カタリナとヤコブスらが合流したのは、もうすぐ東に差し掛かろうという頃合いでのことだった。人数の違いか、あるいはカタリナがやる気の無さを披露していた間が時間のペルディタ(ロス)に繋がったのか、どうやらあっちのほうが早めに仕事を終えたらしい。グイドから聞いた話をヤコブスからカタリナと、ついでにマクシミリアヌスに聞かされた。瓦礫の落ち方は、やっぱりどこも同じであったらしかった。同じ積み方をするように細工するのはどうしてか? 理由は一つしか見当たらない。

「じゃあ」

 と言ったのはカタリナだ。

「決まりだね。魔術式はあの瓦礫のを通って、壁の、恐らく煉瓦と煉瓦の隙間を通って続いている」
「でも、どうしやす? それが分かったところで、煉瓦を崩せるわけじゃなし……。それにもう一つ問題が」というのはトマスが言った。「今瓦礫で覆われた門口はあのドでかい壁のおおよそ半分ほどの高さがあることになってやす。あの大男中佐ですら二人半くらい余裕で通れそうな高さの中から、一筋の魔術式を探すってえのは何とも至難の業ですぜ」
「……」

 思わず口を閉ざしてしまった。そう言われればその通り、事態は何も解決の方向には向かっていない。魔術式を消さなければならないのは分かる。でもどうやって?……歩くカタリナの左側に聳え立ったこの忌々しき街壁を、再度見上げることになる。
 ――マクシミリアヌスと情報共有を行っていた“姫さん”サクラが、カタリナの隣に追いついた。

「魔術式を消す方法でしょう」

 盗み聞きをしていた……のだとしても驚かないが、多分違うんだろうなとカタリナは思う。

「さっきマクシミリアヌスから話を聞いた。第一級魔術も通じない、登れないし壊せない。厳密には、首都からそれなりの道具を持って来さえすれば破壊することは可能だけれど、それなりに時間はかかってしまう。目立つ方策だから、その間真佳に何らかの危害が加えられる危険は大きくなる」

 ……お手上げだな、と思った。指折り数えるサクラ・ヒメカゼの形のいい綺麗な爪と指とを見下ろしながら、カタリナはうっすら吐息した。しかし何にせよ、何らかの行為は起こさなければならないのだ。でないとサクラはここから一歩も出ないであろうし、それにアルブスの村で待っているベレンガリアだってずっと家には帰れない。あまりに時間が経つようならば、流石に首都も動かないではいられない。

「その件だが」

 とヤコブスが薄く訴えた。通りの悪い首領の声が、その場の全員の視軸を集める的になる。深く刻まれた眉間のシワがまず見えた。

「瓦礫を通って魔術式が存在するという話、俺はどうにも嘘くさいと踏んでいる」
「え?」

 ……一音発して、思わず即座に確認したサクラの表情に何の変化も見当たらなかったこと、ヤコブスの発言以上に驚いた。

「……瓦礫の大きさも落ち方も、全部同じだったんじゃあないのかい」

 尋ねたのはカタリナだ。カタリナ自身は全ての門とをその目で確認したわけではない。が、グイドが言うなら確かにそうに違いないという確信がある。わざわざそんな七面倒臭いことをする理由なんて、中に魔術式を通すくらいしか……。

「君はとっくに理解していると思っているが」

 ……紛らわしいが、これはカタリナではなくてヤコブスからサクラに向けられての言説だ。付き合いがそうまで長くなかったならば、自分に向けられた語であるという恥ずかしい勘違いを起こしかねない言葉遣い。

「……瓦礫はあまりに出来過ぎているとは思っていた」

 銀目の異世界人の吐露したそれにカタリナは目をぱちくりさせる。出来過ぎている、とはどういうことか。
 あまり話したくはなさそうに、サクラは一度息をつく……。

「魔術式を通すという目的だけなら、何も四つの門全てを同じ積み立て方にしなければいけないわけじゃない。瓦礫の大きさが東西南北で違っていたって、それぞれの落ち方さえ把握できていれば魔術式は変わらず通せるはずだもの――」

 あっ……と思った。
 確かにそう。要は魔術式さえ無事に通してやれれば良いわけで、それは何も全て同一の瓦礫の上を通らなければならないという意味にはならない。同一であるということはそこを魔術式が通っているという徴証には至らない。

「――むしろ、全て同一というのはあまりに不自然だと判じたわ。仮にそこに本当に魔術式が通っていたとして、外部や中の人間に怪しまれるようなそんな仕掛けをそのまま放置するとは思えない。いくら結界に自信があっても不安要素は放置しない……アルプスの長老の話を聞いて、私はガッダ卿がそういう類いの人間であると結論付けた」
「同意見だ。異論はない」

 というのはヤコブスが言って、それにこうも付け加えた。「奴の人間性とはあまりにかけ離れすぎている……」

「……ちょっと待ってください、っていうことはあれは」

 フゴが一度唾を飲み下すような間を置いた――。

「ファズッロ(フェイク)だってことですか」

 ……それにはスカッリア語が混じっていたが、サクラのほうは文脈で何となくだが察してみせたらしかった。ヤコブスもサクラも何も言わない。それが肯定の意であることは、最早疑う余地がない。

「あからさまな餌(え)だ。あそこを掘り返している間、本物の魔術式には指一本触れられない」
「結果的に時間が出来る」

 ヤコブスとサクラが揃って言った。割りと仲いいなあんたら。

「……時間だと?」

 それまで黙って聞いていたマクシミリアヌスが言葉を上げた――いつの間に後ろについていたのか、ヤコブス、サクラと並ぶカタリナの後ろに、正確にはサクラの後ろにくだんの大男の影がある。

