マクシミリアヌスが双腕を振るったが間に合わなかった。というか、間に合うはずがなかったのだ。幼い彼女はこの好機を逃すまいとマクシミリアヌス向かって突進しており、女の放った毒の刃を燃やすべき適切な位置が見当たらない。マクシミリアヌスが救助に動けばその後ろに匿われたカタリナとネロが殺される。カタリナ自身、その突然の闖入者にすぐに体が動かなかった。

「一人目」

 と言って女は笑った。真佳とは絶対的に違う赤い眼が非対称的にそれぞれ歪んだ。

「なんだ、でも、残念だな。お嬢ちゃんのほうを体を張って守ってくれれば、二人一緒に殺せたのに。僕が殺したいのは闖入してきた彼女じゃなく、君たち三人のそれかだもんねぇ」

 ……ああ、とそこで思い出したように声を紡いで。

「アルブスは殺しちゃ駄目なのか。面倒くさいな……」

 呟くように吐息を放った。
 ……女が発した言語の震えで金縛りが解けたわけではなかろうが、この中で先に動くことを想起したのは最前線に立っていた大男のマクシミリアヌス・カッラ中佐の側だった。「おい、大丈夫か……っ」燃やし尽くした毒の刃と燃やし損ねたそいつを縫って、こけつまろびつ少女のほうに駆け寄った。
 カタリナにも覚えのある女である。白に近い薄桃色の高級そうなヴェスティート(ドレス)に身を包んだ少女であり、昼頃宿に入館したときにやたらと眷属を欲していた彼女である。
 マクシミリアヌスが抱き起こしたときには既に力は無いようだった。くったりとしていて、彼の豪腕にその身を預け切っている。だがどうやら命はあった。マクシミリアヌスの広い肩越しに、少女の荒い吐息に合わせて起伏を繰り返す胸部が見えた。何事かを囁いているようだがここからでは遠くて聞き取れない。マクシミリアヌスがこっちを一瞥。息はある、と目が語る――よくよく見れば、どうやら刃が貫いたのは彼女の上腕一箇所のみだった。ただし掠めたところが無いとは言えない。そして思い出すべきなのは、女が放った刃の属性は確実に毒で間違いないこと……。

「――ッ!!」

 ネロが口唇を大きくあいて何事かを叫んだようだがそれは言語に成りはしなかった。けれど言いたいことは伝わった。今度は硬直したりはしなかった。ネロを抱えて後ろへ跳ぶ。第二撃、三撃を警戒してさらに後方に距離をとったが続けての追撃は来なかった。
 ふうん、と女は鼻を鳴らしたが、それは楽しそうなものではなかった――ふと視軸を巡らせて見ればカタリナらを狙った毒の刃のその横にも同じような山がある。隣を見れば同じように少女を抱きかかえたマクシミリアヌスが立っていた。カタリナらとマクシミリアヌスら、女は二箇所同時に攻撃を始めていたようだ。道理で二撃目が来ないと思った。

「お姉さん、何者?」

 女が問うた。
 その問いかけには答えなかった。
……銃は既に抜いていた。

「動けるか?」

 唇をあまり動かさない話し方で中佐が言う。
 答えは既に決まっていたし、明言する必要は無いと思った。ネロが悟ったようにこちらにしがみついてくる。後ろで人の声がした。

「……火柱ってこのあたり?」
「おい、出てきて良かったのかよ」
「ガッダ卿の仕業に決まってる、ガッダ卿がお怒りになったんだ」
「だからあれほどよそから子どもを連れてくるのは反対だと」
「俺は反対してただろ」
「おいお前らうるさいぞ――うわっ!?」

 結論から言うとこのときばかりはマクシミリアヌスは何も抗議はしなかった。通路に顔を出した男たちと入れ違いに、半ば彼らに全てを押し付けたのは自覚しよう。マクシミリアヌスと二人ネロとお嬢さんをそれぞれ抱えた状態で、女に背を向け駆け出した。



ヴェレーノ



「んっとにもう!!」

 ――後ろで女の声がする。

「あんな底辺押し付けられたところでほんの少しも燃えないっつうの! 何で逃げるわけ? 遊んでくれんじゃなかったのかよムカつく!!」

 声と共に飛んできた刃をマクシミリアヌスの炎が砕いた。燃焼に要する時間がさっきよりも少し長い。ムカつくと言ったのはあながち嘘ではないらしい。この街の地図においてはカタリナもマクシミリアヌスも素人同然と言ってもいいが、宿から目的地である北西の城壁沿いまでの道のりはカタリナもインプットは果たしているしマクシミリアヌスの足取りからして恐らく中佐もそうであろう。ここで雇われているらしい彼女とならば地の利はほぼほぼ互角と言える。行き先がバレてしまうのは本意ではないものの人命が関わっている以上そうも言ってはいられない。

