どこへ消えたか?――
 ……正直さくらは、考える必要もないと判じた。子どもたちが何人いようと今回の回答は変わらない。だって最初から、そこに至るまでの物語だった。話の流れから判断して、それ以外に場所はないと考えた。

「ウィトゥス・ガッダの屋敷内」

 ――正確にはまだ、さくらはかの場所をきちんと視界に収めていない。富裕の街チッタペピータの街外れ、陰気に佇むというその場所を、ただ遠目にしかさくらは目にしたことがない。それでもさくらの回答は、筋の通った正しい返答であるとしてアルブスの長老に肯定された。

「然様」煙草を吹かして、「皆、もう忘れておる頃合いかな。異界人は、ほかの町から遥々ここまでやってきたのだ。東の町から。ウーラとともに」

 ……そう、とさくらは思う。東の町から、というのが重要だ。

「東、つまりこのアルブスの村から向かってチッタペピータの方向から。分かるかね、彼は、異界人は道中そこを通りすぎておる(・・・・・・・・・・・・)のだよ。ウーラと共に(・・・・・・)

 ――彼はその際ガッダ卿の家を見た。ウーラに案内されたのか、あるいは観光していたか、通り過ぎただけか、それは知らない。ただ、見る機会は確かにあった。だから子どもの居場所の例として、口にすることが出来たのだ――。
 老人は上唇を湿らせる。

「異界人はこう言った――」くだんの若い男の肉声が、張り付いたような声色で。「『地下がある』」――老人かはたまた異世界人か、そこにいるのが誰なのか、境界はひどく曖昧に。「――『ウィトゥス・ガッダの家にはね。あそこは広いぜ。何せ敷地そのものが、ほかとは段違いに広いんだものな』。
 ……何を馬鹿なことを、と、その時震える声で囁く声で、村の誰かが言ったらしい。確かに匿える広さはあるが、馬鹿馬鹿しい、一体数百人の幼子を、どうやって人の手で、一夜のうちに、匿うことが出来るのか、と。
 異界人は言った。
『出来るとも。彼ならば』」

 ……目を瞠った。随分と……
 随分と物を知りすぎている異世界人だと感取した。それは異世界人故の碩学さをも超えている。

「……ああ、そろそろ頃合いだの」

 と老人が口にしたことで、いつの間にかかけられていた石化の呪いが薄らいだ。老人が見上げているのは壁面に下がった壁掛け時計で、短い針が八の数字にかかるかかからないかくらいのところを意固地なまでに指し示している。

「続きは晩餐を食べ終えてから話すとしよう。毒を食らったお嬢ちゃんのほうも、もしも意識が戻っていたら何か食べたほうがええて。折角繋ぎ止めた命はな、大事にせないかん」

 ……と言われると、マクシミリアヌスも誰も、強く続きを要求することは出来なくなった。ベレンガリア・ディ・ナンニ嬢をあのような状況に追い込んだのは自分なので、彼女の食事の時間をも取り上げるのは神の意向に反することだ、……というのが、恐らくマクシミリアヌスの言い分だ。
 かくして話は一時中断、アルブスの村の郷土料理というものに、全員が舌鼓を打つ次第となった。


架け、渡す



 円卓の縁を背中に当てて、窓のほうと向き合いながらさくらはひっそり目を瞑る。背もたれの無い椅子はこういうとき便利だ。閉められた窓の外、どこやらから、秋の虫に似た虫の声が聞こえていた。声の主を思い描くとここから出ていってしまいたくなるので、さくらはなるたけその辺のことは思い描かないようにした。
 ……食事の最中、長老は本当に一言も、五百年前の件について改めて触れようとはしなかった。山の幸をふんだんに使用した、けれど華美ではない郷土料理の数々を口に運びながら話されたのは、主にさくららの話であった……これまでのこと、チッタペピータで起きたこと、ネロとのこと。……最初に長老がネロに対して、お前の物語も聞かせておくれ、と言っていた、そのとおりの運びとなっていたのである。
 ……ベレンガリア・ディ・ナンニは未だ眠ったままだった。明日の、遅くとも昼頃には目を覚ますだろう、心配しなくとも、というのが長老の話であった。明日……。チッタペピータにやって来てから、まだ一日も経っていなかったのだな、ということを痛感する。あまりに長い一日だった……。

