「ずっとお待ちしておりましたの」

 と彼女は言った。

「もちろんあなた方じゃありません。捜しはしましたけど、ずっとお待ちしてはいませんでした。炎の獅子、とても素敵だと思います。この国の全ての人類が崇敬するソウイル神が愛した御霊、第一級の中でも特別な御霊でなければ炎の力は得られないとずっと言われてきたんです。嬉しい。ご存知ですか、ここはそうでもありませんが、もっと東に行った先では私と同じ富裕層がたくさんおり、たくさんの眷属を連れているのです。多い人で十頭の眷属を連れている人がいることを、私は知っています。いずれ私もその仲間入りをするつもりでした。その中に炎の眷属がいたならと考えると、胸は高鳴るばかりです……あなた方のオトモダチがそこに名を連ねることを、誇りだとは思いませんか?」

 残念ながらあまり思わないと心の中でもわざわざ濁して、真佳は引き攣った頬を見られないように視線を逃した。今すぐにでもさくらのもとへと意気込んでいたフゴは焦燥に駆られて隠しようもなく気もそぞろだし、トマスに至っては態度からして聞く必要もないことをわざと物語ってくれている。真佳だって実際そうしたいしさくらのほうが気がかりだけれど、全員が全員そんな態度で後々更に面倒な事態に巻き込まれても敵わない。
 さり気ない感じで体を屈めて、真佳にだけ聞こえる声量でトマスが言った。

「オレとフゴが引き受けて、マナカさんだけ先に行きやすか。それともオレが先に見てきましょうか」
「ううん……」

 果たして帰してくれるかなあ。まあ一人確保できればそれでいいと思っているなら見逃してくれる可能性はゼロではないか。一応あれ以降あの界隈で特殊なざわつきは聞こえてこないし、ヤコブスもいるから大丈夫だとは思うけど。
 傾きかけた日は丁度南西に昇り南を振り仰いだ真佳の目を少しく灼いた。作ったひさしの下から五感を凝らした。この通路は比較的人が少ない。馬車や蒸気自動車が通ることはあるものの、この街の特色、はたまた散歩に適さない立地故にか、会話に興じる通行人は皆無に等しい。目の前のお嬢様を除いては。雑音のない無味無臭な空気の中、あちらの音はよく映える。
 ……特殊なざわつきは聞こえてこないが、その代わりにじくじくとした不穏なざわめきは感知した。いや、そもそも静かすぎる。あれ以前活気の溢れていたあの場所で、且つ何か騒ぎがあったに違いない後のこの静けさは……。

「トマスが先に行ってきて。多分私は解放してもらえない」

 何しろ唯一彼女の話を聞いているのが私だけなので。――ということは、まあ伝えなくてもトマスのほうには伝わった。確かに一つ頷いてみせて、じわじわ後退りし出したところで

「どこへ行かれるのです?」

 ……何気に鋭い。聞こえないまでもこちらの低声でのやりとりを不審に思っていた可能性は皆無ではなかった。ただのほんわかした良家の子女だと思っていたら……。いや、どこかの段階ではと予想は既にできていた。慌てるようなことではない。

「お使いに。私にはお嬢さんとお話するという新たな使命が出来たから、あっちには買い物の続きをしといてもらおうと思って」
「あら、お話なんて」

 とお嬢さんは笑った。

「ただ私のお願いを聞いてくださればそれでよいのですよ? 炎の眷属を持つあの方を連れてきてもらえるか、あるいはあなた方のほうから彼にお願いしてくださると助かります。とても頑固そうだったけど、何を警戒されてるのかしら」

 目交ぜで行ってと合図した。「あら」と残念そうにお嬢さんは口にした。全力疾走する際トマスは振り返らなかったし、真佳もそれから彼の姿を目で追うことはしなかった。音にならない会話の断片とも言うべきこれらをフゴが律儀に取り上げてどうやら真意を汲み取ってくれたらしいことが何よりの僥倖だと真佳は思う。

