大剣のつるぎが強く煉瓦道を穿つ音。マクシミリアヌス・カッラが振り下ろしたそれに客観的な意味など恐らくなかったが、それにカッラ自身への鼓舞が含まれていることをカタリナ・モンターニャは疑わなかった。……そういえばさっき初めて個人としての名を呼ばれた。覚えられているという認識もなかったので正直とても意外であった。打ち立てたつるぎを起点に、カミーチャ(ワイシャツ)に身を包んだ白い弾丸が女へ向かって真っ直ぐ直進。大剣の間合いギリギリのところでカッラ中佐が身の丈ほどもあるつるぎを横薙ぎにぶん回し、軽いコルポ(ジャブ)でも受けたかのように一歩退きこれをかわした。遠心力に従ってぐんと術者に近付いたマクシミリアヌス・カッラが――。
 ――! そうか、これが狙いだったのかとカタリナは得心した。ぐんと術者に近付いたマクシミリアヌス・カッラが、大剣に持って行かれた右手をそのままに左手で精細に空(くう)を撫で――足元の地を炎の魔術式が焼き刻む――前腕ほどもある短剣を炎でもってつくった直前、女の頸動脈目掛けて斜めに――! 最初から時間をかける心算なんてなかった。とっととこの場を去るというこの一点においてのみ、カッラとカタリナの心象がものの見事に一致している。炎の刀身が女の肌を焼き尽く――

「ッ!!」

 しかしその直前になって焦燥したように大きく一歩後退した。大剣で地面を穿ち、その反動でもって強制的に軌道方向を変えたのだ。あの大剣――。
 その隙を許さなかったのは彼女のほうで、大男がとった大きな一歩を僅か三歩半で詰め切ったことに端から見ていたカタリナ自身が驚いた。カタリナでそうであるのだから、マクシミリアヌス・カッラのほうは相当驚愕したはずだ。翻ったマンテッロ(マント)から剥き出しの生足が垣間見える。長い足――女にしては高い身長。合点がいった。彼女は今、己の身体能力を熟知した上でカッラに戦いを挑んでいる。
 つり上がった横顔の口角に、一瞬よく知った娘の姿が思い起こされてどきりとした――まさか! 目の色が同じだけで引きずられすぎだ。彼女はマナカとはいろいろなものが決定的に違っている。
 詰められた距離にカッラ中佐が更に後退しようとしたが、さっきのように大剣でもって距離を稼ぐには再び引き寄せた大剣を後方に振り回す時間が要った。つまり圧倒的に時間が足りない。単に一歩下がるだけでは多分あの大男が思うような距離は稼げない……し、それに何より右手に持った大剣があまりに重量的に邪魔すぎる。
 彼女が行ったことは単純だった。兎のような両目を非対称に細めやり、唇の先で何事かを囁きながら左人差し指のその先に注射器のように小さなつるぎを紡ぎ出してしまうだけ。それが魔術で出来た短剣であることをカタリナは疑ってなかったし、この場の誰もそれを疑った者はいないだろう。不思議な色だ――黒に紫が散りばめられているかのような、そんな色の針のように細い短剣。

「ッ!! レオーネ!!」

 大男が強く叫んだその言霊が、カッラ中佐の真正面に一体の眷属を作り出しあろうことか――。
 ――あろうことかマンテッロ(マント)の彼女を無視して(・・・・)、カッラ中佐の鍛え上げられた腹直筋目掛けて突っ込んだ。

「くはっ――!」

 というかなり悲痛な言語がマクシミリアヌス・カッラの胃から喉を駆け上って吐き出され、あまりの行動に驚いた女のほうがマクシミリアヌス・カッラから急くように距離をとった、ということになる。カッラのほうは軽く咳き込みながら腹をさすって、「もう少し手加減というものはできんのか……」自分の眷属に疲れたように小言を吐いた。眷属の突進によりさっきの位置から数メートル距離をとること自体は成功していて、カッラのほうも特段体勢を崩すということなく、何とかその場でふんばることは出来たらしい。しかしまあ……大剣での大立ち回りといい無茶をする男である。
 ……これが。
 これが十八年前に終結した、事実上最後の戦争の功労者、その戦い方か、と、思わずにはいられなかった。戦時中サシで誰かと対決したことはないであろうが、この応酬で当時の様相を脳内で復元することはできる。あの当時も、きっと彼は自分の体が傷つくことを全く省みたりはしなかった。
 女がちぇっと小さく舌の先で音を鳴らしたとき、直前に生成していた短剣が消えているのに気がついた。第一級魔術師の魔力は甚大だ。物体であろうが非物体であろうが、魔力を供給し続けることで物体として地位を確立させ武器とすることは容易であろうに。

「面白い戦い方」

 舌を打っていたくせに、彼女はどこか楽しげだった。

「初めて見た。びっくりした。まさか眷属に自らを攻撃させてしまうなんてね」

 こほっ、と最後にカッラは咳をして、眷属をその場から消失させた。――目立つからだろうか。あるいは、これから先使うことを予見して? 彼ご自慢の炎の獅子を、ここで本格的に使うつもりはなさそうだ。

「生きるためならそれぐらいのことはする。貴様のそれは一撃でも受けようものなら即死に通じるものか、あるいはその後の行動が不可能になる類のものだ」
「本当に分かっていたとは思わなかったな」

 女のその一言で、カタリナもカッラ中佐の直近の言葉を想起した。“それにしてはあまりに聞いたことのない属性だったが”。……最初の攻撃を受けて火柱で天を灼いたその次の場面では、少なくともカッラのほうは彼女の持つ属性を知り得ていたということか。一体どういう類のものだろう? 即死か、それとも行動不能になるほどのリヴェッロ(レベル)の一撃とは?

