「あ?」とマクシミリアヌスが言ったのは、それが想定し得る限りの盗賊の姿に到底当てはまらない格好であったことが大きいだろう。頬に散った無精髭とどこか荒んだ金の双眼は確かにアウトサイダーな雰囲気を露骨に放出しているが、全体的に清潔感の漂う男であることは確かであった。使い古されてはいるが感じの良いダークグリーンの綿パンに、肘まで捲し上げた白のワイシャツ……。襟元が第二ボタンまで開いている。鎖骨の端がちらっと覗いて、この国では襟元を開けることがあまり歓迎されないのだということをとても唐突に想起した。男性の場合は女性ほど厳しく禁じられてはいないけど、それでも良い顔だけはされはしない。
 マクシミリアヌスが苛々した口調で惑った沈黙を打ち切った。

「油を売っている暇はないのだがな。目的地までまだ大分距離がある」
「チッタペピータだろう」
「……何故知っている?」
「俺の部下は優秀なんだ」

 そう言って切り株の上に丸めて置かれた青地の上衣に手を伸ばした。マクシミリアヌスの固い頬が微妙な感じにひくついた。見慣れた上衣だ。襟元と裾の端、肩飾りが金で装飾されている。左腕には赤と金の腕章が常にぶら下がっていて、実際にそれに袖を通した姿を見るとどちらかと言うと懐かしさのほうがこみ上げる。

「異教徒風情が」

 苦り切った顔でマクシミリアヌスが振り絞るように一言吐いた。襟と頭上のゴーグルの位置を正しただけで、それに関してヤコブスは何一つ発さなかった。
 ヤコブス・アルベルティはさくらにとって特別な意味を持つ存在だ。彼と彼の部下に出会わなければこの世界で一人やっていけた自信はないし、真佳にだってこうして再会することはなかったろう。ただし彼の存在は必ずしも万人に受け入れられるものではない。国教となっているソウイル教から派生したいわゆる“新教”――それがヤコブスの属するコミュニティであり、それを異端と罵るマクシミリアヌスは、派生した新教を忌み嫌う正統、反感を買うことを承知でわかりやすく言い変えるならば“旧教”に属する側の人間だ。同じ教典から別の解釈を汲み取って、それを信仰するようになったのが新教と言える。元は同じものである故なのか、もともと他宗教を認めていないスカッリア国でも特に新教への風当たりは強めと言える。青地の上衣は新教信者を表するシンボルだ。

「……何で出てきたの?」

 その辺の事情を察知しているからこそさくらは短くそう問うた。あれほど教会と関わり合いになることに気を遣っていたくせに、こうして教会関係者、それも教会の有する二柱の一つたる治安部隊員中佐の面前にのこのこ顔を出しに来るなどどう見ても正気の沙汰ではない。最悪ここから首都のペシェチエーロまで引っ立てられて異端審問で打ち首だ。信仰心の薄い者相手ならまだ交渉の余地は残されているかもしれないが、以前にマクシミリアヌスの名を聞いて反応を示したヤコブスであればそれがその手の手合でないことは重々承知していたろう。

「君がこの世界に残ると聞いた」

 ……残ると彼に告げたのはもう一月ほども前である。相変わらず言葉の幾つかが致命的に足りない。それで伝わると思っていやがる。「だから?」とさくらは聞いた。

「旅をするなら人数は多いに越したことはない。そこの軍人が言うように異教徒種族は人数が充足してはないからな。東の森の引き継ぎに手間はとったが、君たちに遅れを取る以上の時間はかからなかった」
「……まさか」
「おにーさんも来るということ?」

 真佳がさくらの思考を代弁し、やおらマクシミリアヌスが立ち上がって「駄目だ!!」……と吠えた。切り株に寄り添い生えた下草がマクシミリアヌスの靴に踏まれて悲鳴を上げた。

「何を貴様は当たり前のように同伴出来るような物言いを! 異教徒と共に行動するなど言語道断、汚れた思考を感染させる気か恥を知れ!」
「……や、そもそもソウイル教信者でもないし」