「あなた方も警戒しているのですね。貧困者が富裕者を歪んだ目で見ることは珍しくないこととしても、あなた方とは仲良くなりたかったです」
「マクシミリアヌスの眷属を得るために?」
「マクシミリアヌス、というのですね」

 眩しい笑顔で返された。質問の答えは来なかった。
 十二か十一の箱入り娘と思ったら、ただの箱入り娘じゃない。流石貴族の子女、人の上に立つべくして育った子ども――まだまだ将来有望な子どものくせに、腹の探り合いは多分真佳よりも長けている……! この場にフゴと二人残されて、果たして安泰だろうかと今更ながら不安になった。

「……何で眷属をそんなに欲しいの?」

垂れ目気味の青い双眼を瞬かせて、本当に心外そうに「あらあら?」と彼女は口にした。

「欲しいなんて当然じゃありませんか。皆持ってるのですよ? 見目麗しく色綺羅びやかな数多の眷属を。教会が独占的に所有しようとしているというだけでも、癪なので欲しいくらいです」
「……ええと、教会に対抗意識を燃やしてるということ?」
「何故あんな下賎な民の集まりなどに」

 冷たい声音で吐き捨てた彼女の顔は実に嫌そうに真佳には映った。厳密には教会の人間ではない真佳の目からしてみてもちょっと恐れを抱くくらいの。……教会が嫌いなのかな……とも思ったが、これは多分真佳の聞き方が不味かったのだとすぐに悟った。教会と同列、はたまた教会より下の体で語ったことこそが彼女の自尊心に火をつけたのだ、と思う。人々の矜持の塊をこの街の外郭を仰ぎ見たとき確かに感じたはずだったのに、その街の人間を前にしてうっかり浅薄な言葉を口走ってしまった。彼女もまた小さいながら貴族であり、矜持の塊なのだった。
 唇を尖らしてディ・ナンニ嬢が語るが曰く、

「……何故第一級魔力保有者は教会などに下るのか、全く見当がつきません。給金も微々たる雀の涙、信仰心に負けて下るなど愚の骨頂、神の賜物を利用しはしても感謝など……それをかき集めたのは神ではなく人間の力ではなくて?……」

 気付けばフゴが眉間にシワを寄せていた。……その不信心さに新教派のフゴとしても思うところはあるのだろうか。それでも彼女の言の葉にくちばしを挟まなかったことに真佳は大いに感謝した。ここで宗教の議論をされたら、口を差し挟めなくてとても困る未来が見える……。

「まあよいのです。そんなくだらない話でなく、もっと生産的な話をしましょう。マクシミリアヌスを説き伏せる言霊を、あなたは考えつきましたか?」
「説き伏せるって……」

 言われてもなあ……。
 あの神に頭を垂れきったマクシミリアヌスを完全に説き伏せる言霊なんてものが果たしてこの世にあるのだろうか。いや、断じて説き伏せる予定があるわけではないけれど。
 真佳やフゴがこのまま逃げ去らないと確信したのかどうかは知らないが、ディ・ナンニのご息女は手首に下げていた日傘をぱさんと開いてくるくる回した。服と同じ白い日傘で、ふちに薄桃色の襞がついていた。それほど日差しは強く感じないけれど、彼女にとっては多分重大なものなんだろう。多分。

「ロビーでのやりとりを見させてもらった身としては、あの炎の獅子を持つ御仁はあなたともう一人の少女のほうをいたく大事にしている様子。あなた方が揃って話せば折れてくれるのではないかしら?」
「ううん……信仰的なことに関しては、私たちは相当無力だと思うよ……」

 確かに大事にされているのは確かだけれど。それでもあの鋼の信仰心と天秤にかけられて勝てるほどとは思っていない……ベレンガリアも数日マクシミリアヌスと共に過ごせば、その硬い意思が不屈であることを理解できるようになると思う。

「全く偶像神の厄介さたるや」

 と彼女が言ったので、流石にフゴもむっとした顔を隠せなかった。旧教派と新教派、派閥は違えど同じ神を頭上に戴くのは同じこと。それを偶像と馬鹿にされれば、そりゃあ怒りだって覚えよう。……多分ここで私の胃が痛くなったっておかしくない。頑丈だから痛くならないけど。

