スカッリアに来てから十分の時間は経ったはずだと思っていたが、ここにはどうやらまだまだ知らないことがある。考えてみれば元の世界だって十分に知っていたわけではないのだし、当然と言えば当然だ。首都や港町とこの街との違いだってそうだけど、食というカテゴリ内だけでもこれだけの新発見が現れてくるとはさくらも思ってはみなかった。

「あっちの食材は至るところのを満遍なく取り揃えてはいるんだけど、平均的で首都特有の“味”っていうのがないんだよねー。その点地方の街は雑多で多色で面白いよ。これからずっと西に行くんだし、ヒメカゼちゃんも気に入ると思うなー」

 と言いながら幸せそうな様相で食材を選んでいるグイドを見ていると、その幸せを壊すような質問は差し控えるべきではないかと思えてくる。橙色をした星形のフルーツ(野菜?)を見比べながら、どちらがより美味であるかを思考しているに違いないグイドの顎は、俯きでいつもよりも殊更二重になっていた。

「……西は何が“味”なの?」
「西は野菜が豊潤だね。肉なら東だし、魚なら南。魚以外の魚介類なら北……。あー、北西に向かうんだよね? なら丁度どっちも美味しいかなー」

 ……さくらが気に入る、というよりは、嬉しそうなのはむしろグイドのほうだとさくらは思う。グイドの樽腹と仲間内でのその名称が飾りではないことは勿論さくらだって理解してはいたけれど。

「マクシミリアヌスとしてはまだ確定したくないみたいだけど。一応ここの運命鑑定士にも聞いてから……、――まあ、そうやって早合点しないのは大事だし」

 毒々しい赤に染まった涙滴型の果実を拾い上げた。小さな実で、手のひらでころころと転がしてみてもおかしくないサイズの……。もしかしたらこれは果実や野菜ではなく調味料に使うものかもしれない。挽いて粉にするとか……。唐辛子みたいな。
 グイドが五芒星の実から視軸を外して、さくらより高いところから微笑ましげにこちらを見ていることに気がついた。

「……何?」
「何もー。ヒメカゼちゃんは、あの中佐さん好き?」

 何もと言っておきながら質問する……。結局橙色の実は二つともグイドが提げた籠の中に投入された。

「……好きっていうか、嫌いではないけど」

 もしかしてこれはガプサと旧教派との確執の延長線だろうか。自分と真佳だけは中立の立場であることを所望しているので、答えが少し慎重になった。なっていなくても同じ答えになった……とは思う。
 ただ、グイドの反応は少し違った。
 さくらの手の上に転がっていた赤い実を摘み上げ、同じく籠の中に投じ入れながら。

「そっかー。気に入ってくれてるんなら嬉しいな。おれたちの世界にヒメカゼちゃんの気に入るものが、出来るだけたくさんあってほしいなと思うから」

 そう言って、くりくりした茶目をそっ、と細めて少し微笑った。マクシミリアヌス並びに旧教派と折が合わないと目されていたガプサらしくない反応に、思わずそこで面食らう。
 仲が悪い……と思っていただけで、一部ではそうではないのだろうか。或いはグイドが特別なのか? これまでの会話のやり取りなどもう頭にないとばかり、「さー、他にも見繕うぞー」と籠を提げていないほうの腕を回すグイドに対し尋ねる言葉は、……その時即座に見つからなかった。
 ひょっこりとグイドでない褐色の腕が伸びてきて、グイドの籠に絞りきったように捻れた何かを複数個数落とし入れた。

「新鮮なもんばっか選んでどうするんだい。ここではドライフルーツやナッツ類を見繕いなよ」

 じっとりと睨め付けるようにカタリナが釘を刺したが、「これは今日と明日のおやつだよー」「おやつを見繕う時間じゃないって言っただろ!」結局飄々と言い返してがみがみと説教されていた。
 チッタペピータだけでなくスッドマーレ、首都の大通り沿いに面する店もそうではあったが、ここでは元の世界の昔ながらの八百屋のように道に接した箇所に山になった果実や魚などの商品が陳列されている。スーパーマーケットのような複合型の店舗は見たことがなく、魚なら魚、肉なら肉を個別で扱っているようだ。チッタペピータの旅人ご用達の店舗は全て街の南西に群れをなしていて、縦横に巡る小道を更に圧迫するように色とりどりの品物が並べ立てられている。今こうしてグイドとカタリナとで野菜・果物店(恐らく)の前を占領しているが、大人一・五人分がやっと通れる道に固まっているのは店の主や客にとって迷惑この上ないだろう。それでなくてもグイドの体格は横に大きいわけである。後ろに人が通るときさくらやカタリナは前に押されることがしょっちゅうなのに、グイドのほうはむしろ相手のほうが押される始末。店先で頑として動かないところは菓子コーナーで二つの品物を真剣に見比べている幼児に似ている。
 それでもどこかから文句が飛んでこないのは、皆この立地に慣れきってしまっているからなのかもしれない。貴族の街、富裕人の街……その貴重な一画を庶民のために解放してやってるのだと言わんばかりの状況に。

