パチパチと爆ぜる音を遠くのほうで聞いていた。

「サクラ」

 ヤコブスさんが何事か、炎の爆ぜる隙間から言っていた。

「不老不死か、あるいは不老はいるのかどうかと尋ねたな。“あれ”が答えだ」

 草が捻れた音がする。固い靴裏で燃え盛る火をもみ消しているのだとすぐに悟った。ということは、真佳の最後に見た光景に反して炎は既に下火になっているということだ。雨で下草が湿っていたのが幸いだった。
 太陽神に背いて神の御下を自ら離れ、永劫の命を浅はかにも願った愚かな存在。或いは忌み嫌われる、冒涜的で暴力的な、自然の輪から逸脱したケモノがカバネ――というのは、フゴらを見ていて何となくわかった。「キミたちには多分、この役は出来ないよ」――マクシミリアヌスが動きやすいように引きつけて最終的に離脱する、マクシミリアヌスとの連携プレーを指して真佳はこう言ったのだけど、それがなくてもフゴたちには確かに難しかったかもしれない。
 不老不死を願った成れの果て。ヤコブスの言葉を借りるなら、悪魔が至る成れの果て――か。
 背中から地面にダイブしてそのままだった体躯をようやく起こした。ちらちら揺れる炎の中に、あれほど活発に動態していた遺骨の群れは一片の欠片も見当たらなかった。



狼の遠吠え



「雨の冷気と曇天の暗さがカバネが北上しなかった理由だろう」

 と、一応のカバネの説明を多分恐らく普段なら考えられないほどの饒舌さでもって語ってくれたヤコブスさんがそう〆た。それだけ語り終えるのに紙巻煙草が片手の指くらい犠牲になった。発祥なんかも付け加えていたらそれぐらいじゃ足らなかったかもしれない。

「未だ日は長いものだと誤解した、カバネの習性を読み切れなかった――もともとここいらはカバネの跋扈する地として危険視されていた」

 ふん、とマクシミリアヌスが鼻を鳴らした。

「その程度の読みができんとなるとただの人数合わせではないか。せいぜい盗賊が出てきたときに数の暴力を見せつけるほどの価値しかない。しかも盗賊は必ずこれよりも多いのだからな!」
「貴殿こそ彼女らの護衛を望んで引き受けている以上何より先に彼女らの安全と事態の異常に気付くべきではなかったのか?」
「何ぃ……?」
「あー、もう喧嘩するのはいーよ。お腹いっぱい。それよりこれからどうするかを考えよう。ほらもう」

 東の空を仰ぎ見た――微妙に頬が引き攣った。青灰色がすっかり白に溶け始めてしまっていた。遠くで黄金色が踊りだし、神の横顔は見えないまでもその後光でもって地上に朝を与え給うことは時間の問題と思われる。

「……朝だよ」

 言った自分の声がとても空々しく自分に響いた。昨日何時間寝れたっけ……。これから一日歩くんだっけ? 休みもとれていないのに?
 寝るかこのまま歩き進めるか、ちょっと自分には決められなかった。

「ここからチッタペピータまではどのくらい?」

 さくらが聞くとマクシミリアヌスが答えた。「……半日は歩く」……ということは、ここは丁度スッドマーレとチッタペピータの中間地点ということか。このまま一眠りして昼に出てみても夜には着く。もう一度雨か何かで足止めをくらうことがない限り。

「すぐに出るわ」

 ……と短くさくらが言った。何となくこのまま一眠りしましょうとは言われないような予感はしてた。

「それでなくても必要以上に旅程が長引いてしまっている。食料や水はまだ余裕はあるけれど、一応念の為に早めに出るに越したことはない」
「賛成だ。旅慣れない者を初っ端から長旅に付き合わせる気は毛頭ない」

 ヤコブスがそれに同意して、それで全員の方針が固まった。ガプサの連中は元よりとして、さくらがそう決めたのならば真佳とマクシミリアヌスだって異を唱えることはしないのだ。よっぽどのことがない限り。

「荷物を取ってくる。各々取ってき次第ここで落ち合おう」

 マクシミリアヌスが恐らくさくらと真佳にだけに告げて背中を向けた。これでガプサがいなくなるのならそれはそれでも構わないといった風情である。まあ最初からガプサが来ることに反対はしていたし仕方はないか。
「あーあ」とトマスがぼやいている。