 無宗教だしという真佳のツッコミはマクシミリアヌスの発した怒号の余韻の中にすら掻き消えた。どうやら全く届いていない。
 ……厄介なことになってしまった。ヤコブスの顔色にこれといった表情は無いけれど、あからさまに苛ついているのは誰の目にも明白だ――。切り株の上で座位を正した。路上から森の中へと招じ入れられたあの時点から嫌な予感は抱いていたのだ……これほどまでに獅子バーサス狼の絵面が符合する場面もそうあるまい。

「……私別に、いいと思うけどなー……」
「マナカ!!」

 間髪入れずに怒号が飛んだ。ヤコブスが軽く目を瞠った――マクシミリアヌスの怒声にではなく真佳の小さなリベンジに。

「だって……さくらも別にいいよね? もしものときを思うと心強いよね?」

 何故そこで私に振るんだと問いかけたかったが避けられぬ場面であることは分かりきっていたので実際口にはしなかった。ヤコブスが期待しているのも飽くまでさくら一人の了承であって、他の人間が味方をしてくれる可能性など微塵も考えていやしなかったろうから。付け加えておくとこれは“姫風さくらさえよければ他はどうでもいい”とかいう意味ではなく、異教徒である彼らが他の人間に受け入れられるわけがないという卑屈から出た思考で十中八九間違いない。

「……むしろ危険は増すと思う」

 とさくらは言った。

「この先、どの町へ行ったとしても、旅の仲間にガプサがいるということが発覚した時点で私達全員が異端審問にかけられないとも限らない。極刑まで行くかは分からないけれど、可能性はゼロじゃない。味方であったはずの教会に追われる身になるの。侮蔑的な言い方で申し訳ないけれど、異教徒と行動を共にするということはそういうことよ」

 視線をついと別の箇所へ退けた。何となく、誰の反応も見てみたいとは思えなかった。「……その上で」とさくらは継いだ。

「ヤコブスと行動を共にすることに異論はない」
「何だと!?」

 激高しかけたマクシミリアヌスを視線をやらないまま片手で制して、

「というか、もう遅いわ」
「……遅いだと?」
「私、曲りなりにもガプサに所属してるもの」

 ……反応があるまでかなりの時間を要したし、それがいい反応でないことは想定していたから驚かなかった。ただしマクシミリアヌスの森林を突き抜ける大声には驚いた。

「……はあ!?」
「おい、待てヒメカゼ、それは」
「曲りなりにもって言ったでしょ」

 と言うとヤコブスのほうはそこで口を閉ざしてしまった。実際ヤコブスは分かっているし、さくらだって理解している。本格的にガプサに入団したわけではない。格好だけ、体裁だけ。それも身を守るための暫定的なもので、さくらを安心させるためにヤコブスがもたらした一時的な提案に過ぎなかった。それでもさくらの鞄の中にはガプサを意味する青い上衣が今でも奥のほうにひっそり閑と沈んでいる。結局頂いてしまった銃と一緒に、上衣のほうも返すタイミングを失してしまった。
 ぱくぱくぱくと金魚のように口を開閉させてから、肺の中の酸素を全部二酸化炭素に変換したんじゃないかと思うくらいに深淵からのどっと疲れた吐息を吐いて、マクシミリアヌスは宛てがわれた切り株の上にもう一度深く腰をおろした。座席に座って強く目頭を押さえた姿はどことなく、ロダンの彫刻を思い起こさせるものがある。地獄の門の頂点に君臨したダンテの像。まさしく今、マクシミリアヌスは地獄の門の頂点に配されてしまっているわけだ。
 ヤコブスの金眼がこっちを向いた。
 ……肩を竦めて応えてやったらヤコブスの苦渋に満ちた顔色に更なる苦渋が加わった。

「異教徒認定する?」

 微笑ってマクシミリアヌスに言ってやる。表情は硬直したように固く目には黒い何かが過ぎりはしたが、反応らしい反応はそれだけで、あとは絞りだすように

「……君は何も知らぬまま異教に加入させられた」
「そうね」
「異教の教えに感化されたわけではないし、心酔しているわけではない。……そうだな?」
「そうね。だから言ったでしょう、曲りなりにもって」
「……異教勧誘罪を付加して引っ立て、……てやっても構わんのだが」

