殺気立った雰囲気が更に南、食品通りの方向から漂ってきたとき真佳は非常に嫌な予感をそこで覚えた。雑貨屋は一軒家の割と広い店舗であって、一応旅人向けの店ということで南西区域に押し込まれてはいるけども独り立ちを希望する稀有な貴族のご子息なんかもちょくちょく顔を見せるらしい。寝袋や防寒具を三人分となると一人では持てなかったのでフゴとトマスが手伝ってくれた。真佳は小ぢんまりした医療品店で購入したちまちましたものを持っているだけになっている。今紐と布が手元に増えた。フゴは以外に力がある。
 すんすんと大きな鼻をひくつかせ、トマスが南の方角に向け怪訝そうな顔をした。

「……何かあったんですかい?」
「……さあ。私も今出てきたばかりだもの」
「あっちの方角、姫さん方が買い物してるって方向じゃないですか」

 流石というか、真っ先にそれを言葉にしたのはフゴだった。肩に担いだ二人分の寝具をおろして駆け出したそうにしているのが火を見るより明らかだ。実際真佳も駆け出したい気はあるけれど……。

「行きやすかい?」

 と聞いてきたのはトマスのほうで、真佳はそれに対して「ううん……」と曖昧な答えを返した。もし万が一何か大変な事態になっていた場合、状況が分からないまま飛び込んでいって更にさくららを危険に晒す法はない。今外野にいるからこそ初手は慎重に動きたい。

「……この荷物、行くとしたら多分凄く邪魔になる。あの辺り狭い道が入り組んでるんでしょ? どうせなら身軽な状態であっちに行きたい」
「なら俺が全部運びます、宿屋まで」

 ……という申し出がフゴのほうからあったとき、申し訳ないが意外に思った。むしろこの中で真っ先に突っ込みたそうにしていたっていうのに……。

「俺が多分この中で一番何も出来ません。頭目と姫さんのことはマナカさんにお任せします。その荷物渡してください」
「って、全部!? え、トマスは!?」
「トマスさんには勿論マナカさんに付いて行ってもらいます。“あなた方”を一人にしないようにということは頭目からも言付かっていることです」

 更にさあと無骨で大きな手を差し出されたが、言われたことにすぐはいそうですかと応じられるほど人を使うことに慣れてはなかった。ましてや真っ先に駆け出したがっていた男に本意と違う役割を命じるなんていう、責任重大な度量は。
 トマスのほうを覗き見た。
 何も異論はないようだった。ここで改めてガプサ面々の一枚岩具合を目の当たりにする。恐らくトマスが提案してもそうなっていたはずだ。トマスと二人で行ってもらうという選択肢はあり得ない。……事実、それが様子を見に行くにあたって一番いい選択であることを理解はしていた。……私、は――。



お話し合いをいたしましょう



 グイドの記憶はいつも正しい。
 それはガプサの全員が信頼を置く類のもので、あのヤコブスが何の疑いもなく真実として受け入れる特殊なものだ。記憶力に秀でていることについて、さくらはグイドに実際に聞いてみたことはない。多分聞いてみたとして、昔からそうだったんだよね程度の弛緩した答えが返ってくるだけだろうと思うから。
 果たしてグイドの記憶は正確だった。激しい息の繰り返しで喉が痛い。酷使しすぎた肺がこのまま破けてしまってもおかしくないと考えながら飛び込んだ場所で、恥も外聞もなくさくらはその場にへたり込んだ。誰もいない。無人の通路に自分とこの子の荒い息遣いだけが木霊した。この街に入ってきたと同じ壁が前にある。位置的にここは……入ってきた門の丁度反対側にある壁だ。ここを越えると街の外に出ることになる。最終的にいつかは自分もこの壁のどこかにあるはずの西門をくぐることになるんだろう。
 息を整えるのにかなりの時間が要った。咳き込みだした少年の背中を、知らないながらそれでも撫でた。……不可思議な少年だ。これほどまでに白い肌を、さくらは今まで見たことがない。例えアルビノの子どもであってもこれほど完璧な白は発現し得ないと思われた。爪の桃色が際立って見える。
 お互い大分落ち着いて、さくらのほうも声が出せそうだったのでようやくそこで言を発した。

「アンタは誰?」
「……」

 すぐに答えが返ってこないのは息切れを起こしているからではなさそうだ。ため息を吐く。成り行き上そうなってしまったとはいえ、本当に厄介なことに首を突っ込んだ。

「私に助けを求めたのは何故? アンタは私を知ってるの? 私はアンタのことを全く何も知らないのだけど……」
「おねえさん」

 先ほど来の逃走で声が少しかすれて聞こえた。少年が喉のところに手をやって、こほんと一つ咳唾した。

「お姉さん、異世界の人でしょう?」

 ……喉のところが変な具合に固まった。いや、想定はできる話だった。最初に異界語でさくららに話しかけてきたあのときから、見抜かれていると予測して然るべきだった。

「……何で知っているの」

 喉が乾いていたのは全力疾走してきたからだけが理由じゃない。異世界人だとバレるのはまだいい。口止めが成功しさえすれば面倒なことにはならなくなる。問題は相手が敵か味方か判別がつかない状態にあること。異世界人を、異世界人であるために殺したいと思っている人間は少なからず存在している。

