一日前と同じ感覚を、再び味わうこととなる。
 西の大都市、チッタペピータ――幾重にも積み重ねられた時代を有し、その時代を何よりの誇りとしている貴族の地。西から首都、ペシェチエーロに向かうためには必ずといっていいほどに通らなくてはならない街。
 ――今、チッタペピータから伸びる西側の路面に屹立してみせ、カタリナはゆっくりと……吐息した。ここよりもっと西からペシェチエーロに渡ったカタリナにとって、見覚えのある光景だ……。ペシェチエーロよりも高さは低いが時代がかった、外側はそれほどでもないものの誇示するような装飾に彩られた悪趣味な街壁。入り口が瓦礫で潰されていることを除けば……そこだけを除けば、“最初”に来たときと何も変わらない景色であった。――鼻腔に触れたそれに反射的に顔を顰めた。

「酷いな……」

 血のにおいがする。
 誰か巻き込まれたのか。唐突に落ちたものだから、その時そこに誰かが通っていなかったかどうかの保証は無い。中にだって相当、血のにおいは充満しているに違いない。サクラが短く吐息した。

「この外壁、回って見ようものなら相当の時間を食いそうね」

「だろうな」と同意したのはヤコブスだ。そうだろうなとカタリナも思った。ペシェチエーロほどじゃあないにしろ、チッタペピータだってそこそこの大きさを持った街ではある。村を一周するのとではわけが違う。っていいうか。

「一周するつもりなのか……?」

 辟易した声を隠そうともせずにカタリナはそのまま問いかけた。まだ昼前であるとは言え、一周するとなるとそれだけで日が暮れかねんぞ。

「出来得るならばそれがいい……」

 とサクラは言う。……壁を睨み据えて、何か考え込んでいるようだった。周るのならば、アルブスから馬を借りて来れば良かったかもな……。ざっと見た限り村に馬は見られなかったが、存在しないというわけでは無いだろう。あの沼地を越えたどこか厩にでも、一緒くたにして育成している可能性は十分ある。
 元は入り口であった瓦礫の堆積を何とか押し崩せないかと奮闘していた“大鼻”トマスが、やれやれといった態で頭(こうべ)を上げた。

「駄目ですね。どうでもいい大きさの破片程度なら落ちやすが、まるでパズルのピースがはまってるように頑として動かねぇ」

 その隣で壁に耳を当てながら、グイド。

「ううーん、聞こえるって言ったら聞こえるけど、そうはっきりは無理だねー。人が周りにいないのかもしれない。まあ分厚い壁だから、もともと防音性は高いのかも……ここから中の人を動かすっていうのは、案外無茶ぶりなのかもねー」

 ……とか何とか言いながら、いつの間に出してきたのか昼食用のパーネ(パン)をもごもご咀嚼し始めた。よもやこの道中でも、こっそりつまみ食いを繰り返していたのではあるまいな……。

「……登れそうか?」

 というのはヤコブスから、恐らくフゴに宛てられた言葉だが、言葉だけ見るとどこに向かって投じたものか全くもって分からない。
 フゴは出入り口に積み上げられた瓦礫とか、あるいは整然と積まれた煉瓦の僅かな溝の辺りに手足をかけたりと試行錯誤を繰り返した後、薄く吐息して壁を見上げた。
 つられて見上げたその先で太陽がぎらりと輝いた。

「足掛かりが欲しいですね。上から縄でも垂れ下がっていれば我々ならいけるとは思いますが……」

 何もない状態では上まで行くのは難しそうです、と、フゴは肩を竦めながら締めくくる。マクシミリアヌスが、少し下がったところで髪と同じ色の顎髭をしごきながら、考えに耽るような沈黙を紡いだ。

「何か考えがあるのなら、遠慮なく言ってもらえると有り難いのだけど」

 というのはサクラの言だ。こっちも地味に誰に向かって紡いでいるのか一見して分からないところが、やっぱりどこか似ているなあとカタリナが評価してしまう要因の一部であるのだが。

「……いや、後でいい」

 とマクシミリアヌスは口にした。足元に一旦落とした自分のザイノ(リュックサック)を拾い上げて、再度背負い直しつつ。ここで何が出来るか分からないまま、とにかく辿り着いた末の一服をということで、一旦背負い込んだ自分の荷物を地表に投げ置いていた者は、何もマクシミリアヌスだけではない。

「他の入り口も見て回る」
「お昼ご飯は?」

 マクシミリアヌスはちらりと頭上におわす太陽神を仰ぎ見ながら、「歩きながら食べるとしよう」ザイノ(リュックサック)の肩紐の位置を修正しながら言い切った。サクラも「そ」と言っただけで、深追いはしようとしなかった。後は振り返ろうともしなかった――大男はひたすら北へ。
 北から東に向かうつもりだろうか? 一人で見てくるつもりだろうか。

「カタリナ」

 とサクラが言った。
 ……嫌な予感が胸を過ぎった。
 本当に段々自分の扱いがあの“赤目の異世界人”になってしまっているようなー……。

「マクシミリアヌスを頼んだ」

 笑顔で言われた。

「……あんたらはどうするのさ」
「私は東に向かいたいから、南を通って東に行く。道中互いに落ち合って情報交換でも出来れば時間は短縮できるでしょ」
「それ、あたしでしか出来ないことかなー……」
「マクシミリアヌスと一緒に行けるという人間がガプサの中ではカタリナしかいない。あっち側にガプサが一人いたほうが、後々の情報交換もしやすいでしょ。私はこっちから、マクシミリアヌスが情報交換しやすいように」
「…………」