「面白い……――」

 ともすれば風で飛ばされそうな小声で女は言って、左を軸に右足をぐんと後ろに下げた。薄い唇が空中に漂う弦を弾く。音は出ない。小さなささめき。下げた右足に沿うように後ろに伸ばされた彼女の右腕のその先で、先ほどと同じ型をしている――数多のつるぎが彼女の隣を占拠した。切っ先は真っ直ぐ、マクシミリアヌス・カッラ中佐、その中枢。

「では、それではもう少し僕の遊戯にお付き合いを願おうか」

 日を浴びて漆黒のつるぎが紫黒色にほんの一瞬煌めいた――女が左腕を持ち上げる。
 刹那。
 きゅっ……、と、服の袖を掴む力が強まったのを感じ取ってカタリナは視軸を下方へやった。……アルブスの少年がじっ……、と、穴が開くのを危惧するほどの眼力で彼女の動向を“観察”していた。……まさしく“観察”と言うのが正しい。彼はただ見ているだけじゃない。ずっと事態を“視”ていたのだ。

「――veleno(ヴェレーノ)――」

 呟いたそれが、彼の口からは聞き慣れないスカッリア語だったことに何故か唐突にどきりとした――。アルブスはスカッリア人である。スカッリア国に住まう生粋のスカッリア人で、その歴史を紐解いてみても他の国から来たなどという話はない。なのにそれはあまりにも――。何と表現すればいいか――。あまりにも、流暢すぎて――彼本来の体の一部を垣間見たような――原始の言語を耳にしたような、そんな心持ちがしたのである。それは何ら不自然なことではなかったが、不自然でない故にあまりにも自然とは遠かった。
 であるが故、ネロの言葉のその意味をほんの一瞬見逃した。

「え、何――」

 尋ねようとしたとき、

Cavolo(カーヴォロ)!! おい、モンターニャ!!」

 特大の舌打ちが鳴り響いたと思ったその瞬間には、マクシミリアヌス・カッラの野太い怒声に真正面から罵りを受けた。全員の意識の集まるその中空に思考の先端を引きずり上げられて、その物体に瞠目した――刃先。十字を象ったような黒く小さな刃先が三つ、中空からその切っ先をこちらに向けて。
 盛大な舌打ちがまた鳴った。
 女が指鉄砲の銃口をマクシミリアヌス・カッラに向けているのを視認した。――咄嗟にネロの細腕を掴んだ! 女の狙いは二方向同時を狙った猛攻撃に違いなく、ここでカタリナとネロが引かなければ教会の中佐が自分の防御に集中出来ない。即死か行動不能に陥るかとマクシミリアヌス・カッラは先刻言った。カタリナはともかく、ネロを放ることはあのお人好しにできようはずもないことは間違いない。……癪だけど、あの大男にカタリナ個人の恨みは無いので仕方がない。

「ッ!! ネロ!!」

 腕を引こうとしたところを身をよじって逃げられた。ぴりっとした痛みを感じた。胸中にだ。すぐに理詰めでねじ伏せたがそれがいけなかった。ねじ伏せることに集中し過ぎた。自分だけでも逃げるべきだった――天から降りくる刃は幾十、もう避けようもないところまで迫ってる――。
 大男の左腕が唸った。
 ――その時起こったことを全て順序立てて覚え切っていたわけではない。色々なことが同時に起こって、脳みそに全ての情報が集約するまでに一拍かかった。
 つるぎが落ちる。カッラを狙ったつるぎが飛ぶ。中佐の左腕から弾かれた炎はあろうことかカタリナとネロの頭上を覆ったつるぎを弾き、一刹那空は轟音と炎の渦で焼き尽くされた。カタリナとネロを貫くはずの刃は消失し、女はやっぱり左右非対称の微笑を見せた。カッラの右手も同じように唸ってはいたが、多分頭上に集中し過ぎて威力に欠けた。約半数の刃は何とか焼失に追い込んだものの残りの半分を焼き切るほどの力はそこには無く、カッラの半身を残りの刃が貫くかと思われた刹那――

「――っ!!」

 ネロの言語が中空を舞った。
 何事を話したのかは分からなかった。語感はスカッリア語に限りなく似ていたような気がするが、そんな言語はカタリナは聞いたことがない。いや、聞いたことがない、気がした、だけかもしれない。どちらにしても言葉の意味が分からなかったことだけは同一だった。そのすぐ一瞬のことは閃光に視覚を覆われて見ていない。全てが終わった時、マクシミリアヌス・カッラの眼前に佇むペリドート(ペリドット)色の魔術式とそこに突き刺さった無数の刃だけがカタリナが見据えた結果であった。
 ――ひゅう、という口笛は女の口から漏れている。それでカタリナは現実に立ち返ることを想起した。