「くそっ、邪魔だ――」

 狭い路地に渡された洗濯物を遠慮容赦なく切り裂いて、女は上空を飛んでいた。人二人通るので精一杯の裏路地だ。大男二人と並んで歩くにはちときつく、ところどころで何が入っているやら分からない木箱が積まれているのもあってカタリナのほうが先頭に、前後に並んで駆けていた。未だ住宅街は抜けきっておらず陽光を遮断する洗濯物の影像がカタリナの踏む煉瓦造りの地に落ちる。
 銃把を握って後方、上へ照準を合わせた。多分攻撃しやすいんだろう。くだんの彼女は、ずっと屋根や家壁を蹴って一定の距離をついてきている。障害物を切り裂きながら。
 彼女の視界を遮る布切れを彼女自身の刃が粉砕した刹那、意思と魔力とをありったけ込めて引き金を引いた――反動。銃声。パシュッという非常に微かな。一瞬鮮血が中空を舞った。女の動きは止まらない。
 肩。
 上腕だ、とカタリナは思った。足を狙うべきだった。視界の遮られている部分のほうを最優先で選んでしまった。一拍遅れて刃が落ちる軽い音。毒で出来上がったコルテッロ(ナイフ)の刀身に銃痕が丸くあいていた。……魔力は想いだ。想像力の塊だ。魔力に物理的な障害などは存在しない。
 後ろのほうで切り裂かれた白布と一緒に、血の飛沫がほんの数滴ぱたぱたと落ちているのを視認した。あれじゃあせいぜいかすり傷程度。とめられなかったのも無理はない。

「随分いい腕をしている」

 そこに皮肉の色がなかったことを不思議に思った。

「さっきの戦でも早めにそれを出していてくれれば早々に戦いも終わったろうに」

 今度は明らかに不満の色が言葉の端々に宿っていたので、隣を走りながらカタリナは少しほっとした。教会の人間に手放しで褒められても据わりが悪くなるだけなのは目に見えている。立った鳥肌を掻き毟りたくなる展開に陥らなかったことに感謝した。

「あんまり助け甲斐がないんでね。助けようという気がこれっぽっちも湧かなかったのさ」

 ……事実、第一級魔力保持者を率先して助けようとする第二級がこの国に果たしているのだろうか? 神から賜った恩恵、世界を動かす魔力というエネルジーア(エネルギー)をほぼ際限なく扱える第一級は、第二級にとって英雄か災厄にはなったとしても同格の存在には決してならない。……そういう意味では、サクラとマナカの存在は希少を通り越してあまりに異質だ。多分考えたことすらないんだろうけど。第一級と第二級の差だなんて。
 狭い路地の中、限られた場所で相手が攻撃を仕掛ける場所など予測するのは非常に容易い。反撃の手段がないのなら話は別だがこちらには第一級と唯一渡り合える同じく第一級のマクシミリアヌス・カッラがいた。属性的にも地理的にもこちらの有利は明らかだ。上空から多大な舌打ちが撃ち落とされるのを耳にした。
 抱えたネロを抱き直す。
 唯一不利な点があるとすれば、それはこちらには動けない人間が二人もいるということだ。――銃把を握る。想いを込めて。――殺す、という想いを込めて。

「ッ――!!」

 ――頭の上で、何かが固まるような気味がした。舌打ち。これもカタリナの頭の上から。

「――だからって何で僕が――今忙し――」

 地面と平行に伸びる屋根に立ち止まりながら、女が何事か言っていた。どうやら誰かと通信しているようだ……。つられるように立ち止まっていたマクシミリアヌスと視線を一瞬交わし合わせた。逃げるべき絶好の機会だという見解はマクシミリアヌスと二人、不本意ながらものの見事に一致した。

「あっ、こら!」

 女の非難の声が背中を刺したがそのまま遠慮容赦なく逃げ出した。後方でまた舌打ち。追ってくるような気配はない。「――ああ、もうあんたのせいで逃しちゃったんスけど。――何? 赤目の――」
 女が心底楽しげに非対称的に双眸を細めたことを、カタリナは目視することは出来なかった。

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