モトーレ・ヴァポーレ/内部機構



 異世界人にとって何が珍しくて何が普通であるかということは、いくら文献を読んだところで分からないものなのだなということを最近になってようやく知った。それは姫さん、つまりサクラさんにしてもそうだったし、今目の前にいるマナカに関しても当てはまる。昔からある技術を珍しがって最近出来た研究者の汗と努力の結晶を勝手知ったるとばかり使用する。彼女らの生息していた世界が一体どのようなものであるか、もう思い描きすぎてとっくに考えなくもなってしまっていたというのに、現実というのは人の想像力を容易く凌駕するのだなとつくづく思う。

「機関車みたい」

 というのがまず第一のマナカの感想。最前から伸びた煙突からぽこぽこと煙を吐き出しながら何台目かの蒸気自動車が路面上を横切って行った。首都へ行ってもあまり見ない最新式の蒸気自動車で、前後で車輪の大きさが違う四輪車。マナカの言うとおり蒸気機関車を思わせる丸みを帯びた前面を筆頭に高いところに座席が二列ついている。座席の背後のみが一枚の壁で覆われていて、乗車者の天上には煙と雨とをやり過ごす屋根が取り付けられていた。座席より低いところに足場が一つついていて、それを足がかりに乗り込む様を何度かは見かけたことがある。主に首都の教会関係者、それも上層部の使う類のものと認識していたが、ここではそういった地位とは無関係の者が利用する。

「つい数年前に確立した乗り物なんですがねえ」

 と拍子抜けしたように“大鼻”トマスが口にした。フゴとしてもどれほどの反応がここで返ってくるものか、内心楽しみにしながらわざわざ大通りを回る道を選択したのでトマスの心情はよく分かる。いや、まあ、確かに蒸気自動車のイデア(アイデア)は異世界人が昔に物語った図式に依拠しているのだし、同じ異世界人であるマナカが驚かないのも無理からぬ話ではあるのだが。

「数年前?」

 とマナカが聞いた。

「でも方法は五百年前には伝えられていたんだよね?……エレベーターと同じようなもの?」
「えれべーたー? ああ、そっちの研究も続けられてはいるようですがね。確か昔に異世界人が、初期のエレベーターは蒸気機関で動かしてたってえのを話してた文献が見つかってるらしい。蒸気機関車、蒸気自動車が確立してきた昨今なら数十年経てば作れるだろうって話ですが、いかんせん情報が少ないそうで」
「……私も原理については詳しくないよ」
「安心してくだせえ、多分そうだろうなとは思っていやした」

 それはそれでどうなんだという具合にマナカが膨れた。“大鼻”が引っかかり気味の笑い声を打ち出した。

「異世界人と同じ世界をってんでずうっと夢見て研究されてきたのがついに叶ったってんでね。でもまあ実際に走ってるのを見たときは感激もんでしたよ。ちょっと足を伸ばして見に行ったりして」

 誰だったか、名前までは忘れたが教会の行政かどこかに勤めるお偉いさんが蒸気自動車を持ってるというので人混みにまぎれて全員で見に行った記憶はある。首領はほとんど姐さん、カタリナさんに引きずられるような格好で。近所の子供や親を始めとした大人、神に祈りを捧げる爺さん、婆さんまでいて、ちょっとしたお祭り騒ぎになっていたっけ。

「五百年も何が引っかかってたの?」

 と本当に分からなさそうな声色で言われて思わず視軸をよそへやった。異世界人というのは皆こうも無自覚なものなのだろうか。サクラさんに話しても同じような言葉が返ってくるような気がするなあ。

「あのですねえ……」諦めに近い吐息をトマスが吐き、「いいですかい、異世界の技術っていうものは、ここでは言わば神の領域と言っても過言ではないぐらいなんですぜ」

 マナカが赤い目玉を瞬いた。

「異世界人はソウイル神がもたらした叡智の源だって話は有名な説話で、異世界人が全力の歓待を受けるのはつまりそういう理由です。異世界人そのものを神と崇める宗教もあるっていうのはまだ聞かされていやせんか? 要するに、あんた方から見たオレらの魔術がそうであるように、オレらから見たあんた方の技術もまた、神秘的で不可思議的な現象なんです」
「……それで五百年もの時間がかかった?」
「五百年で何とかここまで追いつけたことに敬意を表してほしいくらいでさあ」
「……ふうん」