「あっ……、ネロ!!」

 半ば本能的にネロの側へ駆け寄っている自分がいた。つい先刻腕を振り払われたことなどすっかり頭から抜け落ちていた。ネロが肩を大きく上下させて、荒い呼吸を繰り返していたからだ。……マクシミリアヌス・カッラはまだ信じられないような目で目の前の魔術式を凝視していた。

「驚いた」

 と宣ったのはくだんの女のほうである。

「“アルブス”は世界の均衡を保つ者、という言葉があるけれど、まさか魔術も使えるなんて。第一級のこれだけの刃を塞ぎ切るような強力なやつをさ」

 女が上唇に舌を這わせた。……塞がれた、というのに女の顔は非常に痛快で爽快そうだ。初めに声をかけられたときから異常だと認識はしていたが、その思考回路はカタリナの想像以上に不可思議だった。別にマクシミリアヌス・カッラに危ないところを救われたからではないが……一刻も早くここから離れたほうがいい。
 魔術式が溶けるように焼失を果たして、突き刺さっていた刃が甲高い音を立てて地面に落ちた。慌ててネロの背をさする。

「大丈夫か……そんな無茶して」

 女は先刻“アルブスが第一級に相当する魔術を使えるなど”と称賛したが、カタリナの心境は別だった。ネロがそれだけの魔術を発散したことを意外にも思ったし驚いたが、それはきっと彼の本当の力ではないはずだ。出してはいけない禁断の手であったか、あるいは無茶して限界を超えてしまったか。――触れた背の服にまで冷たい汗が張り付いている――。何にせよ、きっと本来なら使ってはいけないものだった。それは寿命を縮める行為だ。ネロが繰り返す苦しげな呼気を聞いていれば、痛切なまでにそう思う。
 ガチャン、という音がした――。
 カミーチャ(ワイシャツ)とパンタローネ(スラックス)という簡素な私服に身を包んだ大男がカタリナとネロの前に立ち塞がっていることに、このとき初めて気がついた――。女の姿が大男の姿に隠れてほんの一部だけ見えている。
 ――床に散らばっているのが新たな女の刃であることを今更ながら視認した。ひゅう、という甲高い口笛が聴覚の真ん中を貫いた。

「女の命を護る義理は俺にはない、とか何とか言っていなかったかい?」
「義理はない。だが、捨て置くとも言ってはいない」

 大剣で中空を薙いでから、それから舌打ちして小声で言った。――多分女に聞こえない、カタリナとネロの耳にしか届かないような低声で。

「……それに何より、マナカとサクラが悲しむ……」

 ――嗚呼、やっぱりこいつはお人好しだと、心の内で確信した。女は笑う。「では、お荷物二人抱えたまま僕の刃の餌食になるか」――左右非対称の奇妙な笑い。背中をさすりながらもう一方の手でネロの肩口を強く掴んだ――今のネロに、もう一発あれを展開させるだけの気力はない。第一級魔術師は、ことによれば災害リヴェッロ(レベル)の魔術を引き起こすだけの力を持った人間だ。カタリナのような第二級ごときが丸腰で相手にできるようなものではない。お荷物であることは、疑いようもない事実だ……さする手を休めて自らの腰の後ろっ側に手をやった。
 丸腰では。
 丸腰では、相手にできるようなものではない。が。

veleno(ヴェレーノ)……」

 ネロが再び同じ言を口にした。げほっ、と苦しげに咳き込んで。今度はカタリナもその言葉を取り落すことはしなかった。ネロが言うヴェレーノが毒の意味であることは、カタリナ自身も知っている。……ネロは相当前の段階から分かっていたのだ。彼女の属性が毒そのものであることを。だからマクシミリアヌスは即死か行動不能に陥るものだと言い切った。蓄積されるティーポ(タイプ)である可能性を、最初から既に考慮に入れてはいなかったのだ。……それはきっと油断に繋がるものだったから。
 左手の平でネロの背中を軽く叩いて、カタリナは小声で「ごめんな」と言った。

「しばらくさすってやれない――やることが出来た」

 ――はん、とマクシミリアヌスが鼻で笑った。女が言ったお荷物云々のことにである。

「お荷物二人抱えたまま、貴様を打ち砕いてみせようぞ」

 大剣を構えた。――女は笑った。マクシミリアヌスの胴の向こうに唇の端が小さく視えた。女の周囲に浮かび上がった毒の刃の切っ先とマクシミリアヌスが相対するその裏側で、カタリナは自らの武器の柄に指を這わせて――

「マクシミリアヌス! やっと見つけた!」

 ――突如割って入った幼い女の肉声にカタリナは柄を掴む指を跳ねさせマクシミリアヌスは視軸を奪われ、そして女は刃を放つ。



乍ち

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