 うーん、悔しいがとてつもなく正論だ。
 ヤコブスが乾いた息で吐息した。

「異論はない」

 殺生な。

「俺たちは彼女と南を通る。北は任す」

 言いながら、我らが首領は早くもザイノ(リュックサック)を背負ってしまった。「……」こうなると駄々をこねても仕方がない……というか、駄々をこねる気すら失う。きっと共の生活の中で調教されてしまっていたんだ。

「……行くよ。行くとも」

 一つに結った癖のある茶髪を乱雑なまでにかき乱し、渋々背嚢を手に取った。


打ちなびき、



 マクシミリアヌスに追いつくと、何でお前がついて来るんだみたいなあからさまな顔で迎えられた。それを聞きたいのはカタリナのほうだ。言わないけれど。

「サクラの提案」

 という一言だけで不平不満を引っ込めさせられるのは、扱いやすくてとても助かる。

「こっちが北から、あっちが南から行って東門付近で落ち合う。通常の半分の時間で四つの門を観測できて、考える時間も増えるだろって」

 マクシミリアヌスが頷いた。

「サクラか、あるいはマナカなら、そういう考えにも至るだろう」

 それに関しては異論はない。彼女らの世界では、宗教上の解釈違いという問題は発生してはいないのだろうか、とも時々思う。空を見上げた。あたしも南が良かったなあ。
 瑞々しい水色の空に絵筆で引いたような雲が伸び、視界の右側には荘厳に聳え立つチッタペピータの街壁が。クレーマ(クリーム色)の壁はいつまでの視界から外れることなく、クルヴァ(カーブ)を描きながらカタリナの前方に悠々と羽を伸ばして佇み続ける。
 チッタペピータは広大だ。
 恐らく首都、ペシェチエーロの次くらいには。街や町よりも村のほうが圧倒的に多いこの情勢で、首都やここみたく大きな規模を維持したままあり続けるというのは珍しい。ペシェチエーロは首都であるから理由は分かる。サクラらが通ってきたというスッドマーレ、これも貴重な他国との貿易港の一つであるため繁栄するのは至極当然。理由は分かる。栄えるのは当然の如く理由があって意味がある。チッタペピータには理由が無い。貴族が自身の意地と矜持と執念でもって練り上げ続けた以外の理由は。――東と首都とを繋ぐための旅人の憩いの場、だけではここまで育たなかった。
 ここは教会の手を一切受け付けずに富裕層だけの力でもって繁栄させ続けた、という、彼らにとっての実績であり、誇りであり、勲章であり、そして子であり親である。ガプサ目線から語るならばそこを聖地と崇めたほうが良いのであろうか? 教会がいない、教会の権力が届かない。確かにそのことは羨望するべき事柄に該当するのだが、その結果の現状、内部を考えると……。
 吐息した。
 北の門はまだ見えない。
 昼食はいつごろ嗜むべきだ?

「……高いな」

 というのがマクシミリアヌスの一声だった。
 一瞬アルブスの村からこっち、聞かされ続けていた独り言だと判断しかける。

「登ろうって言うのかい?」

 同じように高く聳え立つ街壁を仰ぎ見ながら呟いた。カタリナもフゴの言うとおりであると思う。足掛かりもないまま登り切るのは問題でも、縄か何かさえあれば。問題はその縄を誰が上から垂らすのかということだ。

「……まさか登れるって言うのかい……つくづく人間離れしているね……」
「どういう意味だ」

 睨まれたが涼しい顔を貫き続けて知らんぷりを決め込んだ。その図体で何の支えもなくこの壁を登り切れるって言うんなら、それこそゴリッラ(ゴリラ)だよ、ゴリッラ(ゴリラ)。
 マクシミリアヌスが吐息した。

「登れるものなら登ろうと俺も思ったが、これでは登れん。策士だな……。恐らく卿が、そのように設計したのだろう」

 盤石の守り、というわけだ……。
 カタリナとしても同じ立場ならそれぐらいのことはして然るべきであろうものの、卿の真意がイマイチよく分からないというのはある。何故このタイミングで仕掛けを発動させたのか、という。それほどの怒りを買ったのか? それとも、それほどマナカが欲しかった?……後者であるなら、今後、覚悟しなければならないだろう。
 ……そういえば、と想起した。

「マクシミリアヌス、何か考えがあるんじゃあなかったかい? ここを突破する何か生産的なさ。あたしがいるのが癪ってんなら、まあそれでも構やしないんだけどね」
「……別に癪というほどでもない」

 というのを苦虫を億単位で噛み潰した声で言われても、あまりに説得力が足らないが。それに、というのをもごもごと、唇の先のほうだけでマクシミリアヌスが付け足した。

「生産的なものかどうかも突破できるかどうかも保証は無い。ただ思い浮かんだだけのこと」
「案があるなら何でもやってみるべきじゃないか。背に腹は代えられない状況なんだ。あたしよりも、多分あんたのほうがマナカのことは大事だろうに」

 マクシミリアヌスが吐息したのはその時だった。
 立ち止まって、指の先でちょいちょいやられた。下がっていろ、ということらしい……。どちらに下がるべきか当惑した結果、会話の流れ上壁から離れる道を選択した、刹那――
 火花が
 弾けた。

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