 ……マナカさんの街を薙ぎ払う視線に別の色合いが含まれたのを確かに見た。今この瞬間を実に正確に認識し、並ぶ技術を思い出し異界に真似られた機能をきっとこの時想起した。蒸気自動車が空に噴きかけた白煙がマナカさんの視界を遮っても、彼女はきっと街を視ていた。
 車の時速は恐らく彼女らの知る“自動車”よりもずっとのろい。しかしそれが今のこの世界での最先端の技術と努力の結晶であるし、それはマナカの目にも伝わっていると確信している。それが、フゴにとっては面映い。

「……普通に真似ただけのものだと思ってた」彼女は少し、慈しみを持った語調で口にした。
「機構や発想は真似たもので合ってます……ただ、それをこちらのほとんど唯一の使用可能領域である魔術に落としこむのに相当の時間がかかっただけで」

 咳払いをそこで挟んでフゴは言う。改めて自国の技術を、叡智の源出身の人間に語るというのも照れくさい。

「確かこっちだと、蒸気機関って言えば石炭を使って何やかやするものだったと思うんだけど」
「ああ、そういった物質はうちにはないですね……あれは火と水の魔術を使ったものだと聞いています」
「火と水?」
「確か、異世界人の文献にもあったと思います。セキタンが使われる前の最初期の蒸気機関、くらいの触り方でしたっけ。知りませんか? 水を沸騰させて湧き出た蒸気で物を動かす。それを冷水で冷やすってことを繰り返すんです」
「ううん……。蒸気機関車とかでガショガショやってるイメージしかないかもしれない」

 あまり有名な話ではないのか。異世界人本人の口から指摘や改良点が出てくるのではないかと期待してはいたのだが……。「まあそりゃ仕方ありませんや。五百年前の異世界人だって、今あっこで使われてる仕組みについては詳しく話してなかったらしいですからね」ということはトマスが言った。

「全部魔術でやってるの?」

 ……とマナカに聞かれた。
 少し考えて、ここでの蒸気機関のことを言っているのだと理解した。火と水の魔術を使うと言ったのは確かにフゴ自身である(首領のヤコブスほどではないが、マナカも時折会話の大暴投を繰り広げてくることがある)。

「蒸気機関に関しては、まあそうです。内部に機構があるにしろ、全ては火と水の生成魔術で賄われていると聞き及んでいるので。それを動かす力の加減が存外難しくて、魔術力の増加や減少の式だけでは足らず魔術式を描く素材のほうから見なおしていたのだとか」
「描く板とか?」
「刻む素材についてもそうです。あるいは紙や布の場合も試したでしょうからペンだとか。そういう組み合わせでも魔術の威力には絶大の変化を及ぼします」

 はあ、という相槌だか溜め息だか分からないような息をマナカが吐いた。少し語りすぎて引かれたものかとはらはらした。マナカの双眸に意外そうな光がちらっと見えた。

「詳しいんだね」
「あ、いえ……昔やってた仕事がちょっとあれだったもので」

 タオルで覆った後頭部をばりばり掻くとマナカがふうんという顔をした。魔術の力に関すること以外でも、異世界人について随分文献を漁ったものだ。異世界人の技術を追い求めていたのだから当然ながら、職場にはそういう本が数多もあった。

「蒸気自動車だけじゃあ味気ないでしょう。どうです? 買い物が住んだら機関車のほうも見に行きやせんか」
「え、あるの!?」

 ……思った以上に食い気味だった。フゴが困惑するほどに。

「ありやすとも。客車じゃありやせんがね。今は主に資材を運ぶために用いられているらしいです。今ここの車庫にあるかはわかりやせんが、まあ見に行って損もないでしょう」
「見たい」
「では買い物が終わったときにでも。とっとと終わらせましょうや、もう寄り道はしないんで」

“大鼻”トマスが促すとマナカは一度ちらりと蒸気自動車を見つめた後、名残惜しそうにトマスの後をついていった。蒸気自動車と蒸気機関車とでは反応速度が違いやしないかと口にすると、「蒸気機関車はね、ロマンだよ」……よく分からない返しをされた。異世界人の求めるものはやっぱりよく分からない。
 最後にマナカがちらりと言った。

「あの車、因みにここではお幾らくらい……」
「……えー、初期のあれよりもっとのろいものでも、教会上層部が人生の半分を費やした給料分……は、かかるでしょうね……」
「わあ……あれで旅は無理だね……」

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