首を傾けた。
 それが真意であるのかどうか、真佳はそこで懐疑的にならざるを得ない……。

「得意なものを得意な人に、僕は采配しただけだ」
「得意、……だからって、好きであるとは限らない」
「…………」

 昼間であるのに薄暗い廊下に卿の玉面と、紫色の双眼だけが光を陰気に跳ね返して見えていた。双眼に感情の色は乗っていない。……ほんの少しだけ怖気づく。そんな真佳を見たからだろうか。卿が薄っすら、微笑した。

「おかしなことを言う」

 一歩こっちに近付いて、
 然程距離の空いていなかった真佳の顔を、ぐいと近距離で見つめてきたのでたまらず真佳は若干後ろへ仰け反った。近付いて見るとその肌は白くシミやシワの一つもなくて、そこに収まった紫色の眼球は最も輝けるカットグレードを自ら模索して最高級の職人に調整させたかのようだった。
 桜色の唇は微笑の形からは動いていない。囁くように男は言った。

「貴方の“中”に居るもう一人の“貴方”のほうは、どうやら戦を楽しんでいるようだけど……」

 びくっとした。反射的に後ろへ二歩ほど距離をとったが卿は追っては来なかった。真佳の眼は恐らく不信の感情で塗り固められているのだろうが、卿はそれに何か感情を抱いた風もなく、ただ微笑したまま肩を竦めて踵を返しただけだった。規則正しい靴音が石の廊下をたたきながら真佳の側を遠ざかる。……いっそここに留まっていようかとも考えたが、戻る道すら覚えていないのを思い出したために仕方なく卿に従って廊下を渡った。
 忘れてたわけでは勿論無かったけど……。
 前を歩く男の背中を上目遣いで睨めつけながら真佳は思う。
 こいつは真佳の、“絶対に知られたくないこと”を知っている。だから真佳は館に入らないではいられない。こいつがどこまで知ってるか、どうしてそれを知ってるか、問いただしてみるまでは――。
 相変わらず心を読んだに違いないウィトゥス・ガッダが一度、満悦したように肩を竦めた。



思考・跳びはね



 玄関ホールに入ったときには既に女がそこにいて真佳は多少ビクついた。正方形の玄関ホールの中央に、ぽつねんと存在を誇示するように屹立しているものだから。そういうところ、元の世界にいる友人ととてもよく似ているものだから思わず辟易してしまう。

「初めましてだ、赤い目をしたお嬢さん」

 ホールの天井や柱に乱反射して彼女の声はよく響く。彼女が声を張り上げたのか、それともここがそういう構造なのかは知らないが、それは舞台役者さながらの声の張りようのように真佳は聞こえた。
 申し訳程度に宿った玄関ホールの光源が、彼女の金の毛髪をくすんだ色合いで煌めかせている。フードはかぶっていなかった。ここまで歩いてやって来たわけでもなさそうなのに、息が乱れている風もない。毒――彼女の獲物が何か毒の類いであるのは、さっきの戦闘から容易に見当がついている。
 ガッダ卿が無言のままに、手のひら全体を使ったムカつくくらい優雅な仕草で一階へ下る階段を示してみせた。細く黒い階段が壁に沿って彼女のいる地表のほうへ伸びている。こいつは本当に真佳の了承も得ぬままに戦を始めさせるつもりらしい。
 一階の彼女に目をやった。
 吹き抜けの廊下から見ると随分小柄に錯覚するが、それなりの身長は持っていてもおかしくはないはずだった。何しろ対比対象がマクシミリアヌスしかほぼいなかったため若干の心細さはあるものの。
 ――本当に赤い目をしていた。
 見間違いじゃあなかった。
 女が笑みを深くした。

「赤目の民は普通戦闘を好まないんだ」

 女が言った。
 あちらもこちらと同じ部分を注視していたのは明らかだった。

「そんなんだから誰にも相手にしてもらえなかった。勿論そんな民が戦う術を持っていたなんてはずがない。何故そうやって断言出来るか教えたげましょうか? どうしても遊んでほしくて一番偉い人間に戦いを挑んでみたらばさ、当たり前のように死んじゃったからさ」

 ――赤目が光を増した気がした。ガッダ卿の様相が脳裏を過ぎった。人の心を観察する目をしている――からであると理解した。まるでガラス球をぞんざいに覗いてみるように。その人の人生に一片の敬意も感慨をも抱かない。製本された小説の中から、無慈悲に一枚千切り捨てることに何の躊躇も無いかのような。

「私はキミとは戦わないよ」

 真佳は言った。
 ……女が少し驚いたような顔でこっちを見上げた。視線の端で卿が欄干によりかかり、「ほう」と興味を引かれたようにこちらに視軸を流してきたのを視認した。……誰も何も言わないために、仕方なく次の言葉を口にする。