「炎の煽りを食って天幕が焦げちまった」
「繕うしかないねー」
「“ないねー”って、その役は毎回オレなんだよっ。ちったあてめぇも繕いやがれ!」

 グイドの頭を拳で殴る景気のいい音が木霊した。
 トマス、グイド、フゴのテントを起点にするならマクシミリアヌスのテントは南東、真佳らのテントは西にある。ヤコブスのテントはそこより北の――北東だ。青い上衣に護られていないワイシャツの背中が最後に見えた。

「さくら、私の荷物も取ってきて」
「……は?」
「カタリナさんと一緒に馬に乗せてきてくれるだけでいいから。私ちょっと急用」
「急用って」
「いいよ、言ってきな」

 ……さくらの言をカタリナさんが遮った。

「あと、さん付けはいらない」

 少しく驚いてカタリナさんを見、戸惑いと面映ゆさとで一笑しながら片手を持ち上げ駆け出した。


■ □ ■


 土を踏む音と葉擦れの音である程度の予測はつけているだろうと思ったもので、常識的で一般的な第一声は発しなかった。


「あまりにもあっさりとさくらのほうだけを護ったね」

 ……ヤコブスが視軸だけをこっちに向けた。土を踏む足は止めないし、小道側に飛び出してきた枝葉を腿や肩で押して通ることもやめなかった。

「それで不満を呈すタマには見えなかったがな」
「不満は持っていないよ。むしろ感謝しているぐらいだ……普段だったら、あの子を安全地帯まで運んであげる暇なんてなかったものだから」
「双方ともに過保護であるのはいかがなものかな……」
「ん?」
「何でもない」

 ヤコブスの背中の向こうで火が灯った音がした。チョコレート様の甘い匂いがすぐに鼻腔をくすぐった。

「取りに戻らなくていいのか」
「……荷物? 荷物ならさくらとカタリナにお願いしたけど」
「……」

 厄介払いをしたがっている空気をあからさまに感じ取って少し笑った。“この国の人間はそんな遠慮や我慢はしません”と、確かにそう言ったっけ。だからとても安堵した。

「ヤコブス」

 初めてさん付けじゃなく名前を呼んだことを意識した。もう一度視線だけでヤコブスが顔を振り向けた。

「さくらは多分、何かを隠していると思う」
「……?」
「キミなら多分、何かが違っていたことくらいは容易に掴み取れたと思うけど」

 ……これに対して疑問符はなかった。だからこそヤコブスには話せると思ったんだ。異世界人が二人いて、そのうちの一人が自ら危険なことに突っ込んで行っても尚その一人よりもさくらを優先した、的確な男であるからこそ。

「隠していたのはずっと前からだと思う。でも何かがあって決意を表明してしまった。それが正しい道か間違っている道か、私には分からない」
「もしも間違っていたらこの俺にやめさせろと、そう言うわけか?」

 そう言われて少しびっくりした。刺のある言い方だった。世間一般の正否の問題などヤコブスには何の問題でないことを理解する。……少し言い方がおかしかった。

「……いや、正しい道か間違っている道かは言い過ぎだった。ヤコブスがさくらに進んでほしい道か、そうでない道かと言い換えよう」
「……俺が?」
「そうだよ。多分、それは私がさくらに進んでほしい道か否かの解と一緒であると思うから」
「……」

 少しの沈黙の後、ヤコブスが言った。

「買いかぶりすぎだな」
「そうかな? そこら辺の判断は共有できると思うけど」
「で?」――煙草の香り。「何をしてほしい」

 ――雨を含んだ土のにおいは好きだ。草木のにおいも、朝のにおいも。修学旅行で山登りをする前日に雨が降って、雨のにおいと土のにおいが混ざり合った中を歩いていったのを覚えてる。さくらと二人。

「見届けてほしいんだ」

 と言った。

「行ってほしくない道でもそうでなくても。多分私は、その役は演じられないと思うから」
「――」
「……本当は私もその役を演じたいんだけどね」

 立ち止まっていた。黒いボディの煙草を二本の指の隙間に挟んで、視線だけを真佳のほうに向けたまま。まるで硬直しているみたいだと真佳は思った。彫像みたい。多分彫像になっても様になる。
 煙草の一端を口端に引っ掛けて、不明瞭な声音でヤコブスが言った。

「君はそれでいいんだな」
「いいよ。月はそもそも夜空の中でこそ光り輝くものだから」

 疑問符を投じられたが真佳はそれには答えなかった。
 ――本当は止めてくれとお願いしに来たはずなんだけど。でもそれはあまりに浅はかな願い事だと気付かされてしまったから……せめて、己の願いは自分で。或いはそれが、当然取るべき選択であったのかもしれないが。

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