「――アルブスの民は」

 と少年が言った。
 アルブス。またアルブスだ。スッドマーレで出会った少女の眷属を、否が応でも想起する。あの眷属の名はアルブスと言い、彼の肌と同じくらいに白かった。白肌の少年が頭にかかった布切れを若干後ろにずらした意味を、さくらはすぐ知ることとなる。

「……アルブスの民は、異世界人と共にあった、と聞いています……。祖父の代のことです。異世界人とその他とを見抜く術は、ボクの代にも、伝わっています……」
「……待って」

 祖父の代? ……異世界人と共にあった? それは五百年前の異世界人? それとも別の異世界人が一人以上その間に現れたということ? 伝わってる、とは……。言葉の意味が分からないままそのまま脳内でリフレインして頭蓋を鳴らし、反響し合って余計に因果関係が把握できなくなっていく。少年は異界語に長けてはいるが、基盤のところを説明するという一般的な観念がすっぽ抜けてるようだった。
 それにこの角――米噛みあたりから白い髪を押しのけ生える五センチくらいの小さな角、二つ。骨が突出したような……肌に覆われたその角は、あまりに自然にそこにいた。生まれてからずっとそこに在るのが極自然的なことであるように。
 アルブスの民……と、この少年が言っていたのを思い出す。民族、それぞれに特徴的な部分があることは前の世界でも同じこと。ましてや魔術が存在するこの世界での民族とあっては……。

「それから先は引き継ごう」

 という声が聞こえて反射的に振り返った。聞き慣れた声だった。ぶっきらぼうで硬質ながらどことなく人肌並の暖かみを感じる――。少年が驚いたようにさくらの影に引っ込んだ。
 ヤコブス・アルベルティがそこにいた。カタリナとグイドが背後を少し気にかけながら、ヤコブスのそれぞれ両脇に身をおいた。ヤコブスがふんと鼻を鳴らした。

「子どものくせに逃げる知恵はあったとは。おかげで我々は危機的立場に落とされた」

 さくらの背後で少年が少しく身を固くした――。それはあまりに優しさの足りない一言であったが、実際何が何やら分からない状況で引きこまれたのは確かである。今のこの状況でかけられる言葉は見つからない。

「……どういうこと」

 代わりに状況を分かろうとした。片腕を庇うように持ち上げたのは、背後の少年があまりに怯えていたからだ。理由はわからないでも子どもを怖がらせる道理もない。
 次にヤコブスが発した言葉は咥え煙草の実に不明瞭な一声だった。

「何が聞きたい。アルブスの民のことか? それともその子どもが使った逃げ切る知恵の事柄か」
「……何もかも、初めっからよ――アンタが思う以上に私が無知だってことを忘れないでね」

 ヤコブスが不意に片眉だけを跳ね上げて、それからさも可笑しそうに小さく笑った。

「いいだろう。ここでは何だ。場所を変える。またあの守銭奴どもに追い立てられては適わんのでな」


■ □ ■


 ……私は。
 硬い、硬い息を吐く。
 いい加減には答えられない問いだった。さくらの困難を取り除いてやる確固たる覚悟と自信がなければ答えられない問いだった。冷静に考えれば分かるはずだ。そんな覚悟の在りどころなんて、捜す必要すらとんとない。

「――」
「見つけました!」

 ……、
 今のは私の台詞ではないぞ?
 と思った瞬間ぐいと服の袖を引っ張られて体が傾ぐ。全力疾走してきたような荒い息遣いが流したままの髪を揺らした。

「見つけました! 第一級魔力保持者のオトモダチ! あの大きな方ときたら一度も外へ出て来られないんだもの!」

 ――ベレンガリア・ディ・ナンニ!!
 一拍遅れて気がついた。元はといえばこの子が宿の前をうろついていたから面倒事になる前にマクシミリアヌス抜きで旅の支度を整えようということになって――その要因が何で今、ここで真佳の服の袖を掴んでいるって!?
 にっこり笑って彼女が言った。

「ようく話し合いましょう。あなた方のオトモダチについて。あなた方にとっても、決して悪い話ではないはずですと確信します」

 カチューシャみたく回された細リボンが頭の上でぴょこんと跳ねた。
 ……面倒なことになった……、と自覚した。

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