「俺としてはあまりこの街に長く滞在していたくはないんだが」

 とマクシミリアヌスは言っていた。

「太陽神への態度だけでなくどうも趣味が……いや、御託はいいな。ともあれ乗馬の教師と言っても基本動作と常歩をそれなりに練習する程度を予定しているからして、必要以上の時間はそうそうかかるまい。その前に保存食だけは購入しておきたいのだが、……俺が出向けないのは大変心苦しく思うのだが、いいか、何かされそうになったらすぐに走って帰って来るんだぞ。されそうになる素振りでもだ。何かされてからでは遅い。出来得る限り相手を信頼せずむしろ敵と思う心持ちで」

 ……この辺りでたしか、わかったからわかったから行ってきますと言って全員で部屋を出た気がする。ぽつねんと置き去りにされたマクシミリアヌスを思うと少しおざなりに過ぎたかもと思いはするが、あのままだと夕方になっても出かけられなさそうだったので。アイツは過保護な父親か。グイドの質問には嫌いではないと答えはしたが、こういうところは少し鬱陶しいとは確かに思う。
 グイドは他とは違って、元の世界に帰った以降のさくらのことを前提に考えているのだなとふと思う。まだまだ先のことと考えてなあなあにはせず、今この一瞬一瞬を重大事として受け止めて現実のみを刻んでいる。だから多分、自分のことよりさくらの意思を尊重して喜んだのだ。彼が実際マクシミリアヌスをどう思っているか、そこのところは確かなことは言えないけれど。
 足元に大きな食料袋が置かれたのを見たときには、ヤコブスの溜め息が前髪に吹きつけられていた。

「まだここにいたのか」
 カタリナが恨めしげな声音で言った――「“樽腹”グイドを食料品の買い出し役にさせるっていうのが無謀だったんだよ」

 ……布製品その他雑貨組に組み込めばもっとスムーズに事が運んだということか。考えてみればそうかもしれない。でもグイドが立候補したときに特に誰も異議を唱えなかったのも事実なのだから仕方がない。

「パンと肉は終わった。そろそろここも混んできた。魚の燻製とチーズは予定通り後日にして、塩漬けを幾つか買っておきたい」
「えー、明日はフルーツサンドにしようと思ってたのにー。フルーツサンドだよ? おれが人数分作るんだから、ちょっとやそっとじゃ足らないよ」
「……まさかあの中佐にも振る舞おうって気じゃないだろうな」
「あげるよー。全員分って言ったでしょ。食べなかったらおれの分が二つ増えるし」

 一瞬刺々しさを放ったヤコブスの声帯がそこで呆れに変わった気がした。グイドの意思を曲げることに関しては、流石の頭目も諦めるしかないらしい……。改めてグイドの難攻不落さに賞賛の念を禁じ得ない。

「……今心中で俺を嗤ったろう」
「まともにキャッチボール出来ないやつがどうして変なとこで神通力発揮すんのよ」

 正確にはグイドを褒め称えただけだったのだが、変に訂正するのも面倒だったので放っておいた。マクシミリアヌスとヤコブスの冷ややかにすぎる口喧嘩にははらはらを通り越していい加減うんざりしてきていたので。流石にどこかでやり返しておかないと気が済まない。

「ヒメカゼちゃん、おれ自慢のフルーツサンド食べたいよねー」

 ……一瞬そこで、まだグイドの中では一歩前の会話が続いていたことに面食らった。マクシミリアヌスと違って横にだけ大きい(それでも百八十センチはある)巨体の男はフルーツの選別に夢中であって、店の軒先から根を生やしたように動かない。「ああ、うん……」思わず歯切れの悪い返事になった。グイドを挟んだ向こう側ではカタリナが、全ての疲れを吐き出すような唸り声を上げていた。

「もー、これグイドこうなったら動かないよ、確実に! どうすんの、誰さ、グイドがこっちに来ることを推奨したやつ」

 それはグイド自身であって他の人間も特別異議は唱えなかったとさっき思ったことを念のため心の中で繰り返す。
 ヤコブスのほうを見上げた。首領が先ほど口にした通り、明日出立を控えている者が最後の買い出しに集まってきたのか行商人や楽師然とした人間が周囲を固めだしていた。店主と客の野太く高い声がだんだん聴覚を支配する。

「私たちだけでも行きましょうか? グイドはここから動かないわよ」

 さくらがもう一度念押すと、溜め息ついでにヤコブスが無精髭の生えた顎を上下させて首肯した。奥のほうの果実を見せてくれるよう要求するグイドの声が後から鼓膜を刺激した。



コル・タウリ

 TOP 

inserted by FC2 system