「姫さん……」

 おずおずとフゴに声をかけられたのはその時だった。目をあくと、“糸目”のフゴは少し驚いたような、残念そうな顔をした。自分から声をかけておきながら。「……何?」と聞くと、フゴは少し上唇と下唇とをもごもごさせて、タオルに覆われた頭を掻いて、糸目の視線を忙しげにあちこちに泳がせて、
 それでようやく喉を鳴らして唾をごくりと飲み込んだ。

「姫さんに、話しておかなければならないことがあります……」

 ……話しておかなければいけないこと……? 怪訝にさくらは眉根を寄せた。フゴから話をされなければいけないことが、さくらには微塵も思いつかない。

「大事な話です。ガッダ卿の――」
「皆、食後のコーヒーは行き渡ったね?……」

 フゴの囁くような鋭い声音を遮るように、老人の肉声が木霊した。振り返って見てみると、自分のコーヒーカップを確保した老人がそのまま椅子に腰掛けようとする場面。尾骨のあたりから垂れた白い綿菓子みたいな尻尾を椅子の縁から垂れ流している。

「……後にしましょう」

 とさくらは言った。
 家主を待たせるわけにはいかない。

「……そうですね」

 と言っておきながら、フゴはどうやら不満気だった。いや、より正確には焦燥しているとも言える。一体何を胸の内に隠し込んでいるか知らないが、それはどうやら一刻を争う事態であるらしいと考えた。……話が終わったらすぐに聞こう。フゴが定位置に座するのを見ながら心に誓った。

「さて、異界人は口にした」

 コーヒーカップとソーサーとを慎重に円卓に配置しながら老者が言った。

「『出来るとも。彼ならば』。
 ――異界人は確かにその時、自信ありげにこう言った。その時のアルブスの村に住まう者達の、個人個人の顔ときたら……」

 コーヒーをすすって、

「爽快だった、と言っておったよ。前の前の長老は。アルブスの民に不満は一つも無かったが、あまりに皆が一様に息を呑み目を瞠り、その場の空気と時計とを止めてしまったものだから……だもんで、つい笑ってしまった、と、前々任の長老はそこで白状したそうじゃて」

 老人もまたそこで笑った。前任に聞かされたときのことを思い描いているのか、あるいは前々任の体験を追体験しているのかは分からない。

「ひたすら驚いた後、さて、次に気になるのは勿論異界人の会話の内容。その根拠」コーヒーカップをソーサーに戻し縁の部分をそっとなぞった――。「これを尋ねたのが長老だった。ふっ、と一つ笑った後に、して、と長老はそう言ったのだ。して、一体どのような原理でもって……?
 異界人は微笑ったよ。一つ。小さく。『それで信じてもらえるほど、世の中を甘く見ちゃいない』」
「……それは」

 とマクシミリアヌスが口にして、

「言ったんですかい? 言わなかったんですかい?」

 トマスが眉をひそめながら奪取した。老人はこっくりと一つ頷いた。

「言わなかった。結果としてはな。しかし時間は欲しいと言った。示したほうが分かりやすいと言うのだよ。そのために少しの人員と、彼らと一緒に外に出ることを許してもらいたいと願い出た」
「示す?」短くカタリナ。「何を示すため?」
「彼は証明しようとしていたのだ……」

 老人が言ったとき、その緑眼は誰のことをも見てはいなかった。視軸は明らかに横に逸れ、使い古された木製家具の縁をなぞるように視軸が僅かに移動した。それだけ。それに何の意味が込められていたのかさくらは知らない。
 その時、ネロがこちらをじっと見つめているのに気がついた。
 老人の緑眼がこっちを見ない代わりに、少年の緑眼がじっとこっちを。
 ――老人は掠れた声で口にする。

「原理を。
 根拠を。
 組み立てられた、仮の論理の道筋を」

 ――男の姿形が見えた気がした。長身痩躯。白に混じる異質の髪色。

「……そして彼は旅立った。数多満ち溢れた論理という名の海の中、真実だけをその漁網にかけるため」

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