「……そんなことのために私はここに来たんじゃない。私は知るために、ここまで乗り込んで来たんだから」
「知るためェ……?」

 女が不審な視線をガッダ卿のほうに突き刺した。彼女の視線を受けてから、漸く卿はおもむろに肩を竦めてみせる。

「僕は知っているんだよ、彼女のちょっとした秘密をね。それを教える約束だった。貴方がここに来なければ、相変わらず僕と彼女は面と向かって話し続けていたはずだ」

 それはどうか分からないけど……。相変わらず煙に巻かれて、本当に(・・・)面と向かって話をしただけってことも考えられる。まあそれでも結局は真実を話してくれるに違いないと、今は信じるしか無いけれど。

「はァン……“知るため”ね……貴殿はどうやら随分と強欲で、暴食だ」
「……?」

 一瞬聞き間違えかとも思ったが、確かに彼女は今“暴食”と言ったらしい。綺麗な日本語――彼女は異界語信者だろうか? 鏡の中で聞いた言葉も聞き取りやすい日本語だった。でもそれにしては――
 女が片足を後退させたことに感付いた。思考を強制的にぶった切る。

「じゃあこうしよう赤目の同胞!」

 空気が瞬間ざわついた――

「知りたければこの()を、今ここで倒してみせなさい。知るための脳と耳とを持っていない人間に、何かを知り得ることなど到底出来やしないのだからッ」

 最後の一音で高く腕を振り上げた。立てた人差し指が真っ直ぐ天井に向けられて、そこに出来上がったのは紫を放つ漆黒の――
 考える前に体が動いた。「はっ!」気合一閃発せられたたった一音と一緒くたにして一つの短剣が地面を抉る。真佳が立っていたちょうどその場所。初めから当てる気など無かったな、と真佳は思う。

「吹き抜けの廊下は狭いでしょう!」

 女が叫んだ。

「ここへ下りてこなくてもいいのかい? それじゃあ狩られるだけの哀れな動物と同じだぜ?」

 脇に飛び退き屈み込んだ状態でスサンナの方角へ視線を流した。扉の前から遠のかされた。さっきの短剣は明らかにそれだけを目当てにしていた。床を穿った魔力の短剣は瓦解しながら空気に消える。
 最初からそのつもりだったのだ。相手の目論見は真佳と剣を交えることで、真佳を殺すことでは無い。まあ多分、敗けたらそこで殺されるけど。――ゆっくりと膝を伸ばして立ち上がる。廊下が狭いのは確かであった。ここには一人半くらいの幅しか無い。
 女の赤目がこっちを見ていた。
 ――まるで鏡を見ているようで胸のところがムカついた。知ってる。その目。挑発するような。もット楽になレバいいのニと囁きかける。簡単デショ――――――
 気が付いたときには廊下の欄干を蹴っていた。
 女が若干驚いたように目を瞠り、それからチェシャーの猫のように深々嗤った。真佳が中空にいる隙を彼女が逃すはずもなく、自身の前方に半円を描くように腕を巡らせ毒の刃を生成――
 手首を一瞬震わせた。
 ガッダ卿は真佳の装備に一切手を触れてはいなかった。それをここぞとばかりに解放させた。小クナイ。両手合わせて全部で六つ。女が円の六分の一すら描き切る間を与えずに(・・・・)、クナイの砲弾を食らわせた。その腕に(・・・・)

「――!」

 女が瞬間的にその片腕を引っ込めた。それでも一撃二撃はヒットした。腕に合わせて直線的に撃った(・・・)んだ。咄嗟の判断で引っ込めただけでは無論完全には防げない。指の先と手首――血液が大理石に滴り落ちる。もう少しで指は切れていたかもしれないなと、他人事のように考えた。着地。裸足の足裏が大理石に触れた瞬間、右手のスナップをきかせながら腰をねじらせたった一足で女の懐に飛び込んだ――無傷なほうの右手側。傷を負った左腕を庇って扱うに違いない右側に魔力生成の隙を与えず潜り込み、右手に掴んだ小クナイを真っ直ぐ女の首筋頸動脈に
 ――パンッ、という音がした。

「そこまで」

 ――階段の上のところで卿が手を打ち鳴らさせた格好のまま真佳と女を見下ろしていた。「スサンナも」と男が言う。空を撫で、短剣を生成せんとしていた千切れかかった人差し指(・・・・・・・・・・・)が、ぴくりとしてから固まった。男が拍手を打ち鳴らす。

「いい試合だった。とても」

 ……いい笑顔で男は言った。
 ……嘘を吐け、と真佳は思った。

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