「では、奴は時間を稼ぎたかったということになる。そのためにこれだけの大掛かりな仕掛けを発動させた。五百年間――少なくとも五百年間、一度も発動させなかった仕掛けをだ」

 サクラが視線だけでマクシミリアヌスを振り返ったのを、カタリナは偶然的に視認した。ヤコブスに目を向けたのは咄嗟的なことだった――彼は後方には視線を振り向けてはいなかったが、その耳が何物をも聞き逃さないことをカタリナはよく知っている。

「――何故だ?」

 マクシミリアヌスはそう告げた。

「何故奴は、今、この瞬間に何よりも時間を重視した?」
「…………」

 サクラは何も口にしようとはしなかった――。視軸を前に固定して、険しい双眼でのどかな起伏の少ない大地を親の仇のように睨み据えている。彼女もそれを考えているのだ、と直感した。
 ……そもそも瓦礫がファズッロ(フェイク)であると、断定したのはサクラなのだ。その先にある疑問符を、考えていないわけがない。

「……今はまだ分からない」

 というのがサクラの答え。ヤコブスも何も補足はしなかった。よれたカミーチャ(シャツ)の上から羽織った短い丈のジャッカ(ジャケット)から、いつもの煙草を取り出して、ただただ無言で咥えたのみで……。話に参戦するつもりは無さそうだ。

「……時間を……」

 小さくサクラが口にする。
 どこか切羽詰まったような、その先を口にするのを躊躇うような口振りだった……。
 結果的にその発言は、カタリナの中に不穏なシミだけを一滴残してすぐに掻き消えることになる。



時間の矢



 カタリナにとっては二度目の北門をちょろっと見てから再び西門に戻ってくると、そこにはボロい外套をすっぽり被ったちっちゃい生物が待ち受けていた。誰かと思って一瞬警戒したが、何てことは無い、カタリナもよく知る、アルブス種族のネロである。

「迎えに来てくれたのかい」

 と意外に思って尋ねると、ネロは少し視線を伏せて唇の先でもにょもにょ言った。

「……もうそろそろ、終わる頃だろうって。お爺ちゃんが……長老が」

 結局迎えに来てくれたのかどうかは分からなかった。その首の動かし方は頷きにも取れたし、あるいは俯きにも捉えられる。

「……まるで今回の数時間だけで謎が解けるわけがないと言わんばかりの……」

 というのはサクラの口から漏らされたが、極々小さな声だったので多分聞き取れた人間は多くは無い。サクラがこういう、不満に近い八つ当たり気味の毒を吐くのは珍しいような感がする。そろそろ焦れったくなってきたということか? 進展しないこの状況に。
 結局魔術式の在り処は分からずじまい。瓦礫を通って魔術式が存在していないのなら、きっとそれ以外にあるはずなのに、それらしい手がかりが見つからない。日は随分西に傾き始めた。戻るのなら、もうそろそろ頃合いなのだろうというのも分かる。

「もう少し残ってみるかい?」

 というのをカタリナが口にしたことに、特段の意味は含めてなかった。
 サクラがこっちに視線をやった。半周の往復、距離にして言うならチッタペピータ一周分と言っても過言では無い距離を歩き続けて、いい加減足が疲れていたのでその場にしゃがみ込んでいた。頂く視線はどうしたって見下しがちのものになる。

「……」

 躊躇うような間があって、答えはすぐには返ってこない。しかしここで想定外の手助けが入った。それまで黙りこくっていたトマスが口を開(あ)いたのだ。

「いいと思いやす。かくいう俺もちっとばかし、残ってみたいとは思っていやして」
「トマス……」

 というのを戸惑った声色でサクラが言った。小さな声音だったから、多分ヤコブスのところまで聞こえることは無かったろう。背負っていた荷を無造作に地に放りながら、しかし彼もトマスの口添えに加担した。

「どうせ休む時間は必要だ」
「昨日だって、夕方ギリギリに村に着くような時間だったわけだしねー」

 グイドの発言で判断するなら、少なくともあと一、二時間はここにいられるということだ。誰も否定はしなかった。サクラだけじゃない。このまま、何も得られないまま村に戻るなんてこと、誰も納得なんてしていない。

「……サクラ」

 というのをマクシミリアヌスが口にした。

「夜の森は君が思っている以上に骨を折るが、いけるか」

 ……返事は不必要に思われた。サクラの口角が片側だけ、とても不遜に持ち上げられていたからだ。サクラがこういうふうに笑うのをカタリナは今初めて見たし、多分とんでもなく珍しいものを目にしているんだろうという気しかしない。

「上等だ」

 とサクラが言った。
 戸惑いがちに、ネロが両目をぱちくりさせた。

 ――時間が惜しい。
 ……と、カタリナは思う。
 さっきのサクラとの会話で理解した――
 今、自分たちが成すべきことは、魔術式をただ見つけて破壊するということ“だけ”ではない。早く、出来得る限りに早く、時間の引き伸ばしを図った卿のはかりごとから一刻も早く逸脱すること。
 教会を待ってはいられない。それは卿が描いた詭計を成功させることを意味しているので。そもそも自分たちガプサという存在が、敵対するべき教会に事態の解決を一任するなど、あってはならないことである(……など普段は思いもしないが、これは自分を鼓舞する理由として最も適切なものと思われた)。

「ネロ」

 というのはマクシミリアヌスが口にした。

「わざわざ迎えに来てもらって申し訳ないことこの上ないが、悪いな。もう暫く、付き合っていただく」

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