 この交渉で初めて頬を引きつらせた。オイ、何だその罪名。

「……仕方がない。君はどうやらこの男に同情している様子であるし、教会に連行すると言ったところで首を縦には振らんのだろう」
「……じゃー一緒に行動するってことでえふえー?」短絡的に真佳が言った。
「……“エフエー”が何か俺は知らんが、何もそこまで言っておらん。この件については見逃すとだけ言っただけだ。サクラの件も当然見逃す。彼女を引っ立てるなど提案の時点でお笑い草だ。その上で、俺たちは変わらず三人で西を目指す」
「でも私とさくらはヤコブスさんについていくよ」
「……は?」

 今回の「は?」は素っ頓狂な弱い声量の一音だった。

「ヤコブスさんについて西に行く。だって、さくらもそうなんだったら危険なんて変わらないじゃん。ガプサみたいな集団だったら運命鑑定士の知り合いくらい誰かが知ってはいるだろーし、そうしたら目的地の選定だって問題なくなる。マクシミリアヌスがどうするか、私は知らない」

 ひどい強行手段だとさくらは思った。しかし求めていたのはそれだった。別にマクシミリアヌスと一緒でなければならない理由は真佳にもさくらにも一つもない……。……ただ、真佳の言葉がまさか本気で紡がれているなどとは信じていないが。

「〜〜〜っ君たちはいつもいつも……!!」

 米噛みを人差し指の第二関節でぐりぐりやりながらマクシミリアヌスが低く呻いた。実際、“いつも”そういう手段で真佳と二人、マクシミリアヌスに互いの希望を強要している節があることは否定できない。マクシミリアヌスから保護者を辞退する旨告げられたところで不思議はないが、そうしないこともちゃんと識っているあたり……自分で言うけどたちが悪い。

「分かった!」

 と短く言った。

「分かった! 君たち二人を異教徒の手に委ねるよりかはよっぽどマシだ。Capperi(カッペリ)!! ああ、全く、大した交渉上手だよ君たちは!」

 真佳が笑って席を立った。
 ……さくらのために同意したのだと確信した。


夜月空日



「治安部隊員の前に出てくるなんて自殺行為だわ」
「君だって状況は変わらない。あの場で入団をほのめかすのは馬鹿ぐらいしかいないと思っていたが」
「肉を切らせて骨を断つ……っていう慣用句が、向こうにはあるわ」

 咥えた煙草に火をつけながらヤコブスが舌を打ったような気がしたが、炎の爆ぜる音と聞き間違えただけかもしれない。本来ライターなんて形はこの世界には必要ないが、にも関わらずこんなものが出回っているのはさくららの元いた世界からの影響に違いないと確信している。側面に描かれた魔術式を発動させて火をつける、その構造自体はこの国ならではアレンジだろう。五百年前にやって来た“異世界人X”は今でもこの世界に影響を与え続けている。

「また会えるとは思わなかったわ」

 ヤコブスがちらりとこっちを向いた。
 咥え煙草の不明瞭な肉声で、

「……いずれ奴らにも会える」
「奴ら?」
「“部下”だよ。カタリナ、トマス、フゴ、グイド」
「……全員来てるの? 呆れた!」
「引き継ぎと言っただろう。総入れ替えは時間がかかったが、やって損はなかった。これから君を支援するのは治安部隊員だけではない」

 ……馬鹿め、と思った。
 迂遠なくせに直情的で、圧倒的に足りない語調のくせしてそいつが奥のほうにある何かを抉る。わけの分からない世界に落とされてどうにか腐らずに済んだのは、こいつの影響が多分に大きい。
 二柱並んだ樹幹の一つに背中を預けて、細めた眼で遠く彼方を見晴るかしながら向こうのほうから二の句を継いだ。

「西のほうへ来るのは何年ぶりかになる。ずっと東のほうにいた」

 チョコレートの甘い香りが紫煙になって運ばれた。
 こうしているとこの世界に居座る最後の夜になるはずだったあの日のことを思い出す。二人並んだ樹幹に背中を預けて、向こうとは違う虫の声音を聞いていた。

「ヒメカゼ」

 ……固めの低声がさくらを呼んだ。
 西の方角を眺望していた目線の先をさくらの方向へシフトして、

「……君に、ソウイル神の加護多からんことを」

 分派無宗教入り乱れたこの集団の中の一人間に神が如何ほどの加護を与えるものか疑問はあったが、拒否する理由も見当たらなかったのでそれは大人しくもらっておいた。

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