「どうにかして私に下ってはくれないものかしら。金なら存分に積んであげるし、待遇だってよくしてあげる予定はあるのだけれど。炎の眷属は一等希少、ここで逃すわけには……偶像に負けたとあってはベレンガリア・ディ・ナンニの名が――あら?」

 今気付いたみたいにフゴの顔を仰ぎ見て、肩口でくるくる傘を回らせながら小首を傾げて

「そちら、とても怖い顔をしていますね。何か不愉快なことでも?」
「――ああ……」獣が唸るような苦しげな呻き声。一、二度咳払いを繰り返して、「……いえ、特別、何も」

 硬い声だと真佳も思ったが、ベレンガリアはそれ以上追求したりはしなかった。胡乱げに「そう」と言ったきり、フゴのことなどどうでもいいとばかりに彼女にとっての重要な懸想事案のほうに立ち返る。フゴが二度、改めて空咳を繰り返した。平常心、平常心……フゴが心の中で言い聞かせている言の葉が真佳の側までさも聞こえてくるようだ。
 トマスはさくらのもとへ着けただろうか。あるいは、何か事の一端でも嗅ぎつけることが出来ただろうか? 真佳のほうはもうフゴを連れて早々に立ち去りたい気持ちでいっぱいなのだけど……。何か離脱する取っ掛かりみたいなものはないだろうか。あるいは彼女を諦めさせるか、少なくとも真佳とフゴから離れさせるきっかけは?

「そういえばあの中佐」

 とフゴが言った。まだ喉が萎縮したように硬い声だが、何とか平静はぎりぎりのところで死守している。

「運命鑑定士のほうへ行くって言ってませんでした?」

 フゴのほうを仰ぎ見た。……運命鑑定士? 確かにいつかそう遠くない未来に行くことにはなっているけれど、さくらの運命を見てもらうのだからさくらを伴わないと意味が……。

「運命鑑定士?」

 心の中で思ったことをベレンガリアが興味を露わに復唱したことで事態を察した。ゴホンともう一度フゴが空咳を繰り返す。

「ええ、窓の外に貴方の姿が見えなくなったら早々に行くつもりだって――」そこで「あっ」と本当に不味そうな顔をして、「ええと、これは……」

「まあ!」と彼女が口にした。

「何故早く言ってくださらないの。ならもう駆けつけている頃合いではありませんか! 宿と教会は忌々しいことにとても近いんですから!」

 言いながら慌てて傘を閉じ、Aラインの豪奢なスカートを貴族らしからぬ豪快さでたくし上げてから「無事捕まえましたあかつきには相応のお礼を差し上げることを約束しましょう。私はこれにて失礼します。無事捕まえられること祈っておいてくださいな」。
 それで急いで東に向けて駆けてしまった。貴族と言っても十一、十二。流石に元気だなあとそう離れていないはずだが思ってしまった。

「……よく騙せたね」

 彼女の背中が見えなくなってからようやく言った。何となく目に見える範囲に彼女がいる状態で口にするのは躊躇われたのだ。地獄耳を持っていそうで。
 フゴが最後に一度、喉を咳払いで震わせた。

「頭がいいことは分かっていたんですが……だから運命鑑定士のもとだと言ったんです。あの人が言うように宿と運命鑑定士とがいる場所とはとても近しい位置関係にありますからね。流石に時間がないと見て、疑う余地もなかったらしい」

 成る程、頭の回転が早いことを逆手に取るとは……。真佳もこれに関しては、フゴを見習い精進せねばなるまい。まさか頭のいい人間に片っ端から延髄斬りを喰らわして物理的に黙らせるわけにはいかないのだし。
 さっき消えた方角から、丁度いいときにトマスが同じ速度で戻ってきたのが目に見えた。

「マナカさん!!」

 目が合うや叫び鬼気迫る形相で駆けてきたその行動の意味を、真佳が知るのはほんのもう少し後になる